夜と霧の隅で

書評アイドル 渡辺小春が読む芥川賞

第43回芥川賞受賞作品

夜と霧の隅で
著 者:北杜夫
出版社:新潮社
ISBN13:978-4-10-113101-6

 

鬱展開のSF小説のように読んでしまった

 船医として世界中を巡った『どくとるマンボウ航海記』などユーモアのあるエッセイで知られる著者の北杜夫だが、今回紹介するのは、硬派な文章とリアリティーのある、戦時中のドイツの精神科医たちを描いた作品『夜と霧の隅で』である。

 舞台は第二次世界大戦末期のドイツの病院。ある日、不治の患者は収容所に送還され、安死術を行うというナチスの指令がくだった。精神科医のケルセンブロック達は、受け持っている患者を不治とみなされないために、電気ショック、脳に直接メスを入れる手術、注射など治る可能性のあるものは危険が伴ってまでも治療にあたった。

 患者の一人に、日本からの留学生、高島がいた。彼はドイツで出会った女性と結婚するも、彼女の父がユダヤ人であったためにナチスのユダヤ人狩りに遭う。なんとか妻を取り戻したが、高島自身は分裂病を患い入院している。さらに追い打ちをかけるように妻が自殺していたと知り妄想に取りつかれている。

 救いようのない残酷な戦時下で、命を救おうとする医者と心を病んだ患者たち。正義とは、人の精神とは何なのかを追求する物語だ。

 私は、正義は存在しないと思っている。個人が持つ正義感の衝突で争うことがあったことがきっかけだ。だが、本を読んだり人と接する中で未だに正義は何なのか考えさせられることがある。

 ここでの医者としての正義は、やはり患者を治療し社会復帰させること。一方でナチス政府側の正義とは血統などの正常化だろうか。しかし、医者は、かなりリスクのある手術を行うし、ナチスのホロコーストは今もなお負の歴史として語り継がれている。手術した患者は不治とみなされなくなったものの廃人となったり自死した者もいた。「理想のための戦争なんだ」と語る場面があったがこの言葉は彼らにとっての正義を表すものなのかもしれない。

 人の精神は、自分でも自分を分かることが出来ないほどに難解だ。精神科医たちが安死術について会話する場面では、例え話として「躁鬱病をこの世からなくしてしまえば、同時にこの世から一切の色彩を、豊かなもの、激しいもの、沈鬱なるもの、もの悲しいものを失わせることになると言いたいんだろう」と医者は語る。簡単に表すことが出来ない人の精神は計り知れない。作中、高島が「どこまでが妄想でどこまでがそうじゃないってことを、一体医者はわかるものなのかね?」と語る場面がある。精神科医でもあった著者の言葉はより説得力なる問いとなる。この言葉が頭から離れない。

 私には、希望が見えない、あまりにも読むのが辛い物語だった。エッセイ本をいくつか読んだ後に読み直すとその差に本当に同じ作者なのかと疑うほどだ。基本的には医療現場の話が中心だが、時代背景はナチスのユダヤ人狩り、精神病患者の安楽死、虐殺などと実際にあった「夜と霧」作戦をモデルにしたのであろう。リアリティーのある作品にも関わらず、私は途中から鬱展開のSF小説のように読んでしまった。知らないからこそ目を背けずに読みたいと感じ、どうにか最後まで読むことはできたものの、脳内でどう物語を構築すればよいのか戸惑い、途中で何度も最後まで読むことを挫折した。読むのに勇気がいる一冊かもしれないが、こんなに重たくのしかかる小説はあまり見ない。読むことが出来てよかったと思えるはずだ。

<写真コメント:いつのまにか10代最後の年です。>

★渡辺小春(わたなべこはる)=書評アイドル
2004年生まれ。大学生。2016年からアイドル活動を始める。カンコー委員会一期生などモデル活動のほか、「NHK高校講座現代文」の生徒役としても出演するなど幅広く活動をしている。MissiD2021「本と女優賞」受賞。

Twitter:@koha_kohha_
Instagram:@koha_58_