――「私」「非私」の対比、「誰か」によって推移する物語――文芸〈1月〉 山﨑修平 木村紅美「夜のだれかの岸辺」、井戸川射子「共に明るい」 木村紅美「夜のだれかの岸辺」(『群像』)が抜群に良かった。幼いフキちゃんが身売りされた話を回想するソヨミさんという人物を通した、「私」の内的変化の表し方が特に良い。ここにいない人、つまり会うことが叶わないという感情はやがて、ここにいる人、つまり他の誰かに出会っている/出会ってしまっているという現実に対して意味を付してゆく。欲望を抱く/抱かれる、あるいは欲求そのものという生の根幹にあたる部分への批評的観点による正面突破を試みた力作である。「自分の幸福は、つねにだれかを知らずに踏みつけたうえで出来あがっているんじゃないか」という言葉は、作中の核と言えるだろう。この言葉への答えは、単純明快に負い目などと片付けられるものではなく、幾世代、幾年にも亘る地層のような記憶に宿っている。このリフレインしてゆく記憶と、頻出するタルコフスキーなどの映像(つまり記録されているもの)が合わさり、豊饒な喩として機能してゆく様には、目を見張るものがある。 井戸川射子「共に明るい」(同)は掌編。一人称視点による三人称描写のような奇妙な立体感のある文体における「誰か」によって、物語は推移してゆく。この私事のような、他人事のような、どちらともつかないあわいを描くことに関して、作者は他の同年代作家の追随を許さないものにしつつあると考える。自然の光、あるいは光線というあまねく公平に注がれてあてがわれるものへの着眼は、人間それぞれへの、そしてその人間の関係性というグラデーションを引き立てる。レントゲンによって患部をつまびらかにするように、光線によって人間が透過されてゆくのである。著者である井戸川射子は『現代詩手帖』一月号から新連載詩をスタートさせた。この連載詩から、あるいは既刊の詩集を読み解くことによって、小説の旨みのようなものがより味わえることだろう。評者も全ての井戸川作品を批評対象として論を深めてゆきたい。現時点では、井戸川作品における「私」「非私」というものの対比が一つのキーワードになると考えている。 王谷晶「君の六月は凍る」(『小説トリッパー』)は、緊張が持続した文体で終わりまで駆け抜けるように読者を惹きつける。「わたし」から「君」への語らいによる形式は、同時に読者への情報開示として少しずつ開陳されてゆく。読者は明かされてゆく事象に対して、「わたし」と「君」との間を繫ぎ合わせるべきパズルを埋めるようにして誌面を捲ってゆく。作中の「三十年」という年月は、記憶から日常的なディテールが削がれて、しかしながら非日常的な「事件」へのディテールは鮮明に焼き付け刻みつけたままでいる時間だったのだろう。絶妙な時間の流れである。最終段における、謂わば謎解きで言うならば解にあたる部分が出たあとでも緊張感が持続しているのは、決して結末が暗澹たる様相を呈しているがゆえではなく、登場人物それぞれの、小説には書き表してはいない時の流れに思いを馳せるだけの余白を、作者が構築しているためである。 山家望「紙の山羊」(『文學界』)は、ゆったりとした描写による、紙幅をたっぷりと使った鷹揚な文体であるのに、どこか追い立てられるような気になってゆく、不思議な磁場のある小説だった。一つには、「私」が徹底的にディテールにこだわっていることがある。「デスクまで六歩で行ける。剃刀を置いてから書類を退けるまで二コールあれば十分だろう。合計三コールで受話器を受け取ることができる」という箇所など、「私」の細やかな性質を端的に表しており、行政書士という職業に就いていることの説得力を高めていると言えるだろう。住宅間でのトラブルや、専門用語の解説等は、むしろ「私」と「私」を取り巻く人々への意匠として読んだ。 千木良悠子の批評「橋本治と戦争」(同)は、今、「今後まだまだ読み直されていく必要がある」橋本治の作品について何としても書かなければならないという、挑戦的かつ挑発的な思いが文から滲み出ていて、一気に読んだ。論の末尾にある「橋本治の小説は、前近代は前近代に、近代は近代に、過去の思想を選り分けてあるべき所に収め直す」という箇所は、作者の橋本治論への視座を結論づけた言であることに留まらず、文学批評と名の付くすべてを射程に収め、提示している。一人の作者の論から、文学や文学批評という大きなものへと、問題意識が収斂することなくむしろ拡散してゆく点に信頼を置きたい。 『新潮』は、全集にも収録されていない新資料である「盗まれた一萬円」を掲載。埋もれていた作品を発掘し俎上にあげることは、坂口安吾研究のみならず、文学が、過去の記憶を紡ぎ繫いできたように重要なことである。 『すばる』は、青山七恵の新連載「記念日」が始まった。注視してゆきたい。 『文藝』の増刊である「スピン」は早くも二号。さながら上質なオードブルのように、様々な作家の作品を選り取りみどり掲載している。こちらも目が離せない。 ★やまざき・しゅうへい=詩人・文芸評論家。初小説『テーゲベックのきれいな香り』を2022年末刊行。ほか著書に、詩集『ダンスする食う寝る』(歴程新鋭賞)、『ロックンロールは死んだらしいよ』(中原中也賞候補・小熊秀雄賞候補)など。