荒地の家族

書評アイドル 渡辺小春が読む芥川賞

第168回芥川賞受賞作品

 

 

荒地の家族
著 者:佐藤厚志
出版社:新潮社
ISBN13:978-4-10-354112-7

 

過去の記憶は常にまとわり続ける

 東日本大震災から12年が経った。

 2021年上半期に芥川賞を受賞した『貝に続く場所にて』(石沢麻衣著)など震災作品は未だ書き続けられている。時を経たからこそ3月11日に関する本が書かれ続けているのかもしれない。私は読むたびに風化してしまいそうな記憶を呼び起こすようになった。あの日、私は、経験したことのない地震に驚きつつも、ただその様子をテレビで観ていただけだった。メディアに映し出された津波の被害はあまりにも浮世離れしていて、現地にいた人の心情は私の想像力で物を語ってはいけない程だと感じてしまった。そこにいなかった私は、被災地と“被”とつけて言葉にしてしまうようなどこか遠い距離を持ってしまっていたのだ。思いを馳せることしかできないもどかしさと無力さ、不甲斐なさを今でも感じる。

 仙台市に生まれ、今もその地に住む著者が描いた『荒地の家族』の舞台は、12年前のあの日、津波で大きな被害を受けた宮城県の亘理町である。

 そんな災厄の跡と日常が混ざり合う町で、坂井祐治はもうすぐ中学生になる息子、啓太と、祐治の母、和子と暮らし、病死した元妻の分まで息子を育てたいと植木職人として1人懸命に働いている。再婚相手の知加子がいるものの、流産をきっかけにお互いのすれ違いが大きくなったことで、知加子は心労が重なり、ある日突然家を出てしまう。

 いくつも失ったものがある中で日々懸命に生きる主人公は、災厄が起きたあの日から10年以上経ったこの町と、寄せては引いていく海の波を見て何を思うのだろうか。被災地に暮らすある家族の日常を切り取った芥川賞受賞作だ。

 本作には、災厄の跡が残った街並みの描写が多くある。河口への道のある地点で新しくなっている電柱、巨大な防潮堤、海へ続く平らな地面など変わってしまった景色が祐冶の目に映る。彼は、「元の生活に戻りたいと言う時の『元』とはいつの時点か」「一人ひとりの『元』はそれぞれ時代も場所も違い、一番平穏だった感情を取り戻したいと願う」と思いにふける。「元」の時点は過去にあるので戻ってこないし、「元」と表現するほど未練がましく今が変化しているのだ。

 住む町の景色は記憶とつながっていると思うことがある。最近、家族でよく行っていたデパートが取り壊しになった。本屋さんの児童書コーナーの匂い、好きだったラーメンの味、美味しい豆大福があったスーパー……、デパートで過ごした時間の記憶がよみがえってきて、この場所が建て替えられたら、この記憶も新しく上書きされてしまうのかと虚しくなった。そして、変わった景色を受け入れきれず、自分の気持ちが現実に置きざりにされているようでもあった。
 祐冶は文中、綺麗に整備された浜を「ここがここであるという証拠を剝ぎ取られた、ただの海辺」と表現している。虚しいが、確かにそう思える。形だけあっても記憶と場所を結びつけるものがなくなってしまったからだ。町が心を置き去りにして移り変わっていく様子は、波際に砂で作った城を飲み込んで、ただの砂浜にもどしてしまう海の波に似ているかもしれない。

 どれだけ彼には、失ったものがあるのだろうか。前妻の晴海、妻の知加子、生まれるはずだった子供、あの日の前の街並み…。あまりにも、波と共に失ってしまったことがありすぎる。失ったものは取り返せない。過去の記憶は常にまとわり続け、喪失観だけがずっと頭にも体にも残ってしまう。祐治には何が残っているのだろう。孤独ではないだろうか。

 ラスト、祐治の老けた容姿を見て啓太が笑う描写で物語は閉じる。暗い雰囲気が立ち込めていた中で息子の笑顔が現れ雰囲気が少し温かくなった。彼は孤独に生きているのではなく、一人の息子という存在がいるのだ。失っても、変わらないもの、大切にしたいもの、それが主人公にとって息子だったのかもしれない。

 私は単行本を読んだのだが、ぜひ読後カバーをとって余韻に浸ってほしい。

 

<写真コメント:最近単行本にはまっています。この作品もそうですが、カバーを外すとカバーとは違う表紙デザインが出てくるところが好きです。>

★渡辺小春(わたなべこはる)=書評アイドル

2004年生まれ。2016年よりアイドル活動を始め、現在「読書人web」にて書評コラム「書評アイドル 渡辺小春が読む芥川賞」を連載中。NHK高校講座「現代文」では聞き手役を務め、ミスiD2021では「本と女優賞」を受賞。本に関わる活動を中心に多岐にわたって活動中。

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