――あまりにも他人事ではなく、渦巻いた怒りが読者の脳天に突き刺さる――文芸〈8月〉 山﨑修平 日比野コレコ「モモ100%」、安堂ホセ「迷彩色の男」 新しい作品を読む喜びは、替え難いものだ。特に、評価のまだ定まっていない作家の場合は、この作品をより面白く愉しく読める読みの方向性を提示したいと腕が鳴る。こうして一つ一つの作品をテクストと交信するように読んでいくと、作者も予期していないであろう奇妙なところへと辿り着く事がある。ここに、テクストの読みと、作家論の読みとが呼応する瞬間がある。新人賞作家のデビュー第二作は、大きな意味を持つ。デビュー作の目指したところを深化させたのか、はたまた抗うように、まったく別の方向へと進んだのか。 日比野コレコ「モモ100%」(『文藝』)を読み、前作「ビューティフルからビューティフルへ」との差異を考えている。設定された舞台は、前作同様に同年代コミュニティである学校内という閉鎖的な空間だ。クラス内でのヒエラルキーや、価値観の相違から来る擦過傷のような感情のほとばしりを、描く筆の力(筆の圧の方が適切か)は、本作においても眼を見張るものがある。前作からの深化と述べて何ら差し支えはないと考える。と、ここで批評が終わらない何かが本作にはある。それを考えてゆく。考えて辿り着いた先にあるのは、前作のような、音楽的なリリック調の文体によってもたらされるリズムの破裂、コラージュ、オマージュといった言語表現を節々で用いていたのが、落ち着いているようにも思えることだ。ときに否定的な批評も為されることもあるだろうが、評者は肯定的に捉えたい。なぜなら本作は、種々生じている乖離(擦過傷)を、ありのまま、乖離を率直に描いているからだ。前作では、作者と登場人物の間に明確な乖離が生じていなかったのではないか。つまり魚眼レンズのようなデフォルメされた視点により強制力を持たせて乖離を描いていたのである。この強制力を働かせるために、前作は爆発的な文体のパワーを欲していたと考える。作家論的に述べるならば、作者の実年齢というファクトもありながら、作者自身が高校という閉鎖的な価値観というコミュニティー内に属していたからこそ、作品を立ち上げるために欲していたのではないかとも捉える事ができる。本作での落ち着きは、決して勢いやエネルギーが損なわれたのではなく、俯瞰的あるいは鳥瞰的な視点を獲得するための前進であると考えたい。主体の、血湧き肉躍るような感情の振れ幅を表す文体に加わるように、より他者性が混在した小説の形態へと深化していると考える。主体の感情が寄り道し、揺れ、音楽的であり、歌い上げるような、言葉の奔流こそ、小説を何よりも小説たらしめている。次作も心待ちにしたい。 安堂ホセ「迷彩色の男」(『文藝』)は、日比野コレコ「モモ100%」と同じく、文藝賞受賞第二作となる。本作を読み終えて感じた、心地よさについて考えている。ハードボイルドな、スピード感のある、眼前に迫ってくるような切迫感のある場面描写が次々に切り替わってゆく。振り落とされないようにしがみつきながら、ページを捲る指が止まらない。それなのに、この心地よさは何故なのだろう。評者はその解を文体に求めたい。映像的という批評を用いても、なおも追い付かない。映像的という言葉で片付けるには、あまりにも他人事ではなく、渦巻いた怒りが読者の脳天に突き刺さるからである。今しばらく考えたい。 竹中優子「水」(『文學界』)は「巻頭表現」の詩である。作者は、歌人として短歌を詠み、詩人として詩を書いている。本作における隙間、あるいはゆとりに似た文体のちょうど良い言いさしのところに優れているところがある。読者に委ねるであるとか、読者の想像力を喚起させるという批評も近い言葉であるが、どうもそれでは言い表せない。山や川の色が一色ではないように、自然は本来ダイナミクスがあり、濃淡がある。本作の詩語は、一つの事象を的確に捉えながら、書かれなかった部分にまで言葉の余韻が到達している。作者による小説が誕生することを切望してるのは、批評家としての評者なのか、それとも小説も書く詩人としての評者か。 戌井昭人「一週間」(『群像』)の脱力した語り口に惹かれる。落語のような、講談のような、まさに噺として小説が成立してゆく。誰かにとって、くだらない取るに足らないものでも、また他の誰かにとっては、逃れ難い宿命であり、手放せない記憶にもなる。このことを、説諭的に描いたり、御涙頂戴で描くのでもなく、あくまでも平熱で、平常運転で、淡々と文を慈しみながら書いてゆく。職人技である。 町屋良平『生きる演技』(『文藝』)は、五八〇枚の長編。作品毎の批評はもとより、町屋良平という作家への批評、つまり作家論が求められていると考えている。「書く」ということ、そこに対する「書かれる」ということ。その暴力性、あるいは特権性。作者の書いてきた道は、現代社会のアクチュアルな課題そのものである。本作は、間違いなく、作家・町屋良平のキーとなる作品となるだろう。(やまざき・しゅうへい=詩人・文芸評論家)