【2023.3.31】週刊読書人note

 ちひろ美術館・東京で六月一八日まで、安曇野では今秋開催 の展覧会に関連した図録。大正期の「童画」創始者の一人である初山滋の作品は、雑誌や絵本をはじめとする印刷物のために書かれることが多く、作品数としては膨大だが今となっては入手しにくい。本画集には主に、遺族のもとに保管された原画と版画を掲載。モダンで美しい色彩、優美で自由な線を味わうことができる一冊。(B5変・一四四頁・二五三〇円)
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 第一回「論創ミステリ大賞」の受賞作である本作の舞台は、終戦直後の日本。空襲により焼け野原となった東京、闇市の片隅で、外国人の死体が発見された。奇しくもその日は、一九四五年の八月三十日木曜日。マッカーサー元帥が、日本に降り立つ日であった。
 犯人捜しを担当するのは、刑事の渡良瀬政義と須藤秀夫。だが、二人の心中は穏やかではいられない。被害者も、捜査に圧をかけてくる米軍憲兵も、少し前まで敵であり、家族や大切な人の命を奪った相手なのだ。徐々に明らかになる真相と、その過程で描かれる終戦直後の雰囲気、人々の生き様に、一気に引きこまれた。
 なお、本書は論創社創業五〇周年を記念し、刊行されることになった「論創ノベルス」の第一作目でもある。今後の「論創ノベルス」シリーズの作品も、心待ちにしたい。(四六判・三四六頁・一七六〇円)

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 巽宇宙著/堀有伸監修『元東大生格闘家、双極性障害になる』(日本評論社)

 双極性障害という言葉に対してどのようなイメージを持つだろうか。それはうつ病と何が違うのか。自らの経験をもとにそうした問いに応えてくれるのが本書である。双極性障害は、一般的には「躁うつ病」とも呼ばれている。「躁」と「うつ」の二つの状態が一人のなかで生じ、双方の極に振れてしまうことをくりかえす精神障害である。
 著者は巽宇宙。彼もまた双極性障害を発症している。だが、著者が日本の老舗格闘技団体「修斗」で活躍した元東大院生ファイターだと知ったら、読者は驚くであろうか。どれだけ「強い」と言われ、栄光という名のスポットライトを浴びた者でもそうした精神障害を抱えてしまう。一方で、彼が特殊な経歴を歩んでいたからこそ、双極性障害となってしまったということでは、決してない。本書を読めば、精神障害は誰にでも訪れる可能性のあるものだと理解できるだろう。
 生きていれば目標に向かって努力することもある。なにかに熱中することもある。その研鑽が、ときには成功をもたらしてくれるだろう。努力した結果による成功経験は、自尊心を育んでもくれる。だが、それが自身を追いつめてしまうこともある。結果を出さなければならない。周囲の期待に応えなければならない。自分は決して負けない、負けてはならない。なりたい自分にならなければ……。多くの者がこうしたプレッシャーを感じたことがあるはずだ。それは著者も同じであった。本書は、そういった過度なストレスが精神障害のトリガーとなってしまうことを私たちに教えてくれる。
 同時に、著者は「躁」状態がどのようなものか、広く知られていないことに警鐘を鳴らす。このことは治療方法に大きく関わってくるからだ。
 双極性障害を正しく伝えようとする著者の記述は、決して「快復」への成功記録ではない。むしろ〝失敗〟を赤裸々に語ってくれる。私たちが知るべきはなにも成功体験だけではない。〝失敗〟をいかに「共有」できるかも重要だ。
 「斗いを修めし者」による奮闘が綴られた一書。付録として、精神障害に関する福祉制度まで紹介されているのも読みどころ。(四六判・一九二頁・二〇九〇円)
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 篠田英朗著『戦争の地政学』(講談社)

 ここ数年、「地政学」に対する人びとの関心が膨れ上がり、解説本や解説動画など多くの場で地政学的な論説に触れる機会が増えた。その理由として、日本においては近隣諸国からの軍事的示威行動に関するニュースが日々聞かれるようになったこともあるし、より大きな関心が寄せられるのは、ロシアによるウクライナ軍事侵攻という、おおよそ現代国際社会において想像できなかった、大きな戦争が勃発したことで、地政学を用いて現代社会を考える機運が高まっていることもある。
 では、そもそも地政学とは何であるか。この根源的な問いに本書は応えていく。地政学的な概念がいかに誕生したか、異なる伝統を持つ二つの地政学の考え方、そして地政学の理解に基づいて、一七世紀以降に発生した主立つ戦争の構造を紐解く。当然、昨年から続くロシア・ウクライナ戦争に関しても、第2部第6章で詳述される。
 地政学の全く異なる二つの伝統とは。著者は「はじめに」で次のように論じる。
 「一般に地政学と呼ばれているものには、二つの全く異なる伝統がある。『英米系地政学』と『大陸系地政学』と呼ばれている伝統だ。(中略)両者は、地政学の中の学派的な相違というよりも、実はもっと大きな根源的な世界観の対立を示すものだ。(中略)たとえば海を重視する英米系地政学は、分散的に存在する独立主体のネットワーク型の結びつきを重視する戦略に行きつく。陸を重視する大陸系地政学は、圏域思想をその特徴とし、影響が及ぶ範囲の確保と拡張にこだわる」
 英米系地政学に基づく現在の国連憲章体制と大陸系地政学の発想を持つロシア。ロシア・ウクライナ戦争をめぐる国際社会とロシアの主張の食い違いが、著者が論じる根源的な世界観の対立からきていることが見えてくる。(新書判・二二四頁・九九〇円・講談社)
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 西村慎太郎著『そもそもお公家さんってなに? 近世公家のライフ&ワーク』(現代書館)

 狩衣姿にまろ眉、白塗りの顔で和歌を詠む。〈公家〉と聞いて、思い浮かべる姿である。では、彼らはどのような生活をし、どういった仕事をしていたのか。菅原道真や小野小町、安倍晴明といった公家の子孫は、どうなったのか。本書はイラストと詳細な記述で、〈お公家さん〉の実態を解き明かす。
 収録されているのは、五〇のトピック。家柄や住んでいた場所、職場、血と知の継承などにはじまり、公家の収入やゴシップ、スキャンダルまで紹介される。中には、切腹を命じられたものの、その意味や方法がわからなかった公家もいたそうだ。つい読み込んで、想像を膨らませてしまうエピソードに満ちた一冊。(四六変・一六〇頁・一七六〇円)
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 日本は「移民大国」となったのだろうか。それともこの問い自体がナンセンスだろうか。周囲を見渡せば、いわゆる〝外国人〟とよばれる人たちが、この国で暮らしている。それにもかかわらず、ヘイトスピーチや技能実習制度、入管法の問題などは毎日のように耳に入ってくる。しかし、当たり前のことではあるが、本邦における〝外国人〟は決してここ数年に突如として現れたわけではない。
 本書は、著者自らを「ニューカマー」と「日本社会」の間に立つ「境界人(マージナルマン)」として、「古くからの移民ともいえる」在日コリアンの戦後におけるあゆみをふりかえるものだ。〝在日〟に関する運動や事件などをとりあげ、それに対する在日社会からの反応を提示する。
 当然、彼ら彼女らの間にはさまざまなグラデーションがあった。立場や思い、背景、そしてそれらが変化していくさま。差異や変化を否定せずに記述していくスタイルは、まさに断定的に語ることのできない〝在日〟の生きてきた道・ケースをあらわすかのようでもある。また〝在日〟にとってのアンビバレントさを丁寧に描くことは、著者自身にも向けられる。民族意識をはじめとした、上の世代に対する違和感、国籍や名前、制度への複雑な感情。自らの割り切れなさを語ることで、「ニューカマー」に対する特権性すらも問い直す。
 本書は、「わかった気になる」ためのものではない。「わかった気」になってなにかを見落としてはいないかに気づかせてくれるものだ。著者自らが表現するきまずさやばつのわるさを共有することは、あらたな連帯や希望を見出すことのできる道筋なのかもしれない。(四六判・三〇四頁・一八七〇円)