――新今宮ワンダーランド/「ティファニーで朝食を。松のやで定食を。」を批判する―― 三人論潮〈5月〉 佐藤零郎 来たらだいたい、なんとかなる。ここは多様性と包容力に溢れる街。あてもなく来たとしても、初めてで少し緊張していても、新今宮ならなんとかなる。(新今宮ワンダーランドホームページより)自分といろんなものごとがひとつになれる場所をみつけたとわかるまで、私はなんにも所有したくないの。そういう場所がどこにあるのか、今のところまだわからない。でもそれがどんなところだかはちゃんとわかっている。それはティファニーみたいなところなの。(トルーマン・カポーティ「ティファニーで朝食を」村上春樹訳) 四月の吉田さんの「「福祉」の限界性を見るために」と題された文章を面白く読んだ。論の中で、孝橋正一の社会事業論を引きながら〝公共の福祉〟〝社会福祉〟は資本主義制度の現実的存在とその恒久持続性への期待を前提としているとし、コロナ禍で「福祉」の拡充が「生活困窮者」に焦点をあてるかたちでもたらされたとしても貧困を生み出す原因が取り除かれることはない、「福祉」の限界性を見つめる視力は、その先へ向かう意志と実践の中に現れると文を結んでいる。闘争現場のあのどっしりとしたテーブルは、ダム建設に邪魔で切り倒された大木からできたモノだった。除去されたはずのモノが、より邪魔なモノへと変わる姿は、「福祉」を「福祉」以上のモノへ変えるヒントであるように感じた。 私の現場の釜ヶ崎では、西成特区構想の最新版として冒頭に引用した新今宮ワンダーランドというプロジェクトが始動している。大阪市の新今宮エリアブランド向上事業として電通関西支社が作成している。これまで野宿者の排除をさんざんおこなってきた大阪市が「来たらだいたいなんとかなる」というキャッチコピーを使っているのには、「どの口がそんなこというてんねん」とつい関西弁がでてしまう。 新今宮駅を中心とした半径約一キロメートルをエリアブランディングし、新たな街の魅力を創造することが目的のようだ。釜ヶ崎は労働福祉の聖地という価値が付与され、あいりん総合センターや様々な釜ヶ崎の施設が社会資源の集積した場所として歴史を学ぶスポットとして紹介されている。「まちづくり」には、社会資源の拡充を求めるために釜ヶ崎の複数の団体や研究者が参加している。社会資源の拡充には貧困を生み出す原因そのものを見ようとする目を曇らせるモノがあるようだ。「社会インフラの集積をサービスハブ(あいりん地域を多様な社会福祉サービスの集積拠点として考える)と捉え、それがジェントリフィケーションの防波堤になってきた」とあいりん地域街づくり会議の委員であり、大阪市立大学教授の水内俊雄はいう。しかし、現実は全く逆だ。二◯一二年に西成特区構想がはじまって以降のほうが野宿者の排除は加速度的に進んでいる。ジェントリフィケーションはこれから起こりつつあるものではなく、すでに起きている。花園公園ではいまみや小中一貫校開校により一九件のテント小屋が立ち退きされた。天王寺公園は「てんしば」オープンで将棋をしていた人たちは公園外に追いやられた。公園内を東西に縦断する通路が夜間閉鎖され、動物園の入り口で寝ている二十数名が別の寝床を探さなければならなくなった。新今宮駅前にあるあいりん総合センターはなんの法的な手続きを踏まれずにシャッターが閉じられ、センター内を寝床としている者を追い出した。 野宿者ネットワークの生田武志は「貧困問題を解決するためには根本原因である、資本主義を変えなければならない。ただ貧困対策を大衆のアヘンに過ぎないとは言えない。現状の改良とシステムの改革は同時にやらなければならない」という。釜ヶ崎の社会資源の集積は、運動の成果としてもたらされてきたものもある。全港湾の夏(ソーメン代)・冬(モチ代)や反失連の高齢者特別清掃事業など、現場闘争のなかで行政から施策をひきだした。それらの各時代で行われた闘争も生田が指摘するような「現状の改良とシステムの改革」は同時に行われず、批判と運動の分裂を起こしながら改良要求闘争が行われた痕跡がある。だが、それらはまだ良い。かつて行われた改良要求の闘争と現在の「まちづくり」にくっついた社会改良要求は決定的な差異がある。現在の「まちづくり」にくっついた社会改良要求は、かえって資本主義の新たな市場の開拓へと門戸を開いている。 新今宮ワンダーランドのPRとして電通より依頼を受けたライターしまだあやのエッセイ「ティファニーで朝食を。松のやで定食を。」はどうだろうか。しまだが旅の中で、立ち飲み屋に入り、一人の男性に飲み代をおごってもらう。街で出会った人の親切にあった彼女は、その借りを別の誰かに返そうと勝手にマイルールをつくり、たまたま親切にしてくれた野宿者にご飯をおごる。まず「ティファニーで朝食を」を題名に使っているが、考え抜かれた末のタイトルではないと思った。ヘップバーン扮する主人公ホリーが、靄がかったニューヨークの朝通りでカバンからパンを取り出し、紙コップでコーヒーを飲み、開店前のティファニーのショーウィンドウを覗き込むシーンはある。ただそこには、しまだがティファニーと松のやを対置させることで得ようとしたゴージャスな朝食と庶民の定食の対比感覚はない。 冒頭で引用したカポーティの小説はもっと重たいものがある。舞台は一九四三年の第二次世界大戦中のニューヨーク。語り手の作家志望の青年は徴兵へいつかりだされるかという不安を感じていた頃の話だ。金持ちの男たちがホリーを所有したいと食事に誘い、彼女が化粧室に行くたびに五十ドルを渡したり、彼女の友達の食事代まで払ったり、あらゆる手段をつかうが彼女は誰のものにもなろうとしない。商売女だなどの醜聞もはねのけ自由奔放に生きている。彼女の部屋の前には男から逃れるために、「旅行中」という札がかけられている。ホリーは自分が自分として生きられる場所を求めている。それは有名な女優になること、金持ちの女になることで得られるものでもない。かつて結婚した年の離れた獣医が家族のもとに帰ろうと連れ戻しに来るが、家族からも得られないようだ。それらに包摂されることのほうが、はるかに生活の安定と身の安全を保証するというのに。ティファニーは、そんな彼女が自分らしく生きるためには、休む間なく闘争を強いられる世界で、彼女を休戦させる一時休憩の場所として描かれている。 しまだは野宿者のお兄さんとの別れ際に、新今宮の安宿に泊まっていこうとするが、お兄さんから「あんたは、家あるねんから家に帰り」と諭される。お兄さんにとって野宿をしていることと、家があることでは決定的な差異があることが伺える。まとめられた文では、「ただひとつ、ふしぎなのは、(中略)私には帰る家があるけれど、その人にはないということ」と語られる。しまだが参照にすべきは、大島渚の「帰って来たヨッパライ」ではないだろうか。海岸でパンツ一丁になり泳いでいたノンポリの大学生三人組は、ベトナム戦争への出兵を逃れようと密航してきた韓国人青年二人組に砂浜に脱ぎ捨てた衣服を盗まれる。日本人学生の二人はそこに脱ぎ捨てられた韓国軍の軍服を着るほかなく、密航してきた韓国人との扱いをうけ追われて、そのうちにアイデンティティも韓国人に変身していく。それだけにとどまらず日本人学生の制服を着た韓国人までもが、朝鮮半島を支配した帝国日本人として扱われ、自分たちこそが本当の韓国人であると主張をしだす。服を交換して入れ替わることは不可能だとしても、心だけでも、お金を貸す側ではなく借りざるをえない側に、帰る家がある側ではなく、路上で生活せざるをえない側になってエッセイを書き、それでもなお「わたしには家があるだけで、そのひとには家がないということ」という言葉が溢れたならば、電通のPRに従属することのないエッセイになる可能性がひらけただろう。しまだにも必ずせざるをえない強いられた問題があるはずだ。(さとう・れお=映画監督) ≪週刊読書人2021年5月14日号掲載≫