第165回芥川賞受賞作品 書評アイドル 渡辺小春が読む芥川賞 貝に続く場所にて著 者:石沢麻依出版社:講談社ISBN13:978-4-06-524188-2 静かな祈りのような物語 今回は、第165回芥川賞を受賞した、石沢麻依さんの「貝に続く場所にて」(初出・「群像」2020年6月号)を選んだ。 ドイツのゲッティンゲンで美術史学科の学生として博士論文の執筆に取り組んでいた里美の元に、大学生時代の知人である野宮が訪れてくる。彼は東日本大震災の際、津波に巻き込まれて行方不明者となった一人だった。 野宮との再会に戸惑いながら彼のことを「幽霊」と同居人に伝えそうになったり、彼女は9年間の時間差を感じたことで野宮の事をきちんと見られなかった。 里美は、野宮と再会をきっかけに、震災時の夢を見たり、記憶が呼び起こされるようになる。そして「記憶との距離」の距離感をつかむことが出来ないでいた。「時間を重ねていけば、様々な消失点を設定し、自在に記憶を眺めることが出来る。しかし、私たちの中にある消失点は、どこまでもあの日に置かれてしまっている」。 ゲッティンゲンの町に置かれている「惑星の小径(planetenweg)」と呼ばれる太陽系の縮尺模型の惑星間の距離が象徴するかのように、向かいのアパートに暮らす少女の他人との距離の取り方、地震が少ないドイツで、「苺」と「地震」の発音が似ていることから「地震味」とネタの一つとなっていたことで感じた言葉と感覚の距離感、里美が感じる様々なこととの距離とあの日の記憶が複層的に織りなされる静かな祈りのような物語だ。 作中では、記憶について「頭の中の記憶を支えるのは、身体の記憶である」「身体の部位が抱える記憶の持物」などと表している。里美は、震災時の記憶の中に、身体が感じたことを強く刻んでいたのだった。 また、彼女は、自分が海や原発にかかわる場所にいなかったことで、「遠い物語的な記憶へと変容してゆく」「距離に向けられた罪悪感」を感じている。3月11日を迎え、震災の記憶と直面する度にそう感じる人も多いのではないだろうか。悲しみと共に感じるあの罪悪感は、あの時あの場所にいなかったゆえの、距離に向けられたものだと気づかされた。 2011年3月11日、当時私は、小学一年生で、ちょうど学校から帰宅したところだった。テレビに映る津波に襲われた町は、現実に今起こっていることとは思えなかった。青いだけだと思っていた海が街をすべて飲み込みながら進んでゆく黒い波の姿をみて大きな衝撃と恐怖を受けたのを今でも覚えている。 読後、一番考えさせられたのは距離についてだった。コロナによるこのパンデミックは、人との距離が近づくことを許してはくれない世界だった。いくら画面上での距離が近くたって、その場の空気を感じて距離を、遠ざけたり近づけたりすることはできなくて、距離感を推し量ることさえ難しい世界になってしまったなと特に緊急事態宣言中には感じた。学校生活でも、今まで友達と机を囲んでお弁当を食べながら話したり、購買のお菓子を食べたりしていたことが、今では決められた時間に自席で教卓の方を向いて一人でお弁当を食べなければならなくなった。ふとしたことがきっかけとなる友達作りも、難しくなったように感じている。 いまだコロナ禍が続く2022年は、東日本大震災から11年を迎える。どんどんとあの日の記憶が白くぼんやりとしたものとなる中、記憶を風化させてはならない。物語に出てくる貝殻のように、過去の記憶や時間は私たちの場所に繋がっている。人との距離やあらゆる物事への距離を実感することが難しいご時世ではあるが、だからこそ、何度も読み返してこの物語を自分の中に落とし込みたい。<写真コメント:「海と空の青色がとても好きです。この作品にも通じる色だと感じました。」>★渡辺小春(わたなべこはる)=書評アイドル五歳より芸能活動を始める。二〇一六年アイドル活動を始め、二〇一八年地下アイドルKAJU%pe titapetitを結成。現在「読書人web」で『書評アイドル 渡辺小春が読む芥川賞』連載中。最近の活動として、官公学生服のカンコー委員会、放送中のNHKラジオ第2高校講座「現代文」には生徒役として出演中。二〇〇四年生。Twitter:@koha_kohha_