『ヨギヘスへの手紙』には全てがある。ルクセンブルクが一八九三年から一九一四年にかけて書いた現存する九百数十通の手紙、それは様々な出発点から読むことができ、しかもそのいずれを選ぼうと、読者を残り全ての視点に導かずにいない性質のものである。今その内容を具体的に示すなら――だが、この調子で続けると永久に時評が書けない。だからここでは、当面の考察に必要な一節だけを参照する。まだ二十代半ばの頃(一八九五年三月)、ポーランド王国社会民主党の機関紙『スプラヴァ・ロボトニチャ』(労働者問題)の労働者通信号――ポーランドの労働者からの手紙の掲載に本文全体をあてた号――をパリで編集し、印刷業者を「せきたて」るさなかで、彼女はチューリヒで指示を出すヨギヘスに書いている。 問題は、あなたがこの号全体について間違った考え方をしていたということで、それでわたしはこれが一番ひどいと書いたのです。この号が労働者のイデオロギー的な発展を示すものでなければならない、という点ではわたしはあなたとまったく同じ意見です。(略)でも、一つ一つの論文にイデオロギー的・煽動的な意見を入れることは、まったく滑稽でわざとらしいものになるということをあなたは考えなかったのです。わたしはこの号を労働者大衆を事実に即して・・・・・・忠実に反映するものに編集しました。(略)この号はきっと強烈な印象をあたえることでしょう。労働者の生活からの恐るべき事実・・が山とあります。すべての記事が、生活と真実とまことの姿の息吹きに満ちています。(略)これはわたしの考えでは、イデオロギー的観点から見てもっともすぐれた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・記事です。わたしは一語も書き加えなかったのよ!(『ヨギヘスへの手紙』1、伊藤・米川・阪東訳、傍点鎌田) ここに少しも混乱はない。ルクセンブルクの主張には、明晰な統一と一貫性以外の何も存在していない。彼女は確かに編集現場でヨギヘスの方針に抗議した。「イデオロギー」だの「煽動」だのと、労働者の言葉に外的厚化粧を施す愚行を拒絶し、その誤謬の根元を徹底的にとり除いた。だがこの批評は、今日の悪ずれした活動家の「現場主義」――彼らが小さな権力をその場で行使し、自らの狭い体験をふりかざしては運動全体を萎縮させる滑稽さと似て非なるものだ。彼女がヨギヘスに「事実」を対置したのは、「アタシは煽動は嫌い」「ボクはイデオロギーを運動に持ちこまない」と善人面して行政に癒着するためでなく、より一般化してイデオロギー(煽動)/事実の誤った二項対立に陥るためでもない。全く逆に、ルクセンブルクはあるべき「イデオロギー」の性質を、真にあるべき「煽動」の創造を考えぬいたからこそ、「事実」につくのである。「事実」こそが根源的で持続的な浸透圧を生み、その時はじめて「事実」と「煽動(イデオロギー)」が統一され、後者もまた生きた言葉・・・・・に昇華する。この洞察が、彼女をかりたて何度もヨギヘスを説得させるのである、「この号を出せば、ちょうど「イギリスにおける労働者階級の状態」の中でエンゲルスが引いた手紙のように、全世界に強い印象をあたえることでしょう」「労働者たちにとっては、きっとこれはもっともすぐれた煽動力のある号の一つとしていつまでも価値を失わないことでしょう」(同上)。 真の「煽動」を始めるために、我々はいわゆる煽動を批評し破壊するほかない。浅ましい煽動家の遠ぼえは何も生まない。それが動かすのは、浅ましいモッブのその場限りのざわめきだけだ。だが、我々が「事実」の力でそれらを浄化しとり除くのは、「もっともすぐれた煽動力」を新たにラディカルに作り直すためである。それは、「煽動」や「イデオロギー」一切を一般論で嫌悪して、自己同一性の密室に鍵をかけ立てこもるあり方と別なのだ。明らかに、このみかけ上のジグザグを生みだす動力は「事実」である。いかなる犠牲を賭しても広く深く伝達すべき「事実」、それを世界中の人々に伝えることで、彼らとともにその問題性を打開し克服すべき「事実」が彼女にあったのである。それは、「革命的な行為とは、つねに、ありのままを語りつくすことである」(「国民議会か評議会政府か」)という死の直前の認識にひとすじにつながっており、当の労働者通信号の「あとがき」に彼女は書いている。 あなた方に聞かせよう。太陽や青空や思想の自由への憧れが労働者の胸に呼び起こした不満の声を!/ああ、あなた方は、労働者の心が「自由や太陽に飢える」ことはあるまいと思っているのだろう。(略)だが、働く詩人は一体いつ、どこで、自らの夢と感動を歌う自由と思索を手にするのか。牢獄の壁の中、手かせ足かせをはめられた時だ!「壁が彼を世間から隔てた」その時、「憲兵の巡回」が思索の伴奏となったその時だ!あなた方のための数限りない労働の中で、あなた方の軛の下で、いかに多くの働く詩人や思想家が消え去っていることか!(「労働者のポーランド」御茶の水書房版全集1、柴理子訳を一部改変) ルクセンブルクの固執する「事実」、それは「従え」という誘惑に抗して、「戦え」と呼びかける行為である。既得権に守られながら幼く被害者ぶることでなく、既成の目前の状況と衝突し、「自由や太陽」を「幾百万人という人々」の共有物へと、手探りで作り変える実践のことである。個々の局面において、それはしばしば敗北の重畳に終る。彼らのある者は「獄中」で死に、ある者は「手かせ足かせ」をはめられ「軛」にとらわれずにいない。だが現実には、まさにその敗北において我々は「自由や太陽」を共有し始めている。なぜなら、この戦いこそが永続するなぎ・・の奥底に、迫りくる洪水の予兆が存在するのを示すからだ。目にみえる必然の手前に、無数のみえない可能があることを――確定したただ一つのプロセスは決して不動の岩盤を語るものでなく、本当はそれ以外の、別の方向に進みうる無数の機会に出会いながら我々がそれを回避してきた事実を、この死者=先行者達の実践が教えてくれるからだ。「労働者詩人は消えてしまった!人類は彼らの心から魂の悦びをすくい取ったであろうに。彼らの思想の光が、幾百万人という人々の人生のありふれた運命に輝きを与えたであろうに」(同上)。 * 今月は現状分析の諸前提を扱う予定でいながら、少しも肝心の論点を書けていない。たとえば、ここで仮に労働者通信号と呼んだもの、それはおそらくロシア革命以後のソ連やドイツ共産党が組織的に展開した「労働者通信」「労農通信」等と違って、固定的なジャンルでも画一的な内容に終るものでもなかった。さらに、『スプラヴァ・ロボトニチャ』における彼女の編集姿勢――それは直ちに『ロシア革命論』の認識とつながっている。このことは、革命が実現すべき政治/社会的課題の解決が、それを準備する革命運動においてめばえ・・・=萌芽形態として、必ず事前に現存しなければならないこと、この公理が組織論レベルだけでなく(それは誰もが口にしている)、何よりジャーナリズムの使命について強調されねばならないことを意味するが、この点も引用付きで詳述できなかった(それは資本主義レベルでも、低能な編集者がうっかり権力(?)を握った場合の「悪い例」で考えればわかる。たとえば、市川真人が渡部直己のセクハラの件で隠蔽工作に奔走したのは、市川自身のそれ以前の卑しい編集姿勢の帰結にすぎず、「赤」が下品に「ピンク」になった程度で物事の性質は変らない。この茶坊主は、元気に懲りずにまた不善をなすだろう)。 だから、ここではせめて一つの事実に触れたい。それは、ルクセンブルクの紙誌編集に関する内部批評が、『手紙』の終盤においても一貫して続くことだ(たとえば、一九一〇年の『トリブーナ』への再三の指摘)。この時、彼女はすでにヨギヘスとの連絡を極小にしたがっており、手紙の文体自体が簡素で事柄の要点にしか触れていない。だが逆に言えば、それは私的な関係を絶った後の苦しいやりとりのさなかでなお続けねばならない共同の仕事、共同でやる以外に個性的であることのできない避けがたい仕事が、依然彼らをとらえていたことを意味する。それこそが――少くともその一つが、自らの運動紙をいかに創設しいかに改善すべきかという問い、武井昭夫の言う「革命的ジャーナリズム」の問題なのだ。 だが、それでは今日の日本における我々左翼の「革命的ジャーナリズム」=機関紙編集の状況はどうか。それらは「事実」を、また「事実」と「煽動」との統一をいかに実践的に感受し、いかにそのめばえ・・・を「革命的」に表現しているか(逆に反動的か)。来月以後、数回に分けてそれを具体的に批評しよう。資料入手に手こずったので、批評対象が昨年=二〇一九年のものに限定されるのを断っておく(この項続く)。(かまだ・てつや=批評家、岡山表町在住)