対談=橋爪大三郎×渡瀬裕哉 『中国vsアメリカ』(河出書房新社)刊行を機に 読書人WEB限定 中国vsアメリカ 著 者:橋爪大三郎 出版社:河出書房新社 ISBN13:978-4-309-63124-0 中国とアメリカ、日本にとって最も縁の深い2国である。しかしこの両国のことを日本人は果たして理解できているのだろうか。この両国が理解できなければこれからの世界情勢を読み解くことも困難だろう。主に中国を文明レベルから紐解き、政治、軍事、経済など現在の諸問題を包括的に論じた橋爪大三郎著『中国vsアメリカ』が昨年末発売された。 米大統領選が終了し、新大統領のもと新しい4年間がはじまろうとしていた2021年初に橋爪氏と国際政治アナリストで早稲田大学招聘研究員の渡瀬裕哉氏に対談いただいた。渡瀬氏は昨年9月に『2020年大統領選挙後の世界と日本』(すばる舎)を刊行し、今回の米大統領選のみならず前後に行われた各議会選挙などの分析においてもきわめて確度の高い情報を発信し続けていた。 中国(共産党政権)の本質とは、今後のアメリカの行方は。2021年以降の国際情勢を占う重要な対談をぜひお楽しみいただきたい。(編集部) ================================= 歴代王朝の世界戦略と中国ナショナリズム 橋爪 私が高校生のころ、中国は文化大革命のまっ最中で、北京放送を聴いて、国際社会とは関係ないあさっての方向に進んでいるなあ、という印象を受けていました。その後、鄧小平が出てきて、中国は大きく舵を切り、国際社会と協調して歩む方向に変わったのです。 この「改革開放」が、冷戦崩壊より10年ほど前からスタートした点が重要です。アメリカの支援のもと市場経済への移行の道を進んでいたので、冷戦が崩壊して社会主義陣営が総崩れになっても、中国だけは生き残った。その後の国際情勢の変化にも大きな適応力を発揮して、共産党中国が存続して、いまに至っている。 改革開放を進める中国を、国際社会は当時、どう見ていたか。 なにせ共産党が資本主義の道を進む、という前例などなかったので、いろんな見方がありました。いっぽうでは、共産党はやがて看板を降ろして消滅し、ただの資本主義市場経済になるだろう、という楽観論があった。もういっぽうでは、市場経済のいいとこ取りをした共産党支配が続き、価値観や行動様式や制度の違いが残って、西側世界とコンフリクトが起こるだろう、という見方もありました。議論は決着をみないまま、まずは経済を発展させ、国を成長させて様子をみよう、になった。 こういう曖昧な態度のまま時間が流れて行きました。途中、天安門事件が起きました。国際社会は「おや?」と思った。その流れの中で出て来たのが江沢民政権ですね。鄧小平が後継者に指名した。反日強硬派にみえた。その次の胡錦濤政権は比較的穏健にみえたのですが、現在の習近平政権は、これまで以上の強硬派です。どうも話が違ってきた。「衣の下から鎧がのぞく」というか、西側世界の理解できない部分が増えてきた。 経済力はどうかと言えば、軽く日本を追い越して、そろそろアメリカに並び、いずれ追い越す勢いです。世界一の経済大国にのし上がる日も、現実味を帯びてきました。だからこそいま、中国には誰もが関心を持ち、考えようとしています。でも、どうも考えるための道筋がない。 中国がそもそもどういう存在かについては、以前からいろいろ考えてはきました。でも、近い将来、大きな対立や事件が起こって、世界史の転換点になるかもしれない。その危険が高まったので、今回急いで『中国vsアメリカ』を書きました。 この本をひと言でまとめるなら、文明の衝突の本です。文明は、経済・政治・外交・軍事などの個々の領域に表れてくる。文明を理解すれば、現在起きているさまざまな事象を統一的に理解できる、そんな思いで一冊にまとめてみました。 渡瀬 今回橋爪先生のご著書を拝読させていただき、まさにこれは巨大な文明同士の戦いなんだな、ということをまず思いました。特に先生は本の中で言語を1つのキーとして中国文明を論じられていましたけれども、僕は法律の在り方に着目しました。英米法と大陸法の対比ですが、中国の場合はそもそも法の上に党が存在しているという状態ですので、これまでの世界史の中心だった西欧列強のキリスト教的な世界観とは根本的に違うパラダイムに突入したんだな、ということを読みながら感じた次第です。 では、今後中国を巡って何が起こってくるのかアメリカ目線で考えてみると、第二次大戦後アメリカが対決してきた国や地域、例えばソビエトは軍事力とイデオロギーで対立し、日本とは貿易摩擦が生じるほどの経済力同士で激突した。その後のイスラム社会とは宗教の違いと人口力の衝突だった、と紐解けます。中国には圧倒的な人口力、そして経済力と軍事力がある。それらの力をもってアメリカと対峙しながら東アジアの覇権と周辺国への冊封体制を固めていこうとしているのでしょうけれども、果たしてアメリカを抑え込んで全世界的な支配を成し遂げられるだけのビジョンがあるのか、そこがよくわからない部分でして。 橋爪 そもそも中国には、はるか古代王朝の時代から、世界に対するポリシーがありました。自分を中国とか中華とか称するのが、その証拠です。歴代の王朝は、その時代に支配できる世界の果てまでを治めていると考えていた。大陸国家だから、周辺の砂漠地帯や遊牧地帯も視野に入っています。ペルシャやインドなど、ほかの王朝とも交流があった。はるかかなたのローマ帝国の存在だって、ある程度確認はしていた。そういう世界認識を背景にしたうえでの「中国」なのです。 元の時代はどうか。もともと漢民族ではなくモンゴル民族の王朝ではありましたが、当時知られていた旧大陸の大部分を支配して、世界帝国になりましたよね。そのあとの明の時代には、鄭和が大規模な船団を組み、インドからアフリカ東岸まで遠征している。「鄭和の遠征」ですね。この大船団に比べれば、コロンブスの船団などオモチャみたいなものです。このあと政変があって、記録をまとめるどころではなく、この遠征の目的がよくわからなくなっているんだけれど、いずれにせよこの大事業の規模から考えて、何かしらの世界戦略があったに違いない。 このように中国は、王朝が変われど、世界に対する意識を常に持っているものなのです。 渡瀬 なるほど、外に向かおうとするエネルギーはいつの時代にも共通して持っていたわけですか。 橋爪 世界に向けたポリシーや覇権、それを成しえるプライドと実力ははじめから持っているんだぞ、という気概が根幹にある。だから、清朝からあとの、植民地支配を受けて世界からいじめられた時代や、共産主義になって孤立して歩まねばならなかった直近の時代は、とても不本意な状態だった、と考えているでしょう。同時に、これからは世界の中でふさわしい地位を占めなければならない、とも。これが中国ナショナリズムなのです。 ただ一般的に、こういった発想はナショナリズムとは呼ばず、帝国主義とか、拡張主義とかと呼ぶ。そこが中国ナショナリズムの厄介な点だと言えます。 渡瀬 アメリカやソビエトの場合、世界中の人たちを説得するツールとして自由と民主主義、もしくは共産主義革命といった、たとえフィクションだとしても、そういった強力なイデオロギーをもとに世界をまとめようとしましたよね。一方の中国は内発的な支配秩序を全世界に広げたいというナショナリズムの変型がありますけれども、それで異に属する人たちを納得させられるだけのロジックを生み出せるものなのでしょうか。それとも純粋に力で抑え込むのか。 橋爪 ふつう帝国では、中心になる民族がほかの民族を統治するのには、その理由と、相手が納得できる普遍的な原理とを宣言をする必要がある。それではじめて帝国としての体裁が整うのですが、中国にはそこまでの「普遍的な統治原理」はありません。ただ、中国は優れている、漢民族は優れている、だから支配をするのは当然である。それだけなのですね。 渡瀬 つまり文明的にも最先端を走っているのだから、周りはそれに従うべきだし、またそれを模倣すべきだ、と。 橋爪 そうそう。中国的なやり方が最も優れているのだから、みんな中国の真似をするのは当然ではないか、という発想です。 渡瀬 今のまま中国の経済力や軍事力が強くなっていくと、まずは周辺地域から支配が及ぶようになる。カンボジアなどはすでに取り込まれていますよね。それがアジア圏を中心にじわじわと広がっていって、最終的にアメリカやヨーロッパまでも飲み込むような可能性はあるでしょうか? 橋爪 さすがにアメリカまで呑み込むことはないだろうけれども、仮にそうなったとして「何かいけないことですか?」。そのくらい、思っているかもしれないな。 渡瀬 なるほど(笑)。 橋爪 東南アジア周辺でも勢力を拡大している。ほかにも、スリランカの港を確保したり、アフリカでもあちこちにツバをつけたりしている。入っていけるところだったら、どこにでも入り込んでいる。戦前の日本は「八紘一宇」をスローガンに、東アジアの一帯に「大東亜共栄圏」を築くみたいなことをしたけど、そんなケチなレベルの話ではないな。 渡瀬 確かに。以前中国の抗日記念館に行ってみたことがあって、共産党バンザイ的な内容で自分たちだけで日本を撥ね退けたという展示だけかと思いきや、意外と最初の方には国民党が戦っていたことを示す展示がありましたし、世界中を巻き込みあらゆる情報を駆使して戦った、という内容だったと記憶していて。だから中国というのは案外世界に目が開かれていて、それをどうやってコントロールするのか、という幅広い視野がこのナショナリズム的な施設でも示されているのだな、ということを思い出しました。 そう考えると、向こう見ずに中国ナショナリズムで自分たちの優秀さを誇示しているだけかと思えば案外そうでもないのかもしれませんね。そうかと思えば相変わらず周りに向かって「優れた中国に従え」という態度を示し続けているのだから、やっぱり周りが見えていないのかもしれないですけれども(笑)。 しのぎを削る米中 渡瀬 先生はご著書のなかで「アメリカ自由連合」のアイディアを書かれていますよね。アメリカを中心に日本やヨーロッパなどが緊密に連携をとって、中国に対してデカップリングを行うべきだ、という主旨だったと思いますが、現実的に実現可能だとお考えですか? 橋爪 アメリカが本気になれば、なんとかなるような気もする。これは要するに、肉を斬るみたいな話ですから、当然血が流れます。でもこちらが、相手の骨に届いていれば我慢のしようもあるわけ。ここで甘い態度に出て、「共存共栄」だとか「経済は別」だとか言いだすと、気がついたときにはもっと不利な条件で中国の言い分を呑まなければならなくなる。 渡瀬 今のまま進展すると最終的に米中の力関係が逆転するので、条件が不利になるどころか普通に負けてしまいますね。 橋爪 台湾がまだこちらのコマであるうちに、手を打つべきです。香港もこちらのコマだったのが、気がついたら相手に取られてしまった。将棋でいう、駒損です。そうやって時間が経てば経つほど、どんどん形勢が悪くなっていく。だから早めに手を打つべきなのだけれども、現状、中国に対して効果的な手立てがあまりない。 渡瀬 対抗措置としてトランプ前大統領が中国企業に対してかなりの経済制裁を行いました。輸出を止めたことによりZTEなど一部の企業には効いたものもあるでしょうし、ファーウェイも一応アメリカから締め出される格好になりましたが、そうはいっても中国経済は好調を保っていますよね。今はどちらかというと国内で新しい産業を立ち上げることに精を出していますので、どこまで効果があったかは疑問です。 橋爪 中国は農業国だし、自国の領土には地下資源が豊富に埋蔵されていて、石油はそれほどでもなくても、石炭は山のように採掘できるから、エネルギー資源は十分確保できる。だから、地球環境問題さえ気にしなければ、国際社会からデカップリングされてもそこそこ経済を回すことができるのですね。 その一方、これから世界経済の中で主要なポジションをとるためには、研究開発(R&D)で先端を走り、ハイテク産業を牽引し、常に新しいプロダクツを作り続けられるかどうかがカギになります。今のところアメリカは、先端技術の開発力でもトップなのだけれども、中国も猛烈に追い上げています。 まだしばらくアメリカが中国に勝てる分野はどこかと言えば、大学です。大学がしっかりしていれば、先端分野で遅れをとることはない。 渡瀬 確かに世界のトップ頭脳はいまだにアメリカが抱えていますね。 橋爪 中国国内には14億の人がいますし、「千人計画」で外国からそれなりの人材を引っ張ってきてもいる。とは言え、この差はまだ大きいのです。ただこの分野にも、アメリカ並みの資金を投入している。学術研究の分野の育成に全力を注ごうとしているのは明白です。 たとえば、研究開発の面で、米中がしのぎを削っているのは、量子コンピュータの分野です。量子コンピュータは、在来のスパコンよりも桁違いに計算スピードが早い。すると、非量子コンピュータの暗号を解読し、相手国のシステムを突破することができるようになる。しばらく前なら、先端技術で、米中がトップ争いをするなんて、考えられなかったでしょう。でもいまは、もうそういう時代なのです。 量子コンピュータが実用化すれば、軍事技術の核心になるでしょう。相手国の軍事通信システムを無力化できる。だから、両国は負けられないと必死で研究しています。 渡瀬 そこまでいけばもはや武力同士の戦争、という話にもならないですね。 橋爪 中国はすでに量子コンピュータの初期実験に成功した、と発表しています。このように必要な研究開発に中国共産党が主導して集中的に投資するシステムが確立しているんですね。そこが民間レベルで研究を行なうアメリカと違う点で、ある意味非常に効率的です。これは相当手強い相手ですよ。 中国研究所をつくる上で 渡瀬 先生は本のなかで日本での中国研究所の必要性を説かれていますよね。僕は同様のものがアメリカでも必要じゃないかな、とも思っていて。 橋爪 どの国も、中国の研究が足りていませんね。 なぜ私が日本で中国研究所を作るべきだと主張したかと言うと、日本はアメリカよりも中国のことを内在的に理解する歴史的体験を持っているから、です。それはわれわれの苦い過去の経験なのだけれども、日本は、大東亜共栄圏を構想する以前に、台湾と朝鮮半島を併合し、さらに満州国を作りましたよね。その頃の、1930年代の社会科の教科書を見ると、日本は多民族国家である。日本の民族を示す円グラフは、大和民族、中国民族、朝鮮民族、…で構成されているんです。 渡瀬 へえー、そういう作りになっていたんですか。 橋爪 戦前の日本は多民族を政治的・経済的に統合して、東アジアの新秩序を樹立する国家事業に取り組んでいたわけです。 では、もし仮にその構想が成功して現在も続いていたら、どうなるだろうか。台湾でも朝鮮半島でも、民族の独立を掲げる独自のナショナリズムの運動が出てくるようになるだろう。統治する側の日本ナショナリティがいくら強調されようと、統治される側の文化・伝統は日本統治の開始よりももっと古くにさかのぼれるわけだから、大日本帝国から政治的に独立したい、という声が上がってくる。 その声を抑え込むために治安維持法で取り締まり、強制収容所に収容したとする。そうすると今度はアメリカなど西側世界の人権派団体が、日本を糾弾する報告書を提出して、日本を非難する。こんな流れになるでしょう。 渡瀬 容易に想像できます。 橋爪 つまり,今の中国が直面しているチベットや新疆ウイグルを取り巻く事態とほぼ似たような問題が起こったはずです。では日本列島にいるふつうの日本人はそのような事態のことをどう思うだろうか。大日本帝国は天皇が統べる世界で最も素晴らしい唯一の国である。だからわれわれは、われわれのやり方で近代文明国家として生きていく。その固有の権利があるのに、人権を持ち出して日本を非難するアメリカは何様のつもりだ。日本は西側世界の言いなりにはならないぞ、と。こんな論調が主要新聞の社説に掲げられるはずですね。 幸か不幸か戦争に負けたので、日本は、多民族社会ではなくてほとんど日本人だけが集まる小さな国になった。だから日本は、統治を巡るその手の問題を自然にパスすることができているのです。 渡瀬 なるほど、確かにアメリカ人よりも日本人の方が中国理解に適している、その素地がわかりました。加えて歴史的背景しかり、言語的にも一応漢字が共通言語なので相手の発言内容も比較的わかる。それに地理的にも東南アジア一帯まで含めて視野に入れやすいから、この地域における情報優位性をアメリカに対して持てますし、その情報がアメリカの政策形成に影響を与えることもできる、その可能性を秘めています。 橋爪 そのためにまず、日本が独自に情報をとらなければならない。「人民日報」などの現地紙も官報なども、漢字で書いてあるのだからアメリカのアジア研究者たちよりも、日本の一般の人びとの方がはるかに速やかに理解できる。 だからさっそく情報分析に取り掛かったほうがいいのだけれども、今の日本人がそういう活動を行なうと、どうしても中国の人びとと仲良くなってしまうんです。 渡瀬 (笑)。 橋爪 正確な分析は、まず相手の立場に立って文章を読む。そのあとで、批判的な検証をする。その上で、自分の従う原理原則から見て許容できるか否かを厳しくチェックする。この一連の作業は一人でやらなければならないのです。でも日本はこういうタイプの研究者を育てていないな。それが今の問題なんです。 渡瀬 まさにおっしゃるとおりです。僕の場合、アメリカの共和党保守派をメインに研究していまして、当然トランプ政権についても分析・評価を行ってきてですね。もちろんトランプさんの行動や人格的な部分にいろいろ問題があったことは承知していますけれども、いい政策にはきちんと評価をしてきました。一方でその政策が日本にとって是正すべきものならば、彼らの特性を上手く掴んで日本が有益になるためのメッセージを発してコントロールするべきだ、ということは常々考えていて。ただ、最近はトランプさんの言っていることは全部正しいんだ、と思い込んじゃっている人たちがかなり多くいてですね。 橋爪 そういう話が枚挙にいとまないからとても困るんですけれども。 渡瀬 そうですよね(笑)。 橋爪 それに日本が中国について収集・分析した情報がアメリカにとって有益であればあるほど、日本の立場を守ることにもつながります。日本からの情報は正確で質も高く何より役に立つ、とアメリカが認識すれば、日本を信頼するようになる。 でも今のアメリカは゛その反対に、大事な情報が日本政府経由で中国に漏れてしまうことを懸念しています。日本の政治家をはじめ、外交や軍事、ビジネスのトップリーダー、トップエリートたちにインテリジェンス感覚や基本的なモラルがない。その訓練すら出来ていない。言っていいこと悪いことの判断ができない。これが信頼を損ねる原因ですね。 今後は中国研究所も必要になるけれども、同時に、それを使いこなすリーダーの育成も必要なんです。 渡瀬 研究機関の思想信条が中国べったりだったら、中国側は自分たちに有利な情報流すなどして利用してくるでしょうね。だからそこからは確度の高い情報を得ることはできない。かたやこの機関の研究者たちは日本の立場に立って分析をしている、それが相手に伝われば、お互いシビアな関係ながらも信頼はおけるので、必要な情報が自然に集まるようになるでしょう。ようするに仲良くなることと大人としてちゃんと対応することは別、ということですね。 橋爪 そういった確かな信頼がなければ、本当のコミュニケーションなんて出来ないです。まずはそれぞれの立場の人たち、インテリジェンスも、アカデミズムも、ポリティシャンも、自分の職責に従ってきちんと仕事をしてもらう。これが出発点ですね。 渡瀬 その最も基本的な点からのスタートしなければいけないのがなんともいえない話です。 橋爪 悲しいですね。 中国から情報を収集するために 渡瀬 先生は本書で中国に対して文明論的な切り口から全体像を掴むアプローチをされましたが、より詳細に分析をするためにはどうすればいいでしょうか。アメリカの場合は様々な研究機関があって、個々のイデオロギーが鮮明なので、例えばこの機関のこの研究者の立場はこうだから、この件はこういう意見なんだな、といった情報ソムリエ的な見方がすごくやりやすいのですが、中国に対してそのような分析がかなり難しいな、という印象がありまして。 橋爪 私は分析の専門家ではないので詳しい話はできないのだけれども、ひとつ言えるのは、中国は大事なことほど文字のかたちの情報でなかなか表に出ない、だから分析も難しい、ということです。例えば四人組が健在だった頃は誰もが、毛沢東思想で革命をやるんだ、と発言をしていましたよね。しかし、本音ではかなりの人びとがこの路線は駄目だと思っていた。だから、改革開放が始まったとたん、脱兎のごとく全然違った方向に走り出した。果たして四人組の時代、政府のやり方に反発するようなことを言えましたか。 渡瀬 口にした途端に死んでしまうでしょうね。 橋爪 だから黙っていた。新聞にも書けないし、文章に残しても発表できない。だけど頭の中にはあった。鄧小平が苦労して党中央に返り咲いたら、それまでとは全然違った言論が表に出てくるようになりました。 これが中国の基本的な性質なのであって、昔からそうだったのだろうと思う。 渡瀬 なるほど。 橋爪 中国にはもともと自由に議論を戦わせる伝統がありません。だけど各人自分なりの考えはあるから、その日がきたら発言する、という態度なのです。その日が来なければ歴史の中で評価してもらえばいい、そんな長い視点で考えている。 渡瀬 あるいは竹林の中に入ってしまうか(笑)。 橋爪 その暗黙の情報を取れてこそ、本当のインテリジェンスだと言えるでしょうね。ではその兆候をどうやって見つけるか。例えば一見、毛沢東政策を美辞麗句で礼賛した文章なのだけれども、あるべき形容詞がひとつ足りないとか、あるいは万歳三唱中の万歳がひとつ少ないとか、そういうわずかな徴候にヒントが見つかるかもしれない。 渡瀬 ソビエトに対して行った「クレムリノロジー」的な分析手法ですね。 橋爪 ただし、共産党政府も自分たちの性質を理解しているから、そのような異分子を見つける能力に長けている。学校の校則で決められたスカート丈が1センチ違うだけで摘発するようなものです。微妙な差異の中に大きな意味がある、という発想が常に頭の中にありますよ。 渡瀬 そうなると中国から情報を収集する技能は一朝一夕では身につかないな。中に入ってようやく手がかりがつかめるようになるかどうか。 橋爪 中国人の友達がいれば多少本音で話してくれるだろうから、そこが糸口になるかもしれないけれども、誰かが知っていることはあくまで巨大な全体のごく一部なので、中国の全容は誰にもわからずじまいです。 渡瀬 これは相当難しいミッションですね。 中国ナショナリズムの再構築 橋爪 今の習近平政権に対しても、内部では相当な反撥のエネルギーが溜まってきているはずです。そのエネルギーを行動に転換させるためには、「このやり方は中国的でない」と人びとが思わなければ駄目なんです。これは中国史における王朝交代と同じ原理で、前の王朝が倒れるときは、「中国らしくない王朝だ」と民衆が思った時です。中国のプライドを傷つけている現王朝は滅ぶべきだ、と。 結局のところ体制の安定は、中国共産党と中国ナショナリズムの折り合いの問題なのです。残念ながら冒頭にのべたような、中国ナショナリズムを体現している存在が習近平政権そのものなんですよね。この現状を打破するために、私は、中国の人びとが中国共産党抜きの中国イメージを作る必要があると思っているのだけれども、近代以降、共産党統治以外に思い浮かぶのは国民党ぐらいしかない。その国民党も内実はほとんど共産党と変わりませんから、オルタナティブがない状態です。 渡瀬 そうなると次の一手として考えられるのは農民反乱か宗教反乱か、という話になりますか? 橋爪 民衆の暴力が伴うとコストが大きいし、政府が倒れたあとは必ず迷走します。 あと、私がやるといいなと考えているのは、日本に、中国の人びとが書いた文章を無条件で載せるWEBサイトを作ることです。 渡瀬 それも本にも書かれていたアイディアですね。 橋爪 そのWEBページを開けば政府見解とは異なる言論が中国に存在することがわかります。つまり、亡命政府の代替のようなものだと考えればいいです。 独裁政権から脱出した亡命政府は、スケールの割に国際的に大きなインフルエンスを持つ場合がある。代替言論が共産党政権に対抗する力を持つためには、本国以外に中国語で発言できる別天地を用意する、という発想です。ただし、その言論はとても愛国的で、かつ中国のことを深く理解した真実の発言でなければならない。さらにその文章のクオリティが一流でなければならない。だからみんな、読みたい。ここまでのものが出来てようやく、影響力が生まれるでしょうね。 渡瀬 発言が制限されている内側ではなく、外の世界に自由に発信できる場所があれば、集まった情報は共有・蓄積されるし、アクセスが増えれば個々人の考えもますます促進されます。 橋爪 香港がその機能を担っていたんですけどね。だから潰された。 渡瀬 まさにその文脈ですね。そうなるとそのアイディアは現在亡命中の人がやる、とうのが一番筋道としてもはっきりしますが、郭文貴では質が低すぎるな(笑)。 橋爪 本来なら中国の人びとがダイレクトに世界にアクセスできるのが一番よくて、インターネットの普及がそれを叶えるかと思いきや、グレートファイアウォールで規制されてしまったし、スマホはアプリや内蔵チップで制限がかけられている。これは技術的なプロテクトのように見えて、実は、中国人が中国語でものを考えている限り世界とのつながりが常に遮断されてしまう、そのことに技術的なみかけを与えたものなんです。つまりこのグレートファイアウォールのウォールたる所以は中国語そのものだ、と。 その壁を突破するためにはAIの技術を駆使して、他言語を速やかに非常にこなれた中国語に変換する必要がありますね。たとえ英語や日本語の素養がなくても、即座にふつうの中国人よりも流暢な中国語に変換できるようになれば、多くの人が海外メディアに容易にアクセスできるし、世界の多くの人びとが容易に中国語で発信できるので、情報量が桁違いに増えます。 渡瀬 同じことが日本でも言えますね。最近は変換精度が上がってきましたが、さらに技術が向上してより自然に日本語と英語のやりとりができるようになれば、日本人の価値観も変わって今とは全く違う社会になるでしょう。 橋爪 完璧な言語の相互変換は、人びとの考え方や行動様式すら変化させるだけの力を持っていますので、文明論的視点からみても大きなインパクトがあるのは間違いないでしょう。そしてグレートファイアウォールを築いた中国共産党という存在のアイデンティティもまた中国語である、と言えますから、中国社会から中国語の輪郭が溶けてしまえば中国共産党は存在意義を失います。 だから遠回りのようですけれども、まずは中国に向けて自由な言論にアクセスできる環境を整備して、中国ナショナリズムを再構築する手助けをすることが一番の近道になるかもしれません。 今後のアメリカ展望 渡瀬 アメリカの方に視点を移して少しお話を伺いたいのですが、これから4年間のバイデン政権が始動しますよね。先生はトランプからバイデンに変わって、どのような変化があると思いますか? 橋爪 まず両者の比較ですが、トランプは常に喧嘩腰で、オレが一番だと思っている強気なところが売りでした。だから政権が続けば、多少無理目でも何かしら仕掛けていくことはあったでしょう。対するバイデンは謙虚でみんなの意見を聞く態度がありますね。そして良くも悪くも政治の仕組みに慣れすぎています。だから独断で動くことは考えにくいのです。 ではこの先どうなるか。民主党は今まで「関与政策」という名の曖昧政策で、中国にいいようにやられてきた前例があるじゃないですか。それに中国は、アメリカの要人を籠絡するための工作も国家プロジェクトで仕掛けています。当然アメリカ側も似たよう工作は行なっているわけだけれども。で、当のバイデンもすでに中国の工作に引っ掛かっているかもしれなくて、まずい点がすでに表面化しています。だから中国側はこの機に、トランプ時代にきつく縛られたカセを緩めてもらおうと画策をしてくる。しかし、ここまで米中対立が深まった状況では、いくらバイデンが脛に傷持っているとしても、この路線は継続せざるをえない。米中対立そのものはますます深まるでしょうね。 渡瀬 僕も基本的な米中対立の文脈は何も変わらないと考えています。ただ、バイデンの周りには東アジア、特に対中国に対して強硬論的な政策を打ち出すスタッフがあまりいないんですよね。次期国務長官のアントニー・ブリンケンはどちらかというと中東あるいはヨーロッパ対応が専門ですし、ほかの専門家も東アジアに対する関心は薄いです。こういう状況のなかでどう中国を抑え込んでいくかを今後議論していく必要があるでしょう。そこでこれは1つの仮説ですけれども、中東地域に向けて強硬論を発していたネオコンの人たち、例えば共和党のマルコ・ルビオ上院議員や、民主党のロバート・メネンデス上院議員らが反共を旗頭に中国に牙をむくのではないか、という見方があります。このような動きが活発になるとバイデン政権にもかなり影響を与えるようになるかもしれません。 橋爪 もちろん独自に対中国で動く人びとは出てくるだろうけれども、いちばん大事なのはオール・アメリカで対中方針を示すことですよね。アメリカの意見が分裂しているうちは効き目がないと思う。 渡瀬 なるほど。 橋爪 ところで、ジョージア州の特別選挙で民主党が上院の2議席を取りましたよね。そうなると今後の議会運営もだいぶ様変わりするのではないでしょうか。 渡瀬 そうですね、まず今までと違い民主党だけで両院の過半数を取れるようになりました。ただ、民主党の中にも上院で2人中道派の議員がいますからそこは検討材料ですけれども、共和党側にも中道派が2人いることを考えると、おそらく民主党が毎回議会の過半数を取る、という話になります。 とは言いながらも、バイデン自体は出来れば中道に寄りたいと考える人ですから、50:50の議案が出た場合、最終的には民主党の意向が通るにしても、あえて共和党上院院内総務のミッチ・マコネルと交渉するという中道的な対応をみせるかもしれません。 橋爪 そういった態度を示しておけばバーニー・サンダースら党内左派はあまりうるさく言えないですね。 渡瀬 そのとおりです。党内の突き上げをくらわないために、民主党上院は実質的に2人の裏切りが出るかもしれない、という雰囲気を醸し出しながら議会運営を行うのがバイデン政権の特徴になるでしょう。 また今回のジョージア州の特別選挙には別の見方もあって、民主党が勝ったことにより今後共和党側の選挙の見通しがかなり苦しくなりました。共和党が特別選挙で負けるのは本当に久しぶりの事態なんですよ。昨年の議会選挙の結果でいえば共和党はそこまで負けていなかったし、むしろ下馬評より強かったので今回の特別選挙を取る可能性はありましたし、2年後の中間選挙で共和党が下院を取り戻すことも視野に入ってきた、という矢先に今回のトランプさんの所業……ですから(笑)。はっきり言ってこの動きが共和党側に相当のマイナスを与えました。また、このままだと2022年に下院で過半数を取り戻す可能性も50:50かそれ以下になったかもしれないです。 橋爪 なぜ共和党はあそこまで露骨にトランプに抱きつかなければならなかったのだろうか。どうも日本の選挙の状況、票を確保するために自民党議員が安倍さんを支持した状況に酷似しているような気がしますね。 渡瀬 基本的には予備選挙の仕組みがそうさせるのでしょう。下院の場合、共和党が非常に強い赤のエリアでは党内選挙で対抗馬をぶつけられて自分の議席をひっくり返されるおそれがありましたし、上院議員の中にも10人くらいはその可能性がある議員がいて、だからトランプさんにおもねる必要があった、という理解です。 もう1点、実は大統領選後にトランプさんは思った以上にお金を集めることに成功したんです。これはどういうことかというと、共和党の予備選挙というのは支持が落ちるのに伴い集金も減るから撤退、という流れがあって、ここから先はあくまで仮定の話を含みますけれども、トランプさんが4年後まで同じペースで集金し続けたら他の候補者は出馬できず、4年後の大統領選を再びトランプさんで戦う可能性があった。もしくは2年後の中間選挙、予備選挙から本選までを含めて影響力を行使し続けるかもしれなかったので、ようするに共和党の議員たちの腰が引けていたんですよ。 また僕が毎年参加している「CPAC(Conservative Political Action Conference)」という保守派の大会のここ数年の様子なんですけれども、2016年の時点ではトランプさんの人気はあまり高くなかったんですよ。翌年、大統領就任1年目にトランプさんも大会に出席していましたが、借りてきた猫みたいな様子でしたね。その次の年はさすがにちょっと認められてきたかな、という雰囲気も出てきたのですが、大統領就任3年目の大会になると今度は逆にトランピストが多数を占めるようになってしまって昔からの保守派の人たちが大会に来れなくなってしまった、ということがありました。現在、「CPAC」を主催している「ACU(The American Conservative Union Foundation)」のトップがトランピストなんですよ。共和党の支持母体の1つであるこの強力な保守派の団体がトランピストに乗っ取られてしまった。そんな状態なので、ここを元の保守派が取り戻せるかどうか、これが今後の共和党を見る上での1つの焦点ではないでしょうか。 橋爪 まさに共和党のアイデンティティに関わる問題だな。 渡瀬 トランプ政権時代はマイク・ペンス副大統領を筆頭に共和党保守派みんなで鎖に繋いでいたから、いくらトランプさんがめちゃくちゃだとはいえ抑え込むことはできていたんです。ただ、大統領選が終わった直後からその鎖が外れてしまった上に、周囲がトランピストだけで固められてしまったから一瞬でおかしくなった、と僕は見ています。そして共和党にとってものすごくマイナスな方向に進む結果となった、それが現状ですね。 橋爪 対中国を議論する上で、何よりもまずは共和党がきちんとしてもらわないのだけれども、これは本当に困った状況ですね。(おわり) ★はしづめ・だいさぶろう=社会学者。大学院大学至善館教授、東京工業大学名誉教授。『はじめての構造主義』、『世界がわかる宗教社会学入門』、『ふしぎなキリスト教』(共著)、『戦争の社会学』、『死の講義』、『はじめての聖書』、『性愛論』、『アメリカ』(共著)など著書多数。1948年生まれ。 ★わたせ・ゆうや=国際政治アナリスト、早稲田大学招聘研究員。早稲田大学大学院公共経営研究科修了。機関投資家・ヘッジファンド等のプロフェッショナルな投資家向けの米国政治の講師として活躍。創業メンバーとして立ち上げたIT 企業が一部上場企業にM&Aされてグループ会社取締役として従事。著書に『メディアが絶対に知らない2020年の米国と日本』、『なぜ、成熟した民主主義は分断を生み出すのか』、『税金下げろ、規制をなくせ』など。1981年生まれ。