――朝日訴訟と制度の限界について―― 三人論潮〈10月〉 吉田晶子 生活保護の基準額引き下げは「健康で文化的な最低限度の生活」を保障する憲法二十五条や生活保護法に違反し、生存権を侵害されたとして、京都市の受給者四十二人が国や市に引き下げ処分の取り消しと一人一万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、京都地裁は十四日、請求を退けた。国の判断過程や手続きに誤りはなく、違法とは言えないと判断した。原告側は控訴する方針。増森珠美裁判長は判決理由で「厚生労働相には専門技術的かつ政策的な見地からの裁量権が認められる」と指摘。国の財政事情や国民感情を広く考慮する必要があり「引き下げの判断に裁量権の逸脱や乱用があるとは言えない」とした。(二〇二一年九月十四日・共同通信社) 一九五七年、日本で初めての生活保護に関する行政訴訟が開始される。国立岡山療養所に入所していた重症結核患者の朝日茂が、生活保護の支給水準が憲法第二十五条にある生存権の保障に違反するとして訴訟を起こした。一九六〇年、第一審の東京地裁は勝訴判決。厚生省控訴。一九六三年、第二審の東京高裁は逆転敗訴。一九六四年二月十四日、訴訟継続のため小林健二・君子夫妻が朝日茂との養子縁組をとり行った同日、朝日茂死去。最高裁へ訴訟継承を上申したが、一九六七年、最高裁は生活保護法上の保護受給権が「一身専属の権利」、朝日茂本人のみの権利であることから、訴訟終了とした。 冒頭に引いた今年九月の記事にある判決理由は、今から約六十年前、朝日訴訟で出された厚生省による控訴文の内容を思い起こさせる。「法律とは、支配者にとっていくらでも都合よく解釈できるようになっていることを、つくづく知ることができた。」と実感を述べた朝日茂は、控訴文を的確に要約した。「厚生大臣はいう。第一に生活保護に支出すべき国費は、国民全体の負担に帰するものであるから国の財政能力との振り合いを考慮すべきである。国民経済力、国民生活感情によって左右されるものである。この基準の是正向上は、国会と政府において政治の課題として解決していくべきもので、軽がるしく裁判所が口ばしを入れるものではない。」(『人間裁判――朝日茂の手記』大月書店)国は控訴しながら、第一審で朝日茂の訴えを全面的に認めた浅沼判決への反響に応えざるを得ず、保護基準算定をマーケット・バスケット方式からエンゲル形式に改め、保護費引き上げを行った。制度の改良や保護費引き上げ要求には応じたが生存権を問う訴えは認めない国の姿もまた、露わにした。 ローザ・ルクセンブルクは、資本主義を支える制度に改良を重ねることで、徐々に社会主義へ変貌してゆくという改良主義の幻想を砕いた。「ブルジョア社会をそれ以前の階級社会――古代社会や中世社会――から区別するものはなにか。それは、まさに階級支配が、現在、「成功裡に獲得された諸権利」に立脚しているのではなく、現実の経済的諸関係に立脚しているという事実、また賃金制度は法的関係ではなく純粋に経済的関係であるという事実によって区別される。(中略)したがって、賃金奴隷制が法律のうえにまったく表現されていないとすると、どうやってこの賃金奴隷制を「法律による方法」をつうじてしだいに廃止していくことができるのか。」(「社会改良か革命か」)生活保護をはじめとする福祉制度は資本主義の内に組み込まれ、その構造的欠陥を補完する役割を果たす。それ自体には資本主義を乗り越える性質は無い。それは、制度の改良が不要であるということではない。生活保護費の引き下げは阻止されるべきであり、また制度が適正に利用されるため、運用のあり方を変えていくことも必要である。申請権を侵害する水際作戦を、それも最後のセーフティーネットと言われる生活保護の窓口で行うという間接的な殺人は、未だ根絶されていない。生活保護を申請する者の親族に対して、援助可能かを福祉事務所が問い合わせる扶養照会は、申請をためらわせるだけでなく、国の負担すべき問題を血縁に委ねている。それらの問題に対して人々が声を上げ変化を起こしてきた動きは今後も広げ続けられていくべきものだ。ただ重要なのは、改良と革命は本質的に異なる、ということだ。改良はあくまでも制度の内部に留まるものであり、私達を新たな社会へ運んで行ってはくれない。本欄九月にあった、スラヴ民話ヴィイのように、人々が重い目蓋を上げて目を凝らし、鉄の手を伸ばす必要がある。現実のあるがまま、資本主義社会の限界性を見ることが目標をその先に置かせ、労働者が自らを主体としその目標に向け実践を行うことが、新しい社会を到来させる。制度の限界性を見るのは、諦めによって目の前の実践を手放すためではなく、制度の外に目標を置くためである。 朝日茂は、「人間らしい生活」が全ての人に成立する社会を志向し、国および社会制度の要請する人間の在り方と衝突した。長崎県の石木ダム反対運動が、より大きな「公共の福祉」を志向するゆえに、国の「公共の福祉」と衝突しているであろうことと似ている。石木ダムに反対する住民達は毎日の座り込みと並行し、訴訟でも闘いを行っている。国に事業認定の取り消しを求めた訴訟は二〇二〇年十月、最高裁により上告が棄却され、住民側は敗訴となった。その数カ月後、座り込み現場で話をしている中で、行政訴訟が難しいことは分かっている、と住民の方は言った。それは「どうせ無理だ」という諦念とも、いざ現実を付きつけられたらうろたえ折れてしまう夢想的な態度とも異なっていた。現実を直視しダム計画を失くすまでやり抜く、そんなの承知だ、というものだった。住民達は先月、二〇二一年九月二十四日、ダム計画を行う長崎県と佐世保市に対し工事差し止めを求めた控訴審の弁論再開を福岡高裁に申し立てている。朝日茂は「裁判を下す裁判官自身が裁かれる」と言った。注視していきたい。 石木ダム計画の予定地とされている川原地区を初めて訪れてから、一年が経とうとしている。空に向かって豊かな枝葉を伸ばしていた、私よりも長い時間を生きていただろう大きなタブノキは九月に重機で抉り倒され、座り込みをする場所は風が強く吹きつけるようになっている。座り込みに使う道具が仕舞われている倉庫の傍には、私物撤去を求める長崎県の看板が相変わらず立てられている。だがよく見ると、「これをどかしてくれ」と看板に載せられている倉庫の写真と違う。実物は建て増しされ、写真よりも大きい姿になっている。皆が囲む木のテーブルも、なにか以前と違う。近付くと、磨かれた上にニスが塗られ、さらに頑丈になっていた。蜜蜂の巣が載せられたお盆が抱えられてやってくる。金色に滴る欠片を、皆で、美味しそうに頬張る。住民の人達は、それらを当たり前のものとしてやる。平熱で運動をやっている。病床にいた朝日茂は、七年間で約八千通の手紙を書いている。病床に縛り付けられた彼にとって、手紙を書くことは仲間を作ることだった。共感や激励の手紙だけではなく、訴訟を非難する手紙も届いた。それは彼を苦しめると同時に、問題の根幹をよりはっきりとさせた。それらの手紙に対しても、朝日茂は労働者階級の仲間として返事を出した。やるべき仕事を主体的に引き受け、自らの生を全うすることが全ての人に開かれるため。彼らの仕事に比べて私の言葉はまだ貧弱である。だが、机の上にはこれから書くべき「手紙」が積まれている。(よしだ・あきこ=精神保健福祉士、佐賀県唐津市在住) <週刊読書人2021年10月8日号>