インタビュー=飯山陽/中田考 『イスラームの論理と倫理』(晶文社)刊行を機に 読書人WEB限定 イスラームの論理と倫理 著 者:飯山陽/中田考 出版社:晶文社 ISBN13:978-4-7949-7195-1 イスラーム法学者の中田考氏とイスラム思想研究者の飯山陽氏による共著『イスラームの論理と倫理』(晶文社)が刊行された。イスラーム研究を専門としつつも、異なる立場、異なる価値観から日頃言論活動を行っている両者の議論の対立は、SNSなどのフォロワーなら周知のことだろう。そんな二人が晶文社スクラップブック上で昨年10月から今年の6月まで掲載された往復書簡形式のWEB連載を一冊にまとめた本書は、おそらく近年刊行された人文書のなかでも異質な激論飛び交う内容となっている。 本書刊行を機に、飯山氏にはメール、中田氏にはZOOMでそれぞれインタビューを行い、本書を巡るさまざまなお話をうかがった。合わせて、本書の編集を担当した晶文社の安藤聡氏にも企画の経緯や読みどころについてのコメントも合わせて掲載する。(編集部) ================================= 《飯山陽インタビュー》 イスラムという切り口から世界を語る新奇さ、面白さ ――本書のまえがきで飯山さんは「20年以上前に初めて出会った時から今に至るまで、中田先生は私にとって、全く分かり合うことのできない異質な他者です」と述べているほどの人物ですが、今回の往復書簡を引き受けた動機を教えて下さい。また、依頼がきたときに引き受けるか否か逡巡はありましたか? 飯山 逡巡はありました。なぜなら私は中田さんとは面識がありますが、不快な経験しかしたことがなかったからです。 中田さんというのは、イスラム的価値観を当為として生きる人です。イスラム的価値観に基づくと、私は異教徒(非イスラム教徒)で女という二重の意味での劣等者ですから、私を差別するのは彼にとっては当たり前なのです。ただしそれは私にとっての当為ではありませんから、わざわざ往復書簡という体裁をとって、公然と中田さんに見下され、差別されるのはごめんだと思いました。 編集の方にその旨お伝えしたところ、中田さんにそうした意図はないとうかがったので、お引き受けすることにしました。 というのも私は、中田さんをはじめとする日本のイスラム研究者の言説について、非常に偏っていて現実と乖離しているという認識をもっていたためです。この企画を通し、私の問題意識を読者の方々と共有できればいいなと思ったのが、お引き受けした理由のひとつです。 ――昨年10月~今年6月までのWEB連載を経て本書は刊行されましたが、今回のお仕事を通して、あるいは本書の出来についてどのような感想を抱いていますか? また連載形式でお互いの時論を重ねたことによって知見として得たものはありましたか? 飯山 テーマが多岐に及んでいるので、イスラムという切り口から世界を語る新奇さ、面白さのようなものをお伝えできる本になったのではないかと思います。 私個人としては知見を得たというよりは、日本を否定してこき下ろしイスラム教を賛美する、トルコ、イランを理想視する、タリバンと「イスラム国」を擁護する、唐突に関係ない話を始める、論点をずらす、規定の文字数を守らない、といった中田さんの特徴を再認識する機会になりました。 また私を一貫して「飯山さん」と呼ぶ一方、「松山洋平博士」「山本直輝博士」など自分のお気に入りの人には「博士」をつけて呼んでいるところに、相変わらずの異教徒差別、女性差別に加え、中田さんの権威主義も確認しました。ちなみに私も博士の学位は持っています。 私のことは「反動」「悪貨」などと描写しているので、ご自身が主流であり正義であり良貨であるという強い確信も持っているようです。 ――本書は一つのテーマに対してお互いの時論を述べる形で進められていますが、「最終書簡」に関しては自由テーマで全く異なった主張が展開されます。中田さんの「最終書簡」を読んでどんな感想をお持ちになりましたか? 飯山 最終書簡だけではないですが、中田さんは何かというと「イスラームは形だけしか残っていない」「イスラームは実践されていない」「イスラームは誰にもわからない」云々と述べるので、それではそれについて冗長な文を書き、それによってカネを稼ぎ、その「第一人者」であるとされているあなたは一体何なのですか、まさか世界であなただけがイスラームを知っていて、あなただけがイスラームを実践しているとでも言うつもりですか、と尋ねたい気持ちになりました。 一般の日本人に近い立ち位置からイスラム教を論じる ――中田さんとご自身の比較でムスリム/非ムスリムの違いを強調していましたが、この差異をご説明いただけますか? また非ムスリムの研究者としての強みはどのようなところにあるとお考えですか? 飯山 イスラム教徒は非常に高い確率でイスラム教を擁護します。中田さんもイスラム擁護論者です。イスラム教は高尚なもの、素晴らしいものであり、日本の歴史や伝統には全く存在しないあらゆる優れた要素がイスラム教に内在していると他者に向けてアピールするスタイルです。当然、その目的にあわない要素、不都合な要素は隠蔽します。 私はイスラム教徒ではないので、イスラム教を擁護する必要も必然性もありませんし、不都合な事実を隠蔽する必要もありません。より一般の日本人に近い立ち位置からイスラム教を論じることができるのが、私の強みだと思います。 ――飯山さんは前著『イスラム2.0』で旧来型のイスラム信仰と現代のイスラム信仰のあり方を論じています。では、中田さんの場合、旧来型の「イスラム1.0」に該当すると人物だと考えていいのでしょうか? 飯山さんは本書中で中田さんを「活動家」と評されるなど、前著で述べていた「イスラム1.0」型の人物像と異なる印象を受けたのでお尋ねしました。 飯山 イスラム1.0および2.0というのは私が作った分析概念です。イスラム1.0とはイスラム教の教義についての知識が一部の知識人たちに独占されていた時代の信仰のあり方、イスラム2.0とはインターネットの普及によりそれらの知識に一般信徒が直接アクセスすることができるようになった時代の信仰のあり方を意味します。 中田さんは一般の、つまりハディースやイスラム法の法学書を読んだりしないイスラム教徒ではなく、それらの素養をもった活動家ですから、イスラム1.0に当てはまりませんし、当然、イスラム2.0現象にも該当しません。 また中田さんはいつの間にかイスラム法学者ということになっていますが、イスラム法学者ではありません。私と同じく、イスラム法の「研究者」です。 ――本書の大半部分で意見が噛み合わないなか、第六書簡「ハラール認証の問題」の章は唯一、ハラール認証機関の欺瞞を暴く点で双方の主張が一致しているように見受けられました。飯山さんはこの章についてどのようなご意見、感想をお持ちでしょうか? 飯山 このテーマを選んだのは私です。このテーマならば共通見解が見出せるだろうと思って提案しました。日本でも、学校給食などハラールをめぐる問題は報道されている以上に多いと聞き及んでいるので、そういった問題の当事者のお役に少しでも立てればいいな、と思って書きました。 ――これから本書を読む読者に向けて特に「この論説を読んでほしい」という章はありますか? 飯山 「まえがき」と「最終書簡」です。 イスラム社会に深く根付く陰謀論 ――もし連載が継続していた場合、今だったらどのようなトピックを取り上げますか? 飯山 イスラエルとUAE、バーレーンの国交正常化、ナゴルノ=カラバフ問題、モザンビークの「イスラム国」などですね。イスラム教徒は世界中に存在していて、世界では毎日多くの出来事が発生しているので、ネタに困ることはありません。 ――今回の書籍はイスラム社会における「新型コロナ」の影響を初期の段階で考察したという点でも、重要な論旨が展開されていると思います。改めて今回の新型コロナがもたらした影響をどう捉えているか、本書の内容にも関わる部分ですが簡単に教えて下さい。また収録論考が書かれた時点から時間が経過していますが、今現在の状況なども教えてもらえるとありがたいです。 飯山 イスラム社会というのは、人々の生活の中に陰謀論が根付いているようなところがあって、新型コロナについてもまずはその陰謀論的な反応が顕著に現れました。しかし問題は、個人レベルではなく国家レベルで陰謀論を唱えたり、感染者や死亡者の実態を隠蔽したりする場合です。その代表がイランとトルコで、この両国については本書でも言及しましたが、今でも1日のコロナ感染者数や死亡者が最多を更新したりするなど、一向に収束していません。 一方現実的な対応をしたサウジアラビアやエジプトなどでは順調に感染者数が減少し、サウジは最近になって、7ヶ月間中止していた小巡礼の巡礼者受け入れを再開しました。 イスラム教徒の信仰実践というのは、1400年以上の歴史と伝統の上に成り立っています。もちろん何度も疫病や災禍を乗り越え、今日に至っています。従って、新型コロナでそれが根本的に変わるということは、基本的には全く考えられません。 ――飯山さんは一貫してイスラムに内包する差別の問題(女性、子ども、他宗教)を重視している印象を受けます。本紙(週刊読書人)では、これまで中田さんや板垣雄三さんらのようなイスラム研究者の論説を中心に扱っていたため、この問題への指摘が希薄でした。インタビューの最後に改めてイスラムにおける差別の問題を概説いただけますでしょうか。 飯山 それは私自身がイスラム世界で散々差別されてきたからだと思います。中田さんや板垣さんのように、「肩書を持った偉い学者」という体でしかイスラム教徒と接したことのない人は、それを経験したことはないでしょう。しかも彼らは男ですし。 またイスラム擁護論者にとってイスラム教が教義で差別を当為と規定していることは不都合ですから、その側面は隠そうとします。私にはそれを隠す必然性がなく、またそれはイスラム的価値観と近代的価値観の大きく異なる点だと考えるので、折に触れ論じるようにしています。 女性差別、子供の虐待、異教徒差別、LGBT差別などは『コーラン』などの啓示に源があるため、イスラム教徒にとっては極めて当然のことであり、彼らはそれを悪いことだとは思っていません。イスラム教徒が多数を占めるイスラム教の国なのだから、イスラム的価値観を通して何が悪い、という主張ももっともです。 一方、男女差別や異教徒差別を是正しようと尽力するイスラム諸国も現れ始めています。 既述のように、イスラム社会には陰謀論が深く根付いているのですが、その最たるものがユダヤ陰謀論で、反ユダヤ、反イスラエルは宿痾のようにイスラム教徒の心を蝕んできました。ところが今年8月、米トランプ大統領の仲介でイスラエルとUAE、続いてバーレーンとの国交正常化が発表され、9月には調印式が行われました。 これは、反ユダヤとか反イスラエルとかいうのはもうやめていこう、という明白な方向性を国家が示したことを意味します。 これは少なくとも私のようにイスラム教徒ではなく、イスラム教という宗教に基づく異教徒への嫌悪、差別、迫害がなくなり、それに起因する対立や戦争がなくなり、友好関係が促進されることをよいことと考える人間にとっては、非常に歓迎すべき変化です。 中田さんをはじめとする日本の中東イスラム研究者は、みなお気に召さなかったようですが。 日本政府がこの国交正常化を支持したことも、正しい判断だったと思います。(この項おわり)★いいやま・あかり=イスラム思想研究者。東京大学大学院人文社会系研究科アジア文化研究専攻イスラム学専門分野単位取得退学。博士(東京大学)。著書に『イスラム教の論理』(新潮新書)、『イスラム2.0──SNSが変えた1400年の宗教観』(河出新書)がある。1976年生まれ。Twitter(@IiyamaAkari)とnoteで、イスラム世界の最新情報と情勢分析を随時更新中。 ================================= 《中田考インタビュー》 「わからないことがわかる」ように ――第三者の目から見ても関係が良好とはいえない相手とのお仕事だったかと思いますが、引き受けられた動機を教えて下さい。 中田 本書が出る前に『俺の妹がカリフなわけがない!』という本を同じく晶文社から刊行していただいたのですが、宿願だったラノベ作家になるという夢を叶えていただいたので、編集担当の安藤さんには頭があがらないんですね。だから依頼された仕事はなんでも引き受けますよと。(笑) そもそも『俺の妹がカリフなわけがない!』を書いたのも読者層を広げたいという目的からでした。本書に関しても、私よりも飯山さんの方がずっと読者層は広そうですから、より多くの人に読んでもらえることはそれなりにいいことなので。 これは内輪の話なんですけれども、私と飯山さんの出身である東京大学イスラム学研究室へ進学する人がどんどん減ってきていて、来年度は修士も学部も進学者が1人もいないのではないか、という恐ろしい話も出てきています。このままではイスラム学研究室は消滅してしまう、そんな危機を迎えているんですよ。それはさすがにまずいので出来るだけ多くの人に読んでいただき、興味を持ってもらって、イスラム学研究室への進学者が1人でも2人でも増えてくれることに役に立ちたい、という願いもあります。学問に限らずどんなものでも、まず裾野が広がらないことにはレベルが上がっていきませんから、何をおいても裾野を広げることが重要なんですね。だからどんな人間であっても売れっ子が出てくれることはいいことだと思っています。「悪名は無名に勝る」とも言いますしね。 ――WEB連載を経ての出版は珍しいケースだったと思いますが、実際やってみての手応えはいかがですか? 中田 本を読んでいただければわかることなんですが、全体的に私の担当分のほうがだいぶ長いんですよ。実はこれでも元の文からずいぶん削りました。WEB媒体の「晶文社スクラップブック」連載時の文章から3分の1ぐらい削りましたかね。本と違ってWEB媒体ならいくらでも書けるから、かなりの文字数になってしまった(笑)。 そもそも私はイスラームも、ムスリム社会のことも日本人にはわからないという立場なので、たくさん書いたところでイスラームの理解が進む、と思っているわけではなく、むしろ書けば書くほど「わからないことがわかる」ようになるだけなんですけれど、ともあれ、いずれ削らなければならないこともわかっていながらもたくさん書いたわけです。 WEB媒体だからこそたくさん書けたことに加え、文体的にもくだけた感じで書けました。これは普段の学術論文では書きにくいことが書けた、ということを意味します。こういった文体は私の本の中では珍しくて、実際、学術論文では書けないことっていっぱいあるんですね。こういうくだけた文体で書かれているからこそ、これまで以上に「わからないことわかる」ようになり、他の本では伝えられなかったことが伝えられたように思います。 事実関係の一致、判断基準の不一致 ――本書では交互にテーマを出しあい、そのテーマに沿った時論を論じる形で進められますが、「最終書簡」は自由テーマで、飯山さんの場合、終始中田さんへの批判が論じられています。この飯山さんの文章を読んでどんな感想をお持ちになりましたか? 中田 正直あまり真面目に読んでないので、まあ、いいんじゃないでしょうか(笑)。 お互い価値観は全然違いますし、嫌いなものは嫌いで全然構わないので。批判に対していちいち反論したところでどうなるものでもありませんし。 私は、誰でも好きなことを書けばいいという立場をとっています。それは大学で教えるようになってからの話で、大学院生の頃は、学問とは批判するものだと考えていたんですね。最近はその考えを完全に改め、何も批判しなくなったんです。本書でも私は飯山さんに限らず誰も批判をしていません。他の本でも他人の批判は書きませんし。だから、飯山さんがそういう主張をされるのも別にいいんじゃないっていう(笑)。 ――価値観が異なるとはおっしゃりながらも、第六書簡「ハラール認証の問題」の章は、ハラール認証機関の欺瞞を暴くという点で意見が一致しているように見受けられました。 中田 実はハラール認証の問題だけでなく事実認識は結構一致しているんですよ。そもそも私はアラブ人が大嫌いですし、今のムスリム世界はろくなものではないと思っています。そういった事実認識は結構一致していて、ハラール認証の問題意識もほぼ一致しているというか、むしろ私のほうが手厳しい(笑)。実はイスラム世界の現状認識は私の方が飯山さんよりずっと厳しいと思います。 事実関係の認識は一致しつつも、そもそも判断している基準が全く違うんです。今のムスリム世界は、飯山さんの西洋的な基準で見てどうしようもないと論じられている点に加えて、私のイスラーム的基準から見てどうしようもないので、本当にどうしようもないんですね(笑)。特に今回取り上げたハラール認証に関しても、様々な角度から見てもどこからみてもどうしようもない醜悪極まりない制度です。こういったハラール認証の問題のようなことはもっともっと飯山さんにも突っ込んでもらいたいんですけれどもね。 ちなみに私の家にも今、ハラールマークのついた食品はいくつかあります。ハラール認証を問題にしつつも、別にハラールマークがついているから食べないというわけではないんです。ハラールマークはつけたいと思った人がつければいいんですね。誰がつけたって構わない。問題は認証です。ハラール認証だといって、他人のものを認証する、それを押し付けることが問題なのであって、この部分は神学的な議論につながります。ちなみに先日、ハラールマークをつけたイスラームの中華料理屋に行ってきたんですよ。そういったお店が増えてくれることは歓迎しています。 ――ハラール認証の問題はこれから日本でも様々な議論が出てくると思います。この点について違った視点で問題のあり方を双方に論じていただいたので読み応えがありました。 中田 以前からハラール認証の問題をTwitterなどで発言していましたが、まとまった文章では書いていませんでした。本書でハラール認証について好きなことが書けましたし、飯山さんもしっかり書いてくれました。この問題をここまで踏み込んで書かれたテキストは本書以外にまだ出ていないので、そういった意味では面白い部分だと思います。 ――「ハラール認証の問題」以外に収録されている時論の中で、これから本書を読む読者に向けて勧めたい論説はありますか? 中田 恐らくどの章を読んでも理解はできないと思いますが、それを言ってしまうと身も蓋もないので(笑)。強いて挙げるとすれば「第一書簡」と「あとがき」ですかね。 ただ、この連載は毎回1つ国を取り上げるという趣旨で進められていてですね、一部そうではない章もあるのですが、大体が1つの国にフォーカスした内容になっていて、かなり具体的な話を論じているんですよ。例えば「第四書簡」で取り上げたタイの話であれば、タイとイスラームの関係がわかるような書き方をしたつもりです。だからこれから本書を読む読者は、まずご自身の興味を持っている国に着目していただきながら読んでいただければ、それなりにわかる部分も出てくると思います。 新型コロナに対するイスラーム社会の認識 ――本書ではイスラム社会における「新型コロナ」をテーマにした論説が2章分と中田さん場合は「最終書簡」でも取り上げられています。今回の新型コロナの影響について、直近の状況も含めご意見をお聞かせください。 中田 新型コロナでそれなりにたくさんの方が亡くなったのですが、民衆レベルではそこまで気にしていないという印象です。はっきり言って、向こうの社会だと他の要因で亡くなる人の方が多いですから。私自身もそこまで気にしていないです。 最近、シリアのダマスカスから帰ったばかりのシリア人と結婚した日本の方に話を聞きましたが、ダマスカスは現在内戦中ですし、薬もあまりないので普段から悲惨な状況なんですよ。それでも新型コロナは流行るまではみんな恐れていたらしいのですが、一旦流行が広がると、家族、親戚、みんな罹ってしまったのですが、皆たいしたことはなく何もしなくてもなおってしまったので、もう全然気にしなくなったそうです。その方の家族だけではなく、ダマスカスではもうみんな気にしなくなっているそうです。新型コロナに関してはその程度の認識なんです。新型コロナよりも爆弾のほうがよっぽど危ない。それに、信仰的にみても人間はやがて死ぬものだと毎日そのことを思って礼拝して生きているいるので気にしなくて当然なのですが。 新型コロナに罹ったイギリスの首相も結局回復しましたし、アメリカとブラジルの大統領などずっと元気でした。トランプなんて70ちょっとなのに復帰できたわけですし。私も直接知っている人間で罹ったのは1人しかいません。あんなもので騒ぐ方がおかしい、というのは本にも書きましたけれどね(笑)。 国家レベルで見ると、むしろ病気自体の被害というよりかは、世界に合わせていろいろ対策をやった結果、経済はおかしくなってきています。飛行機も飛んでいないから、例えばトルコでは観光客が全然来なくなっています。商業などもどんどん駄目になっていて、第三世界の場合は元々の状況がよくなかったことに加えて、新型コロナの影響を受けて余計に悪化していますね。 ――最後に、現在はどのようなトピックに注目していますか? 中田 そうですねえ、私自身一番興味を持っているのはトルコですね。今、ナゴルノ・カラバフの問題でアルメニアとアゼルバイジャンの間で紛争が起きていますが、実はその裏ではトルコが糸を引いているとか、そういった話も出ているので、トルコ関係の話が一番重要かな、という気がします。イスラームを取り巻く国際情勢は何を語るにしてもトルコが絡んできますし、今一番の台風の目になっている国だといえます。 実はもうすぐトルコ関係の地政学の翻訳書で私が監訳した『文明の交差点の地政学』(アフメト・ダウトオウル著、書肆心水刊)が11月20日刊行され、アマゾンではもう予約が始まっているのですが、トルコを巡る問題はこの本で詳しく記されています。余談ですが、『文明の交差点の地政学』は解説を内藤正典先生が、帯の推薦文を池内恵先生がそれぞれ書いてくださったんです。私を含めたこの3人の人選は、私と飯山さんの組み合わせと同じくらいにありえない組み合わせなので、そちらもぜひご期待ください(笑)。(この項おわり)★なかた・こう=イスラーム法学者。灘中学校、灘高等学校卒業。早稲田大学政治経済学部中退。東京大学文学部卒業。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。カイロ大学大学院文学部哲学科博士課程修了(Ph.D)。山口大学助教授、同志社大学教授を経てイブン・ハルドゥーン(在トルコ)大学客員教授。1983年にイスラーム入信、ムスリム名ハサン。著書に『イスラーム法とは何か?』(作品社)、『カリフ制再興』(書肆心水)、『イスラーム 生と死と聖戦』(集英社新書)、『みんなちがって、みんなダメ』(KKベストセラーズ)、『イスラーム国訪問記』(現代政治経済研究社)、『13歳からの世界征服』『70歳からの世界征服』(百万年書房)、『俺の妹がカリフなわけがない!』(晶文社)、『ハサン中田考のマンガでわかるイスラーム入門』(サイゾー)など。1960年生まれ。 ================================= 《編集者・安藤聡コメント》 ◆本書の企画意図◆ ~折り合いがつくのか、つかないものなのか~ 私は以前、『異教の隣人』(釈徹宗、細川貂々、毎日新聞「異教の隣人」取材班著)という本の編集を担当し、その仕事を通して宗教的多様性や共生する社会に対する重要性を認識していたのですが、飯山さんの『イスラム教の論理』(新潮社)を読んで、世の中で語られている多様性を許容する社会や、宗教を越えた形での交流というのは、言われているほど簡単なことではない、ということを感じました。一方、中田さんとは内田樹先生のご縁から『俺の妹がカリフなわけがない!』などを編集した関係でお付き合いがあって、ご著書なども読ませていただいたのですが、中田さんの説くイスラーム世界と飯山さんが語るイスラーム世界の解釈に、大きな隔たりがあるようにも感じました。この両者の見解はどこで折り合いがつくのか、あるいはつかないものなのか、自分自身も考えてみたい思いが湧いてきたので、中田さんと飯山さんに往復書簡という形で依頼をした、というのが今回の企画のはじまりです。 本書に収録されているお二人の論説の構図を簡単に比較すると、飯山さんの方は西洋的な人権・自由・平等・民主主義という普遍的と言われている価値を守るために、イスラームという他者とどう付き合うかということを、シリアスに、より現実的に考えていかなければいけない、という立場をとられている。言ってみれば自由主義社会、リベラル社会の一般的な見解がバックボーンにあるという印象です。今回論じていただいた情勢分析においてもその視点に立った文章をお書きいただきました。かたや中田さんは、領域国家を認めない、自由・平等も神の前での自由・平等であるなどよりラディカルな立場ですよね。もともと「カリフ制再興」、「イスラム革命」を説かれていて、取り上げていただいたトピックの現状分析にもその観点が盛り込まれています。両者の噛み合わなさ、違いの面白さというのは本書で存分に発揮されているのではないでしょうか。 ただ、これまで知識人のなかで多く語られてきた日本における旧来のイスラーム像、西洋的な価値観を相対する文明としての、東洋的なイメージと結びついたある種ユートピア的なニュアンスで語られてきたイスラーム理解に対するカウンターという点ではお二人とも共通しています。そういった認識は共通しつつも、それに対してどう振る舞うべきか、という部分のベクトルが全く異なっているんですよね。それはお二人がムスリムであるか、非ムスリムであるかの違いにもかかわっているのだと思いますが。◆編集者から見た注目ポイント◆ ~新型コロナ/ソレイマニ司令官殺害/イスラームに対する問題意識~ 本書は、現在進行形で起きている事件とかトピックを題材に、お二人にそれぞれ分析を書いていただく時評的な連載が元になっていますが、連載時は最新の話題でも本にまとめた時点では収録されたトピックは古くなっています。しかし、一冊にまとめたことにより、トピックの表層的な部分だけではなくて、個々の事象を形成する背景であるとか、世界の枠組みについての考察を複合的に通しで見透せるというメリットがあります。むしろ連載時以上に整理がされて、明瞭に読める内容のものになったと思っています。 扱ったトピックの中には「新型コロナ」の話題があるのですが、お二人とも情報量がすごいな、と。感染流行初期のイラン、トルコなど中東における対応の仕方といった情報はなかなか日本には入ってこなかったですよね。飯山さんが論じられているのですが、新型コロナに対して権威主義的に対策をとるのか、あるいはあくまで自由主義を基盤に対処するのか、という議論は、アメリカと中国のコロナに対する対照的なやりかたと同様、中東諸国でも同じようにありうる、という指摘は貴重な情報です。 他の章でいえば、例えばイランのソレイマニ司令官殺害についてのトピックを扱った章がありますが、中田さんはこの章でアメリカの対イラン、対中東政策の失敗の歴史を論じられていて、かなり読み応えがあります。この精緻な分析を一般の方向けに書けるのは、さすがにイランウォッチャーを自認されているだけあります。加えて中田さんの論説でいえば第1章でお書きになったイスラームに対する問題意識は少し長いですけれどもうまく整理されていますし、多くの読書に共有いただける内容になっていると思います。(おわり)