江戸川乱歩大事典 著 者: 落合教幸・阪本博志・藤井淑禎・渡辺憲司(編) 出版社:勉誠出版 ISBN13:978-4-585-20080-2 落合教幸・阪本博志・藤井淑禎・渡辺憲司編『江戸川乱歩大事典』が、勉誠出版より刊行された。総勢七〇名におよぶ執筆陣が、文学、メディア史、社会学など広範囲の分野から、乱歩の世界を案内する。江戸川乱歩の総合的大事典の刊行を機に、編者の一人である藤井淑禎氏、作家の有栖川有栖氏、俳優の佐野史郎氏にご寄稿をお願いした。(編集部) ≪週刊読書人2021年4月9日号掲載≫ さまざまな「顔」をもつ事典藤井淑禎 編者の一人でありながらこんなことを言うのはどうかと思うが、読者の皆さんより一足先に、完成した『江戸川乱歩大事典』の見本を送られてから毎日のように、あちこちページを繰りながら勉強させてもらっている。そのなかには自分が書いた原稿もあるが、なにしろだいぶ以前に書いたものも混じっているので、実はどう書いたかまではよく覚えていない。で、今回あらためて読んでみて、なるほどそうなのか、と自分の原稿にまで感心しているというわけだ。 まあ、それは半分冗談として、とにかく、読めば読むほど勉強になる事典であることはまちがいない。いちおう表向きは乱歩の事典だが、実は、雑誌事典であったり、外国人作家事典であったり、江戸東京事典であったり、豊島区事典であったりと、実にさまざまな顔をもっていて、読者の希望に応じていろんな知識を授けてくれる優れものなのである。 そのなかでも特に感心するのは、どの項目も分量の制限がないのではないかと思うほどにとことん書かれていることだ。確か、当初は五枚、一〇枚、一五枚というようにランク別にお願いしたはずだが、それはそれとして、執筆者のかたが希望すれば何枚でも、というような対応をした記憶がうっすらとある。編者のくせにいい加減なことを言って申し訳ないが、とにかくそう思えてしまうほどに、どの項目も枚数に縛られずに伸び伸びと書かれているという印象なのである。 たとえば雑誌事典という「顔」ひとつとってみても、これまでよく利用されてきた『日本近代文学大事典 新聞・雑誌』の内容をはるかに凌駕し、実に詳しくて読みごたえがある。もちろんそれ以外の面についても推して知るべしで、これと比べると、これまで刊行されてきた凡百の事典類が、いかに窮屈な制約の中で作られてきたかがわかるというものである。 新たな乱歩像の提示 ところで今回の事典は、立教大学に隣接する乱歩邸と乱歩蔵書・資料が立教大学に帰属することになったのを機に、立教学院創立一三〇年記念として、二〇〇四年八月に池袋西口の東武デパートで開催された「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」の成果を継承するかたちで構想されたものだ。 しかし、この展覧会は単なる蔵書や遺品の展覧会などではなかった。「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」というタイトルからもおわかりいただけるように、新たな乱歩像の提示をもくろんだ、デパートで開催される展覧会としては破天荒の試みだったのである。 実はこの展覧会は、大変な悪条件下で準備された。というのも、その前年に同じ池袋(東口)の西武デパートで「江戸川乱歩展」がすでに開催ずみで、ほとんどの遺品や蔵書はそこで披露されていたからである。にもかかわらず開催を決定した大学当局やデパート側の無謀さにはあきれるが、そのおかげで、展示プランを任されたわれわれのほうは、何が何でもそれと差別化しなくてはならないという窮地に立たされたのである。20世紀の中に乱歩を位置づける いわばこうした外圧のもとに、大衆や20世紀に着目して、それと乱歩との関わりを明らかにするという「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」のコンセプトは生れることとなった。このように、キッカケは、「江戸川乱歩展」に無かったもの、すなわち従来の乱歩研究に欠けていたものを手探りせざるをえなかったところにあったわけだが、それは結果的に新たな乱歩像、というか、本来あるべき乱歩の全体像をわれわれに気づかせてくれることになった。 乱歩文学を前期の本格ミステリー、中期の通俗長編、後期の少年探偵団ものの三種に分けることができるとすれば、ミステリーの牙城にたてこもった感のある前期に対して、中期以降の乱歩は明らかに、社会のほうへと大きく踏み出していっている。社会のほうへとは、すなわち、大衆の、20世紀のほうへ、ということにほかならない。 これを展示内容に即して言いかえれば、遺品や蔵書の展示に終始した「江戸川乱歩展」に対して、「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」では、家屋やファッションの再現とか円タク(実物)の展示、乱歩蔵のものだけにとどまらないさまざまな新聞・雑誌やその紙誌面の展示、などが試みられたということになる。 そしてこれを事典というかたちで具現化したのが、Ⅰ人間乱歩、Ⅱ社会、Ⅲミステリー、Ⅳメディアという四部構成からなる本事典だったのである。そこでは、乱歩をも含めた大衆や20世紀の全体像の把握、あるいは大衆や20世紀の全体像のなかに乱歩や乱歩文学を位置づけることが企図されている。そしてその結果として、冒頭で述べたような「さまざまな顔」が、読者の皆さんを文学の世界にのみとどまらない、広々とした世界へとお誘いすることができれば、編者としてこれに勝る喜びはないと考えている。(ふじい・ひでただ=立教大学名誉教授・近現代日本文学・文化) 探偵小説を愛した巨匠ページをめくり、乱歩ワールドにひたる有栖川有栖 私が生まれて初めて読んだ評論・研究書は江戸川乱歩の『幻影城(正・続)』だ。 同書で乱歩は、探偵小説の定義や範囲を論じ、歴史をたどり、海外の潮流・現状を作家・作品を通して紹介し、何百ものトリックを分類・分析してみせている。中学生だった私は夢中で読み耽り、「こんな楽しいことを仕事にできるのか」と羨んだ。 この国に探偵小説を広めようという志に燃えた乱歩の歩んだ道は険しかっただろう。が、やはり楽しくもあったに違いない。昨日、自分が知ったことを、今日、同好の士に嬉々として伝えている観すらあった。 数々の名作と多岐にわたる多大な功績を残した乱歩は別格の存在となるが、探偵小説への愛情の深さが微笑ましい。それもミステリファンが乱歩を愛する理由だろう。 微笑ましいと言えば、乱歩の語り口は、小説においても評論・随筆においても、妖しくねちっこいと同時に愛らしい。 過日、神戸・元町の古書店〈うみねこ堂書林〉の店主であり、ミステリ研究家でもある野村恒彦さんと話していた時のこと。 野村さんは、乱歩が『海外探偵小説と作品』の中で書いた「深夜、純粋な気持になって、探偵小説史上最も優れた作家は誰かと考えると、私にはポーとチェスタトンの姿が浮かんでくる」という一節(印象的なので私も覚えていた)を引用して言った。「深夜、そんなことを考える人、乱歩以外にいます?」 いませんね。「純粋な気持」というフレーズの味わいも素晴らしい。同好の士にとっての乱歩は、偉大な道楽の先達だったとも言えるかもしれない。 乱歩は、不健全と見られがちだった探偵小説の地位向上にも努めた。そんな探偵小説を愛した巨匠の耳に、あのお言葉は届いただろうか? 天皇陛下が上皇になって公務から解放されたら何がしたいですか、と問われた美智子皇后は読書をお望みで、読みたい本としてP・G・ウッドハウスのジーブスものとともに「探偵小説」とおっしゃった。「乱歩先生、天国で泣いていらっしゃるだろうな」と思った。 巨大な多面体・乱歩。デビュー(一九二三年)から百年近くが経ち、時代色を帯びるほどにその魅力は増している。 最新の研究成果や考察を満載した『江戸川乱歩大事典』をひもとけば、「作者も作品もどこを切っても興味深い」と再確認できるだろう。 切り口は、これで尽きたわけでもない。ページをめくって乱歩ワールドにひたりながら、あなたは〈新たな項目〉を発見するかもしれない。(ありすがわ・ありす=作家) 時を超える永遠不滅の世界昭和、平成、令和を過ごした、いちファンの想い佐野史郎 乱歩作品には、これまでドラマでは『乱歩〜妖しき女たち〜』(TBS/一九九四)、『闇の脅迫者〜江戸川乱歩の陰獣〜』(テレビ東京/二〇〇一)、『黒蜥蜴』(NHK BSプレミアム/二〇一九)に出演した。映画では黛りんたろう監督『RAMPO』(一九九四)に冒頭、検閲官役で登場している。 ドラマ『黒蜥蜴』は乱歩世界と重なる映画『夢みるように眠りたい』(一九八六)の林海象監督作品。近未来の設定と思しき世界ではレトロモダンとAI世界が共存し、林監督らしい幻想世界であった。 私は中村警部役。 少年探偵団シリーズを読み漁っていた小学生時代、中村警部はちょっと間抜けだけれど憎めない存在だった。「乱歩なんか読んで」と大人たちが眉を顰める理由など、小学生時代にはよくわからないでいたが、『芋虫』に代表されるような、戦前戦中の政府や軍部を批判していると解釈された乱歩作品群が発禁となったのは、仕方のないことだったろう。その感覚は戦後二〇年近く経っていた頃にも、まだ残っていたのだ。 国家や地域、家族などの約束事やモラルから解放された私的エロスの世界を突き詰めれば、結果、国家に定められた規約とは無縁の世界となり、乱歩がどれほど政治的なメッセージを込めて筆を取っていたのではないと言ってみたところで、幻想世界が現実を飲み込む力によって、時の政権を脅かすことに変わりはない。警察官が私立探偵や怪人二十面相、少年探偵団たちに出し抜かれるあたりにも、その片鱗がうかがわれる。「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」 ドラマ『闇の脅迫者』は『陰獣』を現代に置き換えた設定だったが、監督と共に乱歩世界の現代版にあたりシナリオを検討したりと、乱歩作品は時を超えて変わらぬ永遠不滅の世界が隠されていることを改めて確信した。 一方『乱歩〜妖しき女たち〜』は『人間椅子』『接吻』『魔術師』『断崖』のオムニバスで、時代設定は原作通り。『接吻』は私のリクエストで実現した。小品ながら鏡のトリックがいじらしくも恐ろしい正統派ミステリー。でありながら、鏡や写真へのフェティシズムも忘れぬ佳作である。 オーディオブックでは、かつて『人間椅子』『押絵と旅する男』(新潮社/一九九七)に挑戦した。語りかける乱歩の文体は、朗読にうってつけで、文字ではなく音にすることでわかることも随分とあった。あらゆるものを反転させてしまう眼差しに救われる。 今年(二〇二一)は『鏡地獄』『芋虫』『屋根裏の散歩者』を発表予定である。子供の頃から慣れ親しんだ異界の乱歩世界は、実人生においても欠かせぬものとなっている。 昭和、平成、令和を過ごした、いち乱歩ファンの想いを、『江戸川乱歩大事典』刊行に際し、寄稿させていただけることもまた、至極の喜びである。(さの・しろう=俳優・映画監督) ★えどがわ・らんぽ(一八九四―一九六五)=作家。一九二三年「二銭銅貨」(『新青年』)でデビュー。以後、日本における探偵小説・推理小説に多大な貢献を果たした。代表作に『D坂の殺人事件』『屋根裏の散歩者』『人間椅子』『鏡地獄』『パノラマ島奇談』『黒蜥蜴』『怪人二十面相』『探偵小説四十年』など。