――日本学術会議問題とマルクス―― 三人論潮〈8月〉 佐藤零郎 「だれかがはじめて石を投げた。これは英雄と呼んでいい行為だろう。二人めが投げた。これは勇気と呼んでいい。三人めが投げた。これは野次馬。その後の無数の投石は政治。」(清涼信泰、一九六一、「釜ガ崎―その未組織のエネルギー」、『別冊新日本文学2』、原口剛「叫びの都市」より引用) 「勇気」はいったいどこから湧いてくるのだろうか。わたしたちはどこで勇気の出し方を学べばいいのだろうか。七月三日、河合塾天王寺校で行われた、酒井隆史さんの特別講義「命を革める大学活用術」で「勇気」について語られた。これから大学受験をしようとする予備校生に向けられた授業は、世界の状況分析から始まった。世界で流行する一部の権力者たちが貪る寡頭制について、コロナや災害の中でのカタストロフの不均等な配分、パニックとはエリートが起こすというエリートパニックなど、およそ聞き慣れない言葉の波が予備校生をおそった。質問タイムのとき、勇気についての質問があった。「勇気というのも確かに重要な概念ですね。そもそも私には勇気がありません。勇気を教えることもできないと思います。ただ、勇気を出した人々、過去の先人たちのこと、そういった範例なら教えることができる」と酒井さんは語った。 いまだ出会わぬ無数の仲間に語りかけるように、自分の置かれた状況の中での実践を振り絞るように書かれた本紙七月九日号の「ひとつの旗―反転した日の丸の先へ―」と題された吉田晶子さんの文章を読んで「勇気」について考えた。吉田さんは勤め先である塾で経営者や同じ塾講師にコロナの休業支援金・給付金の申請を呼びかけていた。ローザ・ルクセンブルクの選集1にある「一八九三年のイギリス鉱山労働者のストライキ」(野村修訳)と題された文の内容を思い出した。そこでは三〇万人の鉱山労働者、家族を加えれば一〇〇万人におよぶ人びとが四ヵ月にわたってストライキを頑張りとおせた理由を、ストライキ開始時に蓄えられた闘争資金(数百万ルーブル)や一致団結して軍隊との衝突を避ける規律、また労働者が選挙権を持っており人口の大半を占めているためどのような党派の勢力も労働者の関係いかんによって消長する政治的状況、そしてなにより、鉱山労働者の主婦たち、夫や息子のストライキ継続への頑強な後押しがかれらを勇気づけたさまにみていた。人びとの勇気が発揮され、長くふんばるためには、条件が必要なのだと思った。吉田さんの職場でいっしょに働いている人たちが立ち上がるにはどのような条件があればよかったのだろうかと考えた。いや条件はすでにあるのになぜ人は立ち上がらないのかという、真逆の問いも立てられるのかもしれない。 そしてこのようにも思った。かえってすぐさま「団結」ができなくてよかったのではないかと。狭い更衣室で汗をかきながら、帰り道の街灯の下で、鳶が旋回する労基の駐車場で、対面で、電話で、聞き、話した。私の頭に浮かんだ光景は、同じ塾講師でも、様々な立場や考えや職場以外の生活があり、なかなかうまく行動に結びつかず吉田さんがひどく狼狽している姿だった。議論抜きで、みんなが給付金の申請にすぐさま団結し給付金を得たとしても、かえってむなしさを生んでいたかもしれない。石木ダム反対運動の現場で吉田さんがみた、かつて下筌・松原ダム建設反対闘争で使われていた反転した日の丸の旗。赤地の真ん中に白抜きの円。反転した日の丸の先へ、「先へ」とさらに運動を推し進めようとする「円」の中心にあるのは、議論ではないだろうか。あらゆる場所や事柄で運動が巻き起こり、それらに抗議する声が大きくなっても、おのおのの運動の奥に潜む世界観や最終目標の差異を議論によって推し量らなければ、それらはかえって運動の内側にもある反動的な考えに押し返されてしまうからではないだろうか。 * 先日、京都の実家に帰り、親父から小冊子をもらった。「谷善と現代」第五号(発行日二〇二一年六月八日)。目次をみると親父の文章があった。佐藤和夫「学術会議問題と谷善―レッド・パージの予兆―」と題されていた。 「一九五〇年二月十七日、衆院文部委員会で、四十九年衆院選挙京都第一区から初当選した共産党の谷口善太郎が、学術会議会員の学術技術行政協議会への委員推薦に係わって任命拒否を生じた問題と同年二月十三日に東京都教育委員会が《赤い教員》二百四十六人に対し退職勧告をした問題について質問した。 ――「すでに羽仁五郎君以下十二名の委員の推薦が学術会議からありまして、そのうち山田勝次郎君という人だけが、いまだに任命されていない」のはなぜかと、谷善は質問した。」 論文は、二◯二◯年の学術会議会員候補六人の任命拒否問題は七十年前にもレッド・パージが吹き荒れる予兆としておこなわれたことであり、占領軍の団体等規制令により、マルクス経済学の農業・農民研究者である山田勝次郎が学術会議から排除されたと書かれている。この事実を全く私は知らなかったので、とても驚かされた。二◯二◯年の任命拒否問題に関して、論文の最後にあやしげで必ずしも信頼を置くことはできないが、どうもこの発言は的を射ているように思われる元外交官の佐藤優の見解を引用している。「――前者を「特別職公務員」に任命することを拒否するために、人文・社会科学系の括りで後者三人をカモフラージュ的に混ぜて、任命拒否した。日本共産党を破壊活動防止法の調査対象団体と規定し、非合法化をねらっている共産党の外郭団体と見なしている「民主主義科学者協会」の構成員を、特別職公務員に任命するのは「日米同盟体制」の強化の立場から容認できないとするものだろう。――」 この論文を読んで、富山大学名誉教授で、インターネット技術による監視資本主義社会の最新の動向をくまなくおさえ、そのひとつひとつを徹底的に批判している小倉利丸の日本学術会議についての文章を思い出した。 小倉は日本学術会議自体が意図的にマルクス経済学を排除していると論じ、その証拠として、日本学術会議によって作成された「大学教育の分野別質保証のための教育課程編成上の参照基準」に使用された単語一語一語を批判していた。 「――マルクス経済学や諸々の批判的経済学の基本的な経済に対するスタンスはほぼ排除されている。この排除は偶然ではない。意図的に排除したと思う。――参照基準がいかに間違っているか、ひとつだけ例を示す。参照基準の冒頭で経済学の定義が以下のように書かれている。「経済学は、社会における経済活動の在り方を研究する学問であり、人々の幸福の達成に必要な物資(モノ)や労働(サービス)の利用及びその権利の配分における個人や社会の活動を分析するとともに、幸福の意味やそれを実現するための制度的仕組みを検討し、望ましい政策的対応の在り方を考える学問領域である。」 私は「物資(モノ)」とは書かない。商品と書く。「労働(サービス)」とも書かない。労働力あるいは<労働力>と書く。――」(日本学術会議は擁護すべき組織ではない、と思う。社会的不平等のなかでの自由は欺瞞である。ne plu kapitalismo より) マルクス経済学者の山田勝次郎が任命拒否をされてから七〇年後、日本学術会議自体もまたマルクス経済学を排除しつづけている。 この歴史はローザ・ルクセンブルクの「実のないくるみ」(田窪清秀訳)で書かれた状況とそっくりである。 「過去四分の一世紀のドイツにおける公認の全社会科学は、おおがかりな「マルクス克服の運動」として総括することができる。」(ローザ・ルクセンブルク選集1一八九九年七月二二日) 今年の四月二二日に出された日本学術会議の声明では、法定会員数二一〇名に満たない状態に置かれることは法令違反になること、早急に残された六名の任命を行うこと、任命されない理由の説明を求めているが、レッド・パージの語の一語もなく、全く「実のないくるみ」だ。 「ひどく意気込んで、御用くるみの殻に、力いっぱいかぶりつくのだが、いつもきまって、はずみをくらった歯と歯がカチンと衝突し、神経がびりびりっとする。口の中には、虫のいやな味がのこるだけだ、と。」(同前) 昨年、斎藤幸平の著書「人新世の「資本論」」が話題となり、新しいマルクス解釈として脚光を浴びた。この脚光とマルクス経済学者の任命拒否問題が互いに並行し、表裏一体となって起きているということは記憶しておこう。吉田さんが「勇気」をもって狭い更衣室を「議論」の場にかえたように、日本学術会議任命拒否問題は、「教育」そのものを問う機会にかえられなければならない。そのとき日本学術会議問題は「勇気」の範例となり、新たな実践に飛び火するだろう。(さとう・れお=映画監督) <2021年8月6日号>