――文学作品の真価は答えではなく問いの深さ―― 文芸〈6月〉 川口好美 ミヤギフトシ「幾夜」、石沢麻依「貝に続く場所にて」 築百三十年以上のおんぼろ屋敷に昨年引っ越したのだが、掃除の目的がこれまでとは少々違う、ということにしばらくして気づいた。ルンバ君で事足りる四角い住宅とは異なり、古い家の掃き掃除はほこりを除去するだけでなく隅々(やたらとスミが多いのだ)に空気を行き渡らせるために行う。拭き掃除は汚れを落とすためだけではなく木の呼吸のために行う(化学物質でグルグル巻きにされた現代の木造家屋は呼吸しない)。さて、〝読む〟行為を掃除に擬えれば、ルンバ君的に合理的な作品分析ばかりではつまらない。入り組んだ内部を行きつ戻りつしながら呼吸を共にする、古めかしくもめんどくさい営みでそれはあるべきだ。もちろん掃除(読むこと)の効能は家(作品)のみならずそうやって掃除した者(読者)をも清め、賦活することにある。おそらく文芸作品の栄光とはそんなふうに掃除される(読まれる)ことにあるので、ルンバ君が掃除しやすいかどうかは本質的ではない。例え話を具体化する方法を示さずに他人を評する無責任を承知で言えば、どうも今月はルンバ君向けに組み上げられた建物が多いような気がした。 ミヤギフトシ「幾夜」(『すばる』)。主人公の女性が厳しい戦争の現実のなかで持てる者、恵まれた者としての自己の責任の自覚に到達するさまが、友人の女性との関係を軸に繊細に物語られる。経済的・文化的環境に恵まれていることは主人公にとって強いられた現実であり、そのかぎりでそれはさまざまな矛盾や葛藤の理由にもちろんなりうる。しかし彼女の悩みにはフィジカルな質感が欠けており――つまり作家の言葉にそれが欠けているということだが――、そのため彼女の責任が現実的諸条件の内側から彼女自身の手で摑み取られたとは見えず、作者がそれを彼女に無理に握らせているように見えた。物語序盤から未来の希望や覚醒を先取り的に告知するディスクジョッキーの声が鳴り続けているが、希望も覚醒もそれほど簡便に扱える材料ではないはずだ。 石沢麻依「貝に続く場所にて」(『群像』新人賞受賞作)は、3・11の震災を機に露出した生存の捩じれ(生きてはいないが確実に死んでいるとも言えない)や重層的な時間(「二つの時間」)の在り様を、微妙な当事者の位置(被災者だが津波には遭わず、身近なひとは死ななかった)から、しかも日本ではなくゲッティンゲンを舞台に凝縮的に表現しようとした野心的な作品である。「言葉の煮詰まりすぎた沈黙」にひしがれ失語しながら、それでもそこからどんな言葉を紡げるか。こういう問いが作品の核心にあることをわたしは疑わないが、終盤の「野宮に向ける罪悪感が、痛みの正体だ」とか「記憶の痛みではなく、距離に向けられた罪悪感」のような言い方は拙速だと思えた。アンティークな物言いだが、文学作品の真価は答えではなく問いの深さによってはかられる。問いの深さを際立たせるのは観念的贅語の配置の周到さではなく、それの断念である。もしもそうした真の「沈黙」が遂行されていれば、本作は畏怖すべき痛み・悼みにみちたより豊かなものになっていただろう。 千葉雅也「オーバーヒート」(『新潮』)。目次の惹句に「僕に向かって雨が降る――クソみたいな言語の雨が。」とある。作中にも「外からは見えない文字、音が聞こえない言葉の壁」「くだらない!言語は醜い!」「言語は存在のクソだ!」などとある。しかしこの作品から明らかなのはそう書けば言葉が壁としてあらわれるわけではなく、言葉の雨が降るわけでもないという普通すぎる事実だ。言葉というものの汚辱に塗れた醜さ。しかしそれを言葉で書くことは非常な難事である。作者本人に重なる主人公――ツイッターを駆使する「知名度のある論客」(世事に疎いわたしはこの作品を読むまで作者が著名な哲学者であり論客であることを知らなかったのだが)にかんする説明的描写を減らしてその難事にぶつかってほしかった。 杉本裕孝「ピンク」(『文學界』)。ユーモラスな結末に感動させられたが、同時に人種や同性愛のモチーフが小道具として使い捨てられてしまったとも感じた。短く書いていれば深く考えさせる不気味な好短篇になっていたのに、と思う。島口大樹「鳥がぼくらは祈り、」(『群像』新人賞受賞作)。〝一人称内多元視点〟の試みが魅力的な作品である。ただしこのユニークなスタイルとほとんど無関係に「未来への希望」が書き込まれていることが残念だった。視点の移動によって生じるかすかなノイズ、そこに希望が閃いていてほしかった。前田司郎「海辺のマンション」(『文學界』)。半隠居のような日々を送る男性作家に、チャーミングでちょっと翳のある女性たちが孤独や倦怠、そして絶望と裏表の希望を教えてくれるという都合のよすぎる物語。近未来の設定の真意もわたしにはわからなかった。(かわぐち・よしみ=文芸批評) <週刊読書人2021年6月4日号>