キリスト教信仰 著 者: F. シュライアマハー(著)/安酸敏眞(訳) 出版社:教文館 ISBN13:978-4-7642-1812-3 二〇二〇年十二月、「近代プロテスタント神学の父」と呼ばれるフリードリヒ・シュライアマハーの主著『キリスト教信仰』が、教文館より本邦初の完訳版として刊行された。本書は19世紀プロテスタント神学の基礎となった記念碑的著作であり、宗教学・哲学史上、大変重要な書籍であるにも関わらず、これまで抄訳しか刊行されていなかった。 本稿では完訳という偉業を成し遂げた訳者の安酸敏眞氏と、研究者の加納和寛氏にご寄稿をお願いした。(編集部) ≪週刊読書人2021年3月12日号掲載≫ シュライアマハーの『キリスト教信仰』を訳し終えて安酸 敏眞 このたびシュライアマハーの神学的主著『キリスト教信仰』を完訳し、昨年末に教文館から刊行していただいた。この書は一般的には『信仰論』という通称で知られているが、原題は「Der christliche Glaube nach den Grundsätzen der evangelischen Kircheim Zusammnenhange dargestellt」(福音主義教会の原則に基づいて組織的に叙述されたキリスト教信仰)といい、当時国王フリードリヒ・ヴィルヘルム三世が推し進めようとしていた、プロイセン国内のルター派と改革派を統合した「新しく生まれ変わった一つの福音主義キリスト教会」(eine neubelebte, evangelischchristliche Kirche)に、盤石な神学的基礎を据えようとの意図のもとに執筆されたものである。ちなみに、ベルリン大学でなされたヘーゲルの「宗教哲学講義」(一八二一、二四、二七、三一年)は、不倶戴天のライバルのかかる意図を挫くためになされたものであり、まさに『キリスト教信仰』への「対抗措置」(counterweight)という意味合いをもっていた。 第一版は一八二一―二二年に、第二版は一八三〇―三一年に刊行されたが、本書はまったく新しい視点から従来のキリスト教教説を根本的に問い直し、教会で共有される「敬虔な自己意識」の分析を通じて、教義学の根本的再建を試みたものである。そのあまりにも斬新奇抜なアイディアゆえに、すでに初版は大きな反響を呼び、各方面からさまざまな批判も提示された。シュライアマハーは第二版を出すにあたって、これらの批判を踏まえた上で、根本的かつ大幅な補足と改訂を加えたが、そこに盛り込むには無理があると判断した点に関しては、『『信仰論』に関するリュッケ宛ての二通の書簡』(Schleiermachers Sendschreiben über seine Glaubenslehre an Lücke)と題する弁明書を、第二版に先立って一八二九年に刊行している。この小著は『キリスト教信仰』を理解する上で決定的に重要なものであるので、わたしはそれをドイツ語原典から訳出し、『『キリスト教信仰』の弁証』(知泉書館、2015年)として刊行しておいた。その「訳者あとがき」に当時の偽らざる心境を綴ったが、それは今般の仕事の意義をご理解いただくよすがとなるので、一部ここに再録しておきたい。 本書の刊行をもって、いよいよ『信仰論』本体の翻訳への道が開けたと言えるかもしれないが、訳者自身にその力と意欲があるかと自問すると、求められる膨大な作業の前に呆然と立ち尽くしている、というのが偽らざるところである。この著作は「近代プロテスタント神学の父」の記念碑的労作であり、並大抵の学識と語学力では歯が立たない、恐ろしく重厚かつ難解な書物である。そればかりでなく、第一巻と第二巻合せて千頁を越える膨大な分量が、それを完訳しようという意欲を初っ端から挫く。それゆえ、よほどの使命感がないとおいそれとは着手できないたぐいの代物である。それにまた、はたしてこれを翻訳しても、どれくらいの読者が手に取って読んでくれるであろうか。あるいは一般読者が著者の議論について行けるであろうか。このような疑念が頭をもたげるとついつい出足が鈍る。そういうわけで、わたし自身に関して言えば、この翻訳作業をやり遂げる決意はまだ固まっていない。(『『キリスト教信仰』の弁証』181頁) このように記したのは、二〇一五年五月のことだった。それゆえ、完訳にはあれから丸々五年半を要したことになる。わたしはシュライアマハーの専門家ではないので、かくも難儀な書物を敢えて自分で訳そうなどとは思わなかった。ところが、あるとき教文館の渡部満社長から、ある方が入稿されている『信仰論』の訳稿の校閲をお願いできないか、との依頼が舞い込んだ。これはとんでもなく厄介な作業になると直感したので、鄭重にお断りしたところ、それならゼロから訳してくれないかとのこと。実はシュライアマハーの『キリスト教信仰』は、米国に留学した際にマッキントッシュ訳で通読していたが、この英訳書とても非常に難解で理解するのに苦労した記憶が瞬間的に脳裏をよぎった。 わたしはトレルチ研究でヴァンダービルト大学から、レッシング研究で京都大学から学位を取得しており、18世紀から20世紀初頭にかけてのドイツのプロテスタント神学史にある程度精通していたものの、「近代神学の父」の主著の翻訳となると、おいそれとは決断できなかった。なにせ専門のシュライアマハー研究者が、わが国ではまだ誰一人として完訳に成功していない大部で難解な書物だったからである。しかし結局は躊躇いよりも使命感の方がまさり、その仕事を引き受けてしまった。だが、それはやがて「引き受けて、しまった!」という後悔の念に転じた。しばらくあとにまったく想定外ながら、二つの大きな外科手術を受ける羽目になり、さらには奉職している大学の学長に選出されたからである。 とはいえ、周囲を見渡してみてもその気概がありそうな人はいなかったので、『キリスト教信仰』を完訳することは、自らに託された最後の大仕事のように思われてならなかった。かくして五年半に及ぶ気が遠くなるような格闘の日々が始まった。レッシングではないが、まさに《日々これ闘い》(Dies in lite)の様相を呈する毎日となった。シュライアマハーの神学的主著を理解するには、自分の力があまりにも不足していた。語学力は言わずもがな、神学的=哲学的な思考力の弱さを思い知らされた。それでも何とか食らいついて訳し終えたとき、さながらエベレストに初登頂した人のような達成感を味わった。だが、それで終わりではなかった。組版後の三度にわたる校正作業は、疲労困憊の身には責め苦のようにすら感じられた。そうした長い長い格闘の末、本書はようやく世に出た。万全を期したつもりではあるが、1100頁を超える大部の本ゆえ誤植が残っていたとすればご容赦願いたい。 平易な日本語に訳すことを心掛けたが、重厚長大なシュライアマハーのドイツ語は、どんなに努力してももとより限界があった。神学的叡智が凝縮されている専門的テクストゆえ、小説を読むようにスラスラとは読めないが、シュライアマハーはまさしく数百年に一人の偉大な神学者である。かかる著者による近代プロテスタント神学の古典中の古典といわれる書物なので、じっくり味読していただければ満身創痍の訳者として望外の喜びである。(やすかた・としまさ=北海学園大学学長・キリスト教学、西洋思想史) 宗教の分断は超えられるか――近代プロテスタンティズムの原点加納 和寛「キリスト教徒」と一口に言っても、時代や地域によりその実態は実に多様である。今から二〇〇年ほど前のドイツには、グローバル時代の我々が思う意味で自分を「キリスト教徒」と考える者はおそらくいなかった。多くの人は「ローマ・カトリックの信者」か「ルター派の信者」もしくは「改革派(カルヴァン派)の信者」という自覚しかなかった。ルター派と改革派はプロテスタントとして一括りにされがちだが、当時は相互理解などほとんど考えず、むしろ激しく対立していた。三派とも他の二つとは異なる(と自分が思っている)教理項目を中心に独自の教理体系を構築し、自派だけが正統なキリスト教であり他の二派は良く言って異端、基本的には他宗教と見なしていた。そもそもドイツという国もまだ存在せず、自分をドイツ人であるとする者もほとんどいなかった。三〇〇あまりの領邦国家はそれぞれが三派のうち一つを国家教会(領邦教会)とし、それは各領邦のナショナル・アイデンティティの一つとなった。ナポレオン戦争後、ウィーン会議によって領邦国家が三〇あまりに再編される際、たとえばルター派の大国に改革派の小国が編入されると、住民たちは国家の統合はやむなく受け入れても、教会の統合には頑なに抵抗するという動きさえ見られた。 しかしこの宗教的な地域主義が国を挙げてナポレオンに対抗できなかった要因の一つであると考えた当時のプロイセン王国は、政治制度の中央集権化を図ると同時に領邦教会の再編にも着手した。それまでの複雑な領地統合の過程によってルター派と改革派の混在・共存状態であったプロイセン領邦教会を、名実共に両派を融合させてプロテスタントの「合同派」(そんなものはそれまでなかったのだが)に統一しようとしたのである。それには教会組織だけでなく、教理も統一しなければならない。この要請に応えたのがプロイセンの首都に新設されたベルリン大学の神学部教授であったF・シュライアマハー(一七六八―一八三四)であり、その晩年の大著『キリスト教信仰』(第二版一八三〇/三一)であった。 しかし『キリスト教信仰』はルター派神学と改革派神学の単なる折衷ではない。当時すでに両派とも一六世紀の宗教改革以来三〇〇年にわたって「プロテスタント・スコラ主義」と揶揄される壮大な神学体系を築き上げていたが、それへの反動として一般信者の間では虚心に聖書を読み、知的側面よりも霊的側面を重んじ、個人がその生き方で信仰を体現しようとする「敬虔主義」と呼ばれる運動が広まっていた。それはルター派と改革派という教理上および組織上の分断とは異なる、知的な神学と霊的な信仰との間に生じた、もう一つの宗教的分断であった。『キリスト教信仰』はこの二つの分断を止揚して、汎プロテスタント信仰とでもいうべき、当時としては斬新な「キリスト教」の「信仰」の体系書なのである。 実は『キリスト教信仰』本論の項目の配列を直線的に見る限りでは、それはトマス・アクィナス以来の神学の伝統からそれほど大きく離れるものではない。すなわち創造論、罪論、キリスト論、教会論、サクラメント(洗礼・聖餐)論、終末論という流れには特に新しい点は見られない。ところが序論においてシュライアマハーは、信仰とは神の存在への知的な同意でもなければ伝統的な習慣を守ることでもなく、「敬虔な感情」であり、その自己意識を共有する共同体が教会であるということから語り起こす。なおこのことはすでに彼のもう一つの主著『宗教論』(初版一七九九)で主張されていた。そこでは、宗教は古代の迷信虚妄であり神学は時代遅れの学問に過ぎないとしてキリスト教に背を向ける知識人に、宗教の価値を再認識させること、すなわち近代知識人と伝統宗教との分断を乗り越えることが意図されていた。しかし『キリスト教信仰』はそこから出発して、さらにプロテスタンティズムの再構築へと歩を進める。シュライアマハーは神意識を持って神と関係する人間意識のことを「絶対依存の感情」と表現する。これ自体は人間が普遍的に持ち得る意識とされる。特定の宗教の教理に依拠せずに神についての知見を積み上げる営みは自然神学と呼ばれるが、シュライアマハーはこの自然神学の道筋と伝統的なキリスト教教理の道筋とを巧みに交差させる。この観点から『キリスト教信仰』を見直すと、直線的な項目の配列とは異なる構図が浮かび上がってくる。絶対依存の感情はキリスト教の罪意識(罪論)と結びつけられ、キリストによる贖罪(キリスト論)と向き合わせられる。さらにこの罪と救済の対立構図は、神による世界の創造と保持(創造論)に並置され、神の次元と人間の次元とがコインの裏表であることが示唆される。次に悪の概念とその顕現(罪論)に対しては教会とその機能(教会論・サクラメント論)が対置され、それに神の永遠・遍在・全能の属性(神論)が重ねられる。最後に、罪の意識に関係する神の属性としての聖と義(罪論)が挙げられ、その対になる神の属性としては愛と知恵(神論)が提示され、これに世界の始原的完全性および人間の始原的完全性(創造論)が配置される。この『キリスト教信仰』の二次元構造によって、シュライアマハーはそれまでの啓示中心の伝統的神学と近代の人間中心的な学問の視座とを折衝させようとした。つまり三つ目の分断の止揚である。シュライアマハーのこの独創性こそがプロテスタント神学のあり方を大きく変化させ、伝統的な教理に批判的な「自由主義神学」の源泉となり、そこからリッチュル、ハルナック、トレルチ、ティリッヒといった近現代の学術的神学のリーダーたちが現れることになる。 近代神学史はもとより西欧の精神史上非常に重要な本書であるが、これまで全訳がなかったのはひとえにその難解さ・膨大さによる。邦訳で一〇〇〇頁を超える本書の個人訳を成し遂げた訳者の学識と努力に感嘆するほかない。(かのう・かずひろ=関西学院大学神学部准教授・組織神学) ★Friedrich Daniel Ernst Schleiermacher(1768-1834)=近代プロテスタント神学の父として知られるドイツの神学者、哲学者。その業績はキリスト教神学の世界にとどまらず、主著として『宗教論』『独白録』『信仰論』などがある。