――奇縁、無関係なもの同士の想像的な結びつき―― 文芸〈9月〉 栗原悠 高山羽根子「パレードのシステム」/辻原登「偶然の本質」 佐藤卓己『八月十五日の神話』という本がある。そこでは、戦後のさまざまなメディアイベントによって「八月十五日」が終戦記念日として神話化されていく経緯が論じられているのだが、メディアにおける毎年八月の「戦争の記憶」言説の氾濫は、日本に住む者であれば誰もが体感していることだ。今月の『群像』のメイン特集もまたそうした論潮と並行した企画だが、そのタイトルは「戦争の記憶、現在」と、八〇年近い懸隔を飛び越えて「記憶」と「現在」が読点を挟みながら等価に並置されているようにも取れる。無論、この「現在」にはまずもってウクライナ情勢などが念頭にある。しかし、現在の遠い土地の戦争にせよ、いわゆる「先の戦争」にせよ、それらに縁遠い(・・・)(と考えている)現在の日本の人々がいかにして関係を取り結ぶことが出来るのだろうか。 特集に寄せられた創作の一つ、高山羽根子「パレードのシステム」は、まさにそうした問いへの応答としてある。本作は、美大を中退した「私」が戦前の台湾に生まれたという祖父の自死を契機に、その生地を訪れる話である。もっとも、この要約は間違いではないにせよ、正確とも言えない。実のところ、この旅は、「私」の元アルバイト先の台湾人同僚・梅さんに彼女の父親の葬儀への参加を誘われたがゆえのものだった。そして、梅さんは「私」の旅を「おじいちゃんや私のルーツを探すため」だと信じて配慮してくれる反面、「私のほうは自分のおじいちゃんについて何を知りたいのかさえわからない」、ぼんやりとした目的のものだったからだ。しかし、日本とは対照的に祝祭のように賑々しい台湾の葬式を機縁として「私」の「記憶の、背景の中に立つひとり」に過ぎなかった祖父の印象は変容していく。それは、一方で祖父の死とは全く無縁と思っていた大学の友人・カスミの自死の感触とも重なりながら、死が生に対する過去=歴史として後景に追いやられていくのではなく、それらがないまぜに現前させられる思考への転回ともなっている。ここではむしろ無関係なもの同士の想像的な結びつきにこそ過去を「思う」ことの可能性が託されているのではないか。ついでに述べれば、同じ特集に並ぶ松浦寿輝「香港陥落――SideB」は、日中戦争を背景とした大作『名誉と恍惚』のスピンオフとも言うべき一作だが、これもまた戦後という時代から往時を思い出す困難さに直面している。そういう特集と言ってしまえばそれまでだが、高山のそれと対をなしているようにも読めた。 しかし戦争とは全く関係がないものの、「パレードのシステム」の次に取り上げるべきは辻原登「偶然の本質」(『すばる』)だろう。なぜならば「私」の元担当編集者Kさんが「一九九〇年代初めに起きたある事件(・・・・)」について知った「思い掛けない事実(・・・・・・・・)」(いずれも傍点原文)のメモを縁(よすが)として起稿された本作もまた、語りのいささか誇大妄想じみた感のある連想に次ぐ連想が物語を駆動させていく小説であるからだ。さまざまなプレテクスト(たとえば、辻原の近作『隠し女小春』も結末に重要な役割を果たす)を併呑しながら、荒唐無稽な話が展開されるにもかかわらず、読後にはそういう必然性によって語られていたのだとさえ思えてしまう透明な文体。それはたとえば、三遊亭円朝の世に知られざる落語が発見されたことから始まる『円朝芝居噺 夫婦幽霊』などに代表される辻原小説の真髄だったと思うが、今回は高山のそれと奇縁を結んでおり、思わず二つを重ね見ながら読んだ。 さて、やや強引だが円朝を話に出したよしみで、『文學界』の特集「声と文学」にふれておこう。ここには創作として「口述筆記」というジャンルが設定されているのだ。しかし、四つのテクストを読み、よもや田鎖式速記で起こされたわけではないだろうが、今日の「口述筆記」とは何の目的によって書かれるのか、あるいは「口述筆記」を謳うことにいかなる意味があるのかを考えさせられた。とりわけ、戌井昭人「たくあん亭ダンボール」はタイトルからも察せられるように、噺家調の「わたし」による敬体の語りで書かれており、いかにも落語を意識している感が強い。また、怪しげな化学調味料たっぷりのたくあんの訪問販売で財を成したのちに橋の下のダンボールハウス生活に至る男の珍妙な半生に、サゲまで付けた内容もそうした印象をなお強くするが、「口述筆記」という縁取りを外した時にいったいそれを普通の散文と峻別するものは何なのか。評者にはその点がいまひとつ摑みきれなかった。 最後に六月号に続き、読切の創作を載せていない『新潮』で、ちょうど完結を迎えた中森明夫の長期連載「TRY48」にふれておきたい。現代まで存えた寺山修司がアイドルをプロデュースしたら、という突飛な想像力によって起筆された本作は、寺山という創作者がそうあったように、膨大なことばを取り込みながら最後まで自ら小説の外縁を押し広げるような創意に満ちていた。(くりはら・ゆたか=早稲田大学国際文学館助教・日本文学)