【2023.4.7】週刊読書人note.

 チャールズ・テイラー著『〈ほんもの〉という倫理──近代とその不安』(筑摩書房)

 チャールズ・テイラー(一九三一-)の政治哲学・宗教哲学をより深く知りたい人にとって本書は「格好の入り口」になるだろう。しかしテイラーという人とその思想に接近し、理解しようとする動機とは、そもそもどのようなものだろうか。

 一般向けラジオ講演をもとに構成された本書があつかうテーマは、近代社会に特有の〈不安〉であり、それも「実にありふれたもの」だという。つまり現代の生活者なら誰しもが直面させられる「懸念」にたいして、「〈ほんもの〉の倫理」の回復をもって応えようとするものである。

 ここで問題になる〈ほんもの〉とは、現代のキーワードに変換するなら、例えば「自分らしさ」に近いものかもしれない。今やそれは強迫観念の一つになってさえいる時代だ。本書でテイラーが強調するのはそうした〈ほんもの〉性の、使い古され手垢にまみれた用法ではなく、オリジナルの着想に基づいた、豊かな可能性である。

 現代人の生き方への指針として、文明社会への鋭い批判的視角とともに、深く根源的な楽観主義をもあわせ持った、魅力あふれる小著である。(田中智彦訳)(文庫判・二五六頁・一二一〇円)
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 第九回「新潮ミステリー大賞」 贈呈式

 三月二八日、第九回「新潮ミステリー大賞」贈呈式が都内にて行われた。大賞は寺嶌曜氏のキツネ狩りに贈られた。選考委員は貴志祐介、道尾秀介、湊かなえの三名が務めた。

 貴志祐介氏は選考委員を代表し、本作を次のように評する。

 「選考委員がそろって絶賛した作品。寺嶌さんは、小説を書くまでに、全て映像化したうえで描写するとおっしゃっていた。映像と活字の両方に足を置く、非常に新しい作家が誕生したのではないかと思います」。

 寺嶌氏は、受賞の喜びをあらわすとともに、本作執筆の背景を次のように語る。

 「コロナ禍で多くの方が、鬱々と過ごしたかと思います。ですが、ぼくが執筆できたのは、むしろコロナのおかげでもありました。今までは読むだけであった小説が、書くものになるとは、考えてもいませんでした。この鬱々とした時代になっても何かを生み出していこうとする人たちが、ぼくの周りにはたくさんいる。その人たちに背中を押されるように本作を書きました。この賞を生かすも殺すも、これから読んでくださるみなさまにかかっていると思います。本当の評価は、そこから始まると思っています」。

 また、前回・前々回の贈呈式が会議室での小規模開催であったことを踏まえ、『私たちの擬傷』で第七回「新潮ミステリー大賞」を受賞した荻堂顕氏、『午前0時の身代金』で第八回の同賞を受賞した京橋史織も登壇し挨拶した。

 荻堂氏は、次のように語る。

 「二九歳までにデビューできなかったらやめようと思っていました。デビューしていなかった頃の夢をいまだに見てしまいます。無人の店内でずっと原稿を書いている夢。これを二九歳まで続けるのはつらいなと思っていた時のことです。この夢から抜け出せる日がいつくるのかと思いながら、書いています」。

 京橋氏は次のように述べた。

 「スイスに転居したことをきっかけに小説を書き始めました。スイスで、日本語の書籍が読めないという状況をはじめて経験しました。それが、こんなにもストレスになるのか。書店さんで本を選んだり見たりすることが、生活の中でどれだけ幸せなことだったか。そういったことを改めて感じました。それで、好きこそものの上手なれ、と思い作品を書き始めました」。

 また、今回クローズドサスペンスヘブンで最終候補となった五条紀夫氏も登壇し、同作も『キツネ狩り』と同じく三月二九日に発売されることを宣伝した。