飯舘村長泥地区をフレコンバックの最終処分場にするな
――今中哲二氏インタビュー――
福島第一原発事故からまもなく8年が経過するが、強制避難者の賠償問題も含めて、未だ問題はまったく解決していない。福島第一原発事故直後から飯舘村で放射能汚染状況の調査を続けている今中哲二氏に、飯舘村の現状についてお話を伺った(聞き手=佐藤嘉幸)。(編集部)
飯舘村での汚染調査
佐藤 福島第一原発事故直後から飯舘村で放射能汚染状況の調査を続けておられる今中哲二先生に、飯舘村住民の置かれた状況をめぐって、飯舘村でのご自身の活動との関係でお話を伺いたいと思います。まず、福島第一原発事故直後の話をお伺いします。最初に飯舘村に調査に行かれたときのことを聞かせてください。
今中 二〇一一年三月二八、二九日に入ったのが最初です。正直言うと、少し出遅れているんです。原子力屋として事故後の状況を眺めていて、三月一五日の段階で、「福島がチェルノブイリのようになってしまった」という判断を既にしていましたからね。我々専門家が現地に行って、きちんと測っておかなければいけないという意識があった。私自身は、広島・長崎やチェルノブイリについての研究を続けてきて、大事だと思うのは、事が起きた後のデータを取っておかないといけないということです。要するに、事実そのものをきちんとおさえておかないと、下手をすると、なかったことにされてしまう。そういう事態は、これまで歴史的にたくさんあります。だから、自分のできる範囲で、一刻も早く調査をしておきたかったわけです。
ただ、三月一一日の朝、ウクライナからお客さんが来ていて、チェルノブイリ二五年のセミナーを予定しており、どうしても福島に行くことができずにいました。それで彼が帰国した二〇日過ぎから、調査へ向けて動きはじめました。とにかく現地に入って調査をするつもりでした。そんな時、飯舘村の村興しをしているグループのメンバーである小澤祥司さんから、直接電話があったんです。文科省の調査で飯舘村にすごい汚染があるという報道が新聞に出て、一キログラムあたりのセシウムの量も書かれていた。セシウムの数値を見れば、一平方メートルあたりの値もすぐに換算できますから、それとチェルノブイリの強制移住の対象となった地域とを比べてみると、約六倍近くになっていました。それを受けて、朝日新聞に次のような私のコメントが出ました。「原発から北西に約四〇キロ離れた福島県飯舘村では二〇日、土壌一キログラムあたり一六万三千ベクレルのセシウム137が出た。県内で最も高いレベルだ。京都大原子炉実験所の今中哲二助教(原子力工学)によると、一平方メートルあたりに換算して三二六万ベクレルになるという。チェルノブイリ事故では、一平方メートルあたり五五万ベクレル以上のセシウムが検出された地域は強制移住の対象となった。チェルノブイリで強制移住の対象となった地域の約六倍の汚染度になる計算だ。今中さんは「飯舘村は避難が必要な汚染レベル。チェルノブイリの放射能放出は事故から一〇日ほどでおさまったが、福島第一原発では放射能が出続けており、汚染度の高い地域はチェルノブイリ級と言っていいだろう」と指摘した」。その記事を読んだ小澤さんから協力を求められ、飯舘村に行くことになった。これが、おおよその経緯です。
もう一つ、あのとき私が考えたのは、放っておくと、国を含めてデータを隠すのではないかということです。「連中、隠す気だな」ということです。なぜか。あれだけ酷いことになっているのに、データが全然出てこなかった。頭をよぎったのは、一九九九年に起きた東海村のJCO臨界事故です。二〇一一年の福島第一原発事故の際の日本の原子力防災体制は、JCO事故を教訓にして作られた原子力災害特別措置法に基づいています。特措法ができたとき、政府の高官がこんなことを言っていたんですね。「JCO事故の際は、情報がバラバラに出て来て困ったけれども、今後は、この法律に基づいて、新しく設置されるオフサイトセンター(緊急事態応急対策拠点施設)で、情報を集約して管理していく」。
佐藤 つまり、情報を統制したいということですね。
今中 そうです。だから、福島第一原発事故の時に、「隠す気だな」と感じたわけです。でも、今にして考えてみると、オフサイトセンターもろくに機能しなかったし、国のシステムそのものがきちんと動かなかった。すべてがバラバラで、防災システム自体がメルトダウンしたというのが実情です。
佐藤 事故直後の三月中旬、飯舘村で白い防護服姿の人々が放射線量をしている光景が目撃されましたね。その時点で、飯舘村がかなりの汚染を受けていることが、原子力安全・保安院(現原子力規制委員会)や原子力安全委員会(同)にも既にわかっていた、と考えていいのでしょうか。
今中 いや、ほとんどわかっていなかったと思います。そこまで情報が上がっていなかった。そのことを私は、原子力安全委員会の人間から直接聞きました。
佐藤 防護服姿の人たちは放射線量の調査に来たけれども、彼らが取った情報は生かされなかった可能性があると?
今中 汚染の情報は取ったけれども、どこかで誰かが握りつぶしたんだと思います。三月一五日に、二号機から放射能の大量放出がありましたね。SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の予測だと、浪江町から飯舘村辺りでは、かなり高い数値が出ることがわかっていました。文科省のモニタリングカーが原発から二〇キロ圏内のデータを測っていて、浪江町の赤宇木では、夜の八時ぐらいで、二〇〇〜三〇〇マイクロシーベルトだった。これは報道もされている。佐藤さんが今言われたように、飯舘村近辺では、防護服姿の人が測定をして回っていた。事故直後には、日本全国の原子力関係機関に、すぐ連絡がいって、現地に助っ人が入っていたんですね。福島県ではなく他県から来ている人たちです。例えば避難者に対するスクリーニングにしても、七万人、八万人の対象者がいますから、人手が足りない。だから、私の勤める原子炉実験所からも、所員が応援に駆けつけています。
佐藤 ただ、甲状線被曝に関しては、それほど調査しなかったということですね。
今中 あれは酷い。原子力屋からすれば、甲状腺被曝についてきちんと測っておくのは、モニタリングの一丁目一番地の話です。けれども福島県が、住民の不安を煽るから調査するなと言って、やめさせたわけです。例えば弘前大学のグループが調査していたら、途中でやめさせられたそうです。ああいうやり方を見ていると、どうも福島県が一番悪いんじゃないかなという気がしますね。
佐藤 福島県は今でも、小児甲状腺ガンのデータを、福島県立医科大学を通じてすべて集中的に管理していますね。今中先生が三月の終りに飯舘村に入られたときは、まず土壌調査をして、空間線量を測られたわけですね。
今中 ええ。原発事故が起こった後の被曝に関して注意しなければならないのは、被曝にもいくつかの種類があるということです。第一に、放射能プルーム(放射線を含む大気塊)から直接浴びる被曝です。第二に、放射能が地面に沈着し、そこから受ける外部被曝がある。第三に、呼気で吸入する被曝があります。災害評価をやっている経験から言えば、プルームが通ったときの被曝よりも、大きな沈着が起きた地面から受ける方が圧倒的に大きい。八割、九割方は、そちらからの被曝だと考えた方がいいと思います。だから我々も、三月二八、二九日に入った後、五ヵ所から土を採取して、汚染放射能の組成を測定しました。どんな放射能が、どれだけ入っているかが分かれば、汚染が起きてからの放射線量を推定できます。福島の場合、チェルノブイリと比較して、それほどいろんな放射能はないこと、そして五つのサンプルの組成比があまり変わらないこともわかりました。
佐藤 そこから初期被曝のデータを作ることができるわけですね。
今中 そうです。二〇一一年の秋ぐらいには、自信を持てるぐらいのデータを作ることができました。金沢星稜大学の沢野伸浩さんというGIS(地理情報システム)の専門家が作成した、汚染マップが大変役に立ちました。アメリカの核安全保障局(NNSA)が、三月から五月にかけて、福島県の上空の放射能測定をしたデータがウェブでオープンにされていることを沢野さんが知り、そこから福島県の汚染マップを作ったんですね。例えば、飯舘村のセシウム137の汚染地図はかなり細かく作られている。飯舘村は当時約一七〇〇戸、その一軒一軒の家の汚染レベルが、沢野さんの汚染マップから割り出すことができる。そこに、各人がどういう挙動をしていたかという情報を組み合わせる。
私自身は、二〇一二年から二年間、環境省の研究公募で、「飯舘村の初期放射線被曝評価」というプロジェクトにリーダーとして関わりました。初年度は、すべての家の汚染レベルを見積もり、翌年は、飯舘村村民の約三割に当たる四九六家族、一八一二人の住民にインタビューをしました。「何月何日、どこで何をしていましたか」という質問をし、そうしたすべての情報を合わせながら、被曝評価をしていったわけです。そうすると、避難するまでの外部被曝線量は、平均七ミリシーベルトであることがわかりました(詳細は、以下の論文を参照。今中哲二・飯舘村初期被曝評価プロジェクト、「飯舘村住民の初期外部被曝量の見積もり」、『科学』、二〇一四年三月号、『科学』、二〇一四年三月号)。この数字は、ADR(原子力損害賠償紛争解決センター)で調停中の人たちにも提供しました。
ADRをめぐって
佐藤 ADRの話が出ましたので、その点について伺いたいと思います。飯舘村民三千人以上が東京電力に損害賠償を求めたADRの結論として、一〇ミリシーベルト以上初期被曝した人に東京電力が一五万円の賠償金を支払う、という調停案が出ました。しかし、東京電力側が調停の受け入れを拒否したために、初期被曝についての調停は打ち切りになってしまった。今中先生や、日本大学の糸長浩司さんらが中心になって運営されている飯舘村放射能エコロジー研究会(IISORA)が今年二月に福島でシンポジウムを開かれましたが(「原発事故から七年、不条理と闘い生きる思いを語る」、二〇一八年二月一八日、福島県青少年会館。以下で映像が公開されている。動画1 動画2)、そこで配布された資料の中に、東京電力とADRと原告の間でやりとりされた書面がすべて載っていました(IISORAのホームページで公開されている。IISORAのホームページ)。それを読ませていただいて非常に驚いたのですが、東京電力は、一〇〇ミリシーベルトが健康に影響を与える「しきい値」である以上、一〇ミリシーベルトの被曝は微々たるものであり、一〇ミリシーベルトでは健康影響は存在しないのだから、初期被曝についてはまったく補償するに値しない、という回答を出している。この回答について科学者としてどうお考えですか。
今中 そこは専門家によって意見は違いますけれども、一般的には、一〇ミリシーベルトは急性の障害が出るような被曝でないことは確かです。しかし、たとえそうであっても、余計な被曝をすることによって、後々ガンなどの病気にかかる可能性がある。その可能性が上乗せされるということです。
佐藤 原発労働者だと、五ミリシーベルト以上の被曝で、健康影響に対して労災が認定されていますね。それに比べて、一〇ミリシーベルトは高い値です。
今中 そもそも「しきい値は一〇〇ミリシーベルトにある」という論理を使うこと自体、不勉強なんです。あの数字は、広島、長崎の被爆者追跡調査を元にして求められたデータです。そこでの被曝線量とその影響を見てみると、有意な関係が見られるのが一〇〇ミリシーベルト以上であり、それ以下では健康被害は認められない、と東京電力側は言っている。ただ私も、広島、長崎の被曝量評価をずっとやってきていますけれども、元々あの集団で、低い被曝量における細かい話をするのは無理なんですね。広島、長崎では、お年寄りから若い人まで大勢被曝しており、五〇年間ずっと追跡調整したと言うけれども、この間、原爆の被曝以外に、自然被曝、医療被曝も含めて、多くの被曝を受けている。だから、五〇ミリとか一〇〇ミリといった数値できれいにわけられるものではない。それが私の第一印象です。
また、あの調査計画がデザインされた一九五五年当時、低い被曝線量に至るまできちんと調べようという気などさらさらなかった。原爆による放射線被曝は、爆心地から二〇〇〇メートルぐらいまでしか考えられていなかったので、最初はそれ以上離れた場所については、放射線被曝は「ゼロ」として考えるぐらいの感じだった。だから調査対象は、一〇〇〇メートル以内、一五〇〇メートル以内、二〇〇〇メートル以内という大ざっぱな区分で計画された。そうした調査であり、「しきい値=一〇〇ミリシーベルト」というのは、被曝量評価のクオリティが高くない集団の中での話であるわけです。最近の調査の方が被曝量の不確かさが小さい。原子力産業労働者や、CTを浴びた子どもたちのフォローアップでは、被曝線量による効果という点ではより明確な数字が出ており、一〇〇ミリシーベルト以下でも被曝影響があることが証明されている。ADRの回答などを見ていると、「しきい値=一〇〇ミリシーベルト」という言葉だけがひとり歩きしているように思います。専門家にしても、工学系の人は、最近の調査をほとんど読んでいないから、医学生物系の専門家の言ったことの受け売りだし、医学生物系も不勉強か、もしくは「御用の精神」に富んでいるか、どちらかです。
佐藤 東京電力側はそうして、あまり信頼性のないデータを意図的に使っている。
今中 ICRP(国際放射線防護委員会)が、一般の人の年間被曝線量(自然界からの被曝や医療被曝を除く)を一ミリシーベルト以下に抑えた方がいいという勧告を出したのには、それなりの根拠があるんですね。この数値は歴史的にどんどん下げられてきて、一九八五年には、年間五ミリから一ミリシーベルトにまで下げられた。ICRPの基本は、被曝線量とリスクの関係についての「直線・閾値なし説」で、つまり低線量被曝にもそれなりに害があるという考え方です。年間一ミリシーベルトでもそれなりにリスクはあるが、原子力を利用する社会ではそれくらいはみんなガマンしましょうという考え方です。
佐藤 医療被曝であれば、病気の診断というベネフィットがあるのかもしれませんが、福島第一原発事故の場合、やはり「余計な被曝」になりますね。住民たちは、まったく不必要な被曝をさせられた挙句に、それに対する補償も事故企業=公害原因企業から拒否されるとすれば、これは倫理的に考えておかしい。東京電力側は、事故企業=公害原因企業でもあるにもかかわらず、ADRの書面を見ると、初期被曝を賠償する気はなく、完全に開き直っている。
今中 あの書面は、専門的なことについてほとんど何も知らない弁護士が書いていますからね。
佐藤 ただ弁護士としては、一〇〇ミリシーベルトがしきい値だという説がある限り、それを使って、何とか賠償をゼロにしてやろうと考えますね。
今中 それは言葉上のロジックだけの話ですよ。私もADRで証言しました。その時に東京電力の弁護士から、反対尋問のかたちで質問されたんですが、「今中先生の作成された図は、目盛りがおかしい」と言われたことがあります。彼の言っていることが、最初よく理解できなかったんですが、簡単な話で、対数を理解できていなかった。唖然としました。結局、ブレーンもいないんですよ。東京電力は、そういう弁護士をいっぱい抱えているんだと思います。サイエンスをきちんと理解できる専門家がいないから、そういった馬鹿げたことで突っ込んでくる。
佐藤 そうした初歩的なことすらわかっていない弁護士が、「一〇〇ミリシーベルトしきい値説」を楯に反論してくる。呆れ果てるしかないですね。
今中 ADRもそうだけれど、裁判というのは方便の世界であって、サイエンスの世界ではありませんから。
佐藤 「一〇〇ミリシーベルトしきい値説」を盾にして、それ以下では健康被害はないという印象を与えれば勝ちだと思っている、ということですね。本当に科学的であるかどうかは関係がない。
今中 だから、調停役の弁護士さんは、私の意見の方をもっともだと考えたのでしょう。一〇ミリシーベルトぐらいに基準を設けると判断したんだと思います。
佐藤 そうした経緯で、今中先生はADRを説得できたけれど、東京電力の態度はまったく改まらない。現状を見ていると、ADRというシステム自体に問題があるのではないかと考えざるを得ません。結局ADRが調停案を示しても、何の法的拘束力もありませんから、事故企業=公害原因企業が開き直ったらそれで終りです。
今中 住民も、ADRでけりがつくと思ってやっていたのに、調停案が出ても解決しない。そうなると裁判に訴えるしかない。しかし、裁判に持っていくまでに住民を疲れさせてしまう役割をADRが果たしている。逆にADRがなかったら、もっとすんなりと裁判までいけたのかもしれません。
佐藤 ADRには、飯舘村の住民の半分ぐらいの方が入っていますね。三千人以上という大きな人数です。それだけの人数で訴えても、賠償の問題はまったく解決しない。あるいは、それだけの人数で訴えられると、あまりにも賠償金の総額が高くなってしまうので、東京電力は調停案を受け入れない。いずれにせよ、ADRの調停案には法的拘束力がなく、そのために調停が実現されないわけですから、システムとしてはまったく意味がない、ということが露呈してしまった。
今中 ええ。私もADRについての歴史的経緯はよく知らないけれども、印象としては同じです。一体何のための制度なのか、としか思えない。
佐藤 東京電力側が出している書面を見て、もう一つ驚いたことがあります。東京電力は次のように主張しています。村民は初期被曝したと主張しているが、原発事故後の二〇一一年四月、政府は飯舘村を計画的避難区域に指定し、「おおむね一ヶ月をめどに避難するように」と指示を出した。それにもかかわらず、一ヶ月を超えて村に残った場合の被曝は、住民自らの責任である、と。しかし、東京電力は事故企業=公害原因企業である以上、こんなことを堂々と主張できる立場にあるとは到底思えません。放射能汚染をまき散らした挙句に、避難しなかったのは自己責任だと言っているわけですから。そうしたことも含めて、東京電力には、ADRの調停案に法的拘束力がない以上、踏み倒せる賠償は踏み倒していこう、という意図があるように私には思えました。この点については、飯舘村ADRを担当されている只野靖弁護士に、今後話を伺う予定になっています。
今中 ADRの審査をしている側は、東電の調停案拒否について声明などは出しているのですか。
佐藤 いえ、私の知る限りでは、出していません。神奈川の原発避難者訴訟の最終準備書面で、原告側がこんな主張をしていました。東京電力は「親身・親切な賠償のための五つのお約束」と、「損害賠償の迅速かつ適切な実施のための方策(三つの誓い)」を、企業努力として表明している。「五つのお約束」は「①迅速な賠償のお支払い、②きめ細やかな賠償のお支払い、③和解仲介案の尊重、④親切な書類手続き、⑤誠実な御要望への対応」、そして「三つの誓い」は「①最後の一人まで賠償貫徹、②迅速かつきめ細やかな賠償の徹底、③和解仲介案の尊重」で、いずれにも「和解仲介案の尊重」という文言が入っています。にもかかわらず、東京電力はADRの調停案を軽視しており、その受け入れを拒絶するケースが後を絶ちません。「「五つの約束」、「三つの誓い」は、公的資金の援助を受けるにあたっての国民に対する「約束」であり「誓い」であったにも拘わらず、税金から合計数兆円(賠償資金だけでも五兆円を超える)という巨額の援助を受けておきながら、その前提として示した「約束」や「誓い」までをも反故にして、原紛センターのADRにおける和解仲介手続を不成立とさせていることは、まさに国民に対する背信行為というべきであるし、犯罪的ともいわなければならない。現在も極めて困難な生活を強いられている被害者の救済を遠ざけるものであり、加害責任を全く省みない非人道的な対応であって、許しがたい暴挙である」。こうした原告側の主張があったぐらいです。もちろん、ADRはこうした東京電力の態度に対して何も言っていない。今年二月のIISORAのシンポジウムでの長谷川健一さん(ADR飯舘村民救済申立団代表)の発言や、只野靖弁護士のレジュメによれば、ADR側は「東電が受諾する可能性が高い和解案を出すというのがADRの仕事であり、東電が受諾しない案を提示しても無駄である」というにべもない対応だということで、東京電力に対してまったく受け身の態度だという印象しかありません。
飯舘村民との共同作業
佐藤 ここからは今中先生のご活動、飯舘村民と長らく続けてこられた共同作業について、もう少し詳しくお聞きしていきたいと思います。例えば、初期被曝量については、先程言われたように、村民の方々に綿密に聞き取りをして被曝線量を算出されている。各自の家の放射線量なども、村民の方々と一緒に計測されている。この辺りのことについて教えていただけますか。
今中 それは、基本的には、私自身の仕事だと思ってやっているんですよ。当時は、福島の人を援助するという感覚で、大勢の人が動いていました。ただ私は、あくまでも自分の仕事の延長としてやってきている。「今中先生、頑張って福島の人に寄り添って支援してあげてください」と言わることもありますが、私は寄り添おうと思ってやってきたわけではありません。これまでずっと原子力に関係してきた人間として、今回も飯舘村の方たちに協力してもらってやってきたということです。結果的に地元の方々のお役に立てればと思っています。
佐藤 「助ける」というよりは、一緒に作業しながら、物事を明らかにしようというスタンスなのでしょうか。
今中 そうですね。二〇一一年三月の終りに飯舘村に行ったときもそうだし、最初に言ったけれども、起きていることをきちんと記録しておかないといけないという考えが、まずは根本にあります。自分自身、四〇年間原子力で飯を食ってきた責任を感じている。専門家としてできることがあるし、あるいは啓蒙活動にしても、自分の仕事としてお役に立てる場面もありますからね。
佐藤 被曝線量を測定していく中で、住民たちからは、本当にこの場所に帰還してよいのかどうか、という問いも出てきますね。
今中 現実的にそこに住めるか住めないか。それについて、私が誰かの替わりに判断したことは一度もないんです。住むことによるリスクはどれくらいか、私の知る限りの話はできます。しかし最終的に判断するのは、それぞれの人だと思います。「地元に帰りたい」と言われれば、それなりに被曝に気をつけてくださいというスタンスでずっとやってきています。そこは行政とは全然違います。行政は、どこかで線を引かなければいけない義務を負っていますし、専門家の役割とは別になります。これは私自身が、チェルノブイリ原発事故の時から感じていることです。例えば、汚染された農産物を食べるか食べないか。これも各人の判断です。食べてすぐ死ぬというならば別ですけれども、今はそういうレベルにはない。もちろん七年前の三月一五日の飯舘村であったり、あるいは東京にしても、とりあえず逃げるのが正解だったと、私は思います。放射線プルームが飛散しているし、これから先どうなるか、まったくわからない。私個人としては、多分逃げなかったでしょうけれども、一般の人は逃げた方がよかった。いまの汚染については、東京にしてもセシウムだらけと言っています。この七年間乱されていない都内のどこの土を測っても、セシウム137が出てきます。私は専門家なので、そのセシウムによってどれくらい被曝するか、測定したら見積もることができます。そういう東京で、私の娘や孫も住んでいますが、「東電の不始末で汚染があるのはシャクだけど、しゃーないなぁ」と言っています。娘や孫が福島に住んでいるなら、また言い方も違ってくるでしょう。今の飯舘村ならば、特段の事情がない限り住まない方がいいと言うでしょう。
佐藤 そういう中で、帰りたい人がいれば帰ればいい、というスタンスなわけですね。
今中 最初から、そう言っています。
佐藤 慣れない避難先で生活するよりも「帰りたい」という声ももちろんあります。
今中 どちらを選ぶにしても、ポジティブ、ネガティブの両面があります。放射能が嫌だ、被曝が嫌だと思えば、できるだけ避けた方がいいことは確かです。一ベクレルだろうと一マイクロシーベルトだろうと、汚染は嫌だという立場はある。だけど、そういう立場を取るならば、東京でも住めない。また被曝という面だけで考えれば、現在の東京よりも、広島の方が被曝線量は多い。自然放射線が高いですからね。そういったことも踏まえて、いろんな知識を総合した上で、合理的な判断があると思います。例えば、福島のお米、農産物は汚染されていますよ。私が測ったところ、一キロあたり〇・五ベクレルのセシウム137が検出された。汚染されているのは確かです。しかし、その汚染レベルは、仮に孫が食べても私は気にしないというぐらいの被曝レベルです。
佐藤 具体的な数字を元にして考えた上でリスクを判断する、ということですね。
今中 「絶対」というのは、サイエンスの世界ではありませんからね。「絶対大丈夫ですか」と聞かれたら、「そんなことはない」と答えるしかない。しかし私が四〇年間原子力にたずさわってきて、「気にすることはないレベルである」と言うことはできる。私が子供の頃は、大気圏核実験が繰り返されていたせいで、空から多くの放射能が降ってきて、今より高い放射線量のものを毎日食べていた。それは「事実としてある」と言うことはできます。
佐藤 その上でお伺いしますが、やはり飯舘村と東京では、状況が異なるのではないでしょうか。
今中 飯舘村は、事故前に比べたら、居住区域で十倍から二十倍の放射線量があります。山の中に入れば、さらにその二倍から三倍です。それだけ余計な被曝を受ける。わざわざ好んで住むところではないと、特に子どもを持つ親には言っています。私自身も特定の事情がない限り、飯舘村に住む気にはならないし、子や孫を連れて住む気はない。余計な被曝をしなければならない理由がありませんからね。ただ、それは親の判断です。今の飯舘村で生活をしていれば、大体一年間の追加線量が、多くて三~五ミリシーベルトぐらいだと思います。さらに学校は徹底的に除染されていますから、東京と同じぐらいでしょう(飯舘村の放射線量の現状については、以下を参照。今中哲二、「飯舘村の将来と現在——放射線量の現状と将来予測」、IISORA第八回シンポジウム、二〇一七年二月一八日、福島県青少年会館、飯舘村の将来と現在——放射線量の現状と将来予測)。
佐藤 避難した方々については、いかがでしょうか。今中先生は、東京電力に事故の責任があるのだから補償は続けるべきだ、というスタンスを取られていますね。
今中 それは当然です。被害者、被災者ですからね。
佐藤 そういう意味では、住民の自己決定を行政が支援する必要もあるし、原発事故を引き起こした東京電力は事故の責任を負わなければならない。
今中 だから、お金の使い方に、すごく疑問を持っているんです。飯舘村に四〇〇〇億円の除染費用が使われている。果たしてこれが役に立つお金なのかどうか。そのことはずっと感じています。
佐藤 除染しても、それほど劇的に効果があるわけではないということですね。
今中 除染するまでは、どれくらい除染が役に立つかどうか、よくわからなかった。けれども、やってみると、除染しても線量はせいぜい半分にしか減らないことがわかったわけです。にもかかわらず、人が戻らないところにまで一軒何千万円ものお金をかけて、除染する必要があるのか。それだけあれば、新しいところで生活を再建するための費用に使えばいい。これがごく自然な感覚なんじゃないですか。
長泥地区の「除去土壌汚染再利用実証事業」について
佐藤 次に、飯舘村の長泥地区での「除去土壌再生利用実証事業」についてお聞きしたいと思います。この問題はごく最近出てきた問題ですが、概要は次の通りです。飯舘村の除染で出た汚染土から一キログラムあたり五〇〇〇ベクレル以下の土壌を選別して、飯舘村の中で唯一帰還困難区域である長泥地区の農地を、その土壌で覆土して「再生利用」する。そして、その上にさらに汚染されていない土を覆土して農地に使い、園芸作物や資源作物などを育てる、という計画です。住民が長泥地区全体の除染を国に要望したところ、除染とバーターで出てきたのがこの案で、住民側としては「苦渋の選択」として受け入れるしかなかった、という記事が出ています(寺島英弥、「帰還困難区域「飯舘村長泥」区長の希望と現実(上)——動き出した「復興拠点」計画」、デイリー新潮、二〇一八年五月一八日、デイリー新潮記事)。また、この計画の問題点をまとめたファクトシートが、FoEのホームページで公開されています(「【ファクトシート】除染土再利用・埋め立て処分…二本松、飯舘村長泥地区、栃木県那須町の実証事業」、二〇一八年一〇月一一日、FoEのホームページ)。この計画について、今中先生の考えをお聞かせいただけないでしょうか。
今中 繰り返しになりますが、私自身は原子力屋で、原子力の法令にずっと付き合ってきています。その立場から見て話します。まず、福島第一原発事故で起きた放射能汚染は、これまでの法律の想定外であったということです。放射性物質なり被曝を扱う法律には二つあって、原子炉は原子炉等規制法(核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律)、そして大学などで使っている放射性物質は放射線障害防止法(放射性同位元素による放射線障害の防止に関する法律)によって規制されています。それぞれ放射線施設に関する管理区域が定められており、そこから出る廃棄物は、原則的に、すべて放射性廃棄物になる。
二〇年から三〇年前に、原子炉解体の話が持ちあがってきたときのことです。解体の過程で出てくるゴミを、全部放射性廃棄物として扱っていたら膨大な量になって大変なことになる。そうした事情を踏まえて、放射性廃棄物として扱わなくてもいいレベルを決めましょうということになった。当時は「すそ切り」と呼ばれていましたが、今はクリアランス基準(レベル)と言っています。二〇〇五年の原子炉等規制法の改正に伴い、大雑把に言えば、セシウム137などのクリアランスレベルは、一キログラム当たり一〇〇ベクレルに定められた。その時に対象になったのが、東海第一原発です。一九九八年に運転停止となり、廃炉が決定された。廃炉で生じるクリアランスレベル以下の廃棄物は、何に再利用してもいい。例えば原発廃材でフライパンを作ってもいい。このフライパンで焼いた目玉焼きを毎日食べても、そこから受ける被曝は一年間で一〇マイクロシーベルト以下となり、被曝を気にするようなものではない、という考え方でクリアランスが導入されたわけです。
東海第一原発の解体作業の話を聞いたことがありますが、すごく大変なんですよ。解体で出てくる莫大な量の廃棄物の放射線量を全部測って帳簿を作る。膨大な作業なんです。そうした解体作業をやっているときに起きたのが福島第一原発事故でした。すると、そこら中がクリアランスレベルをはるかに越える放射能汚染だらけになった。私から見たら、地域全体の何もかもすべてを放射性廃棄物として扱わないといけない。
こうした法律想定外の事態に政府がどう対応するのかと思っていたら、原発事故によって汚染されたガレキや土壌などを処理するために作られたのが、放射性物質汚染対処特措法です。そして、一キログラム当たり八〇〇〇ベクレルという「指定廃棄物」の基準を設けた。この数値以下の汚染物質は、一般廃棄物として管理型処分場で埋め立てできる。実は、これは微妙な数字なんです。どういうことか。一キログラム当たり一万ベクレルを越えると、従来の放射線障害防止法における放射性物質に該当する。それを扱うには、今だったら原子力規制委員会に、昔であれば文科省に届けないといけない。そういうものがごろごろ転がっているので、八〇〇〇ベクレルに決めた。一方、汚染対処特措法の枠内に「除染特別地域」というのがあります。そこは避難指示地域のうち帰還困難区域を除いたところが対象で、国が直轄で除染することになりました。
飯舘村の場合、長泥地区を除いて除染特別地域となり、国の直轄除染が実施されました。こちらには八〇〇〇ベクレルという基準はありません。全面除染ということで、汚染レベルに関わりなく、田んぼ、畑、宅地周辺の土壌五センチをはぎ取って除染が行われました。その結果、二三〇万個のフレコンバッグが発生したそうです。そのうち、草木などで燃やせるものは仮設焼却場で燃やして、灰を中間貯蔵施設へと持っていく。そして、残った一七〇万個の除去土壌フレコンバッグはそのまますべて中間貯蔵施設に持っていく、という約束でした。
ところが、二〇一七年年五月に福島復興再生特別措置法が改正され、帰還困難区域を除染し避難指示を解除して居住を可能とする「特定復興再生拠点区域」を定めることになりました。帰還困難区域を抱える市町村が「拠点区域復興再生計画」を申請し、内閣総理大臣が認定すると、国の予算で事業が実施されるという仕組みです。そして、飯舘村のはじめの拠点区域復興再生計画では、長泥地区集会所のまわりだけを除染して新たにコミュニティーセンターのようなものを作るということでした。地区住民からもっと広汎な除染をやって欲しいと要望があって、それがいつのまにか、除染とフレコンバック土壌再利用がセットとなった「環境再生事業」として出てきたわけです。私がこの話を聞いたのは今年のはじめで、計画が動き出したら、長泥にフレコンバッグをどんどん持っていって埋めていくんだろうと思っていました。しかし、一〇月九日に、環境省の担当者との質疑応答を聞いていたら、今年度はまずは実証試験だということです。五〇〇〇ベクレル以下のものに限って〇・一ヘクタールで再生資材として利用する。そう明言していました。
佐藤 「飯舘村長泥地区環境再生事業の概要と現況報告」(環境省、二〇一八年八月二七日、飯舘村長泥地区環境再生事業の概要と現況報告)を見ると、〇・一ヘクタールの農地での実証試験の後、三四ヘクタールの農地で「実証事業」を行う、という計画が示されていますね。
今中 本年度決まっているのは、今言ったように、〇・一ヘクタールであり、そこでまずはやってみるということです。実証しながら、地域を広げていく。環境省の役人の話を聞いていると、そういうスケジュールで進めていくようです。
佐藤 もしうまくいけば、今後広大な農地で、汚染土壌を「再生利用」することになりますね。
今中 「再生利用」というと聞こえがいいようですが、それは環境省の方便で、実態は汚染土壌の最終処分です。担当者の話では、こういう話が出てきたからまずは実証試験をする。やはり汚染レベルを気にしていて、飯舘村だったら五〇〇〇ベクレルを越える汚染土は山ほどあるけれども、汚染レベルの低いものから選んで持っていく、ということのようです。私どもとしては、実証試験反対の声が長泥地区住民から上がっていない状況で試験を止めるのは難しいと思っていますが、五〇〇〇ベクレルがキチンと担保されるのかなど、実証試験の内容について第三者チェックが必要だと思っています。
佐藤 長泥の土壌は、除染しなければ、五〇〇〇ベクレル以上ですね。
今中 二万~三万ベクレルです。それをまず除染して、除染で出た汚染土は中間貯蔵施設に持っていく。
佐藤 環境省は最初、道路や鉄道、防潮堤、海岸防災林などを作る際に、五〇〇〇ベクレル以下の汚染土を覆土して処理する、という方針を出していました。つまり、農地はこの計画には入っていなかったわけです。その後、かなり強引な計画拡大をして、汚染度の処理を進めつつある、という印象を受けます。
今中 飯舘村から、長泥地区の「環境再生事業」の話が出てきたから、拡大したのだと思います。
佐藤 二年前に出された「再生資源化した除去土壌の安全な利用に係る基本的考え方について」という環境省の文書があります(二〇一六年六月三〇日、環境省の文書)。この時点では、農地の「環境再生事業」という話は一切出ていない。後から農地を計画に加えている。長泥のケースが出てきたので、農地を加えたということですね。
今中 役人が言っていたことによれば、最初は村から話を持っていったということだけれど、その当りの事情はよく分からない。
佐藤 しかし、住民が自発的に、農地に五〇〇〇ベクレル以下の汚染土を覆土してもいいと言うのか。現状では長泥地区の住民は計画に同意しているにしても、やはり国は、帰還困難区域で除染もしてもらえない、という住民の立場の弱さに付け込んで、そうした同意を半ば強引に取り付けたのではないか、という印象があります。
今中 それはそうです。農地の「環境再生事業」については、恐らく環境省がはじめに言ったか、だれかが村に入れ知恵したのか、あり得る話ではあるけれども、実際にはよくわかりません。
佐藤 「環境再生事業」に農地を含めることに、IISORAは反対していますね。その理由をお聞かせください。
今中 飯舘村長泥地区をフレコンバッグの最終処分場にするなということと、これを突破口に、同じようなことが近隣にも展開されたらまずい、という声を出しておこうということです。
佐藤 私が本当に不条理だと思っているのは、除染で出た汚染土を覆土する場合、それが道路などで、その上をコンクリートやアスファルトで固めるというのならばまだ話はわからないでもないですが(もちろんそれ自体も、全国に無秩序に汚染土を拡散することになるため、許容できません)、農地として再利用するというのが理解できないんです。覆土するのは農地でなくてもいい。その上に汚染されていない土をさらに覆土するとしても、汚染土壌はそれによって完全に封じ込められるわけではない。汚染物質が人に影響を及ぼさないような、もっと別のやり方があるのではないか。
今中 それは、例えば環境省が「農地再生」という名目にしたいからですよ。「再生」という言葉に拘っている。環境省が、あそこで本当に何かを作りたいと思っているわけではない。
佐藤 それはやはり、実験がうまくいけば他の場所にも広げられる、という目算があってやっているということですね。そうした動きがある中で、今中先生やIISORAは、今後の動きを監視していくという考えを持っているわけですね。
今中 それは、地元の方からの要請もありますから。
佐藤 長泥について、IISORAでは、今後どのような活動をしていく予定でしょうか。
今中 一二月に東京で小さい集会をします。今どういう問題が生じているのか。福島県外の廃棄物最終処分場に反対している地元の人たちも一緒になって、シンポジウムを開く。そうやって一般の人に情報発信し、周知させる。来年三月、福島でも、IISORA主催でシンポジウムを予定しています。また、糸長浩司さんや私は、継続的に現地で放射線の測定を続けていく。
佐藤 問題提起が必要だということですね。
今中 そうです。問題提起、情報発信するのがIISORAの役割だと思っていますから。
「トリチウム水」の処理問題
佐藤 放射性廃棄物の問題に関連して、「トリチウム水」の処理問題についてもお伺いしたいと思います。福島第一原発のタンクに溜まり続けている汚染水、いわゆる「トリチウム水」には、実際にはトリチウムだけではなく、様々な放射性物質が基準値以上に含まれていますが(例えば以下を参照。「汚染水、浄化後も基準二万倍の放射性物質 福島第一原発」、朝日新聞、二〇一八年九月二八日、朝日新聞記事)、その汚染水を海洋投棄する話が出ています。「トリチウム水」問題と、長泥地区での汚染度処理問題は、どちらも汚染物質の処理の困難さが現れているという点で、地続きなのではないでしょうか。
今中 一般市民としてはそういう視点から考えていく必要がある、と私は最近思っています。別々の問題ではなく、原発事故から出た放射能による汚染全体をどう処理していくのか。そして福島第一原発そのものも、この先どうするのか。我々はずっと注視していかなければならないし、考えていかなければいけない問題です。
佐藤 「トリチウム水」の海洋投棄自体についてはいかがお考えですか。
今中 トリチウムによる被曝量がいくら云々という問題に狭めて考えるのではなく、とにかく余計な放射能はもうこれ以上出すなという立場で考えています。私自身の意見を求められたときは、例えばセメントなりなんなりで固めろと言っている(これは冗談ですが、汚染物質を固めて、福島第一原発構内にピラミッドのようなモニュメントを作ればよい)。一二〇年経ったら、トリチウムならば千分の一になり、二五〇年で百万分の一になりますから、放射線の影響もなくなる。今時はいい硬化剤もあるでしょうし、いずれにせよ百年、二百年の単位で見守る体制でいけばいい。福島第一原発の敷地そのものは、二百年程度かかって事故炉を廃炉しながら状態を見守っていくしかないのだから、そうしたスパンの中で考えるべきじゃないか。
佐藤 その上で、福島第一原発からこれ以上汚染物質は外に出すな、ということですね。
今中 汚染した放射能はできるだけ東京電力に戻せ、というのが原則です。
佐藤 「トリチウム水を海洋放出しないと復興が進まない」という、国側のよくわからない意見もありますね。
今中 「トリチウム水を海に流せ」という意見は、専門家としてはよくわかります。処理のしようがありませんからね。実際どこの原発でもいっぱい出している。だけど、そういう問題ではない。とにかく福島第一原発について、出さずに済むものは出さないようにする。「福島の廃炉まで三十年、あるいは四十年」といった報道が新聞に出ますが、物事をじっくり考えない人は、四十年経ったら廃炉作業が終わって福島第一原発の敷地が更地になっているようなイメージで受け取っている。それでけりがつくんだと。しかし、そんなことは絶対にない。うまくやれば、あの中にあるデブリが取り出せる、という話であって、すべて片がつくという話ではない。そのデブリを持っていく場所だってないし、私からすれば、あそこに置いておくしかない。その辺の問題も考えながら、我々はどうしていくのか。そういうことを問うていかねばならないし、声を上げていこうと考えています。
佐藤 廃炉自体かなり長期間にわたるのだから、汚染物質を流し続けるのはよくない、と私は思います。「トリチウムは除去しきれないし、安全だし、経済的にも最もコストが低いから、福島県沖の海に放流すべきだ」というのが国側のロジックですが、倫理的に考えても、それは無理だろうと思います。当然、海洋環境に負荷がかかるし、社会的にも、漁業が再開できなくなるなど周辺地域全体に負荷がかかる。そもそも、福島の隣県も含めた周辺地域はこれまでも福島第一原発事故のために放射性物質の大量の漏出に曝されてきたわけで、それに加えて汚染物質を意図的に海洋投棄するというのは、線量如何にかかわらず、倫理的に考えてもおかしいと思います。
今中 「トリチウム水」問題については、私もそう思います。それは長泥に関しても、まったく一緒です。福島第一原発から出た放射性汚染をそこらじゅうに埋めるなんていうことが、許されるわけがない。
佐藤 その点はADRの問題とも繋がっていて、事故企業=公害原因企業である東京電力が事故被害の責任をまったく取ろうとしない、という態度と通底しているように思うんですね。また国は国で、先ほど述べたように、「復興を加速するためには汚染物質をいつまでもタンクに貯めておくわけにはいかない、だから海洋放出しなければならない」というロジックを立てて、東京電力をバックアップしています。しかし、国と事故企業=公害原因企業は、これ以上の汚染物質を福島第一原発から外へ出さないという原則を守って、さらに、様々な事故被害に対してきちんと責任を持つべきではないでしょうか。
今中 これはチェルノブイリの時からずっと言っていることですけれども、個々人としては、被曝して、将来的に病気になるかもしれないという被害がまずあります。しかし、もっと社会的な被害に目を向けなければいけないし、そちらの被害の方が圧倒的に大きい、と私は思います。
佐藤 地域コミュニティが崩壊するとか、事故前のような通常の生活ができなくなるといったことですね。
今中 その方がよっぽど目に見える形で現れている。健康被害自体は、なかなか目に見えないし、よくわからないところがあります。
佐藤 しかも健康被害は、統計のレベルでしか把握できない。例えば、年月が経つにつれて人々が甲状腺ガンになったという事実が積み重なっていくと、その結果として明確な因果関係がデータ上で証明されるかもしれませんが、それまでの間に、一人ひとりの悲劇が積み重なっていくことになるわけです。
今中 被曝に関しては、何度も言うようですが、余計な被曝は避けた方がいいというのが原則です。同時に、福島に汚染があることも確かであり、その中で我々は生きていかなければいけない、ということです。それに関連して言えば、ここ一週間ぐらい毎日、築地市場の豊洲移転のニュースが報道されていますね。しかし、豊洲市場の汚染の問題はどこにいってしまったのか。マスコミはあれだけ豊洲市場の汚染を叩いていたのに、今や誰も何も言わないし書かない。豊洲市場のホームページを見ると、隅の方に最近のデータが出ていて、以前と同じレベルの汚染が続いています。酷いですね。そこには福島第一原発事故と共通する問題があると思います。
佐藤 原発事故がもたらす社会的な影響は極めて大きい。それなのに、被害者が目の前にいても、国も東京電力も責任を取らないでいる。こうした事態のせいで、なぜ被害者がさらに苦しまなければならないのか。この状況は不条理としか言いようがない。しかし同時に、そうした事実が、福島第一原発事故後七年以上が経過して、徐々に否認され、かき消されつつある印象があります。今中先生は科学者としての立場からと同時に、社会的な観点からも、福島第一原発事故の影響を指摘し続けておられます。やはり今後も、科学的視点と社会的視点の両面から、この問題を考える必要があると思います。
(二〇一八年一〇月一二日、東京・神田神保町、読書人編集部にて)
★いまなか・てつじ=京都大学複合原子力科学研究所研究員。著書に『低線量放射線被曝』など。一九五〇年生。
★さとう・よしゆき=筑波大学人文社会系准教授。著書に『脱原発の哲学』(田口卓臣との共著)など。一九七一年生。