(前回の続き) 一読してわかるが、[革マル派の『解放』から引用した、那覇市内の二つのデモについての]これらの報告記事はほぼ完全に同一である。七月一日付「辺野古土砂投入に断固反撃」でも、一一月一一日付「米核ミサイル配備阻止の火柱」においても、「デモ隊」は毎度「午後六時」に「松山公園」から「大書した横断幕を先頭」に「国際通りにむけて進撃」し、「左手が自民党県連」であるのを確認しつつ「街宣車の女子学生」の「呼びかけ」に応じて「シュプレヒコールをたたきつけ」ている。念のため、前回都合で(中略)と付した個所、ここにはデモを応援する通りがかりの「市民」の描写があり、七月の記事には「若者たち」「子供連れの若い女性」「オバーたち」が、一一月には「若い女性」「スーツ姿の若い労働者たち」がそれぞれ出てくるが、この違いさえ両記事に共通する描写=「国際通りに入ると市民がいっせいに注目する」の、交換可能で文脈に服従する具体例でしかない。結局、どちらの場合も「たたかう労学」は「労働者・人民の圧倒的共感をまきおこしながら」終点「までのデモを貫徹」し、その後に「デモに先立ち、たたかう労学は決起集会をかちとった」なる補足報告が、やはり両記事でワンパターンに続くのである。 明らかに、ここにはルクセンブルクの言う「事実」がない。何かがめばえて、それが湧きたつように生長し、我々の思惑をいつしか乗りこえ圧倒する出現の光景・・・・・もなければ、ある地域の運動内部で特定の課題や困難が生じて、だが参加者達がその解決に試行錯誤する具体的な過程が、別の地域の運動にもやり直しの普遍的な手がかりを与える、そうした発見的素材・・・・・があるわけでもない。「想定内」のフォーマットが事前に、おそらくとうの昔にできていて、デモをやる度に細部を微調整して平気でそれを「記事」と呼ぶ――編集サイドがその習俗に支配され惑溺していなければ、こうした「使い回し」の腐敗は生じない。だが本当は、この時「事実」ばかりか「運動」もまた消えている。大げさで派手なデモを何度やろうと、それらが少しも新たな経験をもたらさないからだ。 私は革マル派だけに因縁を付けてはいない。それどころか、この悪習が自称革命的左翼の複数の運動紙に横行し、あちこちで常態化していると言っている。別の例で、解放派(赤砦社派)の機関紙『解放』(同じ紙名でややこしいが)をあげてもいい。革マル派ほどひどくないが、こちらの場合も「青ヘル部隊」のデモの描写は、「集会は仲間による基調報告に入る」「集会の最後は決意表明だ」「熱い決意を表明した」「声高く、デモに撃って出る」「最後まで戦闘的デモをやりぬいた」その他の紋切型を、この順番で何度もあきずに使い回している。これは即座にWEB上で確認できるので(http://www.kaihou-sekisaisya.jp)、読者は自由に一三一五号四面(七月四日)と一三二七号九面(一〇月三一日・一一月七日合併)等を読み比べるがいい。赤砦社派は革マル派を「反革命革マル」と規定しているが、先行記事の使い回しと紋切型の横行において、彼らは対立どころか双子のように似ている。――にもかかわらず、今回特に革マル派の紙面に注意を引かれたのには理由がある。それは、デモの名称が同じだから(「労学統一行動」)描写も同一になる、という程度で事柄が終らず、いわば個々の人間の所作(?)のレベルにまで、「使い回し」の貧しさとあさましさが深く浸透していることである。 * たとえば、集会でビラを配布する光景を彼らはいかに描くか。「情宣隊が手にする(略)赤く大書したビラは、次々と参加者の手に吸いこまれていく・・・・・・・・」(「5・3憲法集会(東京・有明)」、五月二〇日、二五六九号一面)「わが同盟のビラは、参加者の手に吸いこまれるように・・・・・・・・・受け取られていく」(「5・3 札幌」、五月二七日、二五七〇号二面)「わが情宣隊が配布する(略)ビラが、参加者の手に次から次へと吸いこまれていく・・・・・・・・」(「愛大・名大生が先頭で奮闘」、六月三日、二五七一号二面)「わが同盟の情宣隊が、結集してくる労働者に(略)わが同盟のビラを配布した。吸いこまれるように・・・・・・・・・ビラが渡っていく」(「沖縄平和行進・県民大会が高揚」、同上三面)。 あるいは「オール沖縄」の集会で、共産党の議員達の選挙絶対主義に革マル派はこう反発する、「日共の衆院議員・赤嶺は(略)安倍政権の改憲攻撃をまえに労働者・人民を武装解除する発言をおこなった。すかさず・・・・たたかう学生が「改憲阻止の闘いを今すぐつくりだそう!」とヤジを飛ばす」(「8・3辺野古」、八月二六日、二五八二―二五八三号八面)「この赤嶺の発言にたいして、すかさず・・・・たたかう学生が「安保を粉砕するぞ!」とヤジを飛ばす」(「10・5沖縄」、一〇月二八日、二五九二号一面)「日共議員どもの犯罪的発言に、たたかう学生は怒りに燃えてすかさず・・・・「改憲阻止!」「安保を粉砕するぞ!」とヤジを飛ばした」(「11・2辺野古」、一一月一八日、二五九五号二面)。 具体例全てを到底列挙できないが、東京でも札幌でも名古屋でも沖縄でも、革マル派のビラはその他の伝播が許されないかのように、毎度「吸いこまれるように」参加者の手に渡ってゆく。党派を越えた集会がある度に、彼らが「すかさず」共産党を野次るのはやや滑稽で、お前らはトムとジェリーか、似合いのボケとツッコミなのか、とこちらがすかさず・・・・突っこみたくなった。だが、おそらく以上の単調なこわばりは偶然でない。それは、基底にある一般党員の同型的な言動を正確になぞるものなのである。 『解放』が今年断続的に掲載する感想=「12・8革共同政治集会に参加して」を読んでみよう。一方で、そこには新芽の双葉にも似た若い党員達の手記がある。文学おたくの知ったかぶりなどと無縁な、状況を打開し社会を変革する希望において率直で可憐な「書くこと」のはじまりがある。だがより以上に、それは彼らがこの組織固有の腐臭のする哲学的(?)呪文に感染し、自らの表現を損ねてその成長を無残に蹂躙される過程の反復なのである。ペンネームが何であれ、書き手は異口同音に「黒田さん」=「KKさん」(黒田寛一のこと)の「反スタ魂」を(または「組織哲学」「思想と理論」を)「わがものとする」ために「がんばる」「奮闘する」、と信仰告白を繰り返す。人間を単一の鋳型で断ち割り社畜化する点で、それは資本制生産と少しも変りない。ここに至って暗い苦しい感触に私はとらわれた。彼らがもう大人で、主体的にこの党派に参加しており、文体の創造と紙面の刷新を下から奪いとる責務が当の彼ら自身にあるのを承知していても、痛ましい累積をたどるのに疲れて読み通すのに手こずった。『解放』であれ他の運動紙であれ、生まれいづる「書くこと」を歪めてそれを個人崇拝=左翼天皇制の誤謬にはめこむ資格は、我々滅びゆく者の誰にもないはずだった。「黒田さんの「実践の場所の哲学」が、このことを解決してくれる〝導きの糸〟になるということを実感した」(Y・I)「のりこえきれない目の前の課題に(略)黒田の哲学を武器に挑む」(D・T)「この苦しい現状を根底から覆すために、黒田さんの思想を学ぶべきだ」(北海道教育労働者U)「血の教訓をKKさんの燃えたつ反スタ魂とともに、わがものとしたい」(照屋日向子)。 * だが、「革命的ジャーナリズム」は伝統芸能でも鸚鵡の物真似でもない。『解放』ほど極端化し結晶化していなくても、自民党/共産党/商業紙の幹部が毎度遅鈍に濫用する紋切型(「粛々と」/「きっぱりと」/「いかがなものか」「私だけだろうか」等を想起せよ)、それと同レベルの言語表現を続ける限り、我々左翼はいつまで経っても自らの使命=批評と創造などはたせない。打開策はどこにあるか。「編集部(指導部)の手抜きじじばばを解任する」「使い回しや紋切型を禁止する」等の小手先の改変では足りない。現象としての個々の症状だけでなく、発生原因たる病巣自体の根本的な克服が課題の核心なのである。 おそらく、ルクセンブルクが直観的に「日光」と呼び、「治療し浄化する唯一の太陽」とも名付けた動力――「革命が呼びおこす大衆の積極的な精神生活」(『ロシア革命論』)が今こそ必要である。我々の「書くこと」がこの「日光」=「浄化する太陽」をとらえて、しかもそれ自らが独立の光源たる時に、残余の課題は自然に解決するはずである。事実、辺野古関連の報告やレポートを中心に運動紙を読む限り、複数の記事は決してすりきれたデモ報告に終っていない。革命の遠方の地平線に絶えず喚起されながら、目の覚める実践を通じて「運動」の自己変革を到来させる記事、活動の途上で生じた「事実」を大胆に公然と論議することで、読者に決定的な洞察を与えて「精神生活」を改変し始める記事――重大な留保と批評が依然必要だとしても、少くともそのめばえが確かにある・・のだ。それらについて次回で述べよう。(この項続く)(かまだ・てつや=批評家、岡山表町在住)