―第四インターの紙誌について 「皆さん(略)委員長が帰らなくても、ストをやってください」(花田清輝「胆大小心録」、前回参照)。大昔、私はこの少女の呼びかけを『政治的動物について』の印象的な読書会で聴いた。「印象的」というのは、主催の知人が変てこな提案をして、そのこだわりがこちらを強く当惑させたからだ。(テツヤ。今回は全集や著作集はやめて、初出でなくてもせめてこの本で話さないか。)それで私も、青木書店版の薄ぺらな新書を強引に古本屋で買わされた。 おそらくその知人は、同書に採録されたモラリスト論争(五六年)関連の全論文を通読したかったに違いない。ある「論争」を全集の標本箱でなく、それが生成する現場にさかのぼって目撃し体感したかったに違いない。だが幼稚でいらついた私に、「蛇行匍匐」(「文体変革についての試案」)を自認する花田の文体は疎遠なままだった。「胆大小心録」に限っても、上田秋成のうの字にも触れずになぜ批評文をそう名付けたか。当時はその理由さえわからなかった。結局、読んだ途端に内容は全部消え、著者の代りに少女の願いだけが残った。長い間、それは内地に来る前に聴いた別の発語と重なりあって私を悩ませた。 改めて「胆大小心録」を読むと、花田の主張は「蛇行匍匐」どころか極めて明快でわかりやすい。革命運動とは、あらゆる参加者が同時に監督であり登場人物でもあるドタバタ喜劇だ、用意周到であると同時に当意即妙であることをも迫られる一連の喜劇なのだ、と彼は言う。そこでは、「常識」と対立し衝突する所の「コモン・センス」=「共通感覚」が不可欠であり、それがなければ、占領軍を解放軍と錯覚した共産党指導部のように大衆から遊離してしまう、逆に少女の呼びかけが絶えず我々の闘志をかきたてるのは、それが「日本のプロレタリアートの共通感覚」を徹底的につかみとっているからだ。そうも言っている。だが再読して遅ればせに、今さらのように気付くのは、書き手が一つの事実を隠していることだ――疑いなく、花田清輝はこの時点でルクセンブルクの濃厚な影響下にあったのだ。たとえば、この「共通感覚」が実現すべき大衆運動を彼はいかに描いたか。「経済的ストライキと政治的ストライキとの関係は、肉体と精神との関係のようなもので、両者をきりはなそうとしたところで、ぜったいにきりはなせるものではないのだ。経済的ストライキがキッカケになって政治的ストライキにまで白熱化することもあれば、政治的ストライキが崩壊して、経済的ストライキに転化することもある。そして、両者が統一され、持続することになれば、それが、すなわち、革命なのだ」(花田同上)。 * 議論の展開(その年の春闘批判)や比喩の選択は完全に花田のものだ。にもかかわらず、政治的/経済的大衆ストライキの絶えざる相互転化とその不可分な統一性――この核心的な洞察は、『大衆ストライキ・党および労働組合』なくしてありえない。引用は省くが、後者の第四章を一読すれば二人の発想の酷似がわかる。『政治的動物について』の続編たる『大衆のエネルギー』ではさらにそうであり、ルクセンブルクの「共通感覚」の刻印は、ドイツ革命への言及から始まる冒頭の「歌の誕生」に明らかだが(誰も指摘しないが、花田はこの章で、プロレタリア革命の課題とブルジョア革命のそれとの質的差異を区別せず、超歴史的にリーダーシップ論を展開する篠原一『ドイツ革命史序説』の盲点を、当の篠原が依拠するコンラート・ヘーニッシュの言葉を逆用しつつ一蹴している)、ここでは最終章「青服のイメージ」から引こう。以下の一節も、文脈自体は総評指導部の弱腰を切って捨てる花田に固有の状況介入だが、その基底を貫く「闘争(大衆運動)」と「組織」の相互関係についての認識は、確実にルクセンブルクの同書第五章の延長上にある。彼女はそこで、「組織が闘争(大衆運動)を生み出す」という卑しい官僚的発想を転倒し、「闘争こそが組織をつくり出す」という歴史的現実を踏まえた運動方針を明快に提示しているが、この「コモン・センス」=「共通感覚」は直接の批評対象たる組合専従者(その組合内権力の自己目的化)ばかりか、カウツキー(議会主義的待機戦術)やレーニン(超中央集権的前衛主義)の「常識」と原理的に衝突するほかなかった。「本当に「世論」を味方につけようとおもうなら、決然としてたたかうことである。組織など、どうなってもいいというつもりになって、一度ぐらい、めちゃくちゃにたたかってみたら如何なものか。その結果、組織はぜったいに、分裂せず、かえって、組織本来の機能を回復するであろう。(略)かりに万一、組織が、バラバラになってしまったところで、本気になってたたかったあとには、かならずなにものかが残る。そして、そのなにものかは、形骸と化しさった組織よりも(略)はるかに貴重なものであって、再組織するさいの不可欠なパン種になるのである」(「青服のイメージ」)。 * 久保覚の全集年譜が示す通り、花田清輝が本格的に彼女に言及するのは「マス・コミの問題点」(五八年一月)以後であり、「あざやかな世界革命のヴィジョン」等の見事な批評が実際に書かれた。だが私見では、花田が最もルクセンブルク的だった時期は、少しも彼女に触れずに圧倒的な論争批評を書き続けた『政治的動物について』前後を措いてない。そこでは、渇きをみたすように奪った洞察をいかに固有の状況で再創造するか、あわただしい論争の急所でいかにそれを独立の光源たらしめ、いかに自分の文体に昇華させるか。全てがそこに賭けられている。ルクセンブルク自身がマルクスにそうしたように、問題は彼女の精神が求めたものを自ら求める実践にあり、彼女を正統化すること、ましてやただ内容を祖述し文体を露骨に模倣することなど、小ずるく不潔な愚行でしかなかった。そこから見れば、モラリスト論争とは芸術批評の次元で戦われた修正主義論争だ。「近代文学」派としてあらわれたベルンシュタインの徒党を完封した時、花田の青服は確かにルクセンブルクをみえない武器=青い剣(魯迅『鋳剣』)に変えたのだ。今こそ知人にそう伝えたい、と心から思う。 * この連載を始めるまで、私は第四インターの『かけはし』や『青年戦線』に好意的でなかった。それは学生の頃散々聞かされた、この党派における長年の性暴力の横行――というより、女性党員達の告発の後でさえ指導部が固執した、愚劣な解決方針(組織防衛を優先すべく、事柄を特定の個人の不行跡に解消し矮小化した姿勢)のためだけでなかった。確かにそれらも強い嫌悪をもたらしたが、それと別の問題があること、学問的(?)なレベルでも、この党派にそこらの学者同然の、「小物感」にあふれた姑息な悪習があることを「証拠付き」で知っていた。何より、それがルクセンブルクにかかわる事実が私を寂しい気持にさせた。 たとえば、『青年戦線』一五四/一五五号(〇〇年四月/九月)の「中野新一」の論文=「ローザ・ルクセンブルクの組織論(1)(2)」を見てみよう。これは今なおWEB上で図々しく公開されているが(http://www.jrcl.net/frame11b20.html)、それとルクセンブルク研究の伊藤成彦が八四年に書いた「集権と分権の弁証法」(『ローザ・ルクセンブルクの世界』所収)を少しでも比べてほしい(ここでは一例しか示せない)。中野の駄文は到底「論文」と呼べる代物でない。物を書くことや自分の頭で・・・・・考えることについて、何かを批評し、再創造する実践そのものについて、花田と無縁なさもしい錯覚があるのは明らかだ。――だが今回読んだ沖縄関係記事、それが私をためらわせた。私は次第に『かけはし』を再検討する必要を感じていた。(伊藤成彦)『ロシア社会民主党の組織問題』は、(略)ロシアの党の状況に対する正確な事実認識に立っていたとは必ずしも言い難いところがみられる。しかしそうした欠陥にもかかわらず、(一)ローザ・ルクセンブルクの党組織論を初めて体系的に示したこと、(二)(略)社会民主党の歴史的な成立事情を分析して、ブランキズムの組織原理との明確な相違と、中央集権化への不可避的傾向を明らかにし、(三)組織の中央集権化が必然的に内包する官僚化、大衆からの離反の危険性を鋭く、かつ予言的に指摘したこと、などによってやはり注目すべき論文である。(第四インター中野新一)ローザの著作「ロシア社会民主党の組織問題」は、彼女にとっての「組織」とは何かを知る上で重要といえる。この著作の要点は、次の三点に集約出来る。一・彼女の党組織論を、初めて体系的に明示した。二・ロシア社会民主党の歴史的成立過程を分析して、ブランキズム(一揆主義)の組織原理との明確な相違と、中央集権化への不可避的傾向を明示した。三・組織の中央集権化が、必然的に内包する官僚化。それによる大衆からの離反。(この項続く)(かまだ・てつや=批評家、岡山表町在住)