富岡多惠子論集 「はぐれもの」の思想と語り 著 者: 水田宗子(編) 出版社:めるくまーる ISBN13:978-4-8397-0179-6 一九五〇年代後半に詩人として出発し、一貫した批評精神を貫きながら現在も書き続ける作家・富岡多惠子。その富岡文学の前衛性とラディカルな表現を分析する論集、水田宗子編『富岡多惠子論集「はぐれもの」の思想と語り』(めるくまーる)が刊行された。本書は、水田宗子氏をはじめ、北田幸恵氏、長谷川啓氏、与那覇恵子氏、デイヴィッド・ホロウェイ氏、リー・エヴァンス・フリードリック氏など、富岡文学に深い理解を持つ国内外の論者が論考を寄せている。本書の刊行を機に、編者の水田宗子氏にインタビューした。本稿では、富岡多惠子の「はぐれもの」を鍵に、富岡文学の批評性、文学における生/性の表現やフェミニズム批評についてお話しいただいた。聞き手は、フェミニズム批評の分野で活躍するライターの住本麻子氏。(編集部)富岡多惠子のはぐれもの、記憶の沈黙・周縁・生き残り/生き延び 住本 今回の『富岡多惠子論集「はぐれもの」の思想と語り』を読ませていただいて、人間の「生と性」を「はぐれもの」という観点から揺さぶる、攪乱していく論集だと思いました。まずは、富岡多惠子という作家の時代的な文脈とこの論集が現代に刊行される意義について、富岡さんと同世代を生きてきた水田さんご自身がどのように考えておられるかお聞きできればと思います。 水田 大きなご質問で、きちんと答えるためにはいろいろな側面からお話しなければならないと思います。富岡多惠子さんは一九三五(昭和十)年のお生まれで、私も共有している時代背景としては、子ども時代に戦争を経験しているということだと思います。もう少し上の世代、詩人の石垣りんさんや茨木のり子さんたちの世代は戦前を知っていて、戦時中に大人になって戦後に作家活動をされたわけですが、富岡さんたちの世代は、戦争を断片的な記憶として持ちながら戦後民主主義の教育を受けてきた。親の世代はというと戦前・戦中の教育を受けた人たちで、富岡さんの世代は親から受けた教育、戦前の日本の家父長的な考え方を内面化しているわけです。その親の世代というのは、戦中戦後の苦しみと荒廃をなんとか生き残ろうと必死だった世代で、自分の受けた被害や差別、苦しみを語らない。語ることはどこか尊厳を傷つけるからでもあり、また、戦後民主主義国家形成へ邁進する中で、過去の記憶は封印されていくからでもある。林京子さんが長崎の原爆体験を描いた『祭りの場』も七五年に出ていますが、原爆の被害者たちもずっと苦しみと屈辱の記憶を沈黙させてきたのです。これは富岡さんの世代、大庭みな子、高橋たか子、吉原幸子、白石かずこ、少し年下ですが津島佑子にも共通することで、親の記憶の沈黙を人間形成の基礎に持ちながら成長し、その中で自分の表現を形成していった世代だと思います。核家族を核とする戦後民主主義国家形成から周縁化されていった階層の記憶を継承するということは、内面に「はぐれる」ものを持つ表現を形成していくのだと思います。▼封印された記憶 水田 私が考えていることはそういう世代の文学表現を、日本を超えてもう少し広い意味で考えてみたいということなのです。そのコンテクスト、考える拠点の一つに、絶滅収容所を生き残った人たちの沈黙を自分の内面に引き継いだソール・ベローやバーナード・マラマッドなどユダヤ系アメリカ人文学があって、その人たちは直接的な経験はしていないのだけれど生き残った人たちの沈黙、苦しみの記憶が封印されているのを傍で見ながら育った。それが戦後五〇年代に表現を始めた人たちの世代に共通していることではないかと思うのです。 それぞれの人の封印された記憶の沈黙、それについてアメリカのブレット・アシュリー・カプランという研究者が「ポストメモリー」という言葉で言っていて、自分たちと現実を共有しながら生きる、彼らの封印された記憶をどのように継承していくか。それがなされない限り、日本の戦後も肝心なことは箱に入れて流されてしまった後に打ち立てられた社会や制度となる。中でも家父長制家族制度から解放されたはずの女性が、核家族の主婦として家庭に封じ込められていく疎外感と親や夫という家族への違和感、そこでの生き残り方、そういうものが実は六〇年代、そして二〇世紀後半の女性の表現の根底にありながら、批評の場で考察や分析されないできたのではないかと思います。同世代として私もそこを批評としてきちんと考えていきたいと思っているんです。 ▼戦後の世界/関西というトポス 水田 それと、富岡さんが生まれ育った関西というトポス、場所ですね。それが戦後の世界で改めて大きな意味を持ってきたのではないかと思いました。関西・大阪という場所がローカル化されて東京が中心になっていく。言葉も標準語化されてその中でアイヌ語や方言もなくなっていくわけです。世界的に見ても戦後は帝国主義からの転換期で、その世界的な脱植民地、国民国家の形成への転換期を成長する過程で生きてきたというのが富岡さんの世代だと思うのです。そういう時代を生きてきた人たちの文学とは、制度の道徳観や規範、その表層的な言葉を信じない天邪鬼、はぐれものの視点を内包する、一筋縄ではいかない複雑な感情と思考を持つ表現構造を持っています。女性に関して言えば、戦後の新憲法発布で建前的に男女平等の社会が始まるわけですが、実は性別役割分担が家庭と職場でも社会構造の確たる基礎となっていった時代で、女性差別の構造が民主主義法制度の中で歴然としてくる時代でもあったと思います。 もう一つは両親の経験だと思うのです。富岡さんの両親は明治以降の高等教育を受けなかったいわゆる庶民階層の人たちで、書き言葉には縁の薄い人たちですが自己表現をしないわけではない。富岡さん自身は女性の大学進学率二・一%という時代に国公立大学に進んだエリートで、庶民の文化と近代化の中で形成される東京中心の中産階級文化の間に成長してきた知的な女性作家です。戦後の資本主義経済体制内での成功への道のりが教育制度を通して一本化して明白になり、差別の構造も見えてくる時代に、どうやって女性たちが生き抜いたり、生き残ったりしてきたかということに、富岡さんは非常に早くから表現の根幹を見てきたと思います。▼「はぐれもの」の発見 水田 社会制度が出来ればそこから外れてくる人も思想も生き方も必ず出てきますし、制度の中でもはぐれる心を持って生きていく人がいるわけです。そのはぐれている部分を見ていこうというのが富岡さんの文学の拠点だと思います。富岡さんが書き始めた五〇年代は一方で世界の植民地が独立運動を起こして、帝国主義体制が崩壊し、他方では朝鮮戦争以後の米ソ冷戦体制が確立されていく時代で、日本国内では日米安保体制の強化と資本主義経済活動へと向かって日本の復興体制が明確になっていく過程で性別役割分担が男性主導のジェンダー社会を進展させた時代でもあったのです。社会主義革命の可能性がなくなり、戦後、文化改革が取り残されていった政治の季節の終わりでした。富岡さんは、戦前の文化意識や家父長制家族の価値観を取り込んだ表層的民主主義社会制度の中で、周縁化されていく下層庶民階級や、アウトサイダー化していく性的マイノリティー、また、体制の敷いたレールを歩んで中産階級化していく人たちの、「はぐれる」心を持ちながら制度の欺瞞を生き残ろうとしてきた人たちの逸脱と孤独に満ちた「普通」でない生き方への共感に自分の文学の拠って立つところを見出していたのだと思います。 富岡文学で見えてくるのは差別と周縁化の構造で、はぐれものにはいろんなところで差別を受けてきた人たちがいる。そこには同性愛者もいれば、親に捨てられた子もいるし、人に裏切られたり、利用され捨てられたりした経験を持つ人、過去に人に言えないような経験をして心に怒りと恨みを抱えながら沈黙しているような女性もいる。そういう人たちが富岡文学の最初からの主人公だったわけです。私が富岡文学を二〇世紀の世界文学であると思うのは、今の時代、特に放射能汚染の被害とコロナ禍で表面化されてきた、人を差別していく、はぐれものを作っていく構造を、戦後の世界に早くから見ていて、中でも家族と性の制度化に対して非常に鋭い洞察力に富んだ批評を文学で表現してきたことです。初期の小説は家族と性に集中していましたが、それが『白光』(一九八八年)『逆髪』(一九九〇年)へと広がりを持っていって『ひべるにあ島紀行』(一九九七年)では、沖縄をも含む世界的な歴史の差別構造へのラディカルな批判に到達して、富岡文学は今大変読み応えがあると思います。 家族/疑似家族、語らないはぐれものとそれを語る語り手 住本 富岡文学を作家自身のバックグラウンドから世代論、時代と思想的背景から考察するお話をありがとうございました。最初の方の親の世代の話と「家族」というテーマからまたお聞きしたいと思います。富岡さんの世代は、まず親の世代の沈黙を見つつ、自らもその親の世代から家父長制的な抑圧を受けてもきたと思います。そこでは抑圧が再生産されていく。そういったことに対して富岡多惠子という作家はとても複雑に書いていると思うのですが、富岡さんがどうしてそれを語り得たのかというところを知りたいと思いました。 水田 一つには、富岡さんの小説のキーワードに「逃げる」ということがあると思います。結局、生き残る、生き延びるためにはまず逃げる。そしてその中で思考していく。富岡さんは小説というのは思考の連動なのだと、その場その場で思考しながら移り変わっていくのが小説なのだと言っています。生き残るのは、正面から問題に対峙するのではなくて、規範を破っていく逸脱や卑劣なこともする、自分の尊厳と向き合うことでもあると思います。一つの視点からでは生き残る実存を考察はできないでしょう。 さらに、富岡さんがずっと拘っている表現に、喋る/話す/語る/書く、ということがあります。喋るというのは、人間生きる上で喋るわけですが、話す/語るとなると少し複雑なコードの表現になっていく。それから書くというのは、語るより以上に、対象が見えず、言葉の意味の限界と現実や真実との関係、そして、書くという行為自体への疑問を孕む近代表現なのです。富岡さんはそれらを一つの小説の中に入れたいと思ってきたのだと思います。詩から小説へ向かったのは、詩は原則的に抒情だからで、衝動的に詩から小説へ移ったわけでも、小説も試してみようということでもない。小説という形態も全面的に信じていない。はぐれものの生を書くには、喋ること、話すこと、そして観客のいる伝統芸能の語り、そして書くという文字表現を志向する形態として、語らないはぐれものとそれを語る語り手が共存する独自な小説の形態があるのかどうか、考えに考えて書いてきた作家ではないかと思います。 つながっていく「精神の共同体」 住本 『白光』も『逆髪』も、言ってみれば疑似家族的なものを作ろうとして瓦解していくストーリーです。家族はデビュー作『丘に向ってひとは並ぶ』(一九七一年)以来の富岡さんのテーマだったと思うのですが、『白光』『逆髪』においては疑似家族へと変容しています。ここはもしかしたら水田さんと少し読み方が違うかもしれないのですが、疑似家族を作ろうとしていくプロセスの中に語り手の冷ややかな視線というものがあると思うんです。家族が駄目だから疑似家族で良いなんて思うなよというような、家族とか共同体に対するただならぬ怨念みたいなものを感じます。 水田 私も感じます。富岡文学のはぐれものというのは一人で生きていく単独者で、共同体は嫌だ、家族は嫌だ、群れるのも嫌だと、他者との関わりも忌避してはぐれていく。単独者にとって外部というのは周縁化されていく境目で、境界のところは多様で曖昧なのです。家族という幻想そのものを課題としているのです。富岡さんは初めから自分は天邪鬼だと言っているけれど、疑似家族でもいい、子どもがいなくていい、老後はみんなと一緒に住んで公助自助でお互いを助け合えばいいなどという文科省推薦の考え方やそういう単一的な思考の中に入らないもの、そこから外れるものを見ていく目で書いてきたと思うのです。従って、言説を内包し、意味や道徳的判断もあり、初めと終わりがある「物語」は富岡文学にはないのだと思います。しかし、はぐれものの精神はどこかで必ずつながっていると思います。 住本 この論集を読むと、やはり『逆髪』が一つの到達点なんだということがよくわかるので、そういう意味でもこの論集が富岡多惠子の見取り図になっていると思いました。家族や疑似家族については冷ややかな視線がある一方、では完璧に一人で生きていけるかというとそういうふうには書いていない。ここが凄いところだと思います。 水田 それは彼女が拘っている、人が生きる上での「喋る」「語る」ということに現れていると思うのですが、同時に書く、そして報告したり記録に残したりということにも拘っているのです。『ひべるにあ島紀行』のスイフトとステラの間の手紙や離れてしまった人から急に手紙が来たとかどこかへ行ってしまう前に置き手紙があったとか。人はそもそもどこからかやってきて男女がつがいになって出来てきた群れ、共同体で生きているのですから、そういうものの原点を否定はしていないのだと思います。『ひべるにあ島紀行』の最後ははぐれものに会いにきた語り手が田舎のさえない食堂でスパゲッティを食べて帰っていく。そこで終わっているのではなくて、またいつか手紙が来るとか、どこかでつながっていく。「精神の共同体」と言うと言葉は固いんだけれど、語り手は明らかにはぐれものの精神の共同体の一員で、実在したはぐれものの心の在り方を継承していくことを考えているのではないかと思います。富岡さんをニヒリストやアナーキストだと評する人もいますが、私はそうは思いません。スイフト、折口信夫、室生犀星、中勘助と、富岡さんの評伝で扱った作家は、皆はぐれものの精神でつながっているし、「当世凡人」たちもその精神を心に持って生き残っているのかもしれません。 フェミニズム批評の現在、そしてこれから/女性の批評 住本 フェミニズム文学が今注目されて文芸誌でも特集されていると思うのですが、ストレートな表現が増えたなと思っていて、確かにフェミニズム運動という意味ではわかりやすければ広まりやすいし一つ有効な手立てだとは思うのですが、運動と文学の関係というのはそれこそ六〇年代はもっと拮抗していたと思うんです。拮抗してお互いに緊張関係があったと思うし、運動の中にも文学的な言葉があったような時代背景だったと思います。今後どうしたらもっと複雑な形でのフェミニズムや文学が読まれうる状況になるのでしょうか。それと、私がずっと気になっているテーマでなぜ女性の批評家が少ないのかということがあります。 水田 #MeToo運動で女性たちが自分の経験や被害感情を表現しはじめたのは大きなステップだったと思うのですが、フェミニズム運動が始まったときからの一番の課題は、制度の基盤になってきたジェンダーとセクシュアリティの構造、それを女性たちが内面化し、再生産していくことでした。フェミニズム批評は、自らをフェミニストだと言わなかった作家や詩人の作品を分析するところから始まってもいて、文学批評は作家の内面をくぐった表現テキストを対象とします。表現、文化表象を分析・考察していこうという批評や研究と、現実を変えていく運動は、根元は同じなのですが、活動の在り方は違ってくる。問題は、なぜ女性の批評家が出ないかということです。ジェンダーや性差別の課題が女性の問題だと考える男性批評家が多かったことも原因だと言えるのでしょう。 住本 いま女性と自認していて批評をやろうとしている人たちの中に、批評が好きだからこそ批評の男根中心主義的なところをよくわかっていて、どうしてもそのど真ん中にいけないということもあるというジレンマを感じます。それでも私は女性の批評というものがあり得ると思うんです。水田さんはご自身のご経験にも照らして、どのように女性の批評というものがあり得るかと思われますか。 水田 大切なご指摘だと思います。私が比較文学を勉強していた当時は批評と学問の間には距離があって、批評は一つのことを極めるのではなくて、勝手に領域を横断する、何か学問より浅い知恵でできる個人的で、軽い感想として考えられてきた経緯もある。文壇自体が男性中心だったために課題が政治や国家に偏って「女、子ども」の意見は無視されてきました。アメリカのスーザン・ソンタグは素晴らしい批評家ですし、フランスにはジュリア・クリステヴァもいますが、女性の批評家で思いつく人は本当に少ない。批評は、社会も文化も歴史も人間の内面も芸術表現もコンテクストとなる領域で、広い視野が必要です。 富岡さんは鋭い批評家でもありますが、それは批評の視点が、逸脱や過剰という、はぐれることを辞さないラディカルな思考に足を置いているからでもあると思います。女性の批評家には、果敢に前衛的視野を持って、表層の厚みを突き破る言葉が必要かもしれません。批評の言葉はすぐに体制に取り込まれ、骨抜きになってしまいがちで、そういう衝撃性を持つ言葉も批評家が開拓していかなければならないのではないでしょうか。 富岡さんの小説には必ず「狂者」が登場します。『三千世界に梅の花』(一九八〇年)もそうですが、世間からすれば「狂者」に見えても、そこには「世直し」の思想、社会を変えていかなければ生きられないという思想があって、普通の言葉と行為で伝達できるようなものを超えている世界を志向していることを富岡さんは言いたいのだと思います。詩と小説では女性の表現は大きな変容をもたらしてきた。批評を心がける女性はこれまでの男性批評家の視点を大胆に「逸脱した」思考の領域と言葉を持つでしょうし、どこかで「狂者」との接点を持つ覚悟もしなければいけない。そこには批評するものの衝動のようなものがあるからで、それを富岡さんは、主人公たちの分身的存在であり、作者の分身でもある語り手に託しているのではないでしょうか。富岡さんが次に何を書くか、本当に楽しみですね。(おわり) ≪週刊読書人2021年5月7日号(4月30日合併)掲載≫ ★みずた・のりこ=比較文学者(アメリカ文学、比較女性文学、ジェンダー文化論、現代詩批評)、詩人。近刊に、『白石かずこの世界:性、旅、いのち』(書肆山田)、『詩の魅力/詩の領域』(思潮社)など。★すみもと・あさこ=ライター(運動、批評、文学、フェミニズム)。『早稲田文学』『すばる』『ユリイカ』などに寄稿。