――『未来』と『前進』について 先月私は、「国民」同士の内ゲバ的応酬と溶けあわない発語が今こそ聴こえる、と書いた。遠方に響こうとする中断された叫びが、我々の周囲で清冽に繰り返されているとも書いた。結局その声を例示しないで終えてしまったが――本当は、ある少女の敗戦直後の言葉を思い出していた。それは、二・一ゼネスト中止以後の沈滞を破壊する「批評」としてあった。 皆さん土橋委員長はまだ帰りません。委員長が帰らなくても・・・・・・・・・・、ストをやってください・・・・・・・・・・。占領軍におびえてはなりません。占領軍がわれわれをしばっている輪は、鉄の輪ではありません。ゴムの輪です。わたしたちの力がつよくなれば、このゴムの輪は、しだいにゆるくなります。 メタファーの素朴さが問題でない。彼女はまだ「十五、六歳」の国鉄組合員にすぎないが、年齢や職業も一切関係ないことだ。この時、日本の大衆運動がこれ以上続けてはならない悪習の根本を少女は鋭く突いた。それを自ら克服し始めていた。ここ一番の急所で自発性も自主的判断も放棄し、「委員長」=指導部の顔色ばかりうかがう行動力全般の欠如、それでいて不都合が生じると、責任の一切を「委員長」に押し付け自らを「かわいそうな被害者」に合理化できるモッブの信じ難い自己欺瞞。「占領軍」ばかりか、それらも彼女の標的なのだ。 念のため、私はこれを花田清輝の「胆大小心録」から引いており、後日必ずそれに言及する。今確認すべきは、少女の言葉がルクセンブルクの次の批評とあざやかに共鳴し、知的に整理されていない分、後者をも凌駕し圧倒して聴こえることだ。この原初的な発語を別の状況で繰り返し、「委員長」が帰らない大衆ストを実行できるか否か、それが状況打開の核心であることだ。「世界中のいかなる党執行部も、大衆のうちにあるその党自身の活力にとってかわることはできない。仮に数百万人の規模を持つ強力な組織が、ある重大な時期に重大な任務に直面して、自分達には適切な指導者がいない、と嘆きたがるとしたら、そのこと自体で自らの無能をあらわにすることになる――なぜなら、その組織はプロレタリア的階級闘争の歴史的本質そのものを把握していない、という事実を証明してしまうからだ。この階級闘争においては・・・・・・・・・・・、ブルジョア的な意味での・・・・・・・・・・・「指導者・・・」は少しも必要でなく・・・・・・・・・、プロレタリア大衆自らが指導者なのである・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」(「再説大衆と指導者」、原題“Wieder Masse und Führer”訳文鎌田)。 * 革マル派や解放派(赤砦社派)の沖縄デモ報告があまりに画一的だとしても(四月参照)、他の運動紙の記事がそれよりましだ、という保証は全くない。それどころか、これらの「使い回し」や「紋切型」にも届かない平板な状況報告、かけ声だけの「反対」記事がないわけでない。 たとえば、中核派から分離した革共同再建協議会の『未来』――今回読んだ新基地建設反対闘争の記事で、この紙面が最も低調で読むに耐えなかった。主要な理由は、杉山名義で連載される日録形式の「ドキュメント」が全く精彩を欠いている事実にある。以下「キャンプ・シュワブゲート前」での報告の実例をあげるが、これらはどれも杉山が書きとめる当日の出来事の全てである。「[2月]14日 午前11時よりキャンプ・シュワブゲート前で、新基地建設反対県民投票の会の出発式が200人でおこなわれた。県庁広場集会には300人が参加。国会議員、県議、オール沖縄会議の共同代表などが「反対に○を」と訴えた」(一九年三月七日、二六五号)「[3月]4日 沖縄は「さんしんの日」で、午後0時全島一斉に三線が奏でられ平和を祈った。キャンプ・シュワブゲート前でも三線が奏でられた」(四月四日、二六七号)「[5月]27日 キャンプ・シュワブゲート前には早朝から市民が座り込み、9時半ころ工事車両が到着、市民はスクラムを組みゴボウ抜きに備える。スクラムの市民は機動隊の排除攻撃にも果敢にたたかう。車両搬入時には、「県民投票で反対の民意は示された」「美ら海を守れ」など怒りの声を上げた」(六月六日、二七一号)。 都合で短い報告ばかり選んだが、この種のうわずみをすくう叙述の堆積で書き手がなぜ満足できるか、その理由がわからない。このゲート前の活動自体はすでに多数の商業メディアに報道されており、「運動内部者」(武井昭夫)たる書き手の使命はそれと別のこと――彼らが伝えない、むしろ歪めておおい隠す「事実」を存在させることにある。もちろん限られた紙面では日付を選ぶしかないが、その記事が党派を越えて「運動」全体の普遍的武器になるのは、みえない剰余を到来させた時だけだ。だが『未来』では、商業紙の「首相動静」さながら、単調な日録が何の迷いもなく無際限に続いてしまう。 おそらく、これは「大衆のうちにあるその党自身の活力」が枯渇し、衰弱した事実の紙上への反映である。「三線が奏でられた」と書く時、書き手が「三線」に同一化はしないがともに切実に歌い、その響きに応えうる言葉の強度を生き始めるなら、記述は貧弱な対象把握を破壊し自然に別の文体を生みだすはずだ。少くとも、他の運動紙の定期報告者達は(私は彼らにも散々注文を付けるが)、はるかに獰猛に批評的に状況の諸問題を描いている。これを如何せん、これを如何せんといわざる者、われこれを如何ともすることなきのみ。その言葉が口をついて出る。党外の沖縄活動家の講演、本土から応援にきた党員の投稿がしきりに掲載されるのは、編集サイドがこの欠陥を自覚しているからなのか。だが本紙の主張を伝える肝心の「ドキュメント」がこの現状では、『赤旗』はおろか『社会新報』と比べても、学べる事柄や読むべき個所に極めて乏しい。『未来』の未来はどこにあるか。 * では中核派の『前進』はどうか。昨年五月二七日刊行の三〇三八号は充実した紙面で、この党派と考え方の違う者、特にテロルの行使や執拗な内ゲバ、およびそれらについての仮借ない自己批評の欠如を心から憎む者にも、彼らの主張をまじめに検討させる内容を持っていた。そこでは、米軍機の資材が何度も保育園に落下した事件を契機に行動を始めた、「チーム緑が丘1207」の保護者達の活動紹介やそれへの連帯と、本土復帰以前、一九七一年の沖縄全島ゼネストの歴史的経験とが、絶えず結びつき統一される仕方で紙面が構成されている。ただ目的を忘れるな、と言うのでない。最終目標の鮮烈なイメージを喚起し再創造する試みなくして、日常闘争が豊かで活気あるうねりを生みだすこともありえない、そういう編集方針が明快に貫かれているのだ。この視点は、他の運動紙にない『前進』の絶対的な強みであり、沖縄における七一年はロシアにおける一九〇五年に匹敵するのか、それが二・一ゼネストで躓いた本土との決定的差異なのか。通読してそう感じさせられた。 だが、重大な疑問がないわけでない。それはこの号以後の沖縄における闘争報告が、今年四月の現在に至るまで、この運動紙で殆ど読めなくなってしまうことだ。『人民新聞』の「沖縄基地報告」、『かけはし』の「沖縄報告」、『思想運動』の「沖縄ルポ」、解放派(赤砦社派)『解放』の「辺野古レポート」、それらに対応する定期報告が、革マル派と同じく中核派にも存在していない。それはこちらの無知でしかなく、「革共同沖縄県委員会」が別の媒体に執筆しているかもしれないが、とにかく『前進』紙上でそうである。そのため批評の材料に乏しく、「1207」との連帯の行方もよくわからず、せっかくの沖縄特集がその場限りのお祭り騒ぎにみえる――だから次の感想を付加せずにいられない。 昨秋準備を始めて、私はうっかり(?)「前進チャンネル」まで何本か見た。たとえば、参院選直後の第210回の出だしはこうだ。司会の学生が「N国」の立花孝志を真似して「資本主義をぶっ壊す!」とポーズを決める。彼は自党の女性区議と立花が共演するかもしれないと示唆し、「立花」と聞いて最初「VS本」=『中核VS革マル』の著者かと思ったと語り、それにかぶせて「中核派ならではの間違いw」とテロップが出る。 この軽薄で恥しい演出に私はうんざりした。グレタや周庭の言動がいいなどと少しも思わないが、彼女達と中核派若手の「活力」の隔絶を感じて暗い気持になった。「日本人」には元々無理、などと言うべきでない。最初に引いた少女は、日本プロレタリアートの共通感覚をルクセンブルクをこえる強度で確かに出現させたのだ。そもそも、隆であれ孝志であれ「立花タカシは偽物」だと、見た瞬間に完封できなければ我々の勉強全ては嘘だ。内輪受けのギャグネタ、漫才ネタはもういらない。我々じじばばを正当に苦しめ脅かす言葉を飾らず、できるだけ容赦なく語ってほしい。「前進チャンネル」の場合でも、昨年冤罪で獄死した星野文昭の追悼特集は、党外の視聴者を深くゆさぶる痛みにみちている。(この項続く)(かまだ・てつや=批評家、岡山表町在住)