三人論潮〈回顧〉 吉田晶子 変革のためには、人の力を合わせることが必要である。しかし「そのままでは無価値なものを、立派なもののために使うことで価値あるものにしてやろう」と、運動のために人を「使おう」とするならば、いくら理想を掲げても、植民地主義と同じだ。 石木ダム反対運動は、民主主義を蔑ろにするダム計画に対して、民主主義を実践することで抵抗し続ける。税金を無尽蔵に注ぎ込まれながら亡霊のように存続する石木ダム計画だが、反対運動の現場に足を運ぶ人々もまた、絶えることはない。ダム計画の理不尽さが否応なくそうさせると同時に、反対運動の持つ明るい力が人々をそこへ向かわせる。私達はそれぞれの日常で、理不尽や課題に直面している。座り込み現場で一人一人の抵抗する力に火をくべられる感覚を、少しでも読んでくれる人と共有できたらいいと思いながら書いていた。実際に、座り込み現場でも会うことができたら嬉しい。 以前勤務していた学習塾で、生徒達との関わりの中にあるよろこびを表すと、人の時間を使い潰し子供達をよりよき労働市場に適応させる「教育」に容易く吸い取られてしまうと感じていた。「教育」に限らず、問題はもっと大きなところで繫がっている。それを摑まなければ、本当に大切なものも、表現した瞬間に人間を圧し潰す大きなものに呑み込まれてしまう。そう思って文章を書いていた。自分一人ではまだ、そこまでだった。佐藤零郎さん、板倉善之さんと連載を進める中で、大切なものを繫ぎ合わせ、容易に吞みこまれないなにかを創り出すこともできる、と教えてもらった。私もやってみようと思う。(よしだ・あきこ=精神保健福祉士) * 板倉善之 前回、ベンヤミンの『物語作者』から引用をした。その中の「童話が意のままにふるう解放の魔術は(中略)自然が解放された人間と連帯であることを示唆することなのである」という箇所の、日本語がおかしいのではと指摘を受け、辞書をひきつつ引用箇所の原文を読んだ。結果、一部改変し入稿したが、どうしても気になったことがある。それは「連帯」と訳された「Komplizität」という語だ。ある独和辞書には「=Kompliziertheit、複雑なこと」とある。ウェブで見つけた『物語作者』の英訳では「complicity」と訳されていて、英和辞書には「共謀、共犯、連累、加担、連座。=complexity、複雑性、錯綜」等とある。そうしていくつかの日本語にいきつくが、それらの語では何かが欠けると思えた。翻訳者は「共犯」や「複雑」も「連帯」の語につめこんだのか、と空想はしても、ベンヤミンが用いたこの語を検討しつくす能力が今の私にはない。ただ、「Komplizität」と「連帯」の語との間を橋渡す光景を、私はすでに読んでいたことに気づいた。吉田晶子が本連載で繰り返し書いた、石木ダム計画に反対する座り込み現場にあるテーブルについてだ。建設業者が切り倒した大木を、ダム計画に反対する人たちがどっしりと生きさせたそれは、マルクスが商品の呪物性を喩えた机のように「奇怪な妄想を繰り広げる」(『資本論』)ことはないだろう。切り倒された大木を磨きニスを塗ってより頑丈にし、その上に旨いものを並べて皆で囲み話す。自然と人間の生活をぶち壊すものに対してそのように共に闘っているさまは、「連帯」という語が似合い、また語そのものを生き生きとさせてくれる。(いたくら・よしゆき=映画監督) * 佐藤零郎 初回の吉田さんの大粒のいちごや手作りの芋餅が並べられた「どっしりとした木のテーブル」の「どっしり」を導きにして、運動現場の「トイレ」について思索できた。沖縄高江の団結小屋でみた「バイオトイレ」について書け、その後、全世界中の運動現場のトイレに思いふけった。トルストイが「監獄を見れば、その国家が見える」と言ったが、全世界の運動現場のトイレを渡り歩き一本の映画をつくれば何がみえるかと夢想した。デモの最後尾について思索できたのも良かった。映画祭でパリを訪れた時、マクロン政権の年金制度の改悪にたいする過去最長の公務員のストライキの真っ最中だった。日本では経験することのないはじめての体験だった。美術館などの公共施設は閉鎖され、鉄道もごく一部の路線しか動いていなかった。子供も若者も老人も性別も肌の色も関係なく自動改札を飛び越えていく姿が爽快だった。私もそれにならって飛び越えた。女性の権利についてのデモに遭遇した。デモの前方を歩く人に比べ、最後尾を歩く人の肌の色の多様さ、服装のパンクな激しさ、ふてぶてしい歩き方に、最後尾を歩く人がカギを握っているのは万国共通だと思った。 先日、パリの「La Clef(=鍵)」という名前の閉館したが、映画好きの有志たちにより占拠され上映活動が続けられる映画館で、自身の作品の投げ銭上映があった。釜ヶ崎の人たちが、釜を奪いあい右往左往する姿が映し出された。映画館の暗闇こそが、全世界中の運動現場を繫ぐ秘密の通路じゃないかと思った。「三人論潮」も秘密の通路を通っておのおのの現場で読まれているようだ。秘密の通路はいたるところにある。鍵は持ってるか?(さとう・れお=映画監督) <週刊読書人2021年12月17日号>