至高聖所

書評アイドル 渡辺小春が読む芥川賞

第106回芥川賞受賞作品

僕はかぐや姫/至高聖所
著 者:松村栄子
出版社:ポプラ社
ISBN13:978-4-591-16243-9

 

少女たちの持つ繊細で儚い聖的な物語へ

 今回は、第106回芥川賞を受賞した松村栄子さんの『至高聖所』を選んだ。

 この本は本屋さんで開催されていたフェスで運命を感じて購入した。パラ読みしてみると冒頭がちょうど大学受験から始まった。近頃は物語と共感しておけるうちに読みたいという思いから、主人公と私の年齢が近かったりする青春小説などを手に取ってしまう。私も四月から成人になって十代の終わりに焦燥感に駆られているのかもしれない。

 新構想大学に進学することになった、鉱物に興味を持つ主人公の青山沙月は、学生寮で生活をすることとなる。遅れて入寮してきたルームメイトの渡辺真穂は、病的に痩せて「わたし、しばらく寝ますけど病気じゃないから心配しないでください。もしも金曜の夜になってもまだ寝ていたら、すみませんが起こしてください。」と唐突に言い放ち、その通りずっと寝ている不気味な女の子だった。真穂の行動があまりにも逸脱していたために沙月は共同生活をしているにも関わらず彼女を受け入れることができないでいた。

 この物語の登場人物は皆どことなく寂しく、読んでいると心が苦しくなる。沙月の一つ上の姉は、美しい容貌とピアノの才能に恵まれた特別な女の子だった。しかし、音大受験に失敗し家を出てしまう。「たかがピアノの先生になるだけのために妹の進路を潰してまで大学に行く意味などない。」との姉の発言は、沙月にとって“可哀そうな妹”というニュアンスが含まれたことが納得できなかった。沙月は姉にとって「最も身近で心許せる存在」としてありたかったからだ。

 一方真穂は娘を演じている。実の両親を亡くしたからだ。真穂がお義父さんへ出来ることは<娘を持っている>という幻想を抱かせることだった。その為に「通過儀礼のようなもの」と言って化粧を始めたり着飾っている。

 私も思えば、化粧をしたりや服装を決める際に、こう見られたいと思っている。今日は、ガーリーな服にピンク色のアイシャドウを塗って可愛く思われたい、今日はクールで強そうに見られたいからアイラインをいつもより強めに引くというようにだ。沙月や真穂にも「誰かにこう思われたい」という感情が根強くあると感じた。私もその一人なのかもしれない。少女特有の意識なのだろうか。

 タイトルの「至高聖所」は、「アバトーン」と読む。ギリシアの神殿の一番奥にあると言われている夢治療が行われていた場所の名だ。真穂は至高聖所をモチーフに、夢を病んだ領主と人生を病んだ娘が至高聖所で癒されることを願うという内容の戯曲を書く。

 夢とは不思議なものだ。以前に学校の授業で夢診断を行ったとき、友人関係における自分の願望が夢に現れているのに気づきぞっとした。夢から人を癒すとは、現実の不安を取り除いて内に秘めた欲求の解決に繋がるのかもしれない。寂しさを感じる登場人物たちにも至高聖所はよりどころとなるのだろう。

 「そしたら友達やめる?」これは、沙月の彼氏が宗教にはまり、友人に心配された際に、もし自身が宗教にはまったらという沙月の一言だ。さらっとこんな重たい言葉を放ち場面が切り替わる。私にはこの一言がとても恐ろしく感じた。もしその場にいたら受け流すことは出来ない。少女を取り巻く人間関係の不安定さやその中にある陰鬱さを感じた。この物語に感じていたいつも通りの日常の風景は、沙月が気に入った青金石という鉱石と、真穂が演じようとした戯曲の舞台である至高聖所が象徴するかのように、少女たちの持つ繊細で儚い聖的な物語へと変貌していった。私はそんな少女たちの姿に未だ心惹かれてしまっている。


<写真コメント:「制服姿を3月末に写真に残していただきました。四月を迎えて、成人になって大学生になってと社会上の変化が大きかったのですが、未だにすべてを受け入れることはできないでいます。もう「大人にはなりたくない」と言ってはいられないのでいつの間にか大人になれているといつかの私が思えるように成長していきたいものです。」>

★渡辺小春(わたなべこはる)=書評アイドル

2004年生まれ。大学生。2016年からアイドル活動を始める。カンコー委員会一期生などモデル活動のほか、「NHK高校講座現代文」の生徒役としても出演するなど幅広く活動をしている。MissiD2021「本と女優賞」受賞。

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