――その検証と継承―― 三人論潮〈11月〉 佐藤零郎 「社会問題としての公害問題の切り口からは、公害被害者は沈痛な表情と加害企業への怒りをあらわにする部分しかクローズ・アップされてこない。日常の暮らしの中で、フッと吐息のようにもらされる水俣病の話―その時の私たちはこんなに一見元気そうに見える人々が体と心の中にもっている病のことにドキリとさせられる」(佐藤真「日常を撮る―映画『阿賀に生きる』を撮り終えて」より) ドキュメンタリー映画監督の佐藤真さんが亡くなって今年で十四年が経つ。十月にアテネ・フランセ文化センターにて「佐藤真監督特集2021その検証と継承」という特集上映が行われた。わたしは、佐藤真さんに生前ご指導いただいたが自身の完成した作品をみせることができなかった。みせることができなかったことが自身の作品を完成させることの原動力のひとつになっていたと思う。これまで佐藤真さんの特集上映は全国各地で頻繁に行われてきたが、今回は「検証と継承」という批評的なタイトルをもち、佐藤真監督の作品と次世代映画作家たちの作品が併映された。本稿ではそこで話したことと、時間切れで話し切れなかったことを掲載する。 佐藤真ほど、映画製作と映画批評を同時におこなう人もほかになかったのではないだろうか。佐藤真の映画づくりが批評を鍛え、批評がさらに映画づくりを鍛えているように思う。次世代のわたしたちと佐藤真の映画を比べると何が見えてくるだろうか。これは佐藤以後の日本のドキュメンタリー作家たちのある傾向についてのわたしの雑感にすぎないが、佐藤真以後、「日常」と「運動」とが切り分けられ、以後の作家たちは「日常」を撮るということに優位性を置き「運動」は撮るべき対象としては、後景に追いやられているように思える。「日常」は純粋無垢な、つかみどころのないありのままの人間の「生」であり、「運動」は、人間の「生」を枠にはめたモノであり、ひとつの政治的主張という色メガネで目隠しをされた状態のものとして扱われているように思う。「運動」がはじまれば、それらは見るまでもないかのように、了解され、深く吟味されずに置かれているように思える。わたしはそれらの傾向に不満を抱いている。佐藤以後に撮られた日本の作家のドキュメンタリー映画に、部分的には目を見張るシーンや驚かされるシーンはあるものの、映画全体として力強さを感じず、圧倒されるものなどまず出会うことはない。それは佐藤のいう「日常」と以後のドキュメンタリー作家の描く「日常」についての思想の差異に起因していると思う。 一方、冒頭で引用した文は、佐藤の考える「日常」ということについてもっとも端的にその思想が表された部分だ。 佐藤の「日常を撮る」ということが最も顕著にみられる映画は、『阿賀に生きる』だろう。映画の素人だった佐藤ら七人は三年間、新潟県の阿賀野川の流域に移り住んだ。新潟水俣病の未認定患者の老夫婦たちと昭和電工により有機水銀が垂れ流されていた阿賀野川が描かれる映画だ。老夫婦たちの表情はどれも素晴らしい。田んぼしごとのあとで酒を飲みながら都会に出た娘からの電話をうけ、娘の両親への体の心配をよそに田んぼはやめられねえべやと口にしながら笑う長谷川さんの顔。これまで舟造りの弟子をとってこなかったが、突然、弟子をとり、技術を教えながら弟子の作業を瞬きせずにみつめる舟大工の遠藤さんの顔。見るたびに味が滲み出てくるような、何度でも映画の中の老人たちの顔に出会いたくなる魅力にあふれている。これが「日常を撮る」ということの威力だというのだろうか。『阿賀に生きる』の中で、餅屋の加藤さんが年越しの餅を突いて熱い餅を素手で摑んで片栗粉のまぶされた板に放り投げ、伸ばし棒で餅を伸ばしている。その後、囲炉裏端で加藤さん夫婦の漫才のようなやり取りがあり、笑いを誘うのだが、妻のキソさんの小刻みに震えている手にスッとカメラがむけられる。 また裁判官が原告と被告の立ち会いのもとに元昭和電工跡を視察するシーンで、昭和電工の元社員で唯一水俣病を告発し原告団にくわわる江花さん、村の演芸会で股旅に扮してちょんまげカツラで踊るおどけた妻を、舞台袖で見つめている江花さんの柔和な目が、そのときばかりは黒いサングラスに覆われていることにドキリとさせられる。また、普段も目尻が下がって笑い顔なのに、酔っ払うとさらに目がなくなってしまう長谷川さんの目も、同じく黒いサングラスで見えないことに不安になり動揺させられる。佐藤たちスタッフも普段は老人たちに受け入れられ、カメラをその間合いに踏み込ませてもらっているが、このシーンは望遠で撮られておりスタッフも二人に近づけていない。いつもと違う張り詰めた緊張を感じているのが伝わってくる。水俣病の未認定患者は多いのに裁判の原告になるひとが少ないこと、水俣病による差別や、金めあてだという誹謗中傷、さらには村社会の圧力があるということ、水俣病未認定患者たちが裁判闘争を起こすことの困難が凝縮されている。「日常」の中に「日常を切り裂くような出来事が紛れ込んでいること」その発見に、ハッとさせられる。またそれら「日常を切り裂くような出来事」が、ひるがえって何気ない「日常」に効果を与えている。老人たちの笑顔に身振りに声の調子に幾重もの表情の厚みを与えているようにも思う。 佐藤の言う「日常を撮る」とは、「日常を切り裂くような出来事」を撮るということではないだろうか。『阿賀に生きる』は、デモや座り込みのような政治運動を直接撮り、社会問題を告発する鈍重な「運動」の映画ではなく、「日常」を突然、ハサミでチョキンと切断するかのような、鋭利な「運動」の映画ではないだろうか。 ドキュメンタリー作家になる前の何をしていいかわからない鬱屈を抱えた青年佐藤真は、全共闘以後の下火になった学生運動のなかで、最後尾のノンセクトの学生部隊の一員として、三里塚闘争のデモや集会に参加していたと「ドキュメンタリー映画の地平」のクリス・マルケルの章の中で語っている。その時代は運動の高揚期ではなく、冬の時代、左翼運動の内ゲバが露呈したあとの時代だ。わたしの経験上、佐藤がいた場所であるデモの最後尾は、デモの隊列の中で一番の内部批判者であり、最も警察との衝突が激しく、思想においても根源的な一群だ。(万国共通!)こうも言える。デモの最後尾をみればそのデモの懐の深さがみえる。最後尾が縦横無尽に生き生きしているかどうかで、そのデモの企画者の内部批判を受け入れる力量があるかどうかがみえてくる。佐藤はおそらく一番後方で「運動」そのものに参加しながら同時にそれらの「運動」を批判的にみていたのだと思う。 佐藤はかつて、歌や詩のようにいきいきと躍動していたはずの「政治運動」のアジテーションやスローガンが、動きを止め訴えかけられることが何もなくなってしまったさまをみたのではないだろうか。そんななかで「日常」のなかにまぎれこんだ「日常」を切断するなにかに最も心に訴えかけてくるいきいきとした「運動」を見い出していったのではないだろうか。 佐藤が先行する世代から受け取り、また批判的にみることによってあらたに見い出し、つくりあげた独自の思想、わたしたちもまた、各々が先行する佐藤らをなぞるのではなく、批判的に検証し、あらたな映画づくりの思想を作り上げなければならない。(さとう・れお=映画監督) <週刊読書人2021年11月5日号>