対談=岩田規久男×柿埜真吾読書人WEB限定 「インフレで庶民が苦しんでいる」、「値段が下がるからデフレのほうがうれしい」、「円安で得をしているのは大企業・資本家だけ」、「円安になっているのは国力が低下しているからだ」……etc. テレビや新聞をはじめとするマスメディアによる経済ニュースでは、最近このような論調が増えている。特に夏の参院選前には、与党の経済政策に批判的な報道が連日流れたが、果たしてその情報は正しいのか。 経済学的知見、議論に基づかない経済報道や姿勢がいかなる弊害をもたらすのか、日銀前副総裁で上智大学・学習院大学名誉教授の岩田規久男氏と高崎経済大学非常勤講師の柿埜真吾氏に対談いただいた。 対談中、アベノミクスの意味や日本経済に何をもたらし、何が不足していたか、といった指摘もある。7月8日、不幸にも亡くなった安倍元総理が目指したものが何であったか、正しく理解する上でもぜひお読みいただきたい。※対談は6月18日に収録。(読書人WEB編集部) 経済を学ぶのは難しい 岩田 近ごろ、経済を学ぶのは本当に難しいことだな、とつくづく思っているんです。私のような立場の人間がこんなことを言うと元も子もないのですが。というのも、最近読み返したクルーグマンの『良い経済学悪い経済学』(日経ビジネス人文庫)にも同じようなことが書いてあって、まったくそのとおりだな、と。 本の中でクルーグマンは「俗流国際経済論」というフレーズを使っていますが、ようするに、経済学をきちんと勉強しなくても、なんとなくわかった気になる本を人びとは好んで読むから、根拠も理論も成り立たないおかしな経済論が巷に流布している、ということを言っているんですね。 確かに、ベストセラーになるような本を見回してみると、単に“わかりやすさ”を売りにしつつ、いかにも仰々しいタイトルのついたものばかりです。そういった本を書店で見かけた読者は、この本を読まないと大変なことになるぞ、と思いこんでついつい買ってしまう。 それこそ、タイトルでハイパーインフレをうたった本なんか、まさにこれですよ。はっきり言って根拠不明。でも、オオカミ少年のように「オオカミが来るぞ、大変だ!」と大声で煽るから、みんな不安になって、どうしても手に取ってしまうんです。 平気でエビデンスを曲げて、人びとの危機感を余計に煽る。そんな、正しい経済理解とは程遠い本がベストセラーになる一方で、私や柿埜さんが書いた、きちんと経済を解説した本は難しいからか、ベストセラーとは無縁の状態で……。 柿埜 (笑)。 岩田 経済っていうのは、AとB の一元的な関係性だけで説明できるほど、単純な仕組みじゃないんですよ。そうではなく、あらゆる要因が少なくとも二方向には影響を与えあう、複雑な相互依存関係によって成り立っているんです。 これを理解するために、経済学的なモデル思考が必要になりますが、モデル思考に慣れるためには時間をかけて、勉強を続けなければならないから、とても辛抱のいる学問なんです。 本来は、マスメディアや発信力のある人が経済学を正しく理解して、正確に情報を発信してくれれば、経済理解はもっと進むと思うんですよ。 ただ、いかんせん国会議員ですら初歩的なことすらわかっておらず、あろうことか国会の場で、今の金融政策を小学生でもわかるように説明しろ、と土台無理なことを詰め寄る有様なんです。こんな知的状況では前途多難ですね。 またクルーグマンは、誰しもがいっぱしに経済政策論を語りたがるものだ、というようなことを書いていて、これもまったく同意です。つまり、経済の専門家以外の、たとえば政治や国際政治の専門家、医者や作家、あるいは心理学者などの人たちが、テレビでもっともらしい経済政策を語っていて、それなりの支持を集めてしまうのです。 では逆に、門外漢の私が専門外の医学や文学、その他の専門領域について、付け焼き刃の知識で演説ぶったとして、その話を聞きたいと思いますか? しかし、こと経済に関しては、どんなに間違えたことを言っていたとしても、テレビに出ているだけで、あるいは立派な肩書さえあれば、なぜかみんな耳を傾け、信用される。まったく不思議な話です。 それこそ、朝のワイドショーなんかで、あらゆることに精通していそうな、いかめしい顔のコメンテーターが、「今の日本には国力がないんですよ。だから円安になるんです!」とトンチンカンな発言をしたとしても、なぜかみんな納得してしまうんです。 では、そのコメンテーターの言葉に従って、日本が円高になると本当に国力がつくのか、ちょっと検証してみましょう。 まず、79円台まで円高が進んだ1995年。この時期の実際の経済状況はどうだったかというと、バブル崩壊から立ち直れないまま、有効求人倍率は0・7倍ぐらいにまで下がり、失業者は日に日に増加していきました。そうなれば、当たり前ですが経済成長率も急低下する。経済が悪化していたのは一目瞭然です。 もっとわかりやすいのが、東日本大震災のときでしょうね。このときも震災直後に79円台をつけました。未曾有の国難ですから、データ上もさることながら、それ以前に目の前が惨憺たる状態だったのは誰でも分かる話です。でも円高だから、これらの時期は国力は増していた。そう言っているに等しいのです。 柿埜 東日本大震災前のリーマン・ショックの時点で円高は進んでいましたよね。 岩田 そのとおりです。世界的な経済リスクによって、経済がしぼみつつあったところに追い打ちとしての震災で。ここから第二次安倍政権スタートするまで、失業率が4%を上回るなど、日本経済にとって最悪な時期でした。 ところが、2011年から12年にかけて、70円台の円高で推移していましたから、その頃がもっとも国力旺盛だったらしい。なんともバカげた話ですね。 冗談はさておき、国難の時期ほど円高進行になりますが、これがどういったメカニズムからきているのか。 前提として、日本経済はデフレ状態が長期的に続きましたので、経済的リスクが発生するたびに、さらにデフレが深刻になるだろうと人びとが予想する、デフレ予想が大きくなります。 このデフレ予想が大きくなることで、日本の実質金利は上昇します(実質金利=名目金利-予想インフレ率)。そうなると、日米実質金利は相対的に日本のほうが高くなるので円高になるのです。 つまり、1995年のときにしても、東日本大震災後にしても、日本経済はそれまで以上に落ちこむだろうと大多数の人が予想していた、ということです。それが日本経済に対する客観的な評価だったんですね。 日本のデフレ予想は、何も国内要因だけでなく、それこそリーマン・ショックのような全世界的リスクに対しても働いてしまうほど根深く、そのたびに円高になるような状態でした。テレビ的に言うと、安全資産として円が買われる、リスクオフ的な行動が起きているのだ、と。 私が日銀副総裁だった時期にもリスクオフ的な動きが続いて、一時は90円台をつけました。それは、金融緩和を行っていたにも関わらず、デフレ予想から抜け出せていないことを意味するので、そのときは本当にショックでしたよ。 その頃から比べると、今はだいぶ円安になりました。ようやく、デフレ予想よりもインフレ予想がある程度上回ったのです。日本の予想実質金利の上昇は抑えられ、日米の予想実質金利差が逆転し、円安になりました。 以上のように、円安・円高というのは予想実質金利の上がり下がりの反映にすぎないので、国力云々とはまったく関係のない話なのです。 柿埜 そもそも、国力なるものが何を指しているか、定義すらきちんとされていないので、意味をなさない議論ですね(笑)。 それはさておき、リーマン・ショックの時に、日本とは反対にものすごくウォン安になった韓国の例を挙げると、さらにわかりやすくなると思います。 この時期の韓国経済はウォン安効果で、輸出や観光が伸び、メディアなんかでも多く称賛されたのでご記憶の人も多いと思います。それこそ日本とは真逆で、ものすごく絶好調の時期でした。 ところが、自国通貨の上がり下がりを国力なるものと勘違いしている、日本の自称ナショナリストの方たちは、ウォン安の動きを見て韓国滅亡の兆候だと喜んでいました。滅亡しそうになっているのはどっちの国の方だと言いたくなりましたが。 岩田 ちょうどリーマン・ショックの後に韓国に行って、観光案内のツアーバスに乗ったんですよ。そのときは日本語のよくできるバスガイドがアテンドしてくれたのですが、「ウォン安のおかげで皆様に旅行に来ていただきました。とても幸せです」と言っていましたよ。経済のことをろくに知らないテレビのコメンテーターなんかよりも、ずっと経済のことを理解しているバスガイドでした(笑)。 柿埜 まったくそう思います(笑)。 岩田 日本も円安になったので、本来はインバウンドで潤うはずなんだけれども、コロナの影響で外国人の入国制限が厳しく、観光業はいまだに苦しんでいるのが現状で。 柿埜 日本政府は早く入国規制を緩和したほうがいいと思いますが、はっきり言って動きが遅すぎます。 岩田 日本がインバウンドを受けいれていない分、タイなどの東南アジア諸国に人が流れて、すごく潤っているようですね。日本は今の状態が続けば続くほど、ますます人気がなくなってしまうのではないか。海外はとっくにウィズ・コロナで社会は動いていますし、マスクをしている人なんて全然いないですから。 「悪い円安」論の害悪 柿埜 あれこれ理由を並べて、さも円安が悪い現象であるように印象づける「悪い円安」論のひとつが、前述の国力なるものと結びつける解説で、それがいかに間違っているかは岩田先生がお話になったとおりです。 日々、ドル円の為替レートが報道されるので、多くの人はその上下を見て一喜一憂してしまいがちなのだと思いますが、それは日本経済の強さとは何の関係もありません。ほかにも、実質実効為替レートを持ち出して、1970年代以来の円安で、日本の国力が落ちているなどという議論がありますが、これも誤りです。 ドルだけでなく、貿易相手国の通貨を加重平均した総合的な為替レートを名目実効為替レートと言いますが、実質実効為替レートというのは名目実効為替レートに、自国と貿易相手国の物価の違いを考慮したものです。 名目実効為替レートは変らなくても、日本の物価が外国よりも下落した場合、日本の製品は割安になりますから、実質実効為替レートは円安になります。 日本の名目為替レートは1970年代よりも遥かに円高です。日本の実質実効為替レートが下がっている要因は、これまで日本だけがデフレだったために、諸外国の物価に比べて相対的に物価が低くなったからです。最近は各国が大幅なインフレで軒並み物価が上がっていますから、なおさら円安になっています。 では、実質実効為替レートが自国通貨安だった場合に弊害があるのかといえば、何もありません。1970年よりも自国通貨安になっている国を見ると、基軸通貨国のアメリカをはじめ、健全通貨主義の権化のドイツ、高度成長を遂げた韓国などたくさんありますが、いずれも豊かで繫栄している国であり、問題は何も起きていません。 前述の韓国のように輸出や観光での恩恵が大きくなるので、今の日本があえて自国通貨高を目指す必要性はないのです。今、盛んに円安の弊害だと騒がれている原油高や穀物高は、世界的な供給不足が原因で、円高にしたところで解消されません。 それなのに、短期の為替が高いか安いかだけで、いちいち国力が上がった下がったなどと論評するのはナンセンスです。なにより、短期的な為替変動は様々な要因が絡むので、これを指標に経済政策を決めると、経済は非常に不安定になってしまう。岩田先生が『資本主義経済の未来』(夕日書房)で指摘されているように、大抵の経済危機は、為替を目標に金融政策を決めた結果として起きています。そういうことをやってはいけないというのが歴史の教訓なのです。 岩田 ここしばらく、ドル円の為替レートは130円台で推移していますが、私はもともと、130円台がデフレからの完全脱却のための、ひとつの分水嶺だと考えていました。それが、私の副総裁在任中は120円台で頭打ちしてしまった。それは、黒田総裁が120円台がファンダメンタルズだ、と発言してしまったからなんです。あの人はときどき余計なことを言う(笑)。 柿埜 正直、130円台が日本にとって悪い状態だとは思わないのですが、世の中では130円台でこれだけ大騒ぎしています。 岩田 食料品価格やエネルギー価格などの高騰で、生活が大きく圧迫される人に対しては、補助金で対処するといった分配政策で対処することが望ましいと思います。 例えば、国民民主党が提案している、一人当たり10万円を分配し、一定以上の所得の人には、その分配された補助金を所得に含めて、確定申告してもらうといった方法は公平な価格高騰対策だと思います。いずれにせよ、この問題は金融政策ではなく、所得分配政策で対処すべき問題です。 柿埜 むしろ円安になったことで、国内の上場企業の3分の1が3月の決算で最高益を出すほどでしたし。つまり、日本全体でみれば明らかに利益のほうが大きいのは間違いないのです。 岩田 でも、そういった報道が出ると、株価が上がって喜ぶのは投資家だけで、庶民には無関係だ、なんて言い出す人が現れる。なにも株価が上がる恩恵は、投資家だけが独占しているわけではないのですが。 なぜなら、国の年金積立や民間の保険会社も機関投資家として株を運用していて、株価が上がって出た増益分は、皆さんの年金を支えるために使われるし、保険の配当額だって将来的に増えるかもしれませんよ。 民間銀行も株を運用しているから、株価が上昇すれば、潰れそうな銀行の救済にもつながります。銀行が潰れると金融システムにショックを与えかねず、それが原因で景気後退するおそれがありますから、結果的に我々の生活を支えることになります。 それに、円安が輸出に有利に働いていることも、海外向けに商売をしている企業の株価上昇に一役買っています。そういった企業は上場しているところが多いんですね。 よく理解していない人は、生産拠点が海外に移ったから、輸出による恩恵が以前よりも減少し円安効果は軽微だと言うのですが、そもそも、海外に生産拠点としての日本法人を持っているような企業は、連結財務諸表で会計をみるので、海外での業績は日本本社の業績に跳ね返る。だから、株価上昇に寄与するのです。 最近、ダウ平均の乱高下が激しくなっているなかで、日経平均が下がりすぎることなく、一定の水準を維持できているのはそのためです。 柿埜 円安で企業収益が改善し株価が上がれば、企業は投資に積極的になり、自然に雇用も伸びていくし、有効求人倍率が増えて人手不足の状態になれば、企業は賃金を上げて人を雇うようになる。ですから、株価の上昇は家計にも恩恵を与えているのです。 内閣府や日銀の分析でも、円安の恩恵は最終的に家計にも及び、消費も増加するという結論です。世界中のたくさんの実証研究が同じ結論を出していますし、少なくとも、日本のようなデフレギャップがある状況で、自国通貨高が経済にプラスなどという研究は皆無です。 それなのに、テレビに出てコメントをする人たちは、しばしば、株価の上昇に対してマネーゲームなんて言葉で軽蔑した態度をとってみせたり、円安で得するのは輸出をしている大企業だけ、などと誤った情報を平気で流しています。 逆に、円高になって大企業の業績が悪化、株価も下がっていけば、その余波を受けて、中小企業が真っ先に倒産していくのです。株価が暴落すれば年金積立金も枯渇します。憎きマネーゲームとやらが消滅したとすると、確かに投資家たちも困るのですが、それ以上に不幸になるのは普通に暮らしている人たちの方なのです。 日本社会を壊したデフレ 柿埜 我々の話は、経済全体のパイを大きくすることを目的としていて、そのために経済成長は必要ですよ、というごく普通のマクロ経済学的主張なのですが、その感覚がどうしてもわかりにくいようです。 それよりも、パイの大きさは限られているという発想で、生活が苦しいのは誰か悪い金持ちとか外国のせいで、その人たちをやっつければ万事解決といった主張のほうが、なぜか耳障りがいいらしく、テレビなんかではそういった話ばかりしています。 岩田 再分配を本格的に実施していくためには、全体のパイを相当大きくしないことには無理なんです。たとえば、孫正義さんクラスの高所得層にたくさん税金をかけて、それでまかなえばいいじゃないか、と言いますが、その税収だけだと再分配の原資としては、はっきり言って不十分です。 やはり、若年層や低所得者層の人たちにきちんと収入を得てもらって、国が結婚や子育ても十分にできるような環境を整備し、大多数の人びとが自活し、生き生きと生活できる社会にするのが先決で。そうすれば税収も自ずと増えます。 その上で、格差是正のために高所得者にもう少し多く負担してもらう。その段階までいって、ようやく困窮している人たちに対して満足な再分配を行えるようになる、という行程です。 金持ちだけに責任を押しつけて、それで万事解決できるほど簡単な話ではないんですよ。それ以上に社会全体が力をつけていかなければ、どこかの時点で力尽きてしまいます。でも、成長の議論は難しいし面倒だからといって、脱成長論に終始する、そんな風潮です。 柿埜 まさに、「貧しきを憂えず、等しからざるを憂う」ですね。こういった儒教倫理的なものと脱成長論は妙に相性がいいところがあるから、日本人にも受け入れやすいのだと思います。ただし、その先に訪れるのは、全員が貧乏のまったくいいところがない社会ですけれどね(笑)。 岩田 残念ながら、それを体現してきたのが日本です。バブル崩壊以降、その教義を忠実に実践してきて、みんな貧乏になりました。その結果、大半の人がデフレ慣れしてしまって、「デフレのどこが悪いの?」などと言うのです。これが根強くて、いま物価が上がらないことを歓迎してしまっている有様で。 デフレによって自分の身に何が起こるのか。それが低賃金社会による困窮です。特に非正規雇用の人を中心に著しく困窮し、格差が拡大するのですが、その構造がまったく理解できていません。 確かに、普段の買い物で1円でも安くなれば、消費者としては得した気分になるでしょう。でも、商品の値段がいつまでたっても上がらないままだと、それを作っている人の賃金は増えていかないのです。賃金が上がらなければ、生産性だって伸びませんから。 デフレが特にひどかったのは、2000年代以降から民主党政権の終焉までです。この時期のデータを見ると生産性がほとんど伸びていないのがよくわかります。その後、アベノミクス効果でいくらかは持ち直すことができましたが、まだ完全回復とまでには至っていない。 ここまで経済を停滞させ、日本社会に深刻な打撃を与えたデフレも、一年あたりの物価下落率だけでみたら、せいぜい1%近傍のレベルです。それだけ聞くと、別に大したことないと思われるかもしれません。ところが、一度でもデフレになるとなかなか回復できず、真綿で首を締めるような状態が続くのです。 商品を高く売れないから利益は伸びない。そして賃金も上がらないから、生産性も低下して……が悪循環して経済が大きく縮小する、これがデフレという現象です。このような形で、日本社会はデフレの余波も含め、約30年にわたりダメージを受けてきた。このことをきちんと踏まえないといけません。 デフレ状態のおそろしいところは、それがずっと続くだろうという人びとの予想が次第に大きくなることです。つまり、デフレ予想が膨らむのですね。すると、物価下落率の大小問わず、長期的な成長期待がものすごく低下してしまう。これが何を意味するか。 それは、経済の悪化を予想した企業が、生き残りを図るべくお金を使わなくなります。つまり、投資を控えるのです。正社員の新卒採用を減らさざるをえないし、設備の買い替えもできない。従業員が減る上、耐用年数の過ぎた設備を使い続けざるをえないから、企業の生産性がますます下がる、負のサイクルに陥ってしまうのです。 ですから、何がなんでもデフレだけは避けなければいけないのですが、先ほども言ったように額面だけ見ると大したことなさそうだから、その危険性がピンとこない。むしろ、いきなり10%を超えるようなデフレになってしまえば、さすがにこの問題に気づくようになるかもしれませんが……。 柿埜 それが起きた時点で国は崩壊しますよ(笑)。 手遅れになる前に、国民の皆さんがデフレの危険性に気が付いてほしいと思います。これは、自分に無関係なものではなく、切実に我が身に降りかかる問題ですから。 岩田 デフレだから賃金が下がる、ではなく、賃金が低いからデフレでいい。こんなふうに世間の理解があべこべのままでは、デフレからの完全脱却はまだまだ道半ば、という気がします。 若者のための年金制度改革(案) 岩田 デフレの問題がくすぶったままだと、これからの社会を担う若い世代へのしわ寄せがますます広がってしまうんですね。今の30代から下の世代になればなるほど特に深刻になっていきます。 所得が伸びていかない上に、少子化で人数はどんどん減少している。それに反比例して、平均寿命は伸びて社会保障を受給する人たちの数は増えていくわけだから、一人あたりの負担がどんどん重くなっていきます。 私も身をもって実感していることですが、75歳を過ぎると病院にかかる機会が本当に増えるんですよ。その分、医療費もばかにならなくて。その医療費の大部分は税金でまかなわれているし、受給している年金も、いまの若い世代が一生懸命働いて支払ってくれた年金保険料で支えてもらっているわけですから、そのことを考えると、申し訳ない思いでいっぱいです。 これは、拙著『「日本型格差社会」からの脱却』(光文社新書)で書いたことですが、現行の年金制度の見直さないかぎり、いまの若年世代は本当に年金を受け取れなくなってしまうのです。 ですから、現行の賦課方式から積立方式に抜本的に切り替える。そうなれば、若い人たちは自分で払った年金保険料を、将来自分で受け取れるようになります。でも、それをやると、いま受給している我々や、賦課方式で支払いを完了した世代の年金の原資がなくなるので、その分は相続税で代替する、というのが、鈴木亘学習院大学経済学部教授や私の案です。 実のところ、我々世代やその親世代の年金保険料は、いま支払っている世代に比べればはるかに低く、その割に年金支給額が多いですから、その差し引き分の蓄えが相続財産として残っているのです。これを使って年金の穴埋めをする。 この相続財産で代替、という案を使うと、よく問題に上げられる世代間格差がある程度緩和されます。あるいは、今後深刻になるであろう世代内格差の問題の解消にも一役買います。 いま非正規で働いている人は、満足な教育を受けられなかったケースが多く、その原因は困窮家庭にある、という図式が成り立ちやすい。当然のことながら、親は相続財産を持っていません。すると将来、年金受給者になったときに、ごくわずかな年金をたよりに生活せざるをえないので、本当に悲惨なんです。 かたや、ある程度お金持ちの家庭に生まれた人だと、年金受給額が少なくなっていても、相続財産の蓄えでまかなうことができます。このようにして、将来、世代内格差は広がっていくのです。 柿埜 世代間・世代内格差の問題、現行の社会保障制度の危機は、デフレとそれによる低成長でますます深刻化しています。買い物の値段が下がってうれしいなどと、近視眼的な安易な発想でやっていけば、その先には悲惨な未来が待っています。 岩田 小手先の改善だけでは取り返しがつかなくなっているのが、わが国の年金制度です。どうやって年金制度を立て直すか考えたときに、相続税で負担するという案は、経済学的にみても理に適っていると思います。 黒田発言への的はずれなバッシング 柿埜 ここまで、デフレについて誤った知識が定着していると、逆にインフレになったら本当に賃金は上がるのか、と疑ってしまいがちです。でも、物価だけが上昇して賃金は据え置きということは、まずありえません。インフレ率と賃金の上昇の連動は、各国の経済データを見れば極めて明確です。 ようやく、日本でも物価上昇の兆しが見えてきましたが、これは国際的なエネルギー価格上昇が要因の、コストプッシュ型のインフレです。しかも、エネルギーや食品を除けば、物価は相変わらず0%台ですから、現状をインフレと呼ぶのは不適切で、むしろ資源高という方が妥当です。賃金上昇を誘発する望ましいインフレというのは、需要が高まって起きるディマンドプル型のインフレですから、供給ショックが起きている現状は望ましいものではありません。 ただし、実際の物価の上がりを見てインフレ予想を形成する、適応的予想型の人が日本には多いので、コストプッシュ型だったとしても、予想インフレ率が高まりやすい地合いができつつあるんです。ですから、今はデフレからの完全脱却を図る上での最大のチャンスが来ている、とも言えます。 ところが、インフレは庶民生活を苦しめる悪い現象だと、テレビや各種メディアが吹聴し、金融緩和への猛烈なネガティブ・キャンペーンのおかげで、このチャンスを逃しかねない状況でもあります。 その最たる例が、日銀の黒田総裁が6月6日に行った講演会中の「家計の値上げ許容度が高まっている」という発言に対して、的外れな批判が沸き起こった。そのことに顕著に表れています。 黒田総裁バッシングに対する反論はSYNODOSに寄稿しましたので、詳しくはそちらをお読みいただきたいのですが、メディアの批判は文脈を無視した切り取り報道です。 まず、「家計の値上げ許容度が高まっている」というのは、東京大学の渡辺努教授の調査を引用した際の発言で、あくまで客観的データの説明にすぎません。 では、問題とされた発言の前後で、黒田総裁はどんなことを言っていたのか。 「日本の家計が値上げを受け容れている間に、良好なマクロ経済環境を出来るだけ維持し、これを来年度以降のベースアップを含めた賃金の本格上昇にいかに繋げていけるかが、当面のポイントである」 ※1 これが「日銀総裁『家計が値上げを受け容れている』」などという悪意ある見出しで報じられた黒田総裁の実際の発言なのです。 つまり、インフレ予想が高まってきている今の局面こそ、賃上げに踏み切るチャンスであり、この機会を逃さないためにも、日銀は景気回復の努力を惜しまない、と述べているのです。 黒田総裁の発言のポイントは、「良好なマクロ経済環境を出来るだけ維持し、…賃金の本格上昇」につなげたいということであるのは明白です。要するに、黒田総裁は資源価格が上がっているから、景気を良くしてデフレを抜け出し、賃金も上がるようにしたいと言っているのです。極めてまっとうな意見ではありませんか。 ところが、マスコミがひどい切り取り報道で、黒田総裁発言を捻じ曲げたために、冷静な議論からは程遠い、黒田総裁個人への人格攻撃にまで発展しました。 黒田総裁の発言以降、一時ツイッター上で「#値上げ受け入れてません」というフレーズがトレンド入りするほどでしたが、デフレ基調のままで値上げを受け入れないなら永久に賃金は上がりっこありません。本当にそれでいいのでしょうか。 今回の件に限らず、政策の是非を政策担当者の人格の問題に矮小化し、憶測をたくましくして個人攻撃ばかりするのは悪い風潮です。 ※1黒田東彦(2022)「金融政策の考え方─「物価安定の目標」の持続的・安定的な実現に向けて─きさらぎ会における講演」日本銀行,2022年6月6日 URL:https://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2022/ko220606a.htm/ インフレ目標を超える金融政策とは? 柿埜 日本にとって、本格的に経済成長できるチャンスが来ているから、これを逃さずにこのまま成長軌道に乗せていきたい。このような日銀のスタンスを、我々もしっかり後押ししていきたいところなのですが、岩田先生のお話にあったデフレ慣れがかなり根深く、少しでも政策を誤ると、すぐにデフレに陥ってしまうほど、日本経済はまだまだ不安定な状態なんですね。 このデフレ予想は、長期的なデフレ状態が続いたことが原因です。日本では、2006年の量的緩和解除が典型ですが、デフレ脱却まであと一歩という時に時期尚早な金融引き締めに走り、せっかくのチャンスをつぶしてしまうというパターンがずっと続いてきました。 アベノミクスで2%のインフレ目標を導入したときには一時的にデフレ脱却が近いという予想が高まりましたが、結局、これも消費増税でつぶれてしまいました。 2014年の消費増税がなければ、速やかに目標を達成できたはずなのですが、大規模な金融緩和と消費増税による緊縮財政というアクセルとブレーキを同時に踏むような政策をしたために、政府と日銀がデフレ脱却に対して、どのくらい本気なのかがわからなくなってしまった。その結果、アベノミクス開始直後に人びとに芽生えたインフレ予想は急速にしぼんでしまったんです。 結局、2014年の消費増税の影響が残り続けたまま、2019年に2度目の消費増税、さらに直後のコロナ禍で経済は急激に悪化し、2%のインフレ目標到達はさらに遠のいてしまいました。 岩田 そもそも、どうして日銀が金融政策として2%のインフレ目標を採用したかというと、2%くらいのインフレ率を持続させていると、おおよそ経済が安定するからです。 最初にインフレ目標を導入したニュージーランドしかり、これまでインフレ目標を実施してきた各国の経済データと経験則の蓄積がありますので、いまインフレ目標を導入している大抵の国は、まず2%目標を設定するようになっています。 柿埜 普通はインフレ目標で十分なのですが、日本の現状では、目標達成は相当難しい可能性があります。そこで、なんとか別のやり方でインフレ予想を高める方法がないか、ずっと考えていたんです。そのひとつの方策として、「物価水準目標」という金融政策を考え、『Voice』7月号に論説を寄稿しました。※2 物価水準目標は、あらかじめ基準年を決めて、その年の物価水準から毎年2%ずつ物価が上昇していった場合の物価水準を目標に設定します。そして、毎年目標を目指して金融政策を行っていく。これが政策の大枠です。 話を簡単にするために、0%インフレの年、つまり、まったく目標の水準に届かなかった年があったとしましょう。そうなると、翌年の目標物価水準は前年目標からさらに2%上のポイントを目指すことになるので、約4%のインフレ率を目指すくらいの強力な金融緩和を行う必要があります。 物価水準目標の下では、短期的にインフレ率が2%から外れても、前年の失敗を埋め合わせるような金融緩和を実施するので、長期的にはインフレ率が2%で推移した場合の物価水準を確実に達成できます。 岩田 私が日銀副総裁時代に採用されたインフレ目標は、柿埜さんの物価水準目標と違って、基準年という考え方はなく、常に現在地点から2%上昇を目指す、というやり方です。 もし、前年に目標未達だったとしても、その失敗は水に流して、翌年また頑張る、というスタンスですね。 柿埜 実は、物価水準目標という発想は私のオリジナルではなく、奇抜な提案でもありません。そもそも、日本がデフレに陥った際に、このアイディアはすでに議論されていました。 それこそ、バーナンキ元FRB議長やスヴェンソン元リクスバンク(スウェーデン中銀)副総裁ら、現代の経済学を代表する錚々たる面々が提唱してきたのです。さらに、元を辿ればヴィクセルやフィッシャーといった経済学の教科書に名を連ねる大物たちが立案した、きわめてオーソドックスなアイディアなのです。 1930年代には世界恐慌への対策として、実際にスウェーデンで用いられた実績もあります。 岩田 補足すると、過去に実施された物価水準目標は、世界恐慌で物価が下落しはじめる前の時点の水準に戻すことを目指すものです。それに対して柿埜さんの案は、物価が下落した時点に戻すだけではなく、その地点からさらに2%で上昇し続けたときの物価水準の経路を目指しますから、自然と、過去の実例よりも高い目標設定の金融政策になります。 つまり、柿埜さんのアイディアをより正確に言うと、古典的な物価水準目標+インフレ目標という枠組みなんです。 柿埜 ありがとうございます。 日本がデフレになった時点で、バーナンキらの提言を受けて物価水準目標を採用して、きちんとデフレ対策に取り組む、という選択肢もあったわけですが、そうならなかったのは、昔の日本銀行が、世界標準の金融政策であるインフレ目標の採用にすら、猛烈な抵抗を示していたからです。物価水準目標の採用以前に、まず、インフレ目標を採用させる方が先決でした。 当時の日銀は、中央銀行が物価に責任を持つということすら否定し、デフレの責任は日銀にはなく、グローバル化や人口減少、あるいは構造改革の不足等のせいだと言い張っていました。アベノミクス以前の日銀はきわめて無責任な中央銀行だった、としかいいようがないでしょう。その姿勢のせいで、日本のデフレは深刻の度合いを深めていった。 第二次安倍政権が日銀に2%のインフレ目標を採用させ、政府と中央銀行が一体となって経済政策を推し進める、というアコードを結んだ意味は大きかったですし、あの時点で可能な最良の政策判断だったと思います。 ただ、消費増税とコロナ禍で、現在は状況が大きく変わっています。インフレ目標よりもさらに強力な物価水準目標によってインフレ予想を高め、リフレ・レジームを再構築する必要があると考えます。 ※2 柿埜真吾(2022)「日銀への直言金融引き締めよりむしろ追加緩和が必要な局面だ」『Voice』2022年7月号. いま、物価水準目標を導入する意味 柿埜 インフレ忌避の風潮が強い今、インフレ政策の話をすると余計に反感を買いそうですが、日本をデフレから完全に脱却させるのは最重要課題です。デフレ脱却なくして賃金上昇も景気回復もあり得ません。 日本の物価推移をGDPデフレーターで見ると、1994年からずっと下落気味で、アベノミクスで多少持ち直したとはいえ、現在は一番高かった地点から比べると、15%くらい下がっています。消費者物価も1998年から下落し、まだ完全に回復してはいません。 世界にならって日本も金融緩和をやめよう、という声もよく聞かれますが、世界と日本はまったく状況が違います。今それをやると、ピーク時からものすごいデフレ状態に物価を留めることになります。 さすがに、既に時間もたちすぎていますから、1994年や1998年から2%成長していった物価水準を目標にするのは現実的でなく、今となっては望ましくもありません。私は『Voice』で2020年を基準年にした物価水準目標を提案しています。 出所:総務省「消費者物価指数」より作成した柿埜(2022)の図を延長. 2020年は、コロナ禍のショックで経済が落ち込み、デフレ圧力が高まった年です。コロナ禍の影響を克服するためにも、この年を起点として、順調な物価上昇が続いた場合に達成できたであろう水準まで物価を引き上げる必要があります。インフレ予想にうまく働きかけるには、高すぎも低すぎもしない目標を設定する必要がありますが、2020年ならば現在からあまり離れてもおらず、達成が十分可能な目標ですから、この年を基準にするのは合理性があります。 物価水準目標を採用すれば、将来の日銀が取る金融政策の方針が明確になり、従来のようにデフレ脱却まであと一歩というところで金融引き締めに走ったりはしない、ということを示す強力なメッセージになるでしょう。 物価水準目標の下では、日銀は2%インフレを達成した後も、物価の経路が2020年から安定的に2%を達成していた場合に到達していたはずの経路に到達するまで、一時的に2%を超えるインフレも容認して強力な金融緩和を続けることになります。 物価水準目標では、目指すべき経路がはっきりしているので、現在の経済状況がどの程度、目標に近づいているかが一目瞭然です。 もし、目標から離れていれば、日銀はより一層積極的な金融緩和を行うだろうと予想できますから、一時的に目標を達成できなくても、長期的な予想インフレ率に悪影響を与えることがありません。コミットメントが明確になり、従来以上に予想インフレ率に働きかける効果が大きくなります。デフレ脱却まで金融緩和を止めないという明確な約束で、人々のインフレ予想を高めるわけです。 日銀は現在、2%のインフレ目標に加え、オーバーシュート型コミットメントを採用しています。オーバーシュート型コミットメントとは、インフレ率が安定的に2%を超えるまで金融緩和を続けていく意思表示で、これも予想インフレ率に働きかける効果があります。ですから、狙いとしては物価水準目標もオーバーシュート型コミットメントも同じなのです。ただ、両者には重要な違いもあります。 今年6月17日に発表された日銀金融政策決定会合後の声明文では、オーバーシュート型コミットメントの部分は、次のようになっています。 「日本銀行は、2%の「物価安定の目標」の実現を目指し、これを安定的に持続するために必要な時点まで、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」を継続する。マネタリーベースについては、消費者物価指数(除く生鮮食品)の前年比上昇率の実績値が安定的に2%を超えるまで、拡大方針を継続する。当面、新型コロナウイルス感染症の影響を注視し、企業等の資金繰り支援と金融市場の安定維持に努めるとともに、必要があれば、躊躇なく追加的な金融緩和措置を講じる。政策金利については、現在の長短金利の水準、または、それを下回る水準で推移することを想定している」(下線部柿埜記) 引用文中、日銀は2%の「物価安定の目標」の実現を目指していること、それを安定的に持続するまで、現在の金融緩和を継続していくことを明言しています。これ自体は非常に望ましいものです。 しかし、実はこの文言には落とし穴があります。それは2%インフレが「安定的に持続するのに必要な時点」がどの程度の期間を意味するかが極めて曖昧になっていることです。 そうなると、生鮮食品を除く消費者物価指数が2%に近づいた時点で、すぐに日銀は金融引き締めに転じるだろうと予測する人たちが出てきてしまう。まさに今、そのような論調の報道が増えてきていますよね。2%に近づけばすぐ引き締めが始まるという予想が広がってしまうと、予想インフレ率は低下し、いつまでもデフレから脱却できなくなってしまいます。 どうして日銀のスタンスと、人びとの受け取り方に乖離が出てしまうかというと、端的に言って日銀に対する信用が低いからです。今まで何度もデフレ脱却に失敗してきたのだから、どうせ目標を達成できないと思われているから、予想インフレ率の上昇に寄与しにくい。まあ、これはもとはと言えば、黒田総裁以前の日銀が延々とデフレを放置してきたために、デフレ予想が定着してしまったせいで、今の日銀の責任ではないのですが。 ともあれ、オーバーシュート型コミットメントでは、予想に働きかける力に不安があります。より明確に金融政策が目指す方向性を示し、仮に目標未達だったときがあったとしても、それを埋め合わせるほどの強力な金融緩和を実施していくことを約束する物価水準目標の方が、日銀の政策レジームに対する信頼を確実なものにできるでしょう。 近年、アメリカやカナダ、北欧諸国等の中央銀行でも物価水準目標の研究が進められていて、実験経済学の手法なども活用されています。多くの研究では、物価水準目標は超低金利下でも有効で、デフレが続き中央銀行に対する人びとの信頼が低い場合でもインフレ予想を高め、デフレ脱却に結びつく効果があるという結果が出ています。 いずれにせよ、大切なのは、予想インフレ率に効果的に働きかける金融政策を実施し、デフレ脱却が中途半端なところでやめたりしないということです。 ちなみに、物価水準を目標にする以外の方法論もいろいろ模索されていて、たとえば、名目GDPをターゲットにしたらどうか、という議論も盛んにされています。 岩田 名目GDPはデータが四半期しか出ないし、速報値と修正値で数字がかなり違ってくるから、それを使うのはやめたほうがよさそうですね。 柿埜 おっしゃるとおりです。ブレの大きい指標を政策目標に据えるのは危険だと思います。 それに、名目GDPを目標にすると、政府が産業政策などを通じて、金融政策に積極的に介入するべきだ、という主張も横行し、中央銀行の独立性を毀損しかねないという問題もあります。 やはり、現時点では、理論的にも実務的にも、物価水準目標がデフレ対策として一番有効な政策だと思いますので、引き続き私も各所で提案していければと思っています。 リフレ政策継続の危機 岩田 柿埜さんの物価水準目標のお話は以前から聞いていましたが、私は懸念を抱いていて。それは実現性の問題があるからです。 というのも、この先、2%のインフレ目標など、アベノミクスで実施されたリフレ政策の継続自体が危なくなってきている。つまり、物価水準目標どうこう以前の状況に逆戻りしそうになっているんです。 その徴候のひとつですが、アベノミクスで金融緩和を推し進めてきた黒田総裁が来年退任します。 黒田総裁は金融政策に関して、いま何をすべきか非常によくわかっている人です。なにより、自身の発言をめぐる騒動に動じることなく、今の金融政策を継続することを表明していますから、黒田総裁が退任するまで金融政策はブレないでしょう。 ちなみに、黒田総裁は財務省(旧大蔵省)出身ですから、基本的に緊縮財政論者なんです。2013年の頃に消費増税を肯定する、非ケインズ効果的な、日本経済に対するきわめて致命的なコメントをしたり、プライマリーバランスの基礎的財政収支を2021年までに黒字化する、といった発言もしていて。 つまり、目の前の経済状況ではなく、あくまでカレンダーベースで動きたがる人なんです。このあたりは財務官僚的な部分が色濃い。 この黒田総裁の相反するスタンスが、ある意味アベノミクスの実態を象徴しています。第一の矢の金融政策は積極的にふかしつつも、第二の矢の財政政策は緊縮政策を採用したから真逆に飛んでいってしまった。経済がある程度回復しつつも、デフレからの完全脱却を果たせず仕舞いだった原因のひとつがこれです。 財政は緊縮的ながらも、金融政策には非常に明るい黒田総裁の次の人事を決めるのが今の岸田政権です。そうなると、次期総裁は金融政策に対して理解の乏しい人を抜擢する公算が高い。 なぜそう言い切れるか。それは、今年7月に日銀政策委員会の審議委員を退任するリフレ派の片岡剛士さんの後任人事に、リフレ政策に極めて消極的な人物を登用した、という実績をすでに作ってしまったからです。 総裁人事次第で、一国の経済政策の方向性が左右される。それだけの力が日銀総裁にはあります。日銀内部の意見にしても、我々が執行部入りする前と後でインフレ目標をめぐる立場が180度変わった、ということもありました。 また、総裁というポジションは、対外的に発言する機会が政策委員会の委員のなかでも群を抜いて多いので、それこそ世間的な注目の度合いは副総裁と比べても圧倒的に高く、総裁の一存ですべて決まっているようにすら見えます。 余談ですが、私が副総裁の頃なんて、講演の依頼などほとんど来ませんでしたから。急に岩田が静かになったと言われたものですよ(笑)。 以上のことから、来年の総裁人事は日本経済の今後を占う、重要なターニング・ポイントだと言っても過言ではありません。 もし、アベノミクスに対して否定的な人物が総裁になったら、そのときは、安倍政権時に政府と日銀が結んだインフレ目標2%のアコードすらひっくり返す可能性だってあります。2%目標は高すぎるから、せいぜい1%に留めておきましょう、といった具合に。 目標を下方修正することで、金融政策に消極的な与野党議員同士で手打ちができるから、以降は苦手な金融政策をめぐる議論で頭を悩まさなくて済むようなる。今いる大半の国会議員からしたら、そっちの方が魅力的なんじゃないですか(笑)。 柿埜 現政権の態度は、残念ながら、真剣に日本経済をよくすることを考えていないように見えますね。 岩田 柿埜さんのように、より高い物価水準を目指そうという人は、まず相手にされなくなるでしょう。これは、政治経済学の世界の話ですから、いくら経済学的に理論が証明されていても、政策決定は政治の力関係がモノを言う。だから、もっと政治に働きかけないことには、いま以上に急進的な物価水準目標の是非を議論するなんて、夢のまた夢です。 柿埜 お話を聞けば聞くほど、今後の見通しが暗くなるばかりなのですが、この先、好転する可能性はありそうですか? 岩田 現政権のままでは、悲観しかないですね。次期日銀総裁人事も規定どおりリフレ派以外の人間を選任し、今のリフレ派色の強い政策委員会も徐々に刷新を図っていくでしょうから。 安倍・菅政権と2代にわたって、金融政策に深い理解のあった政権が続き、以前に比べれば、金融政策に理解を示す人が着実に増えてきているので、次は金融政策に明るい人が政権の座についてもらうしかないです。そういった人を積極的に応援するのが、現状できる唯一のことでしょうか。いずれにしても、当面は心配な状況が続くので、覚悟をしないといけませんが。 柿埜 私が物価水準目標を提案しているもうひとつの理由が、日銀総裁の人事いかんで政策がブレるリスクは回避すべきだからです。現行のオーバーシュート型コミットメントでは、インフレ率が安定的に2%を超えたかどうかの判断は、政策担当者次第で変わってしまいます。判断するのが黒田総裁なら心配ないと思いますが、黒田総裁の後任が有能な人かどうかはわかりません。誰がやっているかで結果が大きく変わってしまう制度は悪い制度です。金融政策も、人による支配ではなく、ルールに基づく政策があるべき姿です。 物価水準目標により日銀の政策が明確になれば、インフレ予想も上昇してデフレ脱却が容易になりますし、誰が総裁になったとしても、拙速な金融引き締めであと一歩というところでデフレ脱却に失敗してきたこれまでの歴史を繰り返さずに済むでしょう。 アベノミクス以降、紆余曲折はありながらも、ようやく物価上昇局面に入りつつあるので、完全なデフレ脱却を成し遂げる方法として、最近まで物価水準目標を練ってきたんですけれども、岩田先生のお話を聞けば聞くほど、具体化が遅きに失したなと思っている次第です。 景気を支えたアベノミクス第一の矢 岩田 約8年間続いた第二次安倍政権の間に、目標としていた2%インフレやデフレからの完全脱却を果たすことはできませんでした。 反リフレ派の金融緩和に消極的な人たちは、その数値目標の部分だけを切り出して「アベノミクスで2%のインフレ目標は達成できなかったじゃないか」と金科玉条のごとく言い、量的緩和政策が失敗だったように語るから、世論もそれに引っ張られてしまう。 ところが、アベノミクス以降のデータを見ると、経済状況がよくなっているのは確かなんです。2014年に景気下押し効果が強い消費増税を実施したにも関わらず、インフレ率がマイナス圏内に落ちこむことはなく、低空飛行ながらも0~1%圏内のプラス水域を保ち続けることができたことも、その表れです。 もし、途中で量的緩和をやめていれば、間違いなくデフレに逆戻りしていたでしょう。アベノミクスでの量的緩和は、強力なデフレ圧力に屈せず、景気を支えるだけの力強さがあったことの証明なのですが、国内的には評価されていませんね。 ちょっと話が逸れますが、安倍政権は金融政策以外の経済政策でも、かなりの成果を残しているんですよ。同一労働同一賃金しかり、積極的労働市場政策によって若年世代がスキルアップしやすい環境を整えたりなど、金融政策含め世界的にはリベラルとみなされる政策を整備していったのですが、このあたりも注目してもらえていないのが現状です。 柿埜 冒頭の岩田先生のお話にもありましたが、やはり経済学への無理解が大きいですよね。安く買い物ができるからデフレがいい、そう簡単に考えてしまうのもここに起因しているわけですが。 安倍政権下の景気回復で、一時はそういった誤った認識もある程度解消されたように見えましたが、結局元に戻ってしまった感じがします。 岩田 量的緩和が失敗だ、と言うのも同じ話です。日銀に対する信頼のなさの影響は甚大ですね。 本来、インフレ目標を採用している国ならば、リーマン・ショック時以外は中長期的に2%インフレを達成してきた実績があるから、金融政策への信頼がそれなりにあります。 それに、FRB以外の各国中央銀行は、自国政府とインフレ目標のアコードを結んでいるので、中央銀行の金融政策に対する信認は、そのまま政府の経済政策の信認になって跳ね返ってきます。 だから、よっぽどのことがない限り、政権交代が起きても政府と中央銀行の協定を大きく変更することはしません。それによって経済政策の安定性は担保されているのです。 それだけ、中央銀行に対する信頼は重いのですが、デフレが続いた日本はそれが弱くて、中央銀行と政府の意思疎通がうまくいっているのかどうか、常に疑いの目で見られることになる。 その上で、今の岸田政権は安倍・菅政権よりも金融政策に対する関心が薄いから、量的緩和批判論になびいて、下方修正やむなしという話にもなりかねない。それが、いま考えうる最大のリスクなんです。 柿埜 そうなったら、ますますデフレからの完全脱却が遠のきます。かえすがえす、完全な形でアベノミクスを実施できなかったことが悔やまれますね。(了) 関連記事 ●真の“リベラル”経済学のススメ ●資本主義vs.脱成長コミュニズム 人びとにとっての希望の社会とは