――『たった一度の人生!』翻訳後記―― 三人論潮〈12月〉 板倉善之 童話が意のままにふるう解放の魔術は、神話的なやりかたで自然をもてあそぶことではなくて、自然と解放された人間との連帯を示唆することなのである。この連帯を、大人はごくたまに、つまり幸福のなかでしか感じないのだが、童話のなかでまず子供を迎えいれるのがこの連帯感であり、それによって子供はしあわせな気持ちになるのだ。(ヴァルター・ベンヤミン『物語作者』高木久雄・佐藤康彦訳、訳文を一部改変) ローザ・ルクセンブルクの『たった一度の人生!』(本連載九月一〇日に掲載)を一ページ訳した頃、ここには困窮や犯罪に追い込まれた人間が誰とも連帯できずに死んでいく社会が、執拗に描き写されているのだと摑めてくる。印象に残ったのは、視力を失いつつあるヒスターマンが、彼の八歳と六歳の娘マルガレーテとエルナを殺し、自ら首を吊った部屋にある窓だった。そこから聞こえる外界の音は死んだ者たちの孤立を際だてるが、生きる者たちがこの状況を変えていく合唱を始めるよう、ローザ・ルクセンブルクがこの部屋の惨劇を窓から叫んでいる。そのように書いていると思った。私は別の窓を思い出す。佐藤零郎と訪れたある女の部屋の中、胸の高さあたりにその小さな窓はあった。そこからはすぐ隣に迫るビルの壁が見えるだけ、陽は差さず、室外機のブーンという低い音が聞こえるだけだった。日雇労働者向けの簡易宿泊所を、生活保護受給者向けに改変したであろう二畳ほどの部屋には、チラシや膨らんだレジ袋が散らばり積もり、四方の壁に向かうにつれて衣類や寝具と混じって高さを増し、床全体がすり鉢の底のようだ。ゴリゴリガリガリと命が擦り潰されていく。そんな想像をした。女は一日のほとんどを、公園や深夜営業する飲食店で過ごしている。 女と出会ったのは二〇一六年のある夜だった。私と佐藤、友人のモッチーとでカメラを持って釜ヶ崎を歩いていると、「オイ、兄ちゃん」とでかい声で呼び止められる。キャベツ焼き屋前で掃き掃除をしていた白髪の女が近づいてくる。「お前らが早う撮影こんかったからウチの犬殺されてもうたやんけ!」。女は大きな目で私たちを睨み、怒鳴りつけた。呆気にとられた私たちに女は続ける。女が犬たちとテント生活していた頃、取材にきたテレビ番組の制作者と交わした、犬たちを撮影する約束が果たされないまま、犬たちは死んだ、というのが怒りの端緒だった。人違いだと説明するのに構わず、女は怒りをぶちまけたあと掃除へ戻り、私たちもカメラを抱えて歩きだした。理不尽に感じた女の怒りが正当だと思えてくる。女にとって番組スタッフと私たちが別人かどうかはどうでもよく、カメラを持ってこの街を訪れながら犬たちを撮らなかった人間たちの同類として、私たちが女の怒りを浴びたのだ。 犬と野宿者が共に生活するのを見たことがある。五歳の頃、母親に手を引かれ美術館へと通り抜けた天王寺公園で、小学二年生の遠足で行った大阪城公園で、十九歳の時、天王寺から難波のレコード屋へ歩いた阪神高速下で、見たかった映画を探しに訪れた釜ヶ崎で、確かに見ていた。二〇〇〇年代、野宿者の姿が見えづらくなったことも、犬の姿が消えたことも、私は気づかなかった。二〇一九年、釜ヶ崎のあいりん総合センターが閉鎖され、新今宮駅を挟んだ北側、星野リゾートに売却された広大な空き地にホテルの建設が始まった。釜ヶ崎東側に隣接する一帯を計画地とする大阪中華街プロジェクトが公表された。 私と佐藤は再びカメラを持って歩いた。公園の椅子に座る大きな目の女を見つけた。恐る恐る挨拶すると、「久しぶりやな」と意外にも柔和だった。女の右目は相変らず大きく爛々とする一方、左目の瞼は閉じかかり、わずかな隙間から白濁した黒目が見える。シャツの裾をまくり、教会前で轢き逃げに遭い負ったという、腹に大きく刻まれた傷跡を見せた。事故後昏睡し草原を進んでいると、イエスと出会い「年金をもらってから来い」と言われて引き返したらしい。私たちが持っていたカメラを認めて「何チャンネルや?」と尋ねられるのに、テレビ番組ではなく映画を創るために歩いていると話す。「のど自慢にでたいんや。あれやったら家族らも見るかもしれん」。話を聞くうちに女の望みがわかってきた。「自分が今も生きていて、どういう生活をしてきたかを家族に知らせたい」。 それから会うたびに、女はこれまでの人生で起きた出来事を語った。北海道で漁をする父親の網の手入れを手伝い、潮で手が荒れたこと。子供の頃楽しんだ童話や紙芝居のこと。病院の待合室で看護師が呼ぶ名前と、自分のものだと思っていた名前とが違うのに気づいたこと。生みの母親と、樺太から来た二人目の母親。別れた夫との内装業。クロ、アスカ、マイ、三匹の犬たちとのテント生活。その近くに実るザクロ。殺された犬を想って、プラスチック製の小さな犬の玩具をいつも持ち歩くこと。それら女の語りを聞きながらつけたノートを頼りに今書いたが、実際の女の語り方は年齢や場所、現実と臨死体験とを往来し、記憶の断片から断片へと跳ね回りながら一気呵成に語り続け、私たちには各断片がいつどこのことなのか、現実にあったことなのか、なかなか摑めなかった。たまらず遮って発した質問を、女は大きな目をむけて「今しゃべってる」と退けた。それに私は内心腹をたてつつ続きを聞いた。ノートに走り書きした出来事のいくつかに、私は強調の印をつけていた。それは女の人生を苦難に満ちたものとしてのみ時系列に配置しなおすものだった。しかしこう思う。印で整理しようとした女の人生と、女の目は似ていない。私たちを見るときも語るときも、油断をすれば肉を嚙みちぎられそうな緊張感を与える女の大きな目は、人生が部屋に閉じ込められることも、苦難としてのみ整理されることも拒否する。それは闘う目だった。『たった一度の人生!』の終盤、スラブ民話のヴィイという怪物が登場する。ここを訳し、冒頭で私がもった「惨劇を窓から叫んでいる」というイメージは変化した。不幸を悲しみ、嘆き、犠牲者のままに社会の暴力を訴えること、それに収まりきらない溢れ出る剰余が、ここでのスラブ民話の再創造にはある。ベンヤミンが『暴力批判論』で論じた神話的暴力=法の暴力に対する神的暴力=滅罪的な力、後年『物語作者』において童話に見出したその力を、ローザ・ルクセンブルクはこの時すでに民話のなかに感じとっている。ヴィイの目を召喚し悪霊に向けることは、それから一〇〇年以上過ぎた現在においても継続している状態を、根本的に変革することを見据えた闘い=再創造なのだ。 女が語った人生の断片たちと一〇〇年前に死んだ者たちが童話の力を生きることを目指して、私はノートの続きを書き始めている。 幼いマルガレーテとエルナが暮らす部屋の調度品は日に日に減った。姉のマルガレーテは、パパがそれを晩ご飯のパンに変えたのを知っていた。この前ママの思い出の服を持ってよろよろ出かけたパパの後をつけたから。「もうこの部屋にはパンに変えられるものはない」。マルガレーテとエルナはでかけた。家のことを誰かに話したくて。でも誰も立ち止まらなかった。犬が通りを駆けていく。疲れた二人の目はそれを見て輝いた。衛生課のおじさんがそのあとを追うのをさえぎり、二人は犬を助けた。犬について行くと公園のすみにある小屋にたどりつく。そばにはえた低い木に赤黒い実がなっている。「食べられるかな」。実を見るマルガレーテを、大きな目をしたおばさんが見ていた。おばさんは実をもいで石で割ると二人に差しだした。「魔女みたい」。中につまった小さな実は陽をうけてビーズみたいに光った。マルガレーテは一粒ちぎって食べた。エルナもそれを見て安心して食べた。酸っぱくて甘かった。おばさんの言葉はわからなかったけれど不思議と通じた。二人はおばさんから受けとったザクロの実をしっかり抱えて部屋へ走った。「おばさんが食べる分なくなってないかな」と少し心配になりながら。(いたくら・よしゆき=映画監督/ウェブサイト「Nighthawks」運営委員) <週刊読書人2021年12月3日号>