対談=バーチャル美少女ねむ×井上智洋 バーチャル美少女ねむ著『メタバース進化論』(技術評論社)刊行を機に 週刊読書人2022年5月13日号 メタバース進化論 著 者:バーチャル美少女ねむ 出版社:技術評論社 ISBN13:978-4-297-12755-8 仮想現実住民でVTuber のバーチャル美少女ねむさんが『メタバース進化論 仮想現実の荒野に芽吹く「解放」と「創造」の新世界』(技術評論社)を上梓した。新たなインターネットとして注目を集める三次元仮想空間メタバース。その真の姿と可能性に迫る本書の刊行を機に、駒澤大学経済学部准教授の井上智洋さんとメタバースの今後や経済動向などについてお話しいただいた。(編集部) 革命をもたらす技術 ねむ はじめまして、メタバースの住民「バーチャル美少女ねむ」です。私は「バーチャルでなりたい自分になる」を活動コンセプトの一つにしている世界最古の個人系VTuber(バーチャルYouTuberの略)で、普段はメタバースの文化やイベントを動画やブログで発信しています。メタバースは現在、各方面から注目を集めていて、取材依頼も増えました。でも活動を始めた当初は、見向きもされなかった。メタバースの住人は、美少女アバターの姿に変身して、夜な夜な仮想空間に集まっている変な人たちとしか思われていなかったはずです。 それが大きく変わったのは、二〇二一年十月にFacebookのCEOであるザッカーバーグが社名をMetaに変更し、一〇〇億ドルを超える予算を投入して「次のインターネット」であるメタバース事業を推進するつもりだと発表してからです。突然注目されるようになって、こちらとしてはびっくりしていますが、多くの人に関心を持ってもらえるのはありがたいです。 井上 対談を引き受けておいて恐縮ですが、実は私、VRの類は全く体験したことがない、完全なメタバース素人です。だからFacebookが社名をMetaに変えたとき、ものすごく不思議に思いました。正直なところ、メタバースがそこまで流行るのか懐疑的だったんです。でも本書を拝読して、「ものすごい世界がやって来るぞ」と衝撃を受けました。ねむさんが本の中で何度も仰っている通り、メタバースはいろんな分野に革命をもたらす技術です。本日は、その辺りのお話をお伺いできればと思っています。早速ですが、ねむさんが今いらっしゃるのはメタバース空間なのでしょうか。 ねむ その通りです。対談にあたって、まずはメタバースの概要と私が今いる空間について簡単に説明させてもらいますね。メタバースとは、一般的には「リアルタイムに大規模多数の人が参加してコミュニケーションと経済活動ができるオンライン三次元仮想空間」を指すことが多いです。今のメタバースは貨幣経済さえ成り立っていない旧石器時代、何もない荒野なので、「これがメタバースだ!」という統一した見解はありません。議論を深めるため、私は本の中で、メタバースを「空間性」「自己同一性」「大規模同時接続性」「創造性」「経済性」「アクセス性」「没入性」の七つの要件を満たすオンラインの仮想空間と定義しました。つまり「現実を代替できるような充実感のある体験ができ、稼いで生きていくことができる仮想空間」ということですね。SNSやオンラインゲーム、AR・VRと混同されやすいのですが、これらは経済性や空間性、没入性などの要素を満たしていないため、メタバースではないと考えています。 続いて、私がいるこの空間についてです。今日は数あるメタバースの中でも、「Neos VR」と呼ばれるソーシャルVRサービスを使用しています。ソーシャルVRというのは、オンラインの仮想空間で自分の好きな姿(アバター)でコミュニケーションできるサービスのことです。VRゴーグル、PC、コントローラー、トラッカー(腰や足首などにつけるセンサー)を使用して入ることができる。今のところ、ソーシャルVRこそが上述したメタバースの概念を最も体現していると考えています。私がいる空間は「ワールド」と呼ばれていて、無料で自由に好きなだけ作れて、入ってくる人の制限も可能です。取材を受ける場合は自分のためだけに開きますし、友人だけ入れるようにしたり、誰でも入れる設定にして本のサイン会などをしたりもします。 ソーシャルVRサービスにはいくつか種類があって、遊ぶときやライブ、配信など、その時々によって私は使い分けています。今日Neos VRを選んだのは、存在しているサービスの中で表現の自由度が一番高いからです。自撮りカメラを自由に動かせるのはもちろん、現実世界の私が被っているVRゴーグルのセンサーとトラッカーによって、瞬きや口の動き、頬を膨らませたりする顔の動作や、全身の動きまでアバターと完全に連動させることができます。 井上 凄い空間ですね。ねむさんがいるのは木の上の秘密基地みたいな場所で、周囲は森に囲まれていますね。仮想空間でも、やはり自然の中にいると安らぎみたいなものを感じたり、リラックスしたりする効果はあるのでしょうか。 ねむ 現実では狭い部屋にいるにも関わらず、とても開放感を感じますね! 意外かもしれませんが、メタバースの住人は、『攻殻機動隊』や『マトリックス』などのフィクションに出てくるような現実とかけ離れた空間をあまり好みません。ここは現実よりも便利にできているとはいえ、やっぱり人間として居心地よく感じる空間というものがある。私は「メタバースの原住民」というコンセプトで動画を作ったりしているので、いかにも近未来っぽい場所より、こういう森の中が好きだったりします。 また、Neos VRは重力を自在に設定することができます。私たちは現実世界では重力に囚われているので、平面的にコミュニケーションするのが当たり前です。でも、三次元では宙に浮いた、立体的な動きが可能となる。Neos VRにいる人たちは、空間をより有効に使うために、ふわふわと浮かんで話しています。知らない人が見ると不思議な光景かもしれませんね。現実のよさは活かしつつ、囚われる必要のない部分は自由にできるのがメタバースのいいところです。 「原住民」の生活と黎明期の文化 井上 私のようなメタバース素人がその空間に入りたいと思ったとして、そういう空間やアバターなどの素材は簡単に作れるのでしょうか。それとも、やはり特別な技術が必要なのでしょうか。 ねむ サービスにもよりますが、今のメタバースで自由自在にアイテムを作り出せるのは、かなり特別な技術を持っている人たちだと思います。エンジニアでなく、モデリングやプログラミングができないにもかかわらず、自由にアイテムやモデルを用意できる私のようなケースは例外中の例外です。私の場合は、言ってみればお金と人脈を使って、無理やり理想的なメタバースを実現している。そういうものが自動化されて、初心者も簡単に使いこなすことができるようになるのが理想ですが、残念ながらまだその段階には達していません。特にNeos VR はクリエイター向きなので、あらゆるソーシャルVRの中でも一番敷居が高い。最高クラスのゲーミングPCがないと、入ることすらできません。 ソーシャルVRの中で、現在圧倒的な普及率を誇るのが「VRChat」です。一般人同士が集まって話すことに特化してつくられたメタバースで、人口も多い。でも、VRChatの敷居が低いわけではないんです。プロがゲーム開発を行う際に使用する「Unity」というツールを使わなければ、アバターのアップロードさえできません。ライトユーザーや初心者に優しくないVRChatがここまでメジャーなプラットフォームになってしまったのは、運命のいたずらとしか言いようがないです。強いて言えば映像が美しく、要求スペックがそこまで高くない。ゲーミングPCがなくても独立で動作できるMeta Quest2のようなVRゴーグルにも対応していて、一部の機能が使えます。一強ではありますが、万能なソーシャルVRとは言えません。 井上 著書の中で、現在利用されている各種メタバースを比較しながら、それぞれのメリット・デメリットを分析されていました。Metaが提供予定のサービス「Horizon Worlds」の懸念点なども大変興味深かったです。今後、まだ登場していないソーシャルVRが普及していく可能性はあるのでしょうか。 ねむ どれが普及するというよりも、いろんなメタバースを使い分けるようになるのではないかと予想しています。Twitter、Facebook、InstagramといったSNSを私たちは使い分けていますよね。メタバースも、似たような形になるはずです。 日本にも、何百人も集まる大規模イベントを開催できる「cluster」や、「バーチャルキャスト」という配信に特化したメタバースがあります。私も、clusterで千人くらい集めて音楽ライブをしたことがあります。現実世界で千人集めようと思ったら、スタッフも数十人必要ですが、メタバース空間だと私と二、三人のスタッフだけでできちゃうんですよ。その代わり、スタッフに連絡しながらお客さんに宣伝して、音源を操作してと、ひとりで全部やるのでなかなかハードですけどね。 「自分たちはこんな生活をしているよ」と、積極的に外に発信したり紹介している私みたいなタイプは、今のメタバース住人の中では少数派です。ここは現実と違って空間を自由に設定でき、関わる対象も選べるので、みんな引きこもりがちなんですね。だから私たちメタバースの住人にとっても、他の人がどういう生活をしているのか今までよく分かっていなかった。 そこを数字にすると見えてくるものがあるのではないか。そう思って友人でスイスの人類学者の「ミラ」とともに、全世界のソーシャルVRユーザーに対して大規模なアンケート調査「ソーシャルVR国勢調査」を行いました。すると多くのユーザーが毎日、非常に長時間この空間に入っていることが分かった。中には、こちらの世界で睡眠している人までいた。そんな「住んでいる」レベルのユーザーのことを、私は個人的に「メタバース原住民」と呼んでいます。コミュニケーションはディープだし、恋愛だって当たり前のように行われている。しかも、私と同じように美少女キャラクターになっている人がほとんどだったりした。そういったメタバース黎明期における独自の文化を形として残したいと思ったのが、本書を執筆したきっかけです。 「分人経済」と空間経「超済」うカウンター 井上 私の専門は、マクロ経済学です。そのため、中でも第六章「経済のコスプレ」を大変興味深く読ませていただきました。本を書くとき、私は新しい言葉をよく生み出します。新しい現象について書きたくても、それが新しい現象であるがゆえに上手い用語が存在していなかったりする。ねむさんも本の中で新しい用語を生み出し、コンセプト自体をクリエイトされていました。経済関連としては、「分人経済」「超空間経済」といった造語を生み出していらっしゃる。作家の平野啓一郎さんが提唱された「分人主義」(ひとりの人間の中にはいくつもの人格=分人があり、その集合体が人間である)の概念は私も知っていましたが、これを経済分野に応用させている。博識でいらして、幅広い知識に基づく素晴らしい分析力と表現力で書かれていて、大変感銘を受けました。 ねむ 経済学の先生に説明するのは恥ずかしいのですが、メタバースを使えば心の中のいろんな側面=分人に、その分人が望む「なりたい姿(アバター)」を与えられます。これからは複数のアイデンティティを切り替えながら、人生を送ることができるようになる。そうなれば、経済の最小単位が「個人」から「分人」に変わります。経済活動が今より加速し、みんながクリエイターエコノミーに参画できるようになる。これを表現できる言葉や概念がなくて、三日ほど悩んで捻りだしたのが「分人経済」でした。 また、マクロ経済学の分野には地球という限られた空間資源に着目し、AIなどでシミュレーションする「空間経済」があります。それに対する一つのアンチテーゼが、「超空間経済」ですね。今後は、地球の土地に縛られない経済圏が必ず生まれる。「分人経済」も「超空間経済」も言葉として定義したのは私が初めてだと思いますが、メタバースで暮らしている人たちは何となく感じていた概念ではないかと思います。 井上 「超空間経済」という考え方は、とても重要だと思います。というのも、斎藤幸平さんなどが提唱する「脱成長」というヴィジョンが最近注目されているからです。地球が物理的に有限であるがために無限の経済成長は不可能であるとか、経済成長するほどCO2の排出量が増えたり資源を使い果たしたりしてしまうので、成長をやめようといった主張です。しかし、「超空間経済」は、これまでの物理的な大量生産・大量消費の拡大とは違う成長の在り方を示している。 今後活発になるだろうメタバース内での経済活動は、新たに工業製品を作るものではありません。コンピュータやインターネットを使うためのエネルギー以外、他の資源を特に必要としないので、地球の資源や空間の有限性に囚われなくなる。脱成長というヴィジョンに対する、強力で分かりやすいカウンターとして、メタバースが提案できる気がします。 ねむ 私がひとつの章を使って経済について論じたのは、メタバースが発展するには、経済活動を行うための整備が不可欠だからです。人口がまだ少ないということもありますが、実際の取引はあまり行われていない。それでも長期的な視点で見れば、メタバースが既存の経済に大きな影響を及ぼすことは確実です。メタバースに入ったことがない人たちに、どうすればその革命性を伝えられるのか。そういうことを私なりに因数分解したのが、「分人経済」と「超空間経済」の概念です。 井上 メタバースの普及に懐疑的な意見もすでに出てきていて、「メタバースはオワコン」といった書き込みもネット上で散見されます。インターネットが普及し始めた一九九五年の頃、今ほどネットを介してコミュニケーションする社会が来るとは、みんな思っていなかった。二〇〇〇年頃、ノーベル経済学賞受賞者のクルーグマン教授は、インターネットの影響力はファックス並みにしかならないだろうと言っていました。でも、今そう思う人はいないでしょう。インターネットによるコミュニケーションの革命が起きたことは明らかで、多くの人々が現実世界と同等にSNSを使ってコミュニケーションするようになった。メタバースもSNSが辿ってきた道を同様に歩み、現在からは想像できないような発展をすると思います。メタバースに興味はあっても、どういうものなのか具体的には分かっていなかったのですが、今日、実際にメタバース空間にいるねむさんを見て、お話しして、こんなに面白い体験なのかととても驚いています。 ねむ そういう新鮮な反応をいただけると、とても嬉しいです。私を含め、こちらの住人は下手すると現実の肉体よりもアバターの姿で過ごすことが多い。日常になりすぎていて、メタバースの革命性がよく分からなくなっていたりするんです(笑) AIとは対極の技術体系/市場拡大について ねむ 現在の第三次AIブームやデジタル化は、機械学習や効率化という観点で進められてきました。それって、ひとつ成功したと思うんです。事実、私は普段テレワークで完全オンラインで働いている。けれど、ここまで技術が進歩してもアイデンティティやコミュニケーションなど、数字にできない人間的な部分はデジタル化できなかった。それを可能にするのがメタバースだと思います。メタバースはAIなどとは対極にある技術体系で、ここではオンラインにもかかわらず、人間らしい、言ってみれば極めて非効率的なコミュニケーションが行われている。恋愛のような、情緒的なやりとりが生まれているのが証拠です。 井上 私も、メタバースとAIは対極にあると思います。先ほど仰っていたライブ運営のように、メタバースによってより効率化できる部分も、もちろんある。でも、単に効率よく生産活動を行うというところからさらに進んで、贅沢を味わうというか……。上手い言葉がすぐに思いつかないのですが、メタバースは人生における余剰の部分をもっと増やす立ち位置にあるものなのかもしれませんね。この技術があとどれくらいで一般に普及していくか、その時私たちの生活にどんな革命をもたらすか。率直に、魅力的で今後の展開が気になります。 ねむ 今のメタバースにいるのは、きわめて強い意志を持った人たちです。私みたいに情報発信したい人もいれば、現実で肉体の性別や見た目にギャップを感じていてここで理想の姿になる人、可愛い3Dキャラクターの姿になりたい人……思いはそれぞれですが、みなさん何かの分野のスペシャリストで、凄い技術を持った方が多い。そういうコミュニティに入るだけでも十分面白いですが、現時点で普通の人たちがお金をかけてVRゴーグルなどを買って、この世界に来る確固とした理由があるか。本音を言えば、よく分からない。「なりたい自分になれる」と言われても、具体的にピンとくる人は少ないでしょう。いろんな革命的な概念を本の中で提唱したけれど、今はまだ、ほとんどの人には抽象的に映ると思っています。 だからザッカーバーグが言うほど、短期的にメタバース市場が急速に拡大するとは思えないんですよね。そして、web2.0を一五年かけて作ってきた彼自身が、誰よりもそのことを分かっている。株主の手前、リップサービスを言わなくてはならなかったのでしょうが、そんなに甘い世界ではないことを、ザッカーバーグが一番理解しているはずです。 井上 メタバースの住民であるねむさんのお話を聞いて、改めて普通の人が入るには少し敷居が高いんだなと思いました。同時に、時間はかかるけれどものすごい世界が来るというのは本を読んでも、その空間を見ていても強く感じます。 書籍では、BMI(脳と機械を繫ぐ技術)にまで言及されていました。BMIのような技術とメタバースの相性がいいというのは聞いたことがありました。やはりねむさんも、その点に目を付けられている。そういう話も含めてメタバースなのだとすれば、いずれ確実に現実を置き換えていくでしょう。視覚や聴覚だけでなく、五感のすべてに働きかけることができるようになるので。映画『マトリックス』のように、バーチャル空間で人々が暮らしていて、自分が現実にいるのかバーチャル空間にいるかが分からないくらいになる。それは、必ずしも悪いことではないのかもしれません。そうなれば重力や空間、資源の有限性に縛られた現実世界で頑張る必要はなくなる。『マトリックス』は現実世界で生きようとする話ですが、現実世界を捨てても悪くはないんじゃないかと思ってしまいます。 ねむ 多くの人がこの世界に来るには、機材のスペックもまだまだ進化が必要です。毎日被っている私が言うのもなんですが、普通の人が現在のVRヘッドセットを毎日被るのは辛いものがあると思います。でも、技術的なところは、ものすごい速さで開発が進んでいる。ヘッドセットの性能や重さ、VR酔いなどは五年もしないで解決すると考えています。 何より、一度メタバースに慣れてしまうと、現実の生活は不便すぎて戻れなくなる。たとえば仮想デスクトップは、本当に便利です。操作している私にしか見えないのですが、今、私の視界には複数のスクリーンが表示されていて、それを空間に浮かべて使っています。対談用のアイデアメモを表示している画面、正面に自分が写っている状態を確認するカメラ画面、その隣には音声を調整する画面……タブレット端末がいくつも浮かんでいるようなイメージです。これが本当に実用的な機能なんですよ。現実世界で、スマホの小さな画面で頑張っていたことが不思議に思えてしまいます。 富の象徴の行方/地域間格差を解消する唯一の手段 ねむ 将来的に多くの人がメタバースに住むようになれば、大半は五万円の安価なVRゴーグルなんて使わなくなる。住民にとっては毎日使うツールなので、絶対にいいものが欲しくなるんです。安いスマホが出ても最新機種のハイエンドのiPhone を求めるよに、生活に根差したツールになった時点で娯楽品から生活必需品に格上げされる。私が使っているのはPC含めフルセットで約五〇万円ですが、住宅や土地、車の値段と比べると信じられないくらい安い。そういう意味でも、この変化は人類にとって不可逆的だと感じます。ただ、その山を超えるのはどのタイミングなのか。いろんな意見がありますが、私自身はそんなに早く来なくてもいいかと思っています。 井上 今のところ、お金持ちが富の象徴として買うのは高級車だったり豪邸だったりする。でもバーチャル空間で生活する場合、豪邸に住む必要は全くないわけですよね。いくらでも広い場所に無料で住める。リアルの家は狭くてもかまわないし、高い車に乗って出かける必要もないので、お金を稼ぐ必要性自体が揺らぎそうです。経済の在り方そのものが、抜本的に変わっていく。メタバース経済圏ですぐに思いつくお金の使い道は、アバターやワールド、服のデザインなどでしょうか。データなので素材のお金はかからなくなるけれど、いいデザインにお金を払う点は今と変わらないか、もっと拡大しそうです。希望するアバターの姿やメタバース空間で着用する可愛い服を求める欲はあるでしょうから、デザイナーの仕事は需要が高まりそうです。 ねむ 確かに、富の象徴みたいなものはどうなっていくのかな……。あまり考えていなかったテーマなので、興味深いです。ここにいると、いろんな国の人に会えて、みんなが可愛いと言ってくれて、なりたい姿になれる。小さな幸せで満足するようになるかもしれないので、お金を稼ぐモチベーションをどこに見出すかは難しい問いです。ただ、アバター、服、空間を求める欲求は現実よりも激しくなる。その分、「3Dクリエイター」は需要が伸びます。メタバース時代の主要産業になるといっても、過言ではないかもしれません。 井上 近代になってから、どこの国でも大都市に住んでいる方がいろんな面で有利になる社会になってしまいました。現在のような知識社会になって、その動きは加速しています。集積のメリットと言って、人が多くいる都市の方が情報交換の場が生まれやすいからです。オンラインですべて解決できるなら、IT企業がシアトルやシリコンバレーに集まる必要はない。けれど、実際は集まっています。優れたイノベーター同士が集まり濃密な情報交換がなされ、アイデアがくっつくことで新しいビジネスが生まれているのが現状です。 コロナ禍によってオンラインミーティングが増加した今でも、集積のメリットはそれほど解消されていません。地方によっては観光資源が潤沢で優位なところもあります。でも、観光資源がないところはどれほど村おこし・町おこしをしようと、東京のような大都市と張り合うのが難しい構図になってしまっている。この格差は縮めようがないと思っていたのですが、メタバース空間で飲み会など含めたライトで濃密なコミュニケーションが可能になるのであれば、話は違ってきます。都市よりも家賃の安い地方に住んだ方がいいと多くの人が考えるようになれば、都市部と地方の地域間格差は解消される。そのほとんど唯一の手段が、メタバースなのだと思います。 ねむ 場所に縛られず現実同等のコミュニケーションができる点を踏まえても、メタバースのテクノロジーは人の分散化を進める方向に働く気がします。ある程度広くてネット回線が強く、防音機能が充実している部屋がたくさんあるアパートを地域創生として建てると、もしかしたらメタバースの住人が集まるかもしれない。ヘッドセットをつけた人間がたくさん住んでいる建物を想像すると、ディストピアっぽいですが(笑)。ありえない話ではなくて、実はVTuber向けのマンションはすでに存在しています。いわば「VTuber版ときわ荘」です。でも、それもやっぱり東京なんですよね。「ときわ荘」を地方に作れば解決する気もしますが、ちょっと考えどころでしょう。 すでにメタバースを地方創生の一端として使っている自治体もたくさんあります。私がお手伝いしたさっぽろ雪まつりの公認イベント「バーチャル雪まつり2021」は、その一つですね。 井上 空間をデザインできるというのは、大きな強みです。現実と全く同じ空間を仮想空間に作るデジタルツイン、ミラーシティなどは、今後さらに発展していく技術でしょう。ねむさんの本を読むまでは、「ヴァーチャルシンガポール」のような現実そっくりな街を仮想空間に作り、災害や感染症などのシミュレーションをする。学術的な使い方をするものとして捉えていました。でも、この技術は町おこしのような、もっと柔軟な使い方ができる。あまり深掘りして考えていませんでしたが、非常に可能性を秘めています。 体験をデザインする広告/NFTの誤った理解 ねむ 今のデジタルツインは、シミュレーションの内容を現実にフィードバックする使い方が主流です。そこにメタバースの技術を応用すれば、現実のおまけだった仮想空間をコミュニケーションの場と捉えることができる。現実と仮想空間が、相互に補完し合う関係になれるはずです。 仮想空間の都市に行くと実感できますが、メタバースは現実とかけ離れているように見えて、そうではなかったりします。渋谷駅に行った際、多くの人はハチ公前に向かいますよね。渋谷駅をそっくり再現した仮想空間の渋谷でも、皆さん面白いくらい同じ動きをするんです。雰囲気や音、群衆の動きに人間は思っている以上に左右される。キャラクター性の強い渋谷や秋葉原、博多などは場所のイメージが頭に入っている方も多い。だからこそ、その期待をいい意味で裏切る形で、デザイナーは空間を作る必要がある。仮想世界最大のマーケットイベント「バーチャルマーケット」のワールドの一つだった秋葉原の駅前広場には、『エヴァンゲリオン』に登場する巨大な初号機が現れました。見上げない選択肢なんて、ないですよね。そういうものを活かせば、人の感情や行動を制御するための装置にもなる。超空間経済の重要な考え方です。 井上 初号機の巨大モデルは、『エヴァンゲリオン』の版権元である㈱カラーが広告として表示したものでしたよね。渋谷や秋葉原のような見慣れた街や風景が仮想空間にあるだけでも、私としては驚きです。さらに、そこに予期しない形で巨大な初号機像があると、非常に鮮烈な体験になる。現在のウェブ広告はトラップのように配置されていたり、無理に表示したりしていて好きではありません。でも、これからのデジタル広告は人の心を揺さぶるデザインが求められる。広告クリエイターの在り方もかなり変わってきて、今以上に創造性を必要とする職業になりそうです。 ねむ 初号機がファンタジックな空間にあっても、全然面白くない。秋葉原という現実の街のメンタルモデルがあって、その予想が裏切られるから面白いんです。 WEBサイトの広告は、クリック率が1パーセントあればものすごくいい方です。でも、初号機なんて訪れた全員が足を止めて見上げていた。広告効果の次元を超えています。メタバースの三次元広告は、体験そのものをデザインできます。ただ置いているだけの広告なんて、意味を持たない。入ってきた人を、いかに感動させるか。心をデザインする、神様みたいな次元のクリエイティブが求められる。これからの広告は、空間の中での心の動きをどうデザインするかという、学問的な要素を持った産業になるはずです。 私は、メタバースを人類史的な視点で見ています。五年後か五〇年後か一〇〇年後か分からないけれど、どこかのタイミングでメタバースが普及するのは間違いない。その時、どういう文化や社会が訪れるのか。今のところ、メタバースは投資関連で注目されがちですが、私はそこから少し距離を置いています。 井上 メタバースにおける土地の売買に関して、懐疑的な姿勢であると本の中でも仰っていましたね。ブロックチェーン上の一意性が保証されたデジタルデータである「NFT」がメタバース内で利用されることのメリット/デメリットを語られていたと思います。 ねむ メタバースとNFT技術は、無理やり一緒に語られがちです。Vtuberとして、最初期にNFTを発行・販売した私から見ても、その技術自体は非常に便利です。けれど、近頃はマーケティングが過剰になりすぎている。NFTと紐づけてもコピーができなくなるわけではないのに、「NFTを使えば複製は不可」と誤った報道がされています。 NFTを使用すればメタバースの「土地」を売買できるというのも、正確ではありません。一部のサービスにはそういうタイプもありますが、それではメタバースの一番いいところを潰してしまう。実際に使われているソーシャルVRに関していえば、「土地」や「土地の値段」といった概念は存在しません。無料で無限の空間が作れるので、土地を買う意味がないんです。今メタバースを名乗っているサービスで「土地」の投資総額が一番高いのは「The Sandbox」ですが、実はまだ正式にサービスインすらしていない。ユーザーは一人もいないのに、期待値だけで何億円もの投機がされている状況です。 メタバースが注目されたことで、あまり知らない人は「流行るなら土地を買わなきゃ!」と考えるのかもしれません。でも、住民からすればメタバースに土地の概念はない。「早くしないと高騰して買えなくなりますよ」と詐欺まがいのことを言っている人もいますが、やめていただきたいですね。買うなと言っているのではなく、お金が絡む話である以上きちんとした理解が必要です。 井上 NFTによってデジタルアート作品の所有権を独占できると勘違いしている人も多い。ですが法的な所有権が得られるわけではないし、NFTは複製を不可能にする技術でもない。にも関わらず、デジタルデータの複製可能性を否定するかのような使われ方が期待されています。デジタルデータは「限界費用ゼロ」(追加で作るのにお金がかからない)なので、いくらでもコピーができる。そこに優位性があるのに、コピーを作ることに制約を課したがっている人たちがいる。ちょっと転倒しているように思います。デジタルデータは物理的なモノのような有限性がありません。限りある資源や土地といった概念が存在しない。リアルな世界において、土地は有限だからこそ価値を持ちます。でも、メタバースにおける土地は本当に無限なんですよね。先ほど、ねむさんのいるワールドを見せてもらったことで改めて実感しました。無限である土地の値段にはあまり意味がないので固執する必要も、その無限性をわざわざ否定する必要もないはずです。 ねむ NFTはある種の「お墨付き」みたいなものです。「このアーティストのNFTを、私は初めて買った。だから私は彼に貢献しているし、真っ先に注目した一人だ」。そんな物語をブロックチェーン上に残し、繫がりを強化するために使うのが正しい使い方だと思います。 メタバースが投資目的として注目されるのは、仕方がない面もあります。でも、メタバースに興味を持って私の本を手に取ってくれた人には、住民の目線から見た真実に辿り着く手段を残しておきたかった。これが本を書いた一番の目的です。今のメタバースはまだプロローグみたいなものですが、近いうちに経済活動ができるようになる。そうすれば多くの人がこの世界で普通に生き、いろんな体験をするようになります。私は、これから進みそうな方向や可能性を示したに過ぎません。この先メタバースがどう発展し、現実にどんな影響を与えるのか。本書で提示した、住民としての実体験や調査データなど現在のメタバースの事実を踏まえ、今後の可能性を井上さんをはじめとする各分野の専門家の方々に論じていただけたら、住民の一人としてとても嬉しいです。(おわり) ★バーチャル美少女ねむ=メタバース原住民にしてメタバース文化エバンジェリスト・個人系VTuber。オリジナル曲『ココロコスプレ』で歌手デビュー。 ★いのうえ・ともひろ=駒澤大学経済学部准教授・マクロ経済学。著書に『人工知能と経済の未来』『純粋機械化経済』『MMT』など。