主人公が言葉そのものであるということ、文章の凄まじい緊張 文芸〈11月〉 川口好美 永井みみ「ミシンと金魚」、水原涼「息もできない」 文芸誌に提出される創作物の膨大な量に内心おののきつつ評者としてせめて表面だけでも取り繕わねばと追いすがったものの、ただただおのれの無知と音痴を突きつけられつづけたわが〝田舎文芸時評〟も今回で十一回目。聞いていたとおり時評は割に合わない苦行にはちがいなかった。が、自分が文学作品になにを求めるかという、少なくともそのことがはっきりしたのだからモッテ瞑スベシ……。冬の到来にそなえて煙突掃除をする手をしばらく休めて、そんなふうに考える。わたしはなにを求めるのか。わたしは文学に人間を求める。言葉(のみ)によって編み上げられた人間のかたち、その確実な手触りを、求める。作品をとおして人間に出会えたと感じたときかならず思い出す名言がある(たしかアランだった気がするのだが)。いわく、もともと善い性質とか悪い性質とかいうものは存在しない、自己の性質を見究め、葛藤しながら向き合いつづけること、それが善であり、それをしないのが悪である。こんなふうに言い換えてもよいだろう。もともとこれを書けば善いとか悪いとか、こういう書き方をすれば善いとか悪いとかいう基準は文学には一切存在しない。ただ作家が自らの生存の根源的な動機を言葉(のみ)を用いて率直に見据えようと悪戦苦闘したかどうかが、作品の善し悪しを、そこに人間の感触が宿るか否かを決めるのだ、と。 今月は永井みみ「ミシンと金魚」、水原涼「息もできない」(ともに『すばる』)の二作が、わたしにとって善い作品であった。前者から。本作は、他人に介護される耄碌した女性の語りで成り立っている。デイサービスと自宅を行き来するばかりの外見的にはかなり貧しい現実と、彼女が想起する波乱の多いライフヒストリーとが自由に交錯し、語りの時空は捻じれ、飛躍、断絶にみちている。にもかかわらず強い持続の感触をともなって読み進めさせるのは、構成の努力の結果にちがいない。エピソードの出し入れや濃淡が巧みだ、ということももちろんある。ただ、それよりも大事なのは、主人公が言葉そのものであるということ、複数のレベルの言葉たちがモザイク状に入り乱れ互いに喰い合う場所として、非モノローグ的な言葉の器=〝キメラ〟として、主人公が存在しているということではないだろうか。本作には介護やお年寄りの一般的なイメージに寄りかかって書かれた言葉は皆無である。あるのは、他者との関係において自己の位置を見定めようとする闘争的な言葉であり、それを別の位相から相対化する鋭敏なユーモアの言葉であり、また足元の泥沼から不意に浮かび上がる詩の言葉である。その言葉の各々が、けしてうわつらでなく、実地に験されたものの静かな輝きを帯びている。繰り返すが、主人公はそれらの猥雑なキメラ的交雑なのだが、にもかかわらず――ここにはひとりの人間がいる、ただ在ることだけで癒されていると思わせるような一度きりの無限に尊い人生がある、と実感させるのだ。これはほとんど奇跡であり、ケアやリベラルな多様性をしきりに話題にしながら言葉の次元(今では死語だが昔は〝文体〟と呼んだらしい)の自由や癒しや豊富さについてはあまり顧慮しない現代社会にたいする文学からの問いかけとしても、貴重な達成だと思える。 後者について。全ページ句点なし、改行なしという、実験的な作品である。一応主人公を中心とした人間関係があり、人物はそれぞれ魅力的だったが、また一応筋があり、土俗的な低さと神話的な高さが捩れて反転し合うような挿話にも興趣が尽きなかったが、なによりも文章の凄まじい緊張に、撃たれた。読みながらわたしは、歩き回る主人公粂次の背中を追う文がいつまでも終らなければよいのにと念じていた。「(……)天気のうつりかわりのない地下に潜る男らの足が道をへこませ地下足袋の、二股に分かれた爪先の痕跡すら見えるようで、その跡をひとつひとつたどりたいと思っても梁と朴は周囲を気にして足早に歩き、少しでも歩調がゆるむと鉱石を運ぶ馬を叱咤するように、急げや、と地下で汗と土にまみれて仕事をしているからか背中の汚れを気にする様子もなく背中を押しやってき、そうやって急かされながら歩く山は草木の禿げた山肌もへこんだ道も木も木の葉も、吸い吐く空気もすべてがあかがね色に染め上げられているようで落ち着かず、曲がりくねる山道を上がるうち酩酊してくるようで、(……)」。じっさいに主人公が死んでも作品は終らなかった。死は絶対的な終り=句点ではなく、蛇の脱皮のごときもの、死と再生のドラマの一コマにすぎないとでもいうように。ならばこの作品に感触された人間とはいったい何であろうか。それは個人としての粂次ではなく、とはいえ作者その人であるとも思われない。本作は巨大な謎であり、だからこそわたしの心を離れない。(かわぐち・よしみ=文芸批評) <週刊読書人2021年11月5日号>