――文学神殿の“異中者”たちの饗宴へ―― 文芸〈1月〉 川口好美 小佐野彈「したたる落果」/本谷有希子「あなたにオススメの」 月評を、とお話をいただいたとき、自分は不適任だろうと思いました。本はゆっくり読みたい。文芸誌をほとんど読まない。書店とは縁のない辺境に長く生息しており、文学世界の動向に疎い。個別の作品からまとまった雰囲気なり傾向なりをつかみ出す知的操作術に習熟していないし、赤ペン先生をやる素養もない。目からビームは出てこない。なのに引き受けた。すると不思議なことに、未知の作品との出会いが猛烈に楽しみになりました(今月は各誌特集企画が多かったぶん出会いが少なく、そこは拍子抜けでしたが)。中野重治にあやかってひそかに当欄を「田舎文芸時評」と命名しました。時評文を書くのは「東京にいて神経をチカチカさしている人びと」で、農村では時評はしごく「書きにくい」。しかしだからこそどっしりした批評が田舎に必要なのだ、という中野の言葉を勝手に励ましと受け取ったのです。ですが当方の場合、〈桶を桶と言う〉ブリリアントなイナカ者からほど遠い古井戸の底の〝井中者〟がせいぜいでしょう。とはいえ「甘美な猛毒だからこそ、薬にもなる」「文学の言葉」(『すばる』読書会特集での星野智幸氏の発言)にあたりつづければ、スペシャルな〝異中者〟たちが催す文学神殿での饗宴のおこぼれにいつかはあずかれるかもしれない。そんな希望は手放さないつもり。挨拶が長くなりました。(ちなみに星野氏の短篇「喋らん」(『TRIPPER』)には異中語のサンプルと思しきものが……)。 小佐野彈「したたる落果」(『文學界』)。惹句に「台湾であたしはセグちゃんと出会った」とある。すべてそこに収斂されるかというとそうではない。冒頭、〈あたし〉と〈セグちゃん〉の関係性を示唆する場面がプロローグ的に配置されていますが、それを除ければ〈セグちゃん〉が登場するのは物語の中盤以降で、読後振り返って彼に突出した印象はない。すべての人間が平等に扱われているからです。けれどもやはりこれはまぎれもなく二人の出会いの話である……。たしかにあなたとの出会いは特別である。しかしこの出会いと他の出会いを分けるエレメントはなにか、よくわからない。身近にいて知れば知るほどあなたの突出性は磨り減り、むしろはじめからそんなものはなかったのだと気づくが、出会いの特別さはかえって大きくなる――。この事実に立ちどまるとき、ひとは〝時間〟というものの不思議さに打たれる。そうしてその中で生きる人間の存在にあらためて光が当たる。作者はそういう〝時間〟の在り様を書き尽そうとしたのではないか。この〝時間〟に包まれながら、すべての出会いの意味を受け取り直すこと。それがこの作品を読む愉しさだと思います。かつて日本の植民地だった台湾を舞台に、マンゴーや自動車、各種生物をめぐる挿話やイメージが巧みに並べられている。コロナもある。そこにセクシュアリティのことが重なってくる(言い忘れていましたが語り手の〈あたし〉はゲイで、他人にたいしては〈俺〉と自称することが多い)。しかしそれはいわゆるテーマや問題ではない。そうではなく各人物の「アイデンティティのゆらぎ」のあいだを縫って移動することで〝時間〟の厚みを描出している。ただ、物語終盤の〈あたし〉と〈ダイスケ〉の対話は少し気になりました。一見なんの不足もないエリートの(そしてノンケの)〈ダイスケ〉が、ゲイであり「ふるさとや家族を諦め、必死に台湾という土地にしがみついている」〈あたし〉に、お前はなんでもやれるしなんにでもなれる、自由で羨ましいと言い、セックスがしたいと懇願する。そうすれば自分も自由になれる、と。幻想的でありながら身体的で生々しい欲望が、屈折し分裂しながらはけ口として烈しく〈あたし〉を求めている。〈あたし〉は内心でこれ以上話をつづけたくないと強く願う。場面はそこで切れます。作者がこの欲望をどう考えるのか、わたしは知りたい。後日〈あたし〉は知人に「ダイスケも自由になりたいんじゃないかな」と洩らしますが、このとき〈あたし〉が彼の「自由」についてなにを考えたと作者が考えるのか、知りたい。それを書けば淀みなく流れていた〝時間〟が破れてしまうかもしれません。しかし小説が鮎や山女が住む「綺麗な水」であるべきでない以上、それを避けてはならないのではないか。これから先、一瞬露呈した破れ目から作者がどんな言葉を紡ぎ出すのか、注目したいと思います。 本谷有希子「あなたにオススメの」(『群像』)について少し。前作も読んだのですが、文章の純度、密度がさらに増していると感じました。読みながら、悪意のかたまりのようなその内容より、内容の構築にひたすら資する的確な文章に気を取られたのです。この作家の悪意は〝文体〟から匂い立つ〝ユーモア〟の拒絶にこそ本質的にあらわれているのではないか、と。きわめて都会的な(と井中者には見えます)その拒絶が、真の異中者の栄光と悲哀へ通じる道であるのかどうか、気になるところです。★かわぐち・よしみ=文芸批評。「不幸と共存――シモーヌ・ヴェイユ試論」で第60回群像新人評論賞受賞。2021年4月に「てんでんこ」(図書館&絵本屋&おもちゃ屋&遊び場&カフェ)を、在住の静岡県川根本町にオープン予定。一九八七年生。 ≪週刊読書人2021年1月1日号掲載≫