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文庫読みどころ紹介
古山裕樹 / 書評家

 

 

大名倒産 上・下
著 者:浅田次郎
文春文庫
ISBN13:9784167919283

 

不確実な時代に求められるリーダー像――財政再建という一大プロジェクトに挑む物語

 江戸時代も末の文久二年。越後丹生山松平家は二十五万両の借金を抱えていた。利息だけでも一年で三万両になる一方、歳入はわずか一万両。それを知った嫡男は衝撃のあまり亡くなってしまった。そこで当主は策略をめぐらせる。庶子の小四郎に家督を継がせ、自身は隠居としてひそかに裏金を蓄え、計画倒産の準備を進めるのだ。だが、きわめて愚直で誠実な小四郎は、そんな企みなど知らず、新たな当主として真剣に財政を立て直そうと奔走する。その真摯な姿に共鳴した家臣が、商人が、民衆が自ずと動き始める。人だけではない。貧乏神や七福神までもが動き出す。

 浅田次郎の『大名倒産』は、冒頭で作者自身が語っているとおり、江戸時代を現代と断絶した遠い昔としてではなく、現代と地続きの時代として描いている。大名は、いわば領地を経営する組織のトップ。これは、組織を率いる立場についた主人公が、財政再建という一大プロジェクトに挑む物語なのだ。企業などの組織に属して働いたことのある方には、さまざまな要素が身近に感じられることだろう。

 たとえば、作中に描かれる参勤交代がそうだ。長年のしきたりが積み重なって、複雑怪奇なルールが形成された一大イベント。大量の慣習は、もはやその意義も由来も曖昧なまま、大名とその家来をがんじがらめにしている。そんな形骸化した伝統のために労力を費やす描写に、デヴィッド・グレーバーの『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』を思い出した。職場に潜むさまざまな無意味で不要な仕事をブルシット・ジョブと名付けて分析し、それらが蔓延する事情を考察し、仕事の価値とは何かを考え直す一冊だ。仕事のための仕事。そんな煩瑣な手続きは、多くの職場にみられるものではないだろうか。

 もちろん、そんな組織のマイナス面ばかりを描いているわけではない。特に、小四郎のリーダーシップはこの物語の大きな魅力だ。

 小四郎自身は、特に算盤勘定に長けているわけではない。彼はただ、自分の定めた方針を頑なに守り抜くだけだ。そのやり方は、「リーダーシップ」という言葉から連想されるような、人々を力強く先導するという性質のものではない。時には自分の弱さをさらけだし、助けを求める。だが、その素直な姿に感じ入った人々が自ら行動を起こす。目立った働きもなく影の薄かった家臣でさえ、意外な力を発揮する様子が描かれる。リーダーがすべてを判断するのではなく、メンバーが自発的に動き出すチームが形成されているのだ。家臣以外の商人や豪農といったステークホルダーも、美しい郷里を守るという小四郎のビジョンに共感して力を貸す。不確実な時代(なにしろ幕末なのだ)に求められるリーダー像といえば、現代にも通じるものがある。

 物語は経営再建の顚末を語って幕を閉じる。史実ではこのあと明治維新というさらなる激動を迎えるが、小四郎たちならうまく乗り切ってみせるだろう、と思わせる作品だ。(ふるやま・ゆうき=書評家)

 

――文春文庫売れ行き好調の10点――