叙情にころばない、きわどさの手前

みすず書房編集部

フクシマ 2011-2017
著 者:土田ヒロミ
出版社:みすず書房
ISBN13:978-4-622-08669-7


「デジカメの写真は、そのままでは写真集にはもたない」土田ヒロミが言った。

自然の魅力を見せるためには、データに手を加えなくてはならない。「色を盛る」「ヌケ感」「光を上げる」「バックを立たせる」──山なみや花の色も樹木のギザギザも除染区域を示す橙色のコーンポールも、写真が作品となるための加工作業が必要である。

さらにそれを紙に定着させる印刷技術の職人技。めったにやらないという「本機(刷機)による色校正刷」をした。

先生はありとあらゆることをして、めざしたのは、「叙情にころばない」「きわどさの手前」にある、淡々とした普通の風景なのであった。

福島の人々が暮らし育んできた里山の無名の風景がどれほど美しかったか。どれほど大事なものをわたしたちは失ってしまったのか。四季は移ろうが人がいない。人の声が聞こえない。あるいは昔ながらの集落に、フレコンバックが山と積まれる。老母の丹精していた庭から家族が消えた。

写真展で空間の中に写真が現れた。

会場の銀座ニコンサロンは写真愛好家の集まる情報発信基地のような場所で、連日、たくさんの人がまっすぐに土田ヒロミの写真をめざしてやってきた。九州から来た知人がその光景を見て、「さすが東京ですね」と言った。

写真の前にたたずむ個々人の多様な時間。来場者は今ここにいることの記念のように、帰りぎわにDM用の写真葉書を手にとっていく。わたしが驚いたのは、写真が見つめられることで、どんどん《作品》になっていったことだ。同時に一冊の写真集は、作家の宇宙を閉じ込める凝集力において空間展示に負けないことも確かめた。

この写真集に英訳を付したアラン・グリースンさんは『はだしのゲン』の英訳者でもある。アランさんが日本の父と慕う『はだしのゲン』の作者・故中沢啓治氏を、土田ヒロミは「ヒロシマ三部作」を撮る過程で何度か撮影していた。ヒロシマとフクシマはつながっていると二人は言った。

人々がある日突然、日常を奪われるとはどういうことか。ハリウッドの黙示録的映画になじんだ外国の人にも、この写真集は感受されるだろう。見えない放射性物質は山野に残り、核戦争は絵空事ではない。

土田ヒロミは福島に120回通って風景を撮りながら、しばしば未来に向かってレンズを向けている感覚に襲われたという。「定点観測」という手法は未来の時間にも伸びている。