石川啄木が「幾多の他の方向に進むべき機会」への痛みによって状況を批評した時(先月参照)、この「機会」は今日の市民主義者が「提言」する「オルタナティブ」などでなかった。それは全く逆のもの、そこにある自己欺瞞と衝突し、それを克服する「方向」を作りだすものだった。たとえば、猿田佐世は今年刊行の『日本のオルタナティブ』で言っている、「沖縄では自民党の多くの候補者も、選挙の際に辺野古の基地建設について争点にしない、明確な立場を示さないという戦略を取らざるをえない状況です」(第五章「焦点としての沖縄」)。 だがこの論文で注目すべきは、「自民党の多くの候補者」の忖度を批評する当の猿田自身が、日米安保条約については自らの判断を、それを存続させるか、廃棄すべきかについての判断を全く提示していない事実にある。そこには、日米地位協定改定の主張は何度も出てくるが、「安保条約」自体への言及は一切なく、「日米安保」という表現も一四三頁に二度あるだけで、その文脈は論者の条約への賛否を明示するものでない。「ありのままを語りつくすこと」(ルクセンブルク)が「選挙」以上に必要不可欠な「提言」の現場で、姑息な忖度「戦略」は揚棄されるどころか、ただ形を変えて反復されるだけなのだ――「日米安保条約の存廃・・・・・・・・・」については・・・・・これを「争点にしない、明確な立場を示さない」やり方で。 もちろん、猿田の議論を一読すれば、それがあくまで安保条約を固守する前提に立つことは推測できる。同書では、第四章(遠藤誠治が担当)が安全保障一般を扱っており、これがわずかに安保条約にも言及しているので、自分は意識的に担当外の問題に触れなかった、という言い抜けさえ可能である。だが、辺野古の基地建設を批判しながら、愚劣な政策を生みだした根本原因たる条約の取り扱い如何に一切触れない場合、そのやり方自体が「提言」を曖昧な泥沼に変えて行く。原則的なレベルで、それは我々の討議の多様な広がりと豊かな公開性を縮減させ、ある有力な選択肢の提示が喚起する所の、それぞれの参加者が主体的に作戦計画を練り上げる創造的な機会を奪いとる。ごく身近な実践的レベルでも、条約存続に賛成なら賛成で構わない、それを黙りこまずに太陽の下で言明した方が、私を含めて条約を破棄し、外交政策の抜本的な転回を望む――正確には、中央政府が排他的に「外交権」を占有する政治制度自体の変革を強く望む人々との協力関係さえ、(意見の違いは違いとして)率直で私心のないものになるはずだ。いかなる口実を設けようと、大衆運動に「提言」を試みる以上は「正直が一番」だ。だが不幸にも、論者が上記のやり方を選択することで、この論文は何を書いたかよりも何を書かなかったか・・・・・・・、何を書かずに核心的な問題を回避したか。その方がはるかに徴候的な事実になってしまう。 たとえば、我々が辺野古の基地建設反対運動をただの「国内」問題でなく、韓国の反基地運動やチベット/ウイグル/香港の自由化運動と結合し拡大して行く、国境を越えた人民全体の反強権運動(「強権」の実体が日米同盟であれ中国であれ)の一部とみなすべきこと。そうした視点は到底猿田の立論に望めない。それならせめて(「沖縄」全体を「焦点」と呼ぶ以上)、辺野古の基地建設だけを特別扱いするのでなく、それと連動している南西諸島全体の軍事基地化の動きを徹底批評すべきでないか。辺野古の問題を「自分事」として考えよ、と主張するその視線が、与那国島や宮古島の現状を残酷に黙殺し、それらを「自分事」とみなす知性を欠くのはなぜか。それは結局、後者が米軍でなく自衛隊の軍備拡大だから別にいいじゃん、という意味か。それならそれで、なぜその「自分の立場を明確にしない」のか。 状況を根本的に改変する選択肢の一切を事前に排除して、その選択肢の可視化が生みだすであろう、みずみずしい大衆運動や外交政策に必要な構想力の源泉を断ち切った後、この排除と切断には触れずに都合よく矮小化した個別利害を争点化し、まるで自分が「オルタナティブ」を「提言」したかのように善意にふるまえる。この図々しさは「安保条約」に限らず、「天皇制」を不動の前提として、その内部でだけ「法の下の平等」を追求したことにする・・・・・議論にも生じるものだ。全てそれらは、シングル・イシュー主義者ないし市民主義者達の、つまりベルンシュタイン=カウツキー末流の自己欺瞞の特質である。このオルタナティブは、「幾多の他の方向に進むべき機会」を提示するどころか、それを散々に切り刻んだ貧しい残骸を「機会」と錯覚してはばからない。石川啄木は当時の医学的知見に照らして、この尊大な自己欺瞞を「第一期の[自らの現実を決して承認できない――鎌田]梅毒患者」になぞらえた(「きれぎれに心に浮んだ感じと回想」)。それは、石川が「一切の「既成」を其儘にして置いて、其中に、自力を以て我々が我々の天地を新に建設するといふ事は全く不可能だといふ事」(「時代閉塞の現状」)を体感していたからだ。彼の描く可能的な「我々の天地」に、オルタナティブ論者の忖度が永久に及ばない、さわやかな外気と陽光がみちていたからだ。 * だが、特定の個人の論文如何はどうでもいい。こうしたシングル・イシュー的オルタナティブの自己欺瞞は、本土ばかりか「焦点としての沖縄」にさえ広く浸透していないか。そのために、国政選挙や県民投票で何度「勝利」しようと、今日この「焦点」の運動自体が危機的な停滞局面に陥っていないか――それが私の疑問の核心だからだ。 おそらく沖縄の大衆運動の内部に、本質的な緊張をはらむ二つの別個の志向性がある。一方はシングル・イシュー主義の多数派に担われ、彼らは課題をただ辺野古の基地建設反対に(せいぜい地位協定の改定に)限定し、安保条約や自衛隊の軍備拡大はこれを容認するか、中国への恐怖で積極的に推進してしまう。もう一方のグループは、自らの運動を宮古島や与那国島の住民運動はもちろん、目にみえない遠方の、世界中の民衆の共同行動と結び付け、対米/対中従属のいずれとも異なる、普遍性あるインターナショナリズムを創造しつつある。だが本当の危機は、前者が自らの立場を「明確に示さない」まま押し通している事実、彼らが日常闘争の現場では後者に依存し都合よくそのエネルギーを利用しながら、後者の志向自体は隠微に、だが徹底的に排除し続けている事実――しかもその排除を「なかったこと」にしている事実にある。この危機を洞察し、運動の内部批評を具体的に試みてその自己変革を促した運動紙は驚くほど少ない。だが、ここでも『かけはし』の「越中」が、名古屋の二つの講演集会をこう伝えている(以下はいずれも十九年九月九日、二五八二号五面)。(「あいち沖縄会議」主催の講演会で、「沖縄平和運動センター事務局長の山城博治さん」は)七月の参院選でも高良鉄美さんが立候補し政策発表で日米安保はいらない、自衛隊もいらないと発言したことで大きな議論になった。オール沖縄の公約にないといわれ、自衛隊については時間をかけて協議し、米軍の存在については言葉を濁すようなものになってしまった。オール沖縄会議は翁長さんをはじめ元自民党の人も多くいます。だから辺野古新基地反対は言えるけれどもそれ以外は黙らざるをえないと述べた。 これは特定の組織が個々の候補者に統制をかけ、その言論を封殺するわかりやすい例である。そしてこのレベルなら、(もちろん「オール沖縄」の統制が愚劣だが)候補者自身の努力で打つ手は十分あった。高良が真に「言葉」に賭けてその一切の侵害を拒むなら、そもそも立候補の際に熟慮し、選挙演説や討論会での完全な言論の自由を出馬の絶対条件にするべきだった。いや、それを忘れて苦情や嫌がらせを受けた場合でも、徹底抗戦して「安保も自衛隊もいらない」と言い続ける選択肢があったのだ。その時、高良自身は統一候補を解任されたとしても、その言論に深く共感し、狭義の選挙をこえて運動の停滞を打破する、別個の地鳴りが生じたかもしれない。だが、現在進行中の事態ははるかに陰湿で悪質にみえる(なぜかまた猿田が出てくる)。(「沖縄県」主催の近藤昭一・佐賀明広・山口昇・猿田佐世によるパネルディスカッションで)司会の猿田さんは「自分事として考え」ようと強調し「多様な意見」「辺野古基地賛成派も含め」て議論をしたいと述べた。(略)内容全体からみると最初から「日米安保堅持」「基地を沖縄以外のどこの他県に配備すればいいか」を前提にした討論であった。「多様な意見・・・・・」であれば・・・・「安保廃棄・・・・」「基地撤去・・・・」の意見もなければおかしい・・・・・・・・・・・。(略)沖縄県が準備した「多様な意見」だの「議論」だのの内実が、「辺野古以外ならどこでも」「基地の必要性は認める」「安保堅持は前提」のための出来レースとしての疑似「討論会」であった。(この項続く)(かまだ・てつや=批評家、岡山表町在住)