――反転した日の丸の先へ―― 三人論潮〈7月〉 吉田晶子 学生アルバイトは対象となりますか。→雇用保険に加入していない昼間学生のアルバイトの方であっても、給付金の対象となります。 外国人や技能実習生は対象となりますか。→国籍を問わず、日本国内で働く労働者であれば対象となります。技能実習生も実習先と労働契約を結んでいることから対象となります。(厚生労働省HP「新型コロナウイルス感染症対応休業支援金・給付金」Q&Aより)「そんな形で障害者を闇から闇へとさ――いわゆる地域社会に――一緒の町内とか、一緒の区内に住んでる障害者を排除してしまう――健全者と障害者が仲間になるのが怖いから――。仲間になっちゃうと怖いよ――。仲間になって、その勢力が大きくなったら、転覆しちゃうもん、力関係が。」(映画『養護学校はあかんねん!』(市山隆次企画制作・一九七九年)より)「三人論潮」六月の板倉善之は、新今宮ワンダーランドを「西成特区構想の一環である」と、五月の佐藤零郎は「西成特区構想の最新版として始動している」と、明快に書いた。多様性、包容力、という口当たりのよい言葉とともに差し出されているものが一体何であるのか、何を覆い隠そうとしているのかを書いた。そして板倉は「一面でより深刻な状態にあるのは、釜ヶ崎以外の労働者なのだと思わざるをえなかった。」と、PR記事を書き批判に晒されたライターもまた収奪され続ける労働者でありながら、目の前にいる労働者との連帯の可能性を失い続けるさまを示した。新今宮ワンダーランドが「浄化」しようとする釜ヶ崎労働者の怒りこそが、彼らを連帯させていることを書いた。冒頭に引かれた――いや、張り出された――花園公園に対する行政代執行当日に配布されたビラの怒りの声が、本当のことを突き付けていた。私は、石木ダム反対運動の現場で目にした旗を思い出した。それは一九五八年から一九七一年の間繰り広げられた闘い、熊本・大分県境の下筌・松原ダム建設反対闘争で使われた。赤地の真ん中に白抜きの円――反転した日の丸。権力をぐるりと取り囲む人民のさまである。 * 去年から、新型コロナ感染症に伴い休業させられた労働者の中で、休業手当が支給されなかった者を対象に、国から「新型コロナウイルス感染症対応休業支援金・給付金」が支給されている。二〇二〇年にそれが告知されたとき、アルバイト契約の塾講師をしていた私は、経営者に休業手当を求めていた。「アルバイトの人にはそういうの、無いものだと思いますよ」と言う経営者に、労働基準法上の「労働者」に、正規・非正規の区別はないこと、休業手当は全ての職員に支払われるべきことを面談室の机を挟んで話したが、「経営上難しい」以外の返答を引き出せずにいた。一人での交渉が難しいときは仲間を集めて行く、というのが基本だ。労働基準監督署も、労働局も、そう言う。確かにその通りだが、即座に団結できる「仲間」が私にはいなかった。 即座に団結できる関係性が築けていたなら、はじめからこんな状況になっていないもんな、と思った。では「仲間」が組織されていない状態でどうすべきか。これまでこの労働環境を変えてこなかったのに、自分が行動を起こすタイミングで、人が自分と同じタイミングで動かなかったからといって、がっかりしたり、ましてや諦めたりするのは違うな、と思った。一人で不完全でも経営者と話したり調べたりしながら、それらを同僚に話す。興味を持つ人が出てくる。休業手当の件だけでなく、それまで考えたり感じたりしていたことを話してくれる。「経営者との話し合いは今どうなっているのか」と尋ねてくる人が出てくる。「学生講師は仕方ないとしても、生計を立てている講師には休業手当が支払われるべきだ」という意見も出た。「主婦や学生ならこの働かせ方で良い」として非正規雇用が広められた先にいる私達が「学生」を区切っては駄目だ、全員が同じ条件で支払われるようにしよう、と考えを出し合った。狭い更衣室で汗をかきながら、帰り道の外灯の下で、鳶が旋回する労基の駐車場で、対面で、電話で、聞き、話した。言葉に詰まり、また話し合った。経営者とも話した。あるとき、自分は元々、経営ではなくただ「教育」「生徒」のために力を尽くしたかった、と彼はこぼした。私は話した。ずっと思っていたことだった。先生と生徒という関係性だけ大事にすればよいのではなく、卒業し生徒でなくなった後も彼らの人生は続き、私達の労働のあり方が、彼らも含む次世代の人間の労働のあり方、社会を形作るのではないか。経営者は黙って聞いた後、「社会を変えたいと本気で考えるのなら、政治家になるしかないと思いますよ」と言った。 そのようなとき、「新型コロナウイルス感染症対応休業支援金・給付金」の申請が二〇二〇年七月十日から開始されることを知った。労働者が直接申請できる制度であると、女性更衣室と男性更衣室に告知を掲示した。皆に申請して欲しかった。申請書類に経営者が記入する欄があった。一人一人の書類を書くことを通して、講師が簡単に使い捨てられない存在であること、皆一人分の力を持っていることを実感する機会を経営者に持たせたかった。 休業手当の交渉をしていた時期に、一九七九年に制作されたドキュメンタリー映画、『養護学校はあかんねん!』を見ていた。養護学校義務化に抵抗する全国障害者解放運動連絡会議を中心とした人々による、闘争の記録である。怒りに満ちた、そして快活な映画だ。周囲の人から「もう養護学校を卒業したので関係ないのでは」と言われながらも反対運動に加わる女性は、「教育とは、人間が人間として、本当に皆と共に生きぬくと教える場だと思います」と訴える。そこでは、「教育」と「労働者の権利を行使すること」は、一つになる。私はその意味での「教育」を、経営者に伝えたい、と思った。その先に、今回冒頭に引いた、一人の青年が闊達に語る「変革」がある、と思った。 小林多喜二「一九二八年三月十五日」では、自分達を検挙し拷問を加えているはずの巡査達が、ひどく扱き使われる状況に思わず本音を漏らす姿が描かれる。「龍吉は明らかに興奮していた。これ等のことこそ重大な事だ、と思った。彼は、今初めて見るように、水戸部巡査を見てみた。蜜柑箱を立てた台に、廊下の方を向いて腰を下している、厚い幅の広い、然し円く前こゞみになっている肩の巡査は、彼には、手をぎっしり握りしめてやりたい親しみをもって見えた。頭のフケか、ホコリの目立つ肩章のある古洋服の肩を叩いて、「おい、ねえ君。」そう云いたい衝動を、彼は心一杯にワクくと感じていた。」 かつて下筌・松原ダム反対運動で使われた、権力を人民が取り囲む旗。これを石木ダム反対運動の現場で見て、意味を知ったとき、確かにそうなれば不要な公共事業は止まる、と思った。そこに至る過程には、龍吉が興奮とともに感じた「重大な事」が必ずあるだろう。思いがけぬところに「仲間」を見出していくだろう。「新型コロナウイルス感染症対応休業支援金・給付金」の申請は、全員には程遠かった。「そこまでしてお金を欲しいと思わない」という言葉もあった。落胆はしない。ただ、どこに行こうと、同じ問題にぶつかるだろう、と思った。それは、どこに行っても問題は地続きであり、共有できる仲間が多い、ということでもある。養護学校義務化阻止の運動も、ダム建設反対運動も、職場の仲間との話も、旗の赤地の一部である。そして、この旗の姿もまだ過程であり、さらに先がある、と思う。私は職場の更衣室で話し合ってきたように、この文章を書いている。仲間に語りかけている。(よしだ・あきこ=精神保健福祉士、佐賀県唐津市在住) <週刊読書人2021年7月9日号>