――「自分にとっての価値の感触」を素手でたしかめる―― 文芸〈8月〉 川口好美 小佐野弾「うずくまる夏」、大前粟生「窓子」、飴屋法水「たんぱく質」 今月は以下の作品を面白く読んだ。 小佐野弾「うずくまる夏」(『すばる』)。他者との〈性〉的関係(もちろんかなり広い意味での)における暴力的で危険な、それでいて歓びの種子を孕んだ瞬間。それをくぐり抜ける人間たちの肉体、精神両面の揺らぎ、変容。これは小佐野の前作「したたる落果」と共通のテーマだが、情報量をしぼり込み、象徴的な反復表現を用いることでより核心に肉薄し得ていると感じた。日本と台湾の距離ゆえの、また過去と現在の隔たりゆえの時空間の歪みの感覚――コロナウイルスの蔓延によって拍車がかかっている――が前作よりもリアルに捉えられている。なにより、前作のマンゴーがあくまで静物であったのにたいして、本作の「銀色のバットに載せられた腫瘍」は生きて動いている。そこには作者にとって切実なものがぎゅうぎゅうに詰め込まれている、と感じた。広義の〈性〉的トランスにまつわる話題はある意味で今日的だが、〈性〉的なものをめぐる死と再生のドラマは文学にとって古くて新しい、永遠の問題でもあるはずだ。そういう普遍性に向けて自らを開いていく強烈な意志の存在を、作品全体から感じた。書きつづけ、追いつづけてほしいと思った。 太田靖久「ひひひ」(『すばる』)は、太田のこれまでの作品群が寓意的に煮詰められた不気味な短篇だった。昨年作者が、十年の時を置いてデビュー作『ののの』を刊行した事実と考え併せると、小説家としての経歴の、とりあえずの中仕切りの小品だと言えるかもしれない。さいごの場面で象徴的に一瞬浮かびあがった「花々」がこれから先書かれる作品でどのように具体的に肉付けされるのか、注目したい。 大前粟生「窓子」(『文藝』)。もはや文学作品においても、なにかやだれかを安易に〝お化け〟として外部に排除した上で安全な場所からロマンチックに享楽し消費することは許されない。本作は見事なまでに緻密で明快な構成の力によって、そのことを否応なく読者に突きつけている。虐げられ不可視化されつづけた者が霊になるとは、いったいどういうことなのだろうか。生きている者、とりあえず死んでいない者はそれとどんなふうにかかわればよいのだろうか。そんなことを考えさせられた。今まさに真剣に考えるべき、いわば〝緊急順不同〟の倫理的問題でそれはあるのだろう。また、本作の関心とはズレるかもしれないが、終盤で矢継ぎ早に大量に殺害される男たちがはたしてどうなるのか、どこに行くのかも、男であるわたしとしては気になった。 ちなみに『文藝』は「怨」という特集を組んでいて大前作もそこに含まれるのだが、仲山ひふみの論考によると「「リング三部作」を貫いている恐怖の感覚」は、「愛する者を「まったく、なんの意味もない死」によって失うことへの恐怖」に「根ざしている」(「「リング三部作」と思弁的ホラーの問い」)。ところで『文藝』全体を読んでいちばん怖かったのは、特集には含まれていない木村紅美「あなたに安全な人」であった。おそらく作者には恐怖の感情をことさらに喚起する意図はないだろう(幽霊が作中にまったく出てこないわけではないが)。ただ淡々と、自分の眼の、耳の、手の動きにしたがって世界を感受し、それを書き写しているだけなのかもしれない。だが、だからこそ怖いのだ。主人公がゴミ出しのついでに「疣だらけの真紅の蛇苺」を見つける、それだけのことが無性に怖いのである。これはほとんど分析不可能な文章の力によるものなのだろう。わたしは読みながら終始「まったく、なんの意味もない死」の存在をすぐ近くに感じつづけていた。いや、それを見据える作者のマナザシのたしかさに慄きつづけていた、というべきかもしれない。文芸の本質的魅力に触れて――怖がりつつも――生きた心地に包まれた。 飴屋法水「たんぱく質」(『新潮』)も怖ろしい怪作であった。「自分にとっての価値の感触」、それをどんな既成の道具にも頼らずに素手でたしかめることが、自分にとっての書くことである――そのような事実がひたすら言われ、実践されている。小説というものはそれだけでじゅうぶんなのだ、と。「人間」が、ヒューマニズムによってではなくヒューマニアックな不思議な力によって「人間」を超えていこうとする/剝落しようとする。すると一人の「人間」のなかで極端と極端が一致する。たとえば宇宙と寄生虫が平等に結びつく。そのような世界が今ここに、足元に開かれる。この作品はそういう平等性の真価を体現したものだと、わたしには思える。 中西智佐乃「祈りの痕」(『新潮』)。尻上がりに言葉が研ぎ澄まされ、それこそ作者の「祈りの痕」がモノとしての言葉それぞれに刻印されていると感じた。登場人物の意識の強度と、言葉に没入する作者の意識の強度が重なるところに、小説の時間が顕現していた。(かわぐち・よしみ=文芸批評) <週刊読書人2021年8月6日号>