――地に足のつかないリアリズム/「いま・ここ」に在る質量感―― 文芸〈8月〉 栗原悠 石田夏穂「黄金比の縁」、遠野遥「浮遊」、田中兆子「サイレン」 三月の時評で取り上げて間もないが、石田夏穂は速筋的な創作力の持ち主なのだろう。早くも新作に接する機会を得た。 さて、備蓄用タンク会社の施工部というマッチョな職場を舞台にした前作「ケチる貴方」に続き、今作「黄金比の縁」(『すばる』)もまたKエンジニアリングという男女比が極端な企業に勤める女性社員・小野が主人公だ。研究者志望で優秀な理系学生だった彼女は、もともと社の花形・プロセス部に配属されていた。だが、ある時突然人事部へと飛ばされてしまう。きっかけは、お役所の人間の前で露出が多い自社の女性キャラのチャットボットを見せてしまったことに端を発する炎上騒ぎで、ナンセンスにもことの責任を負わされた彼女は「会社の不利益になる人間」を入社させることに心血を注いでいく。そして辿り着いた公式が、少しでも自己都合退職を選ぶ可能性が高い=均整が取れた顔の学生を周囲にそうと気取られないよう採用リストにねじ込むことであった。身も蓋もない、いわゆる顔採用の擁護ながらこの決断に力を感じてしまうのは、一方で会社の取り繕いに過ぎない男女採用比目標などを目のあたりにさせられるからだろう。ホモソーシャルな空間に精密機器のように適合しようとしながら、勢い余ってその人間的な歪さをリバースエンジニアリングしてしまう女性を描いてきた石田だが、今回は企業の新卒採用人事というこれまた曖昧なシステムを解き明かしていく。 結果的に全回追う形となったが、古谷田奈月「フィールダー」にもふれておこう。最終回では、作中のオンラインゲーム『リンドグランド』のプレーヤーたちと黒岩文子とのやりとりが橘の人生を通して交差していく。ここまでに散りばめられていたモチーフが一つひとつ繫がっていくところにはやはり著者の構成力を感じたが、一方で自らのロールを見定め、地(フィールド)を踏みしめていくために丁寧に描き上げてきたメタバース的な想像力による世界を擲(なげう)ってしまっているようにも見えた。 一方、遠野遥「浮遊」(『文藝』)は同じくゲームを扱いながら古谷田とは対照的な志向として読めた。女子高生のふうかは、歳の離れた会社経営者と交際している。収入も多く、性格も温厚、料理も手際良くこなす彼だが、ほとんど入り浸っているその家でふうかがプレイするホラーゲームの世界は、次第に現実へと重なって見えてくる。(結末に不穏さが漂うものの)普通であれば解消されてほしいはずの不気味な生の感覚が別段問われることもなく、ふわふわした生活が続いていくところが遠野のユニークさであろう。評者自身はほとんどゲームをしないのだが、そうした地に足のつかない感覚こそ現在の新しいリアリズムなのかも知れない。日本の小説界において「いま・ここ」という時空間の制限から自由な語りの試行は、既に少し前から顕著に増えてきたとは言え、ここにきてテクノロジカルな裏書きを得たようだ。 その意味で、上田岳弘の「2020」(『新潮』)はまさにあらゆる時代・場所に在る「最後の人間」a.k.a.Genius lulが、アイロニーを交えつつ饒舌に語る黙示録のような戯曲だと言えよう。「石原莞爾」や「肉の海」といった旧作から繰り返されるモチーフもあって、上田の諸テクストはある意味で一つのプログラムを延々と書き換えていく試行とも思えてくる。ユビキタスという言葉は死語となって久しいが、そこには一貫して物理的な存在の彼岸が見据えられている。「2020」はまさに本稿執筆中に上演されており、この思弁が俳優の身体を伴って語られるとき、どう見えるのか考えてみたい。 今月はそんな現代的身体性の問題をめぐる小説が多くあったこともあり、『群像』の「初夏短篇特集」では、脳卒中で半身不随になった米田という男性に内的焦点化した田中兆子「サイレン」に目がとまった。子供の頃から米田の生活リズムを律してきたサイレンの響きが、妻の助けなくしてはままならない現在の身体に反響する。むしろ「いま・ここ」に在るたしかな質量感こそが小説の賭け金となっている。 最後に全く趣の異なる絲山秋子の黒蟹県シリーズの新作「なんだかわからん木」(『文學界』)にふれておこう。これは同県の会社に務める五〇代女性・十和島絵衣子の実家の庭に生えてきてしまった謎の植物をめぐる短篇だが、植物の正体はこの際どうでもよく、その無名性に触発されながら彼女の思考が根を張るように広がっていくところが面白い。 さて、先月は西村賢太の追悼特集にふれたが、今月の『文藝』でも金原ひとみ責任編集の「特集 私小説」が組まれた。日本における「私小説」というタームはおよそ一〇〇年前に現れ、今日までさまざまに論じられてきた。そうした背景を踏まえたうえで今回の特集を面白く思ったのは、多くの論がそれを自らとフィクションとの距離のあり方に論及するための奇貨として、非歴史的な感覚のなかで捉えている点だった。これと並行するように研究上も関心が高まっていることを感じるので今後の動向を注視していきたい。(くりはら・ゆたか=早稲田大学国際文学館助教・日本文学)