――孝橋正一の「社会事業」論を読む―― 三人論潮〈4月〉 吉田晶子 「政府は十六日、生活困窮者ら向けにまとめた緊急支援策に、新型コロナウイルス禍で深刻化する孤独や孤立問題への対策を盛り込んだ。自殺防止に取り組むNPO法人への財政支援や公営住宅の貸し出しなどに六十億円を充てる。菅政権が打ち出した孤独・孤立への取り組みを巡り本格的な支援策をまとめたのは初めて。ただ「民間頼み」の補助事業が多く、実効性は不透明だ。 支援策では、女性や子どもの自殺が増加していることを受け、自殺防止に取り組むNPO法人に助成する。電話や会員制交流サイト(SNS)での相談体制強化や、相談員の養成に充てる。困窮子育て世帯への給付金も盛り込まれた。」(共同通信、二〇二一年三月十六日)「コロナ禍」を理由に「福祉」の拡充がもたらされる場面を、これからも度々目にするだろう。「福祉」は不可欠な事業であると同時に、核心から目を逸らすために利用されもする。ビスマルクの飴と鞭政策の中で世界初の社会保険制度は作られた。日本において、明治末期の「福祉」は天皇を頂点とする家族国家観に基づいた感化救済事業という姿をとり、社会主義運動への対抗策として機能した。大逆事件の後に天皇の「下賜金」を基金として恩賜財団済生会が設立されたことは代表的である。 孝橋正一は「福祉」と呼ばれるものを分析するにあたり、『全訂社會事業の基本問題』(ミネルヴァ書房・一九六二年)を「公共の福祉」の確認から始めた。「〝公共の福祉〟ないし〝社会福祉〟の概念を身近にそして実際に即して理解しようとするなら、そこには、意識的・無意識的に、そして不言と明言の別を問うことなく、資本主義制度の現実的存在とその恒久持続性への期待を前提としておいていることを発見するであろう。(中略)議会制度と政党政治が近代民主制国家の政治形式であり、そして政党とは、それぞれの社会階級の利害関係を政治的に代表する結社であるとすれば、〝公共の福祉〟や〝社会福祉〟の理念や状態は、政府の地位についている多数党やそれを構成し支持する階級的な立場からみてのそれではあっても、かならずしも国民一般のそれであるということはできないであろう。なぜなら、総じてそして窮極的に、階級の規定から自由な国民一般は、抽象的な概念としてならともかく、具体的・現実的には存在していないものだからである。」 * 先月の板倉善之による「三人論潮」は、大阪府八尾市で母子が困窮の末死亡した事件の記事を冒頭に引いた。行政へ改善を求めることや就労支援などの事業が意義を持つことを「この母子のような死を目の当たりにしてとれる行動の一つであると思う」と認めた上で、板倉は書く。「しかしこれらに自足しては、人を生活保護へと、またそれを受給するしないに関わらず、人を無惨な死へと追い立てるもの、それ自体は温存され続ける。」私はここに、孝橋正一の社会事業(私達が「福祉」と呼んでいるもの)についての分析を重ねて読んだ。以下、孝橋の論を要約する。 ――資本主義的生産関係が直接的に生じさせる労働問題を社会問題とすると、それに対応するものが社会政策である。また、社会問題に重なり関係的・派生的に生じる問題を社会的問題とすると、それに対応するものが「社会事業」である。つまり、つきつめれば資本主義制度の構造的欠陥の所産であるが、そうは見えづらい問題を補充・代替するものが、今日私達が福祉事業と呼ぶ「社会事業」である。そこには資本主義体制の恒久持続性への期待が前提および目的・任務として含まれている。そして「社会事業」の対象は「被救恤的窮民」に限定されず、あくまでも労働者=国民一般である。――「福祉」は、差し迫った状況に置かれた者の上で姿を現す。「新型コロナウイルス禍で深刻化する孤独や孤立問題」対策が「生活困窮者」に焦点を合わせるように。だがたとえそこから焦点がずらされ輪郭がぼやけたとしても、「人を無惨な死へと追い立てるもの」は存在し、また自覚の有無を問わず、追い立てられる存在は階級に規定される。 * 長崎県と佐世保市が計画する石木ダムの予定地とされる川原地区では、県の監視カメラが工事を進める隙を窺い、計画に反対する十三世帯の住民たちは雨の日も雪の日も座り込みを続ける。 ポットを抱えた女性が土嚢を乗り越え近づいてくる。重機の周りに座り込んでいる一人一人にコーヒーとおやつが手渡される。女性は茶菓子を乗せた手を持ち上げ、操縦席に座っている男性にも、はいと差し出す。作業着姿の男性は顔を伏せ、ゆっくりかぶりを振った。県の監視カメラはこの光景も見つめているだろう。ダム計画の主体は長崎県と佐世保市であり、業者の人は生活のために仕事に来ているだけだ、という話は何度か聞いていた。私はそのとき地べたから、ヘルメットを被った顔に表れた苦笑いを見上げていた。私の手の中には、折り畳んだ板倉の記事があった。「生まれた環境、生まれた場所、あらゆる偶然が生を翻弄し、それが明暗を分けさせる状況があること。それらへの視線をぶらさず見据えること、それがテーブルをどっしりさせ、たとえテントが潰されテーブルが砕かれたとしても、また創り始める力の一つになる。」 そしてテントやテーブルを創り出す意志がまた新たに「視線をぶらさず見据えること」に向かわせるのだと思う。「福祉」がいくら重ねられようと、「福祉」を要請する仕組みを変えることは無い。変革を求めるならば、「福祉」の限界性を見なければならない。そして「福祉」の限界性を見ることは、物事の本質を見失わせるものとして「福祉」の問題を変革へ向かう運動からただ切り離すことではない。切り離すことができる者と、それ無しでは生きることが難しい者がいる。それがなぜかを問わず、自分とは異なって見えるものを差し迫った状況へ置き去りにしてゆくならば、主観的には欺瞞を撥ねつけていようが、結局はろくでもない場所に安住させられているに過ぎない。 沖縄の平和運動家・阿波根昌鴻は伊江島の「わびあいの里」を建設する際、「福祉」を権力への目くらましに利用した。阿波根は建設計画書の目的を、身障者や老人のための真の平和づくりとしての「福祉村」とし、その中に作る「反戦平和資料館」を目的には書かなかった。阿波根は、権力にとって「福祉」は決して歯向かうことのない無害な存在であると見抜いている。そして目くらましに使うと同時に、老人、身障者、子ども、すべての人達が助け合う「福祉村」は阿波根の本当の目的でもあった。それは人間の幸福という本来の意味での「福祉」であり、それゆえに権力と対峙する反戦平和資料館を備えた姿で完成した。 * 座り込み現場からの帰り、坂の上から、野原一面にまぶされた黄色が見えた。坂を降り、小さな橋を渡った。菜の花の群れの只中を歩いた。明るさに眩むようだった。臍のあたりがむず痒くなる、生き物じみたにおいが立ち込めていた。あのテーブルは、業者が切り倒していった大木から作られた、と聞いた。現実をありのままに捉えること、そして創造のために繫ぎ合わせられた力をその先へ向けること。「福祉」の限界性を見つめる視力は、その先へ向かう意志と実践の中に現れる。(よしだ・あきこ=精神保健福祉士、佐賀県唐津市在住) ≪週刊読書人2021年4月9日号掲載≫