寄稿=岩田規久男(上智大学・学習院大学名誉教授、日銀前副総裁) ※夕日書房ホームページより全文転載 2022年夏の参議院選挙(6月22日公示・7月10日投開票)をめぐって、上智大学・学習院大学名誉教授で日銀前副総裁の岩田規久男氏が主要政党の経済政策を分析し、最新刊『資本主義経済の未来』の出版社である夕日書房のホームページ(https://www.yuhishobo.com/)に寄稿した。岩田氏および出版社のご好意により、その論説全文を読書人WEBに転載する。ぜひ投票時の参考にしていただきたい。(読書人WEB編集部) 自民党、立憲民主党、日本維新の会、国民民主党の経済政策を論評する 今回の参議院選挙では、ロシアのウクライナ侵略を受けて、安全保障が主たる争点になると予想していた。ところが、選挙前直前になって、燃料価格が急騰したため、生鮮食品とエネルギー関連商品の価格が急騰した。その結果、物価対策を求める世論が強まり、どの党も物価対策を第一または第二の問題として、掲げるようになった。物価高ではなく、個別価格高騰の対策が基本 日本の 22 年 5 月の物価の前年同月比は、総合で 2.5 %、総合から季節変動の大きい生鮮食品を除くと、 2.1 %である。この程度の物価上昇は、金融政策における物価引き下げの目標にはなりえない。実際に起きていることは、物価上昇ではなく、生鮮食品や燃料価格高騰の影響を最も強く受ける電気・ガス代等の相対価格の高騰である。 金融政策を物価対策に割り当てることには合理性があるが、燃料関連財価格高騰対策は金融政策の対象外である。燃料関連財価格高騰対策はミクロ経済政策である「個人」を対象にする再分配政策(給付金等)である。立憲民主党の物価対策(正しくは、燃料関連財価格高騰対策) 立憲民主党は物価対策を第一位の選挙争点として取り上げている。「円安の進行とそれによる『悪い物価高』をもたらす『異次元の金融緩和』を見直す」という。 要するに、金融緩和政策から金融引き締め政策への転換である。 しかし、日本の需給ギャップ(実質GDPと潜在GDPの差)は19年の消費増税の影響もあってマイナス幅が拡大し始め、20年と21年は新型コロナパンデミックの影響を受けて、さらに拡大している。つまり、日本は需要が供給に対して不足しているのである。 国際通貨基金の予測では、22年の日本経済はロシアのウクライナ侵略の影響を受けて、G7の国の中では最も需要不足が大きい。 需要不足経済で、金利を引き上げれば、一番困るのは、立憲民主党が最も支援したいと考えている中小零細企業である。そこで、立憲民主党は「コロナ禍と物価高騰で困難な状況にある事業者を支えるため、事業復活支援金の支給上限額倍増 」等で、 中小企業 を 総合的に支援する、という。金利を上げる一方で、金利負担が重くなる中小企業への給付金を増額しようというのである。これは「(金利を上げて)人に病気させておいて、治療代を援助します」というようなものである。そんなことをするよりも、病気にならないようにすればよい。治療代(国民負担)もいらなくなる。 コロナ禍と燃料関連財価格高騰で困る事業者を国が支援することは、困っている原因が生産性が低すぎることにある事業者まで支援して、低生産性企業を温存する政策である。これでは、日本は成長せず、したがって、立憲民主党が目指す賃金も上がるわけがない。コロナ禍で、事業支援が合理性を持つのは、国が営業時間を制限したりすることに対する、営業補償の場合である。その他の場合は、支援は事業者単位ではなく、困った「人」を対象にしなければならない。再分配の対象を「人」 にするのは、事業者単位 の再分配の場合 、困った人であっても 支援対象事業者でなければ、支援してもらえないからである。「人」を支援の対象にする場合、公正・平等の基準から見て、困っている度合いの高い人――所得と保有資産が少ない人――ほど、より大きな支援を受けられるようにすべきである。日本は、マイナンバーを銀行口座に紐づけて、個人の所得と保有資産を政府が把握できる体制がいまだにできていない。したがって、ここは妥協して、後述する国民民主党の「所得連動型給付方式」を採用すべきである。 日本のように、需要不足かつ予想インフレ率が低い国が、需要超過かつ予想インフレ率の高いアメリカの真似をして、金融を引き締めれば、雇用が悪化して、失業者が増え、景気後退に陥る。 90年代以降、日本経済は低インフレとそれに続く長期のデフレのため、内需が弱くなり、景気が多少とも良くなった時期は、輸出が増加した時だけである。したがって、輸出産業に有利な円安は景気の下支えになる。また、日本の経常収支黒字の主たる原因は、製造業の海外子会社からの利子・配当などの日本への送金による所得収支の黒字が大きいことにある。所得収支の増加は内需の拡大につながる。さらに、これからは日本も欧米のようにウィズコロナの時代に移行し、外国人観光客に対する入国制限を緩和する方向に向かうであろう。その時、円安であることは、コロナ禍が発生する以前にも増して、観光関連産業と地方経済の活性化を促すであろう。実際に起きていることは、円安ではなく、ドルの独歩高 立憲民主党だけでなく、多くのマスメディアが、日銀は金利を引き上げて、円安を止めよという。22年2月23日(ロシアがウクライナへの侵略を始める前日)から22年6月24日までの期間の、円のドルに対する減価率(円安率)は14.9%である。同期間の各国通貨のドルに対する減価率は、韓国ウォン8.1%。英ポンド9.5%、台湾元6.3%、ユーロ6.9%、スウェーデン・クローナ7.6%、ノルウェー・クローナ10%である。これらのうち、日本同様に、金利を引き上げなかったのはユーロだけである。他の国は22年2月ないし3月には政策金利を引き上げ始め、韓国に至っては、22年5月26日に一挙に1.75%へと引き上げた。アメリカのFRBが政策金利を1.65%に引き上げたのは、22年6月16日である。韓国はアメリカよりも、21日早く、かつ0.1%ポイント高く引き上げたのである。このように、日本とユーロ以外の国はアメリカ同様に、利上げし続けたにもかかわらず(韓国の場合はアメリカ以上に利上げした)、その通貨はドルに対して大きく減価した。以上の事実は、アメリカとの金利差だけでは、各国通貨のドルに対する減価を説明できないことを示している。今回は、「有事に強いドル」効果が働いたと考えるのが妥当であろう。ヨーロッパ諸国は地理的にアメリカよりもロシアに近い。スウェーデンとフィンランドは急遽、NATO加盟を申請したくらい、ロシアに脅威を感じ始めた。日本、韓国、台湾は中国、北朝鮮、ロシアの核保有国の脅威にさらされている。こうした地政学的リスクがロシアのウクライナ侵略で急速に高まった。実際に、どの国の通貨もこの侵略開始の22年2月24日から、急速にドルに対して減価し始めている。国民民主党の物価対策 ①トリガー条項の凍結を解除して、ガソリン・軽油価格を値下げする。②インフレ手当として、国民一人当たり、一律10万円を給付し、一定以上の高所得者には確定申告時に所得税を課す「所得連動型給付方式」を採用する。いずれも、個人単位の分配政策で評価できる。ガソリン税など自動車関連税は消費税との二重課税になっており、この際、地球温暖化対策として、炭素税を導入し、その代わり、自動車関連税を廃止する方向で提案すれば、一層評価できる。日本維新の会の物価対策 ①国民民主党の①と同じ提案をしている。②消費税の軽減税率を段階的に3%(場合によってはゼロ%)に引き下げる③電気・ガス料金について激変緩和措置をとる。②は食料品の値上がりが大きいことに対応するものと思われるが、高所得者まで減税することになってしまう。③も同様で、高所得者まで支援することになること及び電気・ガス料金の高騰に対する節約行動を抑制してしまう。以上から、国民民主党の②に軍配を上げる。自民党の物価対策 「原油価格・物価高騰等総合緊急対策」。これは、「燃油価格の激変緩和策について、25円を超える価格高騰に対応し、また、航空機燃料を対象油種とするなどの対応を新たに行うとともに、漁業、農林業、運輸業、生活衛生関係営業といった大きな影響を受ける業種への支援を行う」というものである。自民党は「事業者単位」の分配政策が好きである。これは、利益団体・政治家・官僚の鉄のトライアングルにより、政治家が票を集めるうえで最も有効だからである。実は、自民党の強さはこの点(もう一つは、立憲民主党と共産党の安全保障と経済に関する無知)にあるのであり、ゆゆしき民主主義の危機である。燃料価格高騰は企業の省エネ活動を刺激するが、補助金政策はその刺激を奪ってしまう。国民民主党のマクロ経済政策と成長戦略 財政金融政策という「マクロ経済政策」について、一番研究している党は国民民主党と日本維新の会である。国民民主党は 21 年12月23日に、「財政金融政策に関する考え方」を発表している(私のリフレ政策に関しては誤解しているが)。 その 結論は、「積極財政、成長戦略、金融政策正常化(出口戦略)の3つを同時に追求します。①そのために、第1に日銀保有国債の一部永久国債化、②第2に日銀保有のETF、REITの日銀取引先金融機関への売却(日銀資産圧縮)を行うとともに、名目賃金上昇率が安定的に「物価上昇率+2%」となるまで積極財政と金融緩和を継続します。③その間に、新設する「教育国債」等を活用し、教育・科学技術予算を 10 年間で倍増させ、経済と産業を巡行軌道に乗せ、その先の財政金融政策正常化を目指します」というものである 。 ①については、日銀が今後国債をどれだけ購入し、出口でどれだけ売却するかは、日銀に任せる問題である。②は条件付きに妥当で、日銀の一時的に2%のインフレ目標を超えても QQEを続けるオーバーシューティング政策と一致するが、2%のインフレが安定的・持続的になった段階で、金融政策は正常化に舵を切るべきである。③は、教育における競争を促進する政策が伴わなければ、予算の無駄遣いになる。日本の教育は小学校から大学院まで、上に行くほど悪くなり、大学と大学院教育は国際的に見ても最低レベルである。大学院で教えかつ研究できる教員はごく少数で、業績に関係なく、年をとれば給与が上がる「教師村天国」にメスを入れてから、大学予算をつけるという、教育改革が先である。そのための有力な手段は、ミルトン・フリードマンが提案した、教育サービスの供給者ではなく、需要者である個人に「教育利用券」を分配することである。自民党の新しい資本主義は成長と分配の好循環を生まない 新しい資本主義とは次のようなものである。「資本主義は、これまで2回、大きな転換を遂げました。2回目は、1980年代以降の新自由主義。政府の介入を最小限にし、市場の競争を重視するという考え方に基づき、各国で規制緩和やグローバル化が進みました。これにより、経済は大きく成長しましたが、同時に、格差の拡大、地球温暖化の進行、過度な海外依存など、様々な問題点が指摘されています。今こそ3回目の転換が必要です。これら2回の転換では、『市場か国家か』、『官か民か』、振り子のように大きく揺れてきましたが、『新しい資本主義』においては、『市場も国家も』、『官も民も』、『or』ではなく『and』でつなぎ、官民連携で 新たな資本主義を創ります。官が呼び水となり民間の投資を集め、課題解決と経済成長の『二兎を追う』ことで、持続可能な経済を創ります」 「各国で規制緩和やグローバル化進み」、「経済は大きく成長」したというが、日本だけ成長していない。岸田政権は日本だけ成長しなかった原因がわかっていない。そもそも、新自由主義を「市場か国家か」、「官か民か」と捉えるという発想が間違いのもとである。 フリードマンが提唱した「新自由主義」とは、「国家は民が効率的に成し遂げることを妨げてはならず、民の自由に任せておくと非効率になる分野(独占、環境問題など)に適切な方法で介入して、効率性を回復・維持することに徹し、自由な市場に任せておくと社会的分断をもたらすような問題(典型的な例は、貧困問題であり、フリードマンは負の所得税を提案している)には、個人単位の再分配政策が必要である」というものである。つまり、市場と国家の役割分担の基準を示すことが、新自由主義である。 この意味での新自由主義は、これまで、日本の経 済政 策 では採用されたことはない。小泉政権も安倍政権も「規制改革」を掲げたが、中小企業、雇用、農業、教育、医療、介護、及び保育などの分野では、既得権益を保護する参入規制や価格規制などの「岩盤規制」が少しも崩されずに、残存しているままである。 自民党の公約には、デフレ完全脱却のためのマクロ政策と成長戦略の一丁目一番地の「規制改革」とくに「岩盤規制改革」が全く見られず、「官が呼び水となり民間の投資を集め」ることに焦点が置かれている。政府が新型コロナのワクチン開発のような外部効果が大きな分野の基礎研究を支援することには、合理性があるが、「官が呼び水」になる必要はない。官よりも、人びとが何を望んでいるかをよりよく知っているのは、国家ではなく、競争的市場で競争している企業である。官は今まで、民の発想をつぶし、既得権益を守ることに汲々としてきたのである。 50年もの間、獣医学部が新設されなかったのは、その典型的な例である。 したがって、岸田政権がまずすべきことは、選挙で選ばれたわけではない官僚による通達等の行政指導の禁止である。さらに、教育・研究を競争的な環境に置き、大学や大学教員がベンチャーを自由に起業できるようにすれば、「官が呼び水」にならなくても、大学と産業・企業を仲介する企業が必ず現れる。地域金融機関の中にもこうした仲介を担う機関が現れ、産学金融連携ができつつある。官がそもそも役割でない分野にしゃしゃり出てくるような「新しい資本主義」は有害である。 なお、昨年度は「基礎的財政収支の黒字化を25年度」としていたが、22年5月31日の「骨太の方針」では、黒字化達成の時期を削除した。これは前進であるが、今回の参議院選の公約には明記されていない点が、気がかりである。日本維新の会のマクロ経済政策と成長戦略 ①成長のための税制を目指し、消費税・所得税・法人税を減税する。 ②将来世代の負担と過度なインフレを招かない範囲で積極的な財政出動・金融緩和を行う。基礎的財政収支について、現実的な黒字化の目標期限を再設定したうえで、増税のみに頼らない成長重視の財政再建を行う。③「チャレンジのためのセーフティネット」構築に向けて、ベーシックインカムまたは給付付き税額控除を基軸とした再分配の最適化・統合化を本格的に検討し、年金などを含めた社会保障全体の改革を推進する。労働移動時のセーフティネットを確実に構築した上で、解雇ルールを明確 化するとともに、解雇紛争の金銭解決を可能にするなど労働契約の終了に関する規制改革を行い、労働市場の流動化・活性化を促進する。 以上の成長戦略は所得税と法人税減税を除けば、合格である。法人税減税はすでに主要先進国並みに引き下げられている。分配の公平の観点から、高所得層の所得税率を引き上げ、資本所得税は総合所得課税方式と分離課税方式を選択できるようにし、分離課税を選択する場合は、スウェーデン並みに30 %に引き上げるべきである。 <主要各党の経済政策評価一覧> 岩田規久男(いわた・きくお)1942年生まれ。東京大学経済学部卒業、同大学院単位取得満期退学。学習院大学経済学部などを経て、2013年4月から5年間、日本銀行副総裁を務める。上智大学名誉教授・学習院大学名誉教授。専門は、金融論・都市経済学。深く確かな理論に裏づけられた幅ひろく鋭い現状分析と政策提言は、つねに各界の注目を集めている。著書に 『土地と住宅の経済学』(日本経済新聞社、第 18 回エコノミスト賞受賞)、『経済学を学ぶ』(ちくま新書)、『昭和恐慌の研究』(編著、東洋経済新報社、第 47 回日経・経済図書文化賞受賞)、『経済学的思考のすすめ』(筑摩選書)、『日銀日記』(筑摩書房)、『なぜデフレを放置してはいけないか』( PHP 新書)、『「日本型格差社会」からの脱却』(光文社新書)、『資本主義経済の未来』(夕日書房)など多数。