無時間性を突破する大江の反復・自己言及 論潮〈5月〉 森脇透青 磯崎新が死に、大江健三郎が死に、坂本龍一が死んだ。彼らの死はある時代の「終わり」であるだろう。大江の死に際して蓮實重彥は「一つの時代が終わった、と思わずにはいられない」と書きつけ(『文學界』五月号)、柄谷行人は「「近代文学」の終焉」を語る(『群像』五月号)。同様の感慨は、浅田彰の磯崎や坂本の死に接したコメント(朝日新聞ほか)にも染み出している。これほどまで連続して追悼の言葉が重ねられる時期は稀であろう。 大手文芸雑誌はこの四月に大江追悼特集を組んでいる。それを見て誰もが驚くはずなのは、書き手の重複ぶりである。『群像』『文學界』『新潮』『すばる』で複数回登場した固有名をその出現回数順に列挙すれば、中村文則(4)島田雅彦(3)平野啓一郎(3)町田康(3)朝吹真理子(2)阿部和重(2)尾崎真理子(2)多和田葉子(2)蓮實重彥(2)である。こうした固有名の反復には既視感があるし(「文壇」なるものを形成するのはこの既視感なのだ)、単純に、よく何度も追悼文が書けるものだと驚きもする。だが、もちろん複数の追悼がなされることそのものは不自然ではない。「喪の作業」は完了しえないのだから、そもそも追悼文は何度書いても書ききれるものではなく、書かれるたびごとにその対象との関係を変化させる(中村は『文學界』で「四つ目の追悼文を書いている時、何かが突然外れ、書きながら泣くことになった」と証言している)。しかし、そのなかでも「複数の追悼文を書くこと」にもっとも意識的だったのは、おそらく蓮實重彥である。蓮實は『文學界』で一行目に「一つの時代が終わった(・・・・)」と書き、『群像』で一行目に「いまこそ大江健三郎を読むことが始まらねば(・・・・・)ならぬ」と書く(強調いずれも引用者)。ふたつの追悼文の同じく一行目に配置されたこの「終わり」と「始まり」は明瞭なコントラストをなす。 蓮實によれば、読解が始まる「いま」とは、大江が没したこの二〇二三年ではなく「過去から未来の中間点に推移する永遠の現在」のことである。この『大江健三郎論』の著者は、自身が大江と「同時代人」であることを強調しつつ(両者は一歳違いである)、「時代の終わり」に還元しえぬものとしての、大江のエクリチュールの終わりなき「いま」に目を向ける。実際、蓮實のいう「テクスト的な現実」の無時間性を全面的に受け容れるかは別として、大江健三郎という作家自身が、直線的に過ぎゆく近代的な時間性を破砕しようしてきたことは確かである。たとえば大江は、最後の一文を先に決め、その「終わり」の美化に向かって小説を組み立てる三島由紀夫のスタイルに否定的だった。 「終わり」に関する三島と大江のこうした差異を鋭く剔出したのは、『懐かしい年への手紙』(一九八七)を論じた柄谷行人である(「同一性の円環」『終焉をめぐって』一九九〇年所収)。同書所収の複数の論考(八八年〜九〇年に書かれたもの)で柄谷は「昭和の終わり」およびフクヤマ的な「歴史の終わり」の「区切り」の効果を警戒し、むしろ資本主義という持続的な問題に着目している。だが他方で柄谷は、同時期に書かれたこの大江論において「近代文学の終焉」を唱えてもいる(事実、「同一性の円環」はのちに中上健次論「小説という闘争」と統合され「近代文学の終り」と題されることになる。『定本 柄谷行人集』第五巻、二〇〇四年)。つまり、資本主義は終わらないが、文学は終わっている。「近代文学」は、大江の死(さらに中上の死)以前から、いまさら告知されるまでもなく、もう死んでいるのだ(「近代文学」は何度死ぬのか?)。柄谷にとって、今もしぶとく——村上春樹のように——生き残っているものは「娯楽」の一ジャンルにすぎない。 朝吹真理子は『文學界』五月号の島田雅彦との対談で、大江と古井由吉について「初めて読んだときにはもう亡くなったと思っていました」と語っているが、この感覚はおそらく八〇年以降に生まれた者(朝吹は八四年生まれである)にとって共通したものだろう。かつて文学が保っていたであろうリアリティが失調した時代において、大江のテクストはもはや一種「歴史的」なものとして読まれるしかない。九五年生まれの私にとってもまた、大江は(そして磯崎や坂本も)、愛好し影響される対象ではあっても「同時代」的なリアリティからは遠かったのだ。だが複雑なのは、大江という作家が、すでにすべてが終わって「歴史的」になってしまった「後」に遅れてきた(・・・・・)青年を初期から描いていたことである(それはまさに戦後(・)民主主義の問題である)。大江のテクストには、一種の絶対的な遅刻(・・)の感覚が表現されている。 しかしその感覚は郷愁(ノスタルジー)に行き着くものではない。柄谷が論じた『懐かしい年への手紙』の末尾で、大江はたしかに「循環する時」としての過去を夢想する。自身の来歴を回顧するこの自己言及的なテクストは、大江の「老年」、「完成」を感じさせ、それを通じて「近代文学」それ自体の終わりを予感させるものでもあっただろう。だが大江はこの末尾で同時に、過去へ向けて「幾通も幾通も、手紙を書く」ことを自身の「生の終わりまで」続く仕事と認めている。この「手紙を書く」行為、具体的には過去の絶えざる読み直し・書き直しの行為こそが、過去と現在の関係を錯綜させるのだ。実際『懐かしい年への手紙』で死んだ「ギー兄さん」は、続編『燃えあがる緑の木』(一九九三)における「新しいギー兄さん」の登場(そしてその再度の死)において反復され、再解釈され、意味を変容させられる(そもそも「ギー兄さん」自身、『万延元年のフットボール』(一九六七)の「鷹四」あるいは「隠遁者ギー」の反復である)。この回顧と変容はその後のテクストでも繰り返されることになるだろう。このスタイルは、「現在」のうちに幾重にも重なった「過去」の反復を見る大江の時間感覚と無関係ではない。それが「神話的」であろうと「ユング的」であろうと、実際のところこの反復こそが「同一性の円環」を破り、無時間性を脱して、自己言及そのものによって語る自己を分割するのである。「終わり」を回顧することは、「終わり」との関係を再発明し、「終わり」そのものを複数化させることにほかならない——だから大江の作品そのものが、初めから追悼文に似ているのである。 大江は、あるひとつの「終わり」を変容させ、到底美化しえぬ「終わりのその後(・・・)」に向かって開きつづけた。たとえば「最後の小説」(一九八八年)には、「「最後の小説」をついに達成することがあるとして、さてその後(・・・)どうするか?」(強調引用者)という自問が見られる。ゆえに「いまこそ大江健三郎を読むことが始まらねば」ならないのだ。なぜなら、「一つの時代」の「終わり」あるいは「「近代文学」の終焉」を前にして始まるものは、まさにその「終わりのその後(・・・)」についての思考だからである。おそらくその思考のためにこそ追悼は書かれる、何度も。(もりわき・とうせい=京都大学大学院文学研究科・哲学。Twitter:@satodex)