「旅先で出会う新しい価値観で、常に自分を変えていきたい」
いのりの海へ 出会いと発見大人の旅
著 者:渡辺憲司
出版社:婦人之友社
ISBN13:978-4-8292-0860-1
立教大学名誉教授(専門は近世文学)、自由学園最高学部学部長。2011年、当時校長を務めた立教新座高校の卒業生に向けた、筆者のメッセージ、「時に海を見よ」は、「あれ以上素晴らしい祝辞は、自分には贈れない」と、多くの教育者を嘆かせた。
固い肩書の並ぶ筆者だが、その旅はどこまでも柔軟で突発的だ。
時に「甘楽」という、心惹かれる地名に導かれて、時に昔読んだ詩集を思い出して詩人の生家へ、時にうららかな陽気に誘われて、ひょいと電車にのって房総へ、実に気軽に旅に出る。
そこで、筆者は、「行かなければわからなかった、知りえなかった、様々なこと」に出会う。水俣のどこまでも澄んだ海は、プランクトンがいない、魚の住めない死んだ海だったこと。江戸川乱歩の美しい妻は、まるっきり整理整頓のできない人だったこと。
館山のカニタ婦人の村の小さなチャペルでは、専門である遊郭の研究をここにいる人たちに失礼のないようにしてこられたかどうかと自問自答し、銀山の坑道では30歳になると尾頭付きの鯛で長寿を祝ったという抗夫たちの過酷な日常に涙ぐむ。
人を愛し、食を愛し、酒を愛し、のびのびと旅をする。
「旅は、既成概念をなぞるために行くものではない。若いときに行った場所も、今行けばまた違う感慨がある」
読むとふらりと電車に飛び乗りたくなる、大人のための紀行文。
渡辺先生との旅は、ほぼ2カ月に1度、海外を除き、毎号毎号、6年間続き、その全ては中高年向けの雑誌『明日の友』(あすのとも)に掲載されました。その前の数年間、元、新聞の美術記者であるT先生と、やはり数年間旅の連載を担当していた私は、両氏の旅への向き合い方に、大きな違いがあることに、驚きました。
新聞記者として時間のない中で、より正確な文章を書かなくてはいけない中で生きてきたT先生の取材は、「立てた仮説に基づいた意見を拾いに行く旅」でした。旅立つ前にT先生の中に確固たるストーリーがあり、それに合致するピースのみを拾い集める旅です。
対する渡辺先生は、大筋はあるものの、現場で聞いた話がご自身の予想と違う場合でも、(むしろ好んで)拾い集め、それを緻密に積み立てていく旅でした。そのために、いきなり行き先が増えることもしばしば。帰りの電車に間に合うかな、と気をもむこともありました。
たくさんの人に会い、たくさんの人から話を聞きました。たくさんおいしいものを食べ、おいしいお酒を飲みました。旅から帰れば、同じ場所で同じ人から話を伺っていた私がまるで気づかなかった、人の表情、町の空気がつづられた原稿が送られてきて、それが毎号とても楽しみでした。
同じ場所で同じものを見ても、聴いても、食べても、感じることは人それぞれです。この本を読んで、自分だけの旅をしてみませんか?(小林恵子 / 婦人之友社・「明日の友」編集部)