岡﨑乾二郎作品撤去騒動をめぐって 論潮〈2月〉 森脇透青 美術関係者以外にとってはどうでもいいかもしれないが、この一月、立川市である「闘争」が展開された。日本における「パブリック・アート」史に名を刻むファーレ立川――砂川闘争で知られる米軍立川飛行場の跡地を開発して一九九四年誕生した区域――内、高島屋立川店の裏手に所在する岡﨑乾二郎の作品が、高島屋のリニューアルに伴って撤去されるという計画が浮上したのである。岡﨑は昨年六月に自身のサイトで通達の経緯を明らかにしており、美術評論家連盟は先月一二日、立川市長および土地を所有する高島屋に対して抗議する要望書を提出した。要望書は岡﨑作品の都市彫刻としての意義と機能を主張し、それを「文化遺産」さらには立川市民の「精神的基盤」であるとしている。これが功を奏したのか一月一九日、撤去計画は撤廃、岡﨑作品の保存が決定した。 一連の流れは「美術手帖」web版の記事および福永信の文章(「ファーレ立川の岡﨑乾二郎作品撤去とパブリックアートの未来」『群像』二〇二三年一月号)で確認できる。パブリック・アートの公共性が資本に「勝利」した、とも言える出来事だろう。ところで、あまり知られていないが、砂川闘争の資料を展示する砂川学習館(立川市)についてもまた同様の出来事が同時期に起きている。立川市はかねてより学習館の規模を縮小し「政治色の強い」実物展示を取りやめる方針を示していたが、市民団体が闘争の記憶と文化を守れと声をあげ要望書を提出、これを受けて立川市は昨年十二月、展示維持に方針転換したのである(毎日新聞が報道)。 立川市で起きたこのふたつの出来事は、起きた時期もその展開も、要望書の内容まで似ている。だが、学習館の資料保存と、岡﨑作品の保護のあいだには論理的にも歴史的にも差異がある。そもそも六〇年安保闘争に先駆けた砂川闘争(飛行場拡張反対)の主張は「先祖から受け継いだ土地を米軍に引き渡すな」というものであり、良くも悪しくも反米・日本民族独立のナショナリズム路線によって動機づけられていた。学習館に展示された「記憶」はこの痕跡である。これに対し、ファーレ立川という公共空間はむしろ「基地の街」立川の一部を再開発し、危険なイメージを払拭し、政治性と歴史性を脱色(ジェントリフィケーション)する仕方で成立している。この公共空間は、土地の「記憶」を切断し、街路を管理統制する仕方で成立したのである。小田原のどかは、二〇一九年の「美術手帖」web版の記事「公共彫刻から芸術祭へ」でこの功罪をすでに論じている。 ファーレ立川事業をディレクションした北川フラムは、「機能(フアンクシヨン)を美術(フイクシヨン)に」というスローガンを掲げた。岡﨑作品は、そのファーレ立川全体の方向性の核心と言ってよい。高島屋裏地下駐輪場の換気口に設置されたこのカラフルな柵は、換気口への侵入をふせぎ、歩行者を誘導する動線として「機能」している。一方、動植物以外は誰も立ち入れないその柵と生垣には象徴的な意味も付与されており、「ほんとうの公共的な領域」、「誰にも占拠されない、誰の土地でもない空白」(岡﨑のサイトより)として構想されている。この意匠には「土地の所有権」をめぐる闘争であった砂川闘争の文脈を踏まえつつ、それを未来の「所有なき公共空間」へと換骨奪胎する戦略が込められていよう。ファーレ立川そのものがそうであるように、その「空白」化は、政治性と歴史性とを表象空間のなかでシンボル化し、ナショナリズムの痕跡を中性化することで成り立っている。したがって岡﨑が自身の作品について「立川という激しい歴史を持つ土地で、訪れる歴史の渦にもまれながらも生きぬいていくだろう」と解説するとき、ここに自身の作品を歴史の生成から逃れさせ、象徴という「楽園」(「イーデーの山」)のなかで生き延びさせようとする潔癖と否認を見てとったとしても過剰な解釈ではない。だが「訪れる歴史の渦」は、象徴の領域をきわめて具体的に(・・・・・・・・)汚染しながら拡大する残酷さと暴力性を持っている。夏蜜柑の樹を窮屈そうに押し込めているその柵のなか(小鳥はいなかった)、その生垣に、まばらに捨てられている吸い殻を私は見た(むろん「公共」の街路は禁煙である)。このようにして、公共空間という「聖域」はつねに「汚染」されている。 岡﨑作品は将来の開発をも予測して設計されたようだが、その美術(フイクシヨン)が都市の機能(フアンクシヨン)を担っている以上、機能(フアンクシヨン)の変化に応じて美術(フイクシヨン)が解体される可能性はつねにある(岡﨑はこのこと自体を否定はしないだろう。今回の問題はあくまで高島屋の独断だった)。とはいえ、美評連に反対したいのではない。ここで私が気になったのはむしろ、公共空間そのものの原理的な可能性である。砂川闘争が良くも悪しくも具体的な土地に根ざしたのに対して、公共空間の保持は抽象的な「文化」や「精神」にしか依拠できない。資本主義の下では、いかなる所有からも逃れた聖域としての公共空間は(自治空間でも持たないかぎり)抽象的理念あるいは象徴としてしか存在しえない。岡﨑作品は所有者・制作者・プランナーの共同によって維持管理され、その権力関係こそがパブリック・アートの「公共(パブリツク)」を担保してきた。しかし今回高島屋の愚行とプランナーの迎合が露呈させたように、この緊張が崩れれば作品は「所有物」となり、「空白」はかき消える。 公共空間は、その「所有」につねに左右されざるをえない。この脆弱さのゆえに、「公共」と「私的所有」をめぐる同じような問題が、今後何度でも起き続けるだろう。公共空間がナショナリズムを切断する仕方で成立するのにもかかわらず、そのリベラルな空間を維持しようとする私たちは、結局、文化保護とか「精神的基盤」とかいう、ナショナリズムをパロディしたかのような論理を行使するしかない。言い換えれば、私たちは今のところ、その空間の所有者=「父」の決定に左右される場所(「家」)で、分け前の「再分配」を願う不安な「子ども」としてふるまうほかない。私たちが今のところ期待しうるのはこの「子ども」のしたたかなずる賢さだけなのかもしれない。 ところで、先月の大半の論壇誌が特集を組んでいたのは、防衛費増額と安保三文書改訂についてだった。こうした問題は日米安保・憲法九条・経済復興からなる「吉田ドクトリン」以来の宿痾であり、砂川闘争を想起させたファーレ立川問題とともに、この一月は私たちの言論空間がいかに「戦後」に呪縛されているかを再認識させた。論壇時評としてこれを論じるべきだっただろうが、どうも私はその気になれなかった。しかしこの期に及んで「護憲」や「反米」のクリシェを唱え続ける左翼に何ら政権批判能力はないのは自明である(九条などとっくに骨抜きになっている)。結局私たちはつねに「父」に対して有効な抵抗戦略を発明し続けるしかない。「子ども」であるかぎり、今のところ。(もりわき・とうせい=京都大学大学院文学研究科・哲学/Twitter:@satodex)