全集 伝え継ぐ 日本の家庭料理 全16巻 著 者:日本調理科学会(企画・編集) 出版社:農山漁村文化協会 豊かな天然自然に恵まれ、四季の変化に富む日本では、その土地の気候や風土に根差して発展した家庭料理が人々を養い、受け継がれてきた。 2021年12月、『全集 伝え継ぐ 日本の家庭料理』(全16巻)が完結した。本シリーズは、日本の高度経済成長期にあたる昭和35年~45年頃を対象に、当時地域に定着していた家庭料理を、日本調理科学会所属の研究者たちが10年をかけて全国47都道府県で聞き書き調査。100年先に残したいふるさとの味、昭和の家庭料理1400品をレシピ化したもの。本シリーズの完結を機に、記念出版委員会・委員長の香西みどり氏、作家の阿古真理氏、フードジャーナリストの君島佐和子氏にご寄稿をお願いした。(編集部) 心が通った聞き書き調査――「全集 伝え継ぐ 日本の家庭料理」完結記念によせて 香西みどり(日本調理科学会創立50周年記念出版委員会 委員長)『伝え継ぐ 日本の家庭料理』(日本調理科学会企画・編集)は2021年9月1日発行の『四季の行事食』をもって、シリーズ16冊が完成した。これは『別冊うかたま』という雑誌の形で刊行してきたものであり、既刊分を順次書籍化してきた『全集 伝え継ぐ 日本の家庭料理』全16冊も、続けて12月に完結を迎えた。年に4冊4年かけての刊行が無事完結したことの喜びと安堵感は発行の農文協と共有するところであり、誠に感慨深い。毎回のテーマごとに各地域で伝え継いでいきたい家庭料理が掲載されており、個別にみても興味深いが、16冊がそろうと現代に伝わる食文化が日本の各地域でどのように息づいているのか、を感じることができる。 このシリーズは日本調理科学会員が聞き書き調査を行い、著作委員となって47都道府県ごとに次世代に伝え継ぎたい家庭料理を選び出し、レシピとともにその料理、地域にまつわる歴史的、文化的エピソードを掲載したものである。写真は出来上がりだけではなく、プロセスや食材、道具の特徴など視覚情報が豊富である。さらなる特徴が3つある。1つ目の「読み方案内」は、その巻ではどんな点に着目すると面白いか、それに関連した料理が何ページにあるか、などのガイドである。例えば『すし』の巻では「比べてみよう『すし』のあれこれ」と題して、すしの地域特性が出るのは魚介類の使い方であり、魚の種類や調理法の多様性をあげている。2つ目の「調理科学の目1」は、その巻のテーマに関連した調理科学研究の内容や、食文化調査で興味深いもの、などを図表入りで解説をし、食文化の奥深さを紹介している。『すし』の巻では、「多様なすしとその地域性」と題して、すしの「手づくり度」の調査結果に基づいて、東日本と西日本の違いを「西高東低」とわかりやすいことばで表現している。3つ目の「調理科学の目2」はその巻のテーマに関連した研究をしている会員が実験データを示しながら、わかりやすく説明をしたものである。『すし』の巻では、「すし飯の好みに見える地方性」と題して、すし飯の味付けが地方によって4種のタイプに分けられるという官能評価の結果を示している。いずれも読むほどに理解が進むのを実感できる。 ここで本全集に至る経緯と意義を述べさせていただきたい。日本調理科学会の目的は「調理に関する科学的研究の推進及び知識・技術の普及を図る」ことであり「調理に関する事項すべて」が研究のテーマとなる。『全集 伝え継ぐ 日本の家庭料理』は学会活動の一つである家庭料理研究委員会が取り組んだ研究成果が出版物となったものである。これに先立って2000年度から2010年度まで特別研究「調理文化の地域性と調理科学」の全国調査が「豆・イモ類」「魚介類」「行事食」といったテーマで会員により行われ、各支部から報告書が出されていた。さらに2012年度に特別研究「聞き書き郷土の食事(案)」が立ち上がり、全国から約360名の会員が参加を希望し、2013年に特別研究「次世代に伝え継ぐ日本の家庭料理」という名称で聞き書き調査が開始した。実験系、食文化系とそれぞれ研究テーマを異にする360名もの会員がこの調査に参加したのは、学会として家庭料理を伝え継ぐことが大切であるという共通認識があったためであり、このような画期的な取り組みが実現したのは2000年からの下地があったからこそといえる。この調査は昭和40年頃の食生活を記録する貴重なものであり、学会としても、この47都道府県における聞き書き調査は日本の食文化継承の役割を担う価値があると考え、2017年の学会創立50周年の記念出版と位置付けた。当初は県別にまとめる予定であったが、発行の農文協とともに出版物として成り立つ形態を模索し、16のテーマごとにして全国の料理を選び出すという方針変更を2016年の年次大会の会場で報告した。これを聞いた著作委員の驚きと戸惑いが大波となって会場が動揺に包まれた。このときが全集発刊の最大の転換であり、危機にもなりかねなかった瞬間である。幸いに著作委員の先生方は戸惑いながらも、大きな方針変更を受け入れてくださった。聞き書き調査により、各県それぞれに選び出してもらった「次世代に伝え継ぎたい家庭料理」をテーマごとにふりわけ、毎号80~90品、合計で約1400品のレシピとエピソード、 前述の「読み方案内」「調理科学の目1」「調理科学の目2」という構成が、こうしてできあがった。 2000年に始まった日本調理科学会の会員による聞き書き調査が、分野内の研究に留まらず書籍化が実現した20年後の今、これから期待することとして、この書籍が全国に拡大し、それぞれの地域で次世代に伝え継がれていくこと、また学校や職場など様々な場で活用され、さらに研究面でも一層の発展へとつながることなどがあげられる。現地で直接に地域の方に聞き書きをしながら、一緒に料理を作ったり、エピソードにひたったりと会員と地域の方の心が通った調査であり、かつ再現可能な分量記載がなされている本書が現代の一人でも多くの方に行き渡り、末永く読み継がれていくことを心から願っている。(かさい・みどり=お茶の水女子大学名誉教授) 食べ継がれてきた料理、和食の知恵――後世に受け継がれていく貴重な記録 阿古真理 私は、いくつかのウェブマガジンで、食のトレンド記事を書く仕事をしている。最近では、オートミールをふやかしてご飯代わりに食べる「米化」や、アイスやスプレッドなどが人気のピスタチオ、中東料理で使われる調味料のハリッサなどについて書いた。平成以降、トレンドになった食はあまたあるが、その多くが外国由来である。 ふだんの食卓でも、和食が中心の人は少なくなっているのだろう。外食が難しくなったコロナ禍では、コメの消費量が減ったことがニュースになった。醤油や味噌、大根や里芋などの和食材の消費量も減り続けている。 このままでは忘れ去られそうな和食の知恵を書き残したのが、『伝え継ぐ 日本の家庭料理』(農文協)シリーズ全16冊である。「すし」や「四季の行事食」、「炊きこみご飯・おにぎり」、「野菜のおかず」などテーマごとに、全国各地で食べ継がれてきた料理の紹介記事とレシピ、写真が掲載されている。選択の基準は、1960年代に定着していた料理。高度経済成長期までの食に絞っているのだ。 社会が変わると食生活も変わる。特に高度経済成長期は、台所革命と言える大転換の時代だった。台所は土間から板の間へ交替し、ガスや水道、電気が普及した。国を挙げての食糧増産により、庶民の食卓にも肉や魚が日常的に並ぶようになった。環境が変わり、テレビなどのメディアが発達しレシピ情報が増えたことから、洋食や中華がどっと家庭に入っていった。 そのようにして食卓が大きく変わる直前に残されていた和食には、暮らしの知恵が詰まっている。例えば『魚のおかずいわし・さばなど』には、煮る・焼く・ナマにとどまらない多彩な調理法が紹介されている。 この時代は漁業の全盛期で、魚が大量に獲れた。安かったが足が早い青魚を日持ちさせる調理法として、漬物やぬたがいくつも紹介されている。千葉県南房総の「いわしの卯の花漬け」は、イワシに塩を振って1~3時間置き、酢に1時間浸したのち、乾煎りし味付けしたおから、さっとゆでたニンジンの千切り、ショウガと唐辛子を混ぜてできあがり。福井県小浜市の「さばのぬた」は、しめサバを短冊切りし、すりゴマに味噌、辛子、砂糖、酢を加えてさらにすり、斜め切りしてさっとゆでたネギと共に和える。『いも・豆・海藻のおかず』には、近年SDGsの観点から注目される、ミートフリーまたはヴィーガン食の参考にもなりそうなレシピが紹介されている。もし食糧輸入が途絶えたら、自給できる数少ない食材の一つがサツマイモだ。しかし農水省の調査を見ると、サツマイモの生産量は1955年には約718万トンもあったのが、1975年には約142万トンになり、2017年には約81万トンにまで減少。今や、使いこなせない人も多いだろう。こちらの本には、加工品を含め8つのサツマイモレシピが掲載されている。 青森県津軽地方の「ねりこみ」は、田植えの際に力をつけるための間食だった。サツマイモ、ニンジン、コンニャク、油揚げを水・塩・ザラメ・醤油で煮て、片栗粉のあんでとろみをつけ、ゆで枝豆を散らす。大豆や落花生などを使った豆料理も26種類紹介されている。 このように、今でも通用しそうな料理がいくつもある。地域おこしに食を使う人たちにも役立ちそうだ。何より、消えてしまったかもしれない知恵が、こうしてまとめられたことで後世に受け継がれていく。同シリーズをきっかけに、親から、あるいは祖父母から、改めてレシピを聞いたり思い出話を聞く人もいるかもしれない。貴重な記録を拾い集めた秀作である。(あこ・まり=作家・生活史研究家) 風土や風習に紐づく食の営み――食のサステナビリティ、土地に根付く食への入り口 君島佐和子 国際的な料理学会によく参加するシェフが言っていた。「海外のシェフたちは、割烹や料亭の様式化された料理じゃなくて、フォークロアな日本の食を知りたがっている」。 2010年代前後から、ガストロノミーの最前線では、自分が拠って立つ土地の自然や精神性を料理で表現しようというムーブメントが起きた。レストラン界のグローバル化が進み、世界のレストランランキング「The World’s 50 Best Restaurants」がミシュラン以上に動向を左右し始めた中で、料理人の目線は足元へと向いた。「Think Globally. Act Locally.」というフレーズは1960~70年代の市民運動で普及したと言われるが、21世紀に入ってシェフたちの合言葉となる。彼らは題材と食材を求めて、野を巡り、森へ入った。地元に伝わる食の営みを掘り起こした。日本の料理人たちも例外ではない。「里山里海」がキーワードとなり、地方に拠点を定めて野山で食材を探索しながら先鋭的な料理を提供するシェフが話題を呼ぶ。東京では、地方との連携を築いて山野の恵みを取り寄せる店が増えた。 他国の食文化を知ろうとする時も、冒頭のように、自ずと風土へとまなざしが向く。その潮流はいまなお続く。『伝え継ぐ 日本の家庭料理』には、そんな彼らの求めるものが詰まっていると言っていい。プロの調理技術やレシピは修業を通して親方から弟子へと伝授され、教育機関などによって言語化が図られるのに対して、風土や風習に紐づく食の営みの多くは家の内にある。親から子へ受け継がれなければ残らない。記録もされにくい。土地に根付いた食にアクセスしようと試みる料理人たちにとって『伝え継ぐ 日本の家庭料理』が入り口となるはずだ。プロフェッショナルとしてのプライドを持つ彼らは、ここに収められた料理をそのまま再現することはしないだろうし、想を得ても痕跡を残さないかもしれない。が、紛れもなく学びの材がこの中にある。 興味深いことに、フランスやイタリアでの修業経験を持ち、それらの国の料理を生業とする料理人ほど本書が収録するような食の様相への関心が高い。それは、修業先の食文化を根っこから理解するために彼の地で土着的な料理を体験してきたからこそ湧き上がる、自国の食の奥行きへの知的欲求だろう。イタリアやフランスのおばあちゃん料理が湛える力強さを知る彼らは、料理人として一度そこに立ち返らなければならないと考える。名もない家々の料理が、海外経験の豊富な料理人によって客観的に価値認識されることは、日本の食文化における家庭料理の位置付けの上でも重要と言えよう。 本書は昨年、第5回食生活ジャーナリスト大賞(食文化部門)を受賞した。講評にいわく「家庭や教育現場において食文化を伝え継ぐ貴重な資料となる」。それは食のサステナビリティを伝えるよすがでもある。ここ数年、世界各地で発酵に取り組むレストランが増えている。デンマークの「ノーマ」など強い影響力を持つ店が日本の発酵に学びながら独自に研究を進めてきたことが一因だ。食材を無駄なく使い切り、長期保存が可能になり、豊かな味わいをもたらす手段として、発酵を調理に取り入れ、麹作りまで手掛けるレストランもある。『伝え継ぐ 日本の家庭料理』を丹念に読み進めると、魚も野菜も使い切って食べ尽くす工夫と技のオンパレードであることに気付く。そう遠くない未来に食糧危機が起こり得ると囁かれる今、未利用魚の活用や、野草や虫の食用化に注力する料理人も登場しているが、若い世代には本書をサステナブルの教科書としても推薦したい。(きみじま・さわこ=フードジャーナリスト・料理通信社 取締役) ≪週刊読書人2022年1月7日号掲載≫