――「革命的ジャーナリズム」の未来のために 先月最後の引用が示す通り、沖縄県主催のパネルディスカッションでは、「「多様な意見」で議論をしたい」(猿田佐世)と称するその肝心の「多様性」が、小ずるいやらせかプロレスに腐敗している。そうなってしまうのは、自らに不都合な、外交政策のラディカルな改変を促す「「安保廃棄」の意見」を司会や発言者が徹底排除し、しかもこの排除自体を「なかったこと」にしているからである。同じく日米同盟を不動の前提とするにせよ、「オール沖縄」の正直な(?)事後的言論統制とさえ異なって、それが「多様な意見」を生みだす基盤自体をあらかじめ抹消し、その可能性を一切聴衆に考えさせまいとするからである。 だが、何かを提示する代りにしたことにする・・・・・・・自己欺瞞――沖縄における大衆運動において、それは長期的運動方針や外交政策の全体的ヴィジョンを討議する局面に限られるか。むしろ、この自己欺瞞は日常闘争の具体的な現場に深く浸透し、運動内部者達を再三悩ませているのでないか。――本来、私はこの事実を一九年六月前後に表面化した、沖縄県による安和桟橋の赤土土砂「仮置き」承認の問題に即して検討したかった。そこでは、実定法内部にあっても権利は必ず闘争によって自らを勝ちとるべきこと、だがこの闘いがそれを貫かず闘ったことにする・・・・・県当局によって掘り崩されつつあること、しかも本土の多数の左翼運動紙が、(以下二紙を除いて)「仮置き」承認の問題性とその行方を深く分析していないこと。それらを少しでも詳細に書きたかった。だが遂に「お迎え」が来て、もはや一切引用ができない。そこで読者自身の力で、第四インター『かけはし』K・Sの「沖縄報告」、および解放派(赤砦社派)『解放』の無署名「辺野古レポート」を、いずれも同年六月以後の複数の記事で、WEB上で通読していただければありがたい。後者に例の「使い回し」が目立つが、それも含めて検討を願いたい。 * この連載で、我々はごく一端だが日本の左翼運動紙を読んできた。朝日や読売等の商業紙の惨状に対して、これらの運動紙がいかに自覚的にジャーナリズムを批評し、いかに実践的にその腐敗を変革できたか。この問題を、極力具体的に「証拠付き」で検討してきた。もちろん、正気の・・・読者が商業紙を見限ったのは今に始まることでない。大昔から忖度だの自己検閲だのと、それらは私的で短期的な利益を求めるばかりで、頑固に「事実」にこだわりそれを報告する行動力に欠けていた。世間に「妄想家」呼ばわりされるのを恐怖し、時間をこえて批評的で根源的なヴィジョンを提起する知性も失っていた。「近日東西の新聞一も興味の事あるなし。(略)余において一も心を用ゐしむるに足るなし」(中江兆民『一年有半』)。中江の宣告は、まぎれもなく商業紙自身の自業自得としてあった。「わが邦人は利害に明にして理義に暗らし。事に従ふことを好みて考ふることを好まず」を、彼らは無際限に反復するだけだった。 だが、それなら左翼運動紙が自らの紙面に、どれほど「幾多の他の方向」を打ち出せたか。彼らが「悪い例」以外の豊かな手がかりを、後続者達に多少とも太い線で残せたと言うのか。胸に手を当てて考えよ。数個の例外が『かけはし』にあったとしても、『前進』の軽薄なお祭り騒ぎ、『未来』の書いてみただけの力ない駄文(以上六月)、『青年戦線』の姑息な論文盗用(七、八月)、『解放』二紙の過去記事の使い回しや、恥しくないのは当人だけの紋切型の濫用(三、四月)、何より殆どの運動紙に共通する「出現」の光景をとらえ得ぬ皮相な文体と、従来の企画をなぞるだけの創造なき紙面構成。一体これらの編集部=指導部のじじばばは、彼らの「革命」が生じたとして、その時これほど無様な「オルタナティブ」を増刷して我々の口元に押しこむつもりなのか。それ以上に犯罪的で反革命的な実践がどこにあるか。かつてルクセンブルクが、修正主義者の画一的で薄ぺらな言動を一蹴したあの修辞――「実のないくるみ」は、日本の左翼運動紙にも正確に当てはまる。いや、中江が明治の元老を切り捨てた罵倒を想起すべきかもしれない、「筆を汚すに足」りぬ無能な指導部が「皆死し去ること一日早ければ」、我々人民の利益も一日増えるのだ、と。 * もちろん、ここには「誰にも読まれていない」状況に屈した、各運動紙の緊張の欠如がある。それは社会の至る分野をとらえる陳腐な現象にすぎず、上述の「悪い例」、使い回しや紋切型や剽窃その他は、今日典型的には大学紀要や文芸誌に横行するものだ。「言ってくれる人」=「批評し指摘してくれる人」がいないせいで手抜きが加速し、誰もが不善をなすようになる――この悪習の日常化は、別に運動紙に限られるわけでない。 だが、だからと言って問題を人間的な弱さ一般に還元すべきでもないのだ。私が問うのは、その一歩先の事柄だからだ。所属党派が何であれ、とにもかくにも我々は大衆運動に参加し、その全身に革命の太陽の熱量を体感しているはずだ。私利私欲が全ての小人どもがいかに手抜きに手を染め、いかにパクリに加担しようと、この陽光は絶えず我々を温めて、大衆運動をまっとうな明るい場所に連れだすはずなのだ。そこでは、当分「誰にも読まれない」ことは所与の前提でしかなく、お天道様に決して恥じない仕事をすること――他人がどうあれ出版上の悪習を浄化し、紙面の抜本的な刷新を続けて迷いなく「幾多の他の方向」を作りだすこと、それが運動への忠誠を誓う一人一人の使命だからだ。にもかかわらず、現実には多数の左翼運動紙が学者/小説家/詩人君レベルの腐敗と荒廃に落ちぶれる。そこに何か決定的な錯覚がないのか。「運動」について、特に革命運動とジャーナリズムの相互関係について、根本的な考え違いがあるのでないか。 おそらく、それは革命運動とジャーナリズムがそれぞれ別の場所にあり、主観的にはいかに後者を重視しようが、結局前者を伝えるだけの従属的手段でしかない。そういう実践上の前提のためである。使い回しや紋切型や剽窃で「新聞」をでっちあげたその後で(だがそのどこが新・しいのか?)、さあようやく革命運動だ、国会前デモでひと暴れしてこよう。彼らの抱くこの錯覚が、全てを致命的に腐敗させるためである。紙面自体の拙劣さだけでない。運動紙の自称編集者がまきちらす、ちゃっかり屋固有のあの行動様式、まるで『故郷』の「楊おばさん」さながら、寄稿者達を苦しめ悩ます行動パターンにも同じことが言える。書き手の事情は一切無視した異常に間近な締切設定、一度原稿をせしめれば、党派の都合で気ままに生じる大幅な刊行遅延、短い原稿だと死んでも自らゲラを出さないゆとりレベルの手抜きの悪習、何の相談や討論もなく勝手に寄稿を改竄して印刷できる王様根性、何より新しい書き手がせっかく出現しても、その能力をただ紙誌維持の穴埋めだけに平気で消費し、摩耗させてゆく無感覚の支配。これらは彼らが、組合活動崩れや学生運動崩れとして飼い育てた精神的因習である以上に、ジャーナリズムにかかわる場合は革命運動の緊張も、自己変革の圧倒的必要も感じずに済ませてしまう、その錯覚が生みだす「卑小な悪」の諸様態なのだ。 * だが最後に聞くがいい。「革命的ジャーナリズム」(武井昭夫)は革命運動そのもの、他の何でもない革命的な大衆運動そのもの・・・・・・・・・・・・である。我々が自らの新聞や雑誌を制作するその過程、いかに運動紙を刊行し、いかにその紙面を充実させるか、という実践自体が大衆運動の具体的表現であり、その一挙手一投足のうちに、我々の運動の可能性と歪みが同時に圧縮的に出現・・してしまう。別言すれば、このジャーナリズムは永遠に未完結であるがゆえに、いかなる完結した形式よりはるかに豊富で価値ある実践、それに参加する大衆全てが批評と自己批評の緊張を促され、まさに上記の「卑小な悪」と戦い、それを通じて自らの精神的変革をも求められる経験の現場なのである。 「革命的ジャーナリズム」の再生――それは極度の苦難と困難を我々に強いている。すでにルクセンブルクがヨギヘス『スプラヴァ・ロボトニチャ』の公式主義を批評し、カウツキー『ノイエ・ツァイト』の臆病と行動力欠如を破壊した時点でそうなのだ。だがこの試みを続ける限り、誰かが絶えず我々の耳元で告げるだろう。それは、この話し手の声であることで、そのままシン・ジェウクや女性労働者やアイヌの少女のものであるような、無数に透明に遍在する声である。それらが世界に砕け散り、とどこおり、はじきあい、おおいつくす時、我々は遂に「革命の言葉」を獲得するだろう。 私が最近感じていること、しかもとても強く感じていることが何だかわかって? 私の中で何かが外に出たがって動いているということ。これはもちろん何か知的なもの、書くべき何かです。また詩か短編小説のようなものだと思わないでよ。そうじゃないのよ、あなた。私が自分の頭の中に感じる何かというのは、私がまだ自分の力の十分の一、百分の一も使い切っていないということ。私は自分の書くものにとても不満で、自分は内面的にはそれ以上だ、と前からはっきりと感じているのです。 つまり、書くものの形式・・が私には不満で、既成の型やステロタイプなものからは決して作られずに、それをのりこえるような――もちろんただ思想と信念の力によってだけ――完全に新しい、独特な形式が私の「心の中」で熟していると感じるのです。 でも、どんな風に、何を、どこで? まだわからない。(ルクセンブルクからヨギヘスへ、一八九九年四月一九日)(おわり)(かまだ・てつや=批評家。岡山表町在住、江別大麻出身)