「ほえない番犬」は誰からも支持されない 論潮〈10月〉 中村葉子 もう永らく選挙で一票を投じたい政党がない。政権与党やネオリベ政党に入れるよりかは幾分マシか、と思って仕方がないから左派政党に投票するわけだが、心の底から希望を持てる党がない。もちろん主義主張は賛同できるものもあって、頑張って欲しい候補者もいる。しかし、左派勢力が大きなうねりとなって既存の資本主義システムを抜本から作り替えていくような強力な党が現れていないのが現状だろう。日本の左派政党の行く末ははたしていかなるものか、論壇誌上では様々な意見が飛び交っている。 先の衆院選挙と参院選挙で自民・公明は予想通り過半数を獲得し、野党第一党の立憲は存在感を示せず、日本維新の会が第三極として票を集めた。立憲が敗北を期して以来その身の処し方について、時には一部メディアや世論から「野党は批判ばかり」との批判を受けて「提案型政党」を打ち出してみたものの、それが仇で「権力を批判しない野党は、ほえない番犬」であると揶揄される。なぜなら一つに権力監視機能を担いきれていないこと、二つに個別法案に提案型で細かに修正を出したところで、結局は与党との妥協案でしかなく、野党としての大きなビジョンをアピールできていないことがあげられる(山内康一「ほえない番犬になった 「野党は批判ばかり」を恐れた立憲の失敗」『毎日新聞』デジタル版、九月十二日)。 現状として、左派政党の支持率が上がらない理由を吉田徹は日本の有権者の右傾化に見るのではなく、政党の政策実行能力を人々がシビアに判断しているからだと説く。野党がいかなる価値を提供できるのか、その遂行能力に応じて支持率もまた高低するという見方だ(「「野党の役割」とは何か」『世界』六月号)。その点で言えば日本維新の会の支持率の高さは、離合集散を繰り返す左派政党に比べ、長期間「大阪で府政と市政を担当してタフで安定しているように見える」がゆえに、維新が非自民の中道票の受け皿となっている部分があるともいわれる(杉田敦「リベラル政党の「可能性」と「不可能性」」『世界』六月号)。しかし実際はネオリベ・ネオコンなのでリベラル層の中道から左派よりの有権者は、投票率の低さを見れば分かる通り、多くは棄権していることになる。これは見方を変えれば、求心力のあるリベラル左派政党が登場すれば、中道から左派にかけて「自民党に拮抗する位の空白地帯」が広がっているともいえる(齋藤純一「リベラル政党の「可能性」と「不可能性」」同書)ただしその路線でいえばすでに岸田政権が少なくとも社会政策(再分配)において中道化をうちだしていることから、立憲はじめ、左派政党の意義を薄めている要因でもある。 それでも「空白地帯」の期待に答えるならばいかなる道筋があるか。いわゆる世界的な潮流としてのリベラルはどのような政策を打ち出してきたのか。それは社会の格差を是正し再分配を強調する平等主義、文化的には多様な価値を認めるといった政策をとってきたとまとめることができよう。ここで言う平等主義はアダム・スミスの古典的自由主義に見られるように身分や出自に関わりなく全ての個人が自由に生きる道を選択し、それを追求するためには、貧困や教育で出遅れることのないよう、国家によって公正な機会の平等(財の分配)が制度的に担保されていなければならない。個人の自由は機会の平等とセットで考えられてきたわけだ(田中拓道『リベラルとは何か』中央公論新社、二〇二一年)。 こうしたリベラルの平等主義は、アメリカのニューディール政策における、「大きな政府」主導の失業対策、教育の機会均等、公共投資、社会保障などが典型である。日本の文脈でこうした政策を見てみると、もともと平等主義は弱かったと前述の杉田、齋藤両氏は述べている。日本は教育の機会均等に関しても公的支出は一貫して低く、あるいは文化的多様性の面においても戦後の社会民主主義の革新勢力は本腰を入れてこなかったとされる(齋藤)。一方で戦争への反省から憲法九条を主軸に平和路線を打ち出してきた。が、ここにきて他国のリベラルと比較して、欧米の左派が生産様式や消費行動のあり方(生き方そのもの)をエコと結びつけて支持基盤を形成しているのに対して、日本のリベラルはその部分がまるで弱いとされる(杉田)。 宇野重規と中北浩爾の対談「野党再生に足りないイズムと強さ」(『中央公論』十月号)では日本でいう左派リベラル政策を担ってきたのは、戦後の革新政党であるとした上で、次のように革新政党の行きづまりを指摘する。今の野党の支持基盤は五〇歳以上で彼らの重要な論点は憲法と安全保障であるが、五〇歳未満の人にとっては、それより格差や生活、雇用をどう守っていくか、社会経済政策による再配分の問題に関心がある。さらにはグローバル社会の中で格差が拡大し、「古典的な生産・流通・分配のメカニズム」への注目も高まっている。その上で現代的なマルクスの読み方として、「マルクスによる所有権の批判を、正義や公正、コモンズ的な考えといかに結びつけるかが重要」であるという(宇野)。東京都杉並区長選で当選した岸本聡子は、もともと環境NGOの活動家であり、水道の再公営化によって水道料金の値下げを実現させたフランスの事例を研究してきた人物である。今度の選挙では公共サービスの公営化、区営住宅の拡充、コモンズとしての公園を住民自治によって再生させることを掲げており、今後の政策が注目されている(岸本聡子「民主主義と自治の再生へ」『世界』十月号)。 世界的に左派政党は右翼ポピュリズムの台頭と並行してはいるが、支持を集めている。フランスでは左派連合が躍進し、なかでも反グローバリゼーション運動から生まれた急進左派「不屈のフランス」のメランションが左派の間の力関係で大きく逆転した。旧来の社民は、戦後の二大政党の一翼を担ってきたにもかかわらず、ネオリベ路線を歩んできたがゆえにブルーカラーを失うなど、自らの支持基盤を掘り崩す結果となった(菊池恵介「新自由主義の覇権の終焉」『世界』十月号)日本の立憲も社民と同じような道を辿るのか、今後の方向性を見定める良い事例である。 ラテンアメリカでは九〇年代以降現在までに、反グローバリゼーション、ネオリベ政策を批判する政権が多く誕生してきている。それは「ピンクタイド(ピンクの波)」と呼ばれる(急進的な思想、共産主義の隠語としての「真っ赤」ではなくそれよりも「穏健」だと言う意味で「ピンク」なのである)。左派政権は貧困や格差の解消に加えて、気候変動問題に取り組み、多様なアイデンティティーを尊重する姿勢が強い。この左派の政策の基盤にはインカ、アステカ、アマゾン熱帯雨林に住む先住民の末裔たちの暮らし、とくに搾取なき関係、自然破壊とはならない農耕や狩猟採集文化が反映されている(宮地隆廣「「ピンクタイド」は今どこへ」『中央公論』十月号)。なかでもコロンビアの先住民が住む太平洋地域はその資源の宝庫さゆえにかくも長きにわたって植民地化され、採掘主義経済による開発と、麻薬産業による略奪と排除、国内紛争の集中地域であった。多くのアフロ系先住民はそれゆえに虐げられてきた。しかし新政権で史上はじめて副大統領となったアフロ系黒人女性はこの太平洋地域の社会運動のリーダーであることから、尊厳ある生活のために政府が向き合うことを期待させるものとなっていると評価される(幡谷則子「左派政権誕生のコロンビア」『世界』十月号)。このような左派政権の誕生の背景には、地域固有の切迫した状況と運動実践があり活動家が生まれ、政党政治へと反映されていく過程がある。 これからの日本において、左派政党はマイノリティの人々の要求から乖離せずにそれらを汲み上げていくことができるか、また旧来の思想を刷新するほどの先見の明を持つことができるかなど、大きな岐路に直面していると言えるだろう。(なかむら・ようこ=大阪公立大学客員研究員・社会学)