――追悼・安倍晋三 安倍元総理の突然の訃報から1ヶ月経つ。第二次安倍政権の経済政策の代名詞「アベノミクス」が日本にもたらしたものは何だったのか。アベノミクス第一の矢、大胆な金融緩和を日銀副総裁として支えた岩田規久男氏と高崎経済大学非常勤講師の柿埜真吾氏に、安倍政権で行われた経済政策を紐解いてもらった。(WEB編集部) 日本の政治家の経済理解 柿埜 今年の5月に安倍さんとお会いする機会があり、そこで物価水準目標など、私の提案している金融政策のことをお話させていただきました。それからあまり時間の経っていないなかで、今回の事件ですから……。報道に接して、とてもショックでした。 私が安倍さんにお目にかかったのは、その1回だけでしたが、真剣に私の話を聞いてくださいました。 専門的な内容だったにもかかわらず、ものの3分ほどで、私が話したかった趣旨の大枠を理解されて、「これはこういうことですね」と、きわめて的確なコメントを返してくださったことには感銘を受けました。やはり、安倍さんは金融政策のことをよく理解していらっしゃる。そのことを改めて認識しました。 テレビなどでは野党と激しくやりあう姿ばかり映されがちですが、実際は大変穏やかに、初対面の私に対しても熱心にきちんと話を聞いてくださいました。短い時間ではありましたが、安倍さんの人としての魅力を存分に感じた1日でした。 岸田政権には不安を感じていたのですが、安倍さんが政府に働きかけてくだされば日本経済は大丈夫かもしれないと大変心強く思ったものです。まさかこんなことになるとは… 安倍さんのこと、やってこられたお仕事を今一度整理して、世の中に発信できればと思い、安倍さんとお付き合いの古い、岩田先生とお話ししていければと思います。 岩田 時系列的に不正確な部分があるかもしれないので、そこはあらかじめお断りしておこうと思います。たしか、私が最初に安倍さんにあったのは、3・11東日本大震災の数ヶ月後だと記憶しています。 震災直後に、自民党の山本幸三さんが発起人、安倍さんが会長を務めていた「増税によらない復興財源を求める会」の第1回会合(2011年6月6日)の講師として私にお声がかかりました。はじめて安倍さんとちゃんとお話したのは、その席でのことだったと思います。 その会で私は、復興増税の問題点を明らかにし、あわせて、日本経済の長期停滞はデフレによるものだと説明する資料を作成して、皆さんに見てもらったのですが、私の横に座っていた安倍さんがその資料を見て、「こういう図が第一次安倍政権のときにも欲しかった。これがあれば政策に取り入れることができたのに」とおっしゃったのを、鮮明に覚えています。 次にお会いしたのが、「超党派シンポジウム 日本再生のカギは日銀法改正にあり――日銀の金融政策に疑義」というシンポジウム開催にあたり、安倍さんにシンポジウムでスピーチをしてもらうため、事務所にお願いにあがったときのことです。安倍さんは依頼にご快諾いただき、シンポジウム(2011年11月24日)でリフレ政策への賛同表明と、日銀法改正の重要性を訴えるスピーチをしてくれました。 私も今まで多くの国会議員の方たちに、金融政策の重要性を説明してきたのですが、内容をきちんと理解し、支持してくれた政治家は安倍さんがはじめてでした。 説明してきた人たちのなかには、2012年の自民党総裁選で、安倍さんと党首の座を争った石破茂さんもいたんですよ。石破さんのときは、ちょっとした仕掛けがあって。我々リフレ派と、日銀から人に来てもらって、お互いの主張をぶつけ合う形式で行いました。通称「御前試合」という試みです。 リフレ派チームからは、私と浜田宏一先生と高橋洋一さんの3人、日銀からは現副総裁の雨宮正佳さん。聞き手に石破さんと、現外務大臣の林芳正さんが参加して。2時間半にわたって金融政策を説明しました。 その御前試合をやった結果、石破さんから返ってきた答えは「わからない」。林さんにいたっては終始つまらなそうな顔をしていて。ふたりともそのまま帰っちゃった、というのが顛末です。 あと、主立つところでいえば、現国民民主党の前原誠司さんにも説明したことがありましたが、残念ながら理解していただけませんでした。 与野党問わず、政治家の経済理解度は絶望的としか言いようがない状況のなかで、安倍さんが下馬評を覆して、2012年の党総裁選を逆転勝ちしました。この結果は日本社会にとって、最大の幸運だったといえます。 もし、石破さんが党総裁、首相になっていたら、大規模金融緩和はありえず、日本経済はさらに落ちこみ、今ごろは取り返しのつかないことになっていたはずです。 歴代の経済宰相とは 岩田 安倍さんは、第一次政権退陣後から第二次政権発足までの浪人中によく勉強をされたのでしょうね。だから、石破さんが「わからない」とさじを投げた私の説明もすぐに理解できたのだと思います。その上で、何が正しい政策かご自身で吟味し、判断することができたんです。 それに比べ、他の政治家の人たちは、基本的に勉強が不足しています。そのためか、自分と似たような意見しか耳に入ってこないし、新しく入ってくる情報も官僚の受け売りでしかない。官僚と同じようなことしか言わないのはそのためです。 一国のリーダーとして、自国の経済状況にあわせて、正しい経済政策を推し進めることは重要な任務です。難しい、わからない、と席をたってしまう人には、到底務まる仕事ではないのです。 柿埜 安倍さんのことが嫌いな人たちは、独善的、強行政治、といったレッテルを貼りますが、実際はそれとは正反対の姿勢をとられていたんです。様々な意見に丁寧に耳を傾け、自分自身で考えることのできる政治家でした。 安倍さんはよく深夜まで経済の統計や研究書に目を通しておられたそうです。日本経済をよくするためにはどうすればよいか常に真摯に考え続けていた。だからこそ、岩田先生らのお話を取り入れることによって、日本経済を立て直すことができたのだと思います。 岩田 安倍さんのように、経済をきちんと理解して、それに基づいた経済政策を行い、経済成長を達成できたリーダーは、日本の憲政史上でみても稀でして。 ほかに誰がいたかというと、たとえば戦前の高橋是清。高橋は首相としての功績ではありませんが、大蔵大臣時代に昭和恐慌からすみやか脱出させることに成功しました。この成果は特筆すべきです。 戦後でいうと、所得倍増計画の池田勇人もそのひとりです。所得倍増計画というと、産業政策的に聞こえてしまうかもしれませんが、実際は自由貿易の促進、市場の活性化など、経済の自由化に取り組み、日本を高度成長に導きました。 そして、日本経済をデフレ状態から脱出させた安倍さん。この3人が日本経済を大きく推進させました。あとの人たちは、経済政策的には皆落第です(笑)。 柿埜 石橋湛山も大蔵大臣として終戦直後の日本の経済立て直しに大きく貢献したひとりですから、その中に加えてもいいのではないでしょうか。短期間で在任中に十分成果を上げるまでにはいきませんでしたが。 岩田 そうですね。石橋の場合、日本が焼け野原状態で、供給能力が著しく不足したことで生じた極端な高インフレを、復興の観点から増税などの通常のインフレ対策を使わずに克服することを求められたので、経済の舵取りに非常に苦労しました。 インフレ対策よりも復興を優先し、逆に金融緩和を行ったために、ますますインフレが加速し、国民の不興を買ったのですが、自らの信念に従った経済政策を断行し、次第に高インフレ状態も解消されていきました。ところが、日本経済が完全に立て直す前に公職追放の憂き目にあう、と。重ねがさね不幸な人です 柿埜 その後、石橋は首相になりましたが、病で辞職し、首相としては業績を残すことができませんでした。だから石橋は多少例外的ですが、日本を経済の面で支えることができた政治家は、高橋、石橋、池田、そして安倍さんが頭ひとつ抜けていると言っても差し支えないと思います。 安倍・菅政権のあと 岩田 思い返すと、国会での安倍さんの経済政策の答弁は本当に見事でした。難しい経済の話を原稿なしで語っていたので、その点からも経済のことを本当によく理解されていたのだな、ということがわかります。 よく大学の先生なんかで、ノートの方しか見ないで講義をする人がいますが、自分の言いたいことを、自分の頭で理解、整理できていないとそうなるんです。生徒の顔を見ないで自分の話ばかり進めるから、生徒からしたら全然話が面白くない。そういう人の授業は取りたくない、と思ってしまいますよ。 そういう人とは違って、安倍さんは伝えたいことを、自分の言葉で喋ることができていたと思います。その上、もともと話も上手いし、アドリブも効く人です。 野党に対する答弁なんて、実に痛快でしたね。だから、反安倍の人たちが思っている以上に、多くの国民からの支持されていたのも頷けます。 安倍さんが話上手だった分、後任の菅さんはかえって損をされた印象でした。菅さんも経済のことや、金融政策のことはかなり理解していましたが、原稿なしでは喋れなかったので、安倍さんのような軽妙さが、どうしても欠けてしまったように見えました。 ただ、菅さんはご自分の思いを世論にうまく伝えられないなかでも、当初不可能と言われたコロナワクチン1日100万回接種を実現したし、携帯電話会社3社の利用料金の大幅な引き下げ、不妊治療の保険適用など、わずか1年の在任期間にもかかわらず、多くの成果をあげました。 それだけ実力のある人でしたから、もっと長く政権を続けられれば、さらに改革に着手できたでしょうね。しかし、党内の支持基盤が弱く、短命政権になってしまったのが残念でした。 そう考えると、一国のリーダーを担う人はある程度のカリスマ性も必要だということです。もちろん正しい経済政策理解があることが大前提ですが。 安倍さん、菅さんともに経済政策面はよかったですが、カリスマ性の面では、やはり安倍さんに軍配が上がります。というより、安倍さんのカリスマ性は今いる政治家の中でも、ずば抜けていましたけれども。 安倍・菅両政権が日本経済をいい方向に進めてくれた分、安倍さん亡き後の日本経済がどうなっていくのだろうかと、心配は尽きません。 反安倍の人たちは、自民党最大派閥の頭領である安倍さんが、現政権を裏で操っているなどと言っていましたが、実際は岸田政権への安倍さんの影響力は限られたものでした。 たとえば、片岡剛士さんの後任の日銀審議委員も、安倍さんの意向に反して、反リフレ派が任命されてしまいました。私からすれば、むしろ安倍さんがちゃんと院政を敷いて、経済政策をきちんとコントロールしていて欲しかったくらいですが(笑)。 柿埜 (笑)。 岩田 経済を理解しているということは、たとえるなら凧の糸や上手な引き手役のようなものです。だから、安倍・菅時代は日本経済という凧がきちんと飛んでくれたのです。この先、日本経済という凧がどう飛んでいってしまうのか。もしかしたら、糸の切れた凧みたいに漂流してしまうかもしれない。そうならないために、安倍さんに習って最低限、正しい経済理解を身につけて、糸を引っ張っていただきたいところですが……。 正しい経済理解、というと独善的に聞こえてしまうかもしれませんが、決してそうではありません。客観的かつ、歴史的な評価に耐え抜いた理論がそれにあたります。経済学200年の歴史の中で、議論を重ね、理論を蓄積していった結晶こそが、現在の主流派経済学ですから、経済学においてはこれが一番正しいといえます。 日本では、どうしてもマルクス経済学などに流れてしまいがちになるのですが、安倍さんは主流派経済学を選択して、理解できたからこそ、最後まで道を間違えることはなかったのです。 アベノミクスの思惑をくじいたものとは 柿埜 アベノミクスは、主流派経済学の理論に基づく、大胆な金融緩和、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略という3本の矢からなる、日本経済再生のための処方箋です。 アベノミクスの下で、雇用は500万人増、ジニ係数や貧困率などで見た不平等度も改善しています。2013年以降、2年以上持続的に物価が下落した年はなく、インフレ率は依然低いものの、日本経済はデフレから脱却しました。 ただし、安倍さんの在任中に目標として掲げていた、インフレ率2%は達成できませんでした。これは、決してアベノミクスのコンセプトが間違っていたわけではなく、政治的な要因に阻まれて、完全な形で政策を実行できなかったことが理由として挙げられます。 不幸なことに、安倍政権時代は、世界貿易がスロー・トレードといわれる停滞状態に入り、輸出が思った以上に伸び悩み、最後はコロナ・ショックで世界経済全体がストップしてしまった。そういった国際的な逆風の影響も無視できません。 しかし、やはり、一番大きな障害になったのは、2度の消費増税でしょうね。消費増税を行ったことで、第二の矢の財政政策はむしろ逆方向に飛んでしまいました。 また、反安倍派からのいわれのないスキャンダル合戦に巻きこまれてしまい、規制改革も思ったように進まず、第三の矢の成長戦略も不発に終わってしまいました。 第二次安倍政権できちんと実行できたのが、大胆な金融緩和だけでしたので、第一の矢だけで日本経済を支えるしかなかった。これがアベノミクスでできたことの実態です。 岩田 大胆な金融緩和は、基本的に安倍さんの思惑どおりに進めることができたでしょう。安倍さん退陣後も日銀総裁を続けている黒田さんが、昨今の利上げ要求の圧力に屈することなく、粛々と金融緩和を続けていますから。ここは、黒田さんが総裁でいる間は安心して見ていられます。 問題は、柿埜さんのお話にあった、第二、第三の矢ですよ。第二の矢に関しては、たしかに2度の消費増税が決定打になったのは事実ですが、同時に財政政策自体が緊縮的な建付けになっていたことも見逃してはいけません。毎年財政赤字が減っていたという事実はデータからも明らかなので。 実は、第二次安倍政権発足後に発表された「骨太の方針」内の、財政健全化の取り組みを読むと、「2020年度までにプライマリーバランスの黒字化を目標とする」とはっきり書かれています。つまり、先々の経済状況を考慮せず、カレンダーベースで緊縮財政を行っていくという方針が、あらかじめ組みこまれてしまっていたのです。 財政の建付けが緊縮だから、“機動的な”財政政策が取れなかったんです。プラス、景気下押し圧力の強い消費増税を2度ですからね。 大胆な金融緩和によって需要を喚起し、雇用状況はかなり改善できました。ここだけ見ても第一の矢は成功だと言えます。しかし、緊縮財政が需要を抑えつけてしまっていたから、目標の2%インフレに届かなかった。まさに真逆の政策で綱引きをしているような状態でした。 たしかに、2%インフレという数値目標は達成できませんでしたが、一方で物価水準が0%以下に落ちこむ、アベノミクス前の状態になることは阻止できました。ここも、アベノミクスの大事なポイントです。国内外の様々な逆境に見舞われていたなかで、最も怖れていたのはデフレへの逆戻りですからね。 数々の景気下押し圧力を、なんとかはねのけることができた。それだけ、金融緩和の効果は大きかったのです。ですから、もし安倍さん以外の金融政策を軽視する人がリーダーになっていたと考えると、どうなっていたことか。末恐ろしいかぎりです。 消費増税と財務省 岩田 問題の消費増税に関していうと、安倍さん本人も、これをやることのデメリットは十分理解していたと思います。第二次政権発足時のスローガンが「経済成長なくして財政再建なし」。あくまで成長を念頭においていたことからもわかります。 実は、安倍さんが2020年に政権を退いた後にも、お話する機会がありまして。これも、山本幸三さんが発起人、安倍さんが会長の「ポストコロナの経済政策を考える議員連盟」の第1回目の勉強会(2020年11月11日)に、また講師として招いていただいたからです。その席で、私は安倍さんに「なんで2014年に消費増税をしたんですか」と聞いたんですよ。 安倍さんいわく、「財務省の力が強かった」と。世界第三位の経済力をもつ国のリーダーがそう述懐するほどですから、財務省の力は推して知るべしです。 財務省は消費増税を実現するために、あらゆる手段を使って工作するんですね。その方法をいくつか紹介すると、まず、与野党問わず国会議員に対して消費増税の必要性を説明して回ります。「消費増税しなかったら財政破綻する」が常套句です。あとは、「増税すれば、みんなが安心して消費が伸びるようになる」といった根拠のまったくない、非ケインズ効果的な主張を徹底的に吹きこんで、政治家に信じこませます。 それから、世論誘導。これは、マスメディアを通じて、財務省の息のかかった露出度の高いコメンテーターや識者に、せっせと自分らの主張を代弁させて行います。もちろん、まだ息のかかっていない発信力のある人への“教育”も欠かしません。 また、経済学者やエコノミストを使って、消費増税は正しい政策だ、というお墨付きを与えることもします。それは、財務省所管の審議会によって行うわけですが。委員の任命権は、当然財務省が持っているので、自分たちの意見に近い人を登用し、さも経済合理性があるように説明させて、自分らの主張を正当化するんです。 ちなみに、審議委員には任期制ですが、財務省が懇意にしている人の中には、30年間審議委員を務めた方もいます。 財務省と良好な関係を築いておけば、講演料も上がるし、本も売れるようになる。そういった下心もあるから、みんな財務省に取りこまれてしまうんですよ。 財務省の草の根活動は、2013年の8月末に行われた、消費増税について有識者から意見を聴く、政府の「集中点検会合」で実を結びます。この会には60人の有識者が参加しましたが、そのうちの7割が消費増税賛成に回りました。この結果をうけて、2014年の消費増税は既定路線になったのです。 当時の安倍さんは、自民党の党内基盤が脆弱でしたし、党内の大半が消費増税推進派ですから、こんな状態で増税延期に踏み切ろうものなら、下手したら安倍降ろしにまで発展するかもしれなかった。だからあのときは、経済失速のリスクも承知の上で、どうしてもやらざるを得なかったのです。 アベノミクスの出足は大変好調で、うまく需要を刺激することに成功しましたが、2014年の消費増税によって、案の定、需要は萎んでしまいました。わかりきっていたことですが、「増税すれば、みんなが安心して消費が伸びるようになる」がデタラメだったことが証明されたのです。 安倍さんにとっても、2014年の消費増税は相当痛手だったから、8%から10%への増税は2回延期しましたが、さすがに、完全な撤廃・凍結まではできなかったのは、それほど消費増税は必要という考えが、国民全体に浸透してしまっているからです。 「モリカケ」というでっち上げられたスキャンダル 岩田 アベノミクス第三の矢も、実現できていれば経済成長に大きく寄与できたはずですが、それが不発に終わってしまったのは残念でした。 安倍さんは、日本の岩盤規制に穴を開ける規制緩和によって、経済の自由度を高めることを目指したのですが、先ほど柿埜さんが言ったように、いわれのないスキャンダル報道に妨害されて、頓挫してしまいました。 柿埜 その最たる例が、いわゆる「モリカケ問題」ですね。どちらも安倍さんが関与し、裏で利益を得ていたのではないかと、まったく根拠のない憶測が日夜報道されました。今ではワンセットのような扱いされていますが、内実はまったく別の問題です。 加計学園は、学校法人側が長年にわたって獣医学部新設の申請を文科省に提出しようとしていたのに、文科省は通達によって申請提出を許可しなかったことが、問題の根幹です。 本来、申請を行った後に様々な審査を受けて、新設の可否が決まる許認可プロセスがあるので、申請自体は自由にできるはずなんです。それを行政レベルで申請提出にストップをかけ、頑なに先のプロセスに進ませなかった。このやり方は、どう考えてもおかしいです。 では、どうして文科省は獣医学部新設の申請にストップをかけ続けてきたのか。文科省の言い分は、獣医師の数は十分足りていて、これ以上学校を増やすと、仕事に就くことができない獣医師が出てきてしまう可能性がある、だから参入は認めないというものです。 こんな理由で文科省は獣医学部新設を52年間も阻止してきたのですが、これは参入を制限したい獣医師学会の既得権を保護するものでした。 では、獣医師の数が現状で十分足りているという根拠を示しなさい、と問い詰めたのが第二次安倍政権が作った国家戦略特区ワーキンググループです。文科省側はそれに対して、何も根拠を示すことができなかったので、加計学園の申請を受理するしかなくなりました。この経緯は議事録も公開されていますし、文科省のダメさ加減はその気になれば誰でも確認できます。 その後、獣医学部が本当に必要かどうか検証を重ね、最終的に国家戦略特区諮問会議の承認を受けることができたので、加計学園の獣医学部新設が決まった、というのが大まかな流れです。 このように獣医学部新設の認可は、厳格なプロセスに基づいて議論が重ねられた末に行われますから、実際のところ、安倍さんが関与できる部分は存在しないんです。 岩田 ところがこの件を、安倍さんと学園側に癒着があったかのように、連日報道したのが大手メディアです。特に執拗だったのが、朝日新聞や毎日新聞といったリベラル系といわれる新聞。 さすがに、目に余る報道が多くなり、国家戦略特区ワーキンググループの実態も正しく周知されていないということで、ワーキンググループ座長の八田達夫先生が、審査の経緯を正確にまとめた記事を寄稿しました。 その文章の中には、朝日新聞に対する痛烈な批判も書かれていましたが、朝日側は八田先生の指摘に対して、いまだに何も反論をしていません。 私は八田先生のことをよく存じ上げていますが、一言でいってきわめて中立的な方です。あくまで、学問的な整合性と、ご自身の信念に基づいて、ワーキンググループの舵取りをされたことでしょう。仮に安倍さんが注文をつけたところで、権力におもねることは、まずありえません。もちろん、安倍さんも圧力をかけるなどということは一切していませんが。 それを、根拠のない疑惑を並べて騒ぎ立てて、獣医学部新設を妨害している人たちは、むしろ既得権益、この場合は獣医師学会の利権になりますが、それを保護していることになる。普段、既得権益を批判している人たちのはずが、どういうわけか、それに気がつかないんですね。 それから、文科省をはじめとする行政が行う、通達や告示といったものは、行政指導の一貫であって、法的拘束力はないのですが、申請者は通達や告示に逆らうと、その後の申請に支障をきたすので、基本的に受け入れざるをえないのが実情です。 選挙で選ばれていない官僚が、自分たちの都合で通達や告示を出し、それで相手を思いどおりにできるわけです。官僚側としても、自分たちが一番偉いと錯覚しているから強気に出られるわけで。これははっきりいって異常なことです。 行政の権力を行使して、文科省は長年にわたって、加計学園に対し理不尽きわまる通達を行ってきた。たとえて言うなら、受験生の入学願書を受理せず、入学試験すら受けさせないということです。入学できるかどうかは、試験の結果で決まるわけであって、試験を受ける権利は誰にもあるはずなんです。 まさに加計学園の件は、行政の岩盤規制の典型例でした。こういった行政の横暴を食い止めるための機能としてできたのが、国家戦略特区ワーキンググループだったのですが、メディアはその本来の意図や、問題の本質を捻じ曲げて報道し続けたから、世論から反発を受けて、岩盤規制に穴を開ける作業が遅々として進まなかった、ということです。 柿埜 そもそも「獣医師が多すぎるから獣医学部新設を認めない」という主張自体、おかしな話です。 たとえば、画家になりたい人が絵を学びたいなら、どこででも勉強できますし、絵の教室を開くのも自由です。政府が「画家は多すぎるから絵画学校新設を禁ずる」とか「画家になるな」なんて言いませんし、大体、余計なお世話でしょう。 獣医学部新設禁止は、参入制限によって獣医師会の既得権を保護するものに過ぎません。文科省が獣医師会と癒着していたのに対し、安倍政権がメスを入れたというのが真相です。 この件をめぐって、元文科省事務次官の前川喜平氏は、「公平、公正であるべき行政の在り方がゆがめられた」と述べました。安倍政権に物言う、清廉潔白の士であるかのように、一部のメディアはこの方を称賛しましたけれども、実際は文科省の天下りを指揮した責任者として処罰された方です。 岩田 本物のスキャンダルで辞めさせられた人間が、いけしゃあしゃあと何を言うか、という話ですよ。 柿埜 獣医学新設禁止のような恣意的な通達行政こそ、官僚の天下りを可能にする力の源泉です。実際には、むしろ、加計学園の獣医学部新設の許認可プロセスは文科省の通達行政の歪みを正し、今後の規範を示した好例だったわけです。 加計学園に限らず、国家戦略特区ワーキンググループの原英史氏に対する名誉棄損報道などもそうですが、メディアは既得権者の言い分やデマを一方的に報じるのではなく、規制改革の背景をきちんと取材していただきたいですね。 一方、森友学園の方は、岩盤規制以前の話です。国有地管理は財務省の管轄ですから、この件は財務省と森友側の折衝の問題にすぎません。 そもそも、森友学園周辺の土地は多く問題を抱えていて、価格の査定がかなり曖昧でした。民主党政権時代にも、森友学園に隣接する現在の野田中央公園の土地を、豊中市に破格の値段で払い下げた事例がありました。昔からいい加減だったわけです。 そういったいわく付きの土地を高値で売ろうとした財務省側と、問題があるといって値引き要求をした森友側の交渉内で生じたトラブルが大本で、ここにも安倍さんが介入する余地はありません。 岩田 この件は、財務省の落ち度から問題が大きくなったのであって、忖度自体も財務省内の力学で働いていたんです。 本来、安倍さんを追求したところでホコリのひとつも出ないのに、なぜか安倍さんを問題視する声が日増しに高まって、財務省が安倍さんに対して余計な“忖度”をしてしまった。 安倍さんからしたら迷惑な話だったでしょうね。別に自分から注文をしたわけでもないのに、財務省が勝手に動いて。それで自分が不利な立場に追いやられたのですから、たまったものじゃないですよ。 安倍さんが亡くなった今でも、「モリカケ」問題を取り上げているけれども、いつになったら“決定的な証拠”が出るんでしょうかね。自称リベラルがでっち上げた、くだらないスキャンダルのせいで、第三の矢が不発になってしまって、経済成長にブレーキがかかってしまったのは本当に悔やまれます。 柿埜 安倍政権の対応に全く問題がなかったと言うつもりはありません。しかし、メディアが報じた疑惑は空振りでした。森友や桜は問題があったのは事実ですが、基本的に手続き上の瑕疵や報告の不適切さの問題で、安倍さんの関与はなかったわけです。これらはどんな誇張してもロッキード事件や陸山会事件等とは規模も性質も違う。安倍政権といえばモリカケ、史上最低といった評価はバランスに欠けています。 立憲民主党はなぜ失敗し続けるのか 岩田 メディアと一緒になって安倍さんを攻撃し続けたのが、野党の立憲民主党ですよ。貴重な予算審議の時間をくだらない質問にあてて、国会を空転させました。 そんな立憲民主党も、先日の参院選でまた議席を減らしましたが。選挙をすればするほど議席を失っているんですね。ところが情けないことに、彼らは自分たちの支持が伸びない理由をきちんと理解していない。 彼らは選挙に敗れるたびに、「自分たちの声が国民に届かなかった」といった趣旨の発言を口癖のようにします。自分たちの主張は間違っていないのに、なぜ国民は理解してくれないんだ、といった上から目線が、この発言から透けて見えますよ。 これは単純に、国民側が立憲民主党のスキャンダル追求だけで、よりよい代替案を出さない姿勢に嫌気を感じ、また公約にも実現性がないことを認識しているから投票しない、それだけ話なんですが。 なのに、自分たちのことを客観視できていない立憲民主党は、「自分たちの声が……」と、人のせいにするような発言を平気でしてしまうのです。 立憲民主党の政策の実現性のなさは、彼らの経済政策を読めば一目瞭然です。「すべての非正規雇用を正規雇用にします」と書いてありますが、私に言わせれば、今の経済状況でどうやればそれを実現できるか、その方法がまるで見えてこない。まさか、非正規社員を雇っている企業に対して、全員を正社員化しないと罰則を与える、といった法律を作ろうとでもいうのでしょうか。 正社員の数を増やすためには、景気をよくするしかないのです。では、どうすれば景気をよくすることができるのかと言えば、アベノミクスを完璧に実行することですよ。 ところが、立憲民主党はアベノミクスを否定しています。安倍政権で雇用が増えたことを認めたくないんですね。特に、雇用増加に大きく貢献した量的緩和を、今(22年6月~7月)は、物価高騰対策が必要だと言って、やめさせようとすらしている。こんな経済理解度では、正社員を増やすことなんて不可能です。 ようは無策だということですね。綺麗事だけ言って、“正社員を増やす”、“物価高騰から家計を守る”などといっていますが、経済をまるで理解していないことがバレバレで。そういった人たちの集まりだということを、国民はとうに見抜いている、ということです。 それに、立憲民主党は支持基盤が連合、特に公務員関係の労働組合である自治労だという、基本中の基本すら忘れているのではないか。 連合や自治労に所属している人たちは、給与も雇用も守られている、いわゆる労働貴族。自称リベラルな人が対象とすべき弱者、非正規雇用の人たちとは正反対の集団です。 立憲民主党はそういう労働貴族の基盤の上に成りたっているにもかかわらず、実現性の乏しい弱者保護を叫ぶだけで。それは欺瞞以外の何ものでもありません。いつまでたってもこんな感じだから、自分たちの声が国民に届かないのです。 これは、労働環境が守られている大手メディアにも同じことが言えます。自らをリベラルだと思いこんでいるメディアの、弱者目線的な報道ほど虚しいものはないですね。 柿埜 リベラルを標榜したいのであれば、少なくともアベノミクスの成果は認めないと。これは野党のみならず、与党の政治家にも言えることです。アベノミクスで何がうまくいったかを真摯に学び、それを取り入れながら、政権獲得を目指すのが政治の本道です。 特に、大胆な金融緩和の効果は明白で、データを見ればわかることです。今は円安脅威論が花盛りですが、アベノミクスがはじまる直前は超円高で、日本の製造業などが壊滅状態だったことはもう忘れてしまったのでしょうか。 安倍さんが嫌いだということをとやかく言いませんが、それと政策議論をごっちゃにして、“全部安倍のせいだ”と言っているだけでは、ますます支持が離れていくだけだということに、いい加減気がつけばいいんですけどね……。 イギリスでは、保守党のサッチャー政権以後、約20年間にわたって左派の労働党は野党の座に落ちていました。1997年に、ブレアによって久しぶりに政権をとることができたのですが、ブレアが何をしたかというと、まずサッチャー改革を評価することからはじめたんですよ。 サッチャーが大胆な規制緩和と民営化を推し進めたのに対し、労働党は規制緩和反対と国営化を主張し、徹底的にサッチャーに反対しました。暴力的ストによる政権転覆を支持した人さえいた。その結果、極左化した労働党から国民の支持はどんどん離れていきました。 さすがに、このままではまずいと気づき、ブレアは労働党の党首でありながら、サッチャー改革をきちんと評価し、その上でサッチャーが取り組めなかったリベラルな政策を導入していく、という方向性を打ち出して、保守党から政権を奪取しました。 左派だから何が何でも規制改革に反対するのが当然という発想は誤りです。規制による既得権保護こそ弱者に冷たい政策ですから、規制改革は左派の目標にも反していないのです。ニュージーランド経済を立て直したロンギ政権は、ニュージーランド労働党なので左派政権でしたが、ダグラス財務大臣が中心になり、徹底的な規制改革を推進しました。 それ以前のニュージーランドは、国営のホテルや銀行があったほど規制だらけの国で、無謀な国営事業プロジェクトの失敗もあって深刻な経済危機に陥っていました。イデオロギーに囚われず、経済を立て直すにはどうすればよいか、真摯に考えたロンギ政権が出した答えは、民営化と規制改革でした。 野党の保守政党、ニュージーランド国民党も、左派政党が改革を進めてしまったものだから、それを追認せざるをえなくなり、ニュージーランドの規制改革は加速したのですね。 岩田 ニュージーランドは、規制改革と同時に、世界でいち早くインフレターゲットを導入して、金融政策も大規模に転換しました。つまり、アベノミクスでいうところの第一と第三の矢の政策をやって成功をおさめた国です。 当時のニュージーランドは、インフレが進行しすぎ、という問題を抱えていました。実は、サッチャー時代のイギリスもかなりインフレが進んでいて。 インフレ状態なら需要が旺盛ですから、自然にモノの価格が上昇していき、それに伴って賃金も上昇する好循環が生まれます。たとえ規制緩和をして、国営企業を民営化したとしても、賃金が下がることはありません。 そう考えると、ある程度インフレになっていた方が、規制緩和を行っても痛みが伴わないので、人びとにとっても、社会改革の面から見ても優しい社会だといえます。 日本の場合は、イギリスやニュージーランドとは逆にデフレですからね。デフレ状態で規制改革をやってもうまくいきません。金融緩和でデフレから脱却し、その上で規制改革を進める、というアベノミクスの考え方はきわめて正しかったのです。 柿埜 今の日本の自称リベラル政党は、安倍政権がやったことには何でも反対です。デフレ的政策を支持し、規制改革推進どころか、むしろ既得権益保護のためなら手段を択ばない。これは、イギリスの労働党が過去に失敗した、自らを滅ぼしかねない路線です。 その点、安倍さんは第一次政権での失敗が何だったのかをきちんと理解しました。だから、金融政策をものすごく勉強されて、国際標準の経済理解にまで達しました。長期政権を実現した最大の要因が、まさにここにあるのです。 日本の政治家は、本気でリーダーを目指す、あるいは政権奪取を狙うのであれば、早くアベノミクスの本質を理解すべきです。それと同時に、自分の誤りを反省し、常に学ぶことを怠らなかった安倍さんの姿勢を、もっとちゃんと見習わなければなりません。 自称リベラル政党は、事実を直視せず、アベノミクスの成果を素直に認められないから、根拠薄弱なスキャンダル追及や陰謀論に走っているのだと思いますが、そんなことをしても有権者からますます見放されるだけです。 自称リベラルと本物のリベラルの違い 柿埜 日本のリベラルを標榜する人たちの姿を見ていると、リベラルとは何だろうかと思わざるをえません。本来、リベラルというのはどんな人であろうとも人権を守るのが基本のはずです。 たしかに、自分がリベラルだと思っている人ほど、人権が大事だ、と口では言います。ところが、相手が安倍さんになると、途端に人権意識がどっかに行ってしまう。なんとも不思議なことが起きています。 安倍さんの人権を軽視しているから、ありもしないスキャンダルをでっち上げることができるし、それを針小棒大に報道し、史上最低の首相、独裁者などと罵り、わざわざ「アベ」とカタカナで書いて呼び捨てにする。「安倍に言いたい。お前は人間じゃない。叩き斬ってやる」とおっしゃった大学教授もいました。 北朝鮮のミサイル発射や芸能人の逮捕まで、何か出来事がある度に「安倍のせいだ」という荒唐無稽な陰謀論を何の根拠もなしに唱えた知識人も一人や二人ではありません。 「安倍死ね」、「くたばってしまえ安倍」など、見るに堪えない発言をSNS上でも見かけます。そういった投稿をした人が、恥ずかしげもなくリベラルを名乗っている。反権力を気取っているつもりなのかなんなのかは知りませんが、ただの人権侵害です。こんな人たちがリベラルを名乗って「民主主義を守る」とか「人権のために戦う」と言っても全く説得力がありません。 安倍さんと交友関係のある人も容赦なく攻撃されます。ある有名歌手に対して、安倍さんと知り合いだというだけで、“早く死ねばよかった”といった趣旨のことを平然と書きこんだ方もいました。まるで前近代社会の、謀反人の関係者は皆殺しみたいな発想です。 SNSで全世界に自身の恥を晒しているにもかかわらず、それを恥とも思わない姿勢がなんとも情けないです。 岩田 言論の自由の範疇はとっくに超えているよね。 柿埜 明らかな名誉毀損ですよ。 私は、さすがに安倍さんがこうした痛ましい形で亡くなられてからは、誹謗中傷もおさまるだろうと思っていましたが、死者に鞭打つ暴言を平気で書く人たちがいる。 小出裕章氏は、安倍さんが亡くなってすぐ、「アベさんは最低の人」だから死んでも「悲しくはない」、「アベさんにはこれ以上の悪行を積む前に死んでほしい」と思っていたなどと書いています※1。安倍政権への賛否はあるでしょうが、これが殺された人に対する態度でしょうか。常日頃、命を大切にせよと説き、他人の些細な失言にも烈火のごとく怒る立川談四楼氏のような知識人は、小出氏を非難にするどころか絶賛しています。 こういった方は金輪際、リベラルを名乗らないで欲しいです。 岩田 そんなことを言う人がいるとは。正直、呆れて言葉も出ませんね。 柿埜 本当のリベラルというのは、フランス革命時代のマルゼルブやコンドルセみたいな人を言うんですよ。 ふたりとも、フランス革命前は絶対王制を敷くルイ16世を批判し、対立していた人物です。それにもかかわらず、ルイ16世が幽閉されたあと、誰も擁護しなかったルイ16世の人権を守る立場に回り、処刑を回避する訴えを行いました。コンドルセは共和制論者でしたが、議会でルイ16世の処刑に反対して演説し、マルゼルブは裁判の弁護人を引き受けました。 ルイ16世を弁護すれば、自らの命も危険に晒される。そのような極限状況のなかでも、ふたりは人権を守るために言論で対抗したのです。結局、ルイ16世処刑後に、マルゼルブも処刑され、コンドルセは獄中死しました。 たとえ、自分とは意見の異なる相手であっても、命を張ってでも相手の人権は守る。これこそが本物のリベラルです。一方、「安倍死ね」や「安倍を逮捕しろ」と言う人は、リベラルではなく、ギロチンで多くの国民を殺し、恐怖政治を敷いたジャコバン派を名乗っていただきたい。 実は、この件に関して、立派な態度をとっていると私が感心したのは斎藤幸平氏です。 岩田 本当に!? 柿埜 7月12日、斎藤氏はツイッター上に次の一文を投稿しています。 一方で、人に優しい社会をとか言いながら、こうやってすぐに他人を見下す左派リベラルの姿勢が、今の凋落の原因なんですよね。今のカルトを馬鹿にしたようなツイッター界隈の態度ももやもやするので、自戒を込めて。(2022年7月12日) 安倍さんに対する心無い発言や、事件の被疑者に関する憶測だらけの言論がツイッター上にはびこっていることに嫌悪感を抱いていることを、きちんと表明されています。 斎藤氏の脱成長論は間違っていると思いますが、こういう姿勢は立派ですし、他の方も見習ってほしいと思います。 岩田 常識人なら当たり前のことを言っているにすぎないんだけどね。柿埜さんが挙げた自称リベラルの発言があまりにもひどすぎて、斎藤氏の発言はだいぶまともに見えるけれども、私からすると仲間内の低次元な争いにしか見えませんが(笑)。 柿埜 こういう暴言を批判すると、必ず「これは権力の監視で、健全な政治的風刺だから問題ない。こうした発言への批判は言論封殺、言論の自由の弾圧につながりかねない」などという反論が返ってきます。 たとえば、立憲民主党の米山隆一議員は、「「死ね」って実はかなり日常的に使われる言葉ですよ」 と述べて、「安倍死ね」と発言していた方々は「本当に具体的に死を望んでいたとか、果ては殺そうと思っていた人など、殆どいない」から問題ないと擁護しておられます。むしろ心配なのは過剰反応による言論の萎縮だそうです。 これは到底納得できません。相手が誰であれ、誰でも見ることができるSNS上で「死ね」と書くのは立派な脅迫です。相手が権力者だから、何を言ってもいいのでしょうか。冗談で殺す気がないなら、何を書いてもよいのでしょうか。 ケネディ大統領やキング牧師が暗殺される前に、「ケネディ死ね」、「キング死ね」と言っていた人は意図がどうあれ道義的に非難されて当然です。安倍さんなら違うのですか。 安倍さんだって、死ねと書かれて恐ろしかったに違いありません。それに耐えて、敢えて訴えたりもせずに政治家を続けておられたのですよ。何故、そういうことに思い至らないのでしょう。 暴言を批判するのも言論の自由です。不当と感じる主張には、誰でも反論する権利があります。とんでもないことを言っておいて、反論は許さないというのでしょうか。「安倍死ね」という発言を批判する人の大多数は、言論の自由の弾圧などまったく考えていないでしょう。単に人権侵害に抗議しているのです。 ※1 http://www.labornetjp.org/news/2022/0710koide?s=09 被疑者を擁護する風潮の危険性 柿埜 安倍さんの暗殺事件直後から、逮捕された被疑者の職歴や人間関係などの情報が連日報道されています。 特に増えてきたのは、事件の動機とされる新興宗教団体、統一教会の話題です。今はむしろ、統一教会批判が過熱し、安倍さんの暗殺事件そのものがどこかに行ってしまったようにすら見えます。 安倍さんが統一教会の関連団体にメッセージを送ったことが取りざたされていますが、政治家はまとまった票を得るために、様々な団体のイベントに参加して顔を売ることはしょっちゅうやっています。宗教団体の関係団体で数回講演した、メッセージを贈ったから、その団体の手先だというのはあまりに乱暴です。実際にはそんな程度の付き合いの団体は数えきれないぐらいあるのですから。 それを無視して、「自民党は統一教会」などと主張するのは飛躍した議論です。特定の団体に関係がある人がいたという事実から、全てはその組織が操っていると結論するのは、典型的な陰謀論です。被疑者は陰謀論を信じていたのでしょうが、メディアや知識人が一緒に陰謀論を広めてどうするのでしょうか。 最近では安倍さんを少しでも擁護すると、証拠もなく「〇〇は統一教会信者」とレッテルを張ったりデマを書いたりする人さえ見受けられます。これは気に入らない人を誰かれ構わず「在日」、「朝鮮人」などと呼び、差別を煽る極右とどこが違うのでしょうか。 さらに危険なのは、被疑者がやむにやまれぬ状況に追いこまれていたから、今回の事件を引き起こしたのだ、と殺人を肯定する論調がすでに出てきていることです。たとえば、先にあげた小出氏は、「虐げられた人々、抑圧された人々の悲しみはいつの日か爆発する」と述べ、「多くの人が『民主主義社会では許されない蛮行』と言うが、私はその意見に与しない」などと被疑者を擁護しています。 既報通りであれば、被疑者の家庭環境は気の毒ですし、無論、例の宗教団体に大いに責任があるでしょう。ですが、その点ばかり強調するのはいかがなものでしょうか。遥かにひどい境遇で育っても立派に生きている人はたくさんいます。また、もっと同情すべき犯罪者もいくらでもいます。なぜ安倍さんを残酷な方法で計画的に殺害した人物を称え、殊更に同情してみせるのか。人間愛はもっと別のところで発揮してほしいものです。 どんな事情であれ、見ず知らずの他人を、恨みがある団体と僅かな接点があるだけで殺害するのは極めて身勝手で、卑劣なテロ行為です。冷酷な殺人に“正しい”動機などありません。 岩田 それから、安倍さんの側に問題があった、という論調も聞かれますね。これもおかしな話です。そんなことを言い出したら、いまウクライナがロシアに国土をボロボロにされているのも、ウクライナ側の責任だと言うのでしょうか。ロシアの侵略を正当化しているのと一緒です。 ウクライナ戦争は、あくまで先に手を出したロシアに一方的な非があります。安倍さんの事件にしてもそう。撃った被疑者が一番悪い。どうしてこんな簡単なこともわからないのか。 もっと身近な話に引きつければ、痴漢の被害者に向かって、「痴漢される原因はあなたにもあった」、いじめを受けている子どもに対して、「いじめの原因はあなたにもある」と言うのと同じ。 こういうことを言うのは、自称リベラルに多く、被疑者、加害者の人権や主権を擁護した気になっている。まさに「盗人にも三分の理」です。それを正当化してはいけないんですよ。 柿埜 安倍さんの暗殺はテロ行為で、断じて許されるものではありません。被疑者の主張を同情的に宣伝し、被害者に責任を転嫁している方々は、潜在的なテロリストに、あなたの主張を広めるには有名な政治家を暗殺すればよいと指南しているようなものです。一刻も早く再発防止策を考えるべきなのに議論も殆どない。非常に憂慮すべき状況です。 被疑者が安倍さんを撃ったことには相応の理由があり、むしろ被害者だ、という声が日に日に大きくなっている現象を見ていると、まるで戦前の5・15事件の報道を見ているようです。 5・15事件でも、当時の新聞は「テロは悪い」と言いながら、実際には犯人の動機や人なりを扇情的に報道しました。政治の腐敗により、人びとは窮乏にあえいでいる。むしろ、責任は彼らではなく、社会が負うべきだ、というのです。こうしたキャンペーンの影響もあり、青年将校らには多くの同情が寄せられ、減刑嘆願書には40万人近い署名が集まりました。 現職の首相を、白昼堂々射殺したにもかかわらず、彼らの助命を乞う声が多く集まったために、彼らには、事件の大きさからは考えられない軽い刑が下されることになりました。 この流れが、後の2・26事件のきっかけになったことは言うまでもありません。これらの事件が引き金になって政党政治は終わり、軍部独裁が始まり、遂に太平洋戦争に至るわけです。 今回の被疑者擁護の動きがエスカレートすれば、日本社会はまた“いつか来た道”を歩むことになるかもしれません。それが何よりも心配です。 被疑者の動機はきわめて特殊ですし、事件の原因を社会にもとめる発想も間違っていると思います。日本は元々凶悪犯罪が極めて少ない国ですが、アベノミクスの下で犯罪発生率は低下し続けました。発砲事件はここ数年、年10件程度で世界最低レベルです。 「銃撃事件は長期政権のせい」とか「日本社会が冷たいから事件が起きた」といった主張は根拠薄弱です。例外的事件を過度に一般化して社会の責任にするのは事実上、テロを免責し肯定するに等しい。 どんな社会でも、いろいろな人がいて、中には犯罪を起こす人も一定数存在するわけです。社会を良くして犯罪者の数を減らすことはできても、完全にゼロにすることはできません。 犯罪者をゼロにしたいなら、国が国民を24時間監視し、ちょっとでも怪しい人は全員収容所送りにして思想改造とか“治療”を受けさせたり、予防的に抹殺したりするような、全体主義社会を作るしかないでしょう。果たして、誰がそんな社会を望むのでしょうか。 我々が今すべきことは、社会のどこかには人に害をなす人物がいる前提で、安倍さんを守るために何をすべきだったか、今後このようなことが起きないよう、どういった警備体制を整えるべきなのか考えることです。そういった議論が先決なのです。 リベラル政策を推し進めた安倍政権 岩田 日本の場合、どうしても反安倍の声が大きくなりがちだから、安倍さんの本当のところの評価が見えづらい部分があるんだけれども、世界は安倍さんのことをちゃんと評価していますよ。海外から要人がこぞって弔問に駆けつけていることからも、そのことがよくわかります。 柿埜 アメリカの上院は、安倍さんの功績をたたえる決議を全会一致で可決しました。安倍さんは国際的には、民主主義と人権、法の支配といった普遍的価値を守った政治家として大変な尊敬を集めていました。海外のリベラルは、安倍さんの悲劇的な死に心のこもった追悼の言葉を贈っています。 岩田 外交面での安倍さんの行動力は凄まじくて、時間があれば世界中を飛び回り、相手の懐に入って、膝を突きあわせて語り合ってきたんですね。それは、日本に友好的な国はもちろんのこと、そうでない国だったとしても、とにかく足を運んで、関係を築き上げてきた。だから、海外の人たちに人気なんですよ。 柿埜 実際は、国内でも本当に多くの人が事件現場に赴いて献花していますよね。自称リベラルの人たちが言うように史上最低の首相だったら、ここまでたくさんの人から追悼されませんよ。 雇用を劇的に改善した安倍さんは若者には圧倒的人気でしたし、東日本大震災の被災地復興や風評被害対策に取り組む姿も尊敬を集めていました。福島の名産品をおいしそうに食べる安倍さんの姿は多くの方が覚えておられるでしょう。外交努力が実り、日本の農作物の輸入制限措置は殆どの国で撤廃されました。 拉致問題やデフレなど、票にならないからと他の政治家が無関心だった問題でも、安倍さんはいち早くその重大さを理解し、真剣に取り組みました。そうした姿勢に共感し、尊敬していた方は少なくないでしょう。 安倍さんは、憲法改正に強い意欲を見せ、右派言論人と親しかったですから、タカ派的なイメージを持たれている方が多いと思います。 ところが、実際にやったことを見ると、案外、一部の右派から反発を受けかねないような問題に取り組んでいるんですね。ヘイトスピーチ対策法の制定も安倍政権下でのことですし、移民政策も前に進めました。野田政権で最悪だった中国との関係は改善し、韓国とも歴史的合意を結びました。偏見なしに見れば、いずれも画期的な成果です。 これは、ニクソン大統領が米中国交正常化を実現したことと似ています。誰もが認める反共主義者のニクソンだからこそ中国とうまく交渉できたし、右派も左派も納得せざるをえなかった。 そもそも、安倍さんは一般に思われるほど“右翼”ではなかったと思います。たとえば、主著『美しい国へ』(文春新書)には、移民出身の選手の活躍でワールドカップに優勝したフランスが人種差別を乗り越えて団結できたという話が紹介されています。安倍さんの理想は、伝統を大切にしつつ、自由や人権など普遍的価値を尊重する国だったのでしょう。 勿論、ときにはかなり保守的な主張をされたこともありますし、そのすべてがいいとは当然思いません。ですが、安倍さんも主義主張とは別に、自らがやるべきこと、進めなければならない優先順位を明確に理解していました。 岩田 女性が活躍する社会を目指して、同一労働同一賃金を成立させたのも安倍さんですし、長時間労働の是正にも積極的に取り組んでいました。こういった政策は、本来リベラルを標榜する野党がもっと強く推し進めないといけないのですが、全部安倍さんがやっちゃった。 柿埜 安倍政権下で女性の就業率はアメリカよりも高くなりました。雇用の改善に加え、幼児教育無償化や保育所の規制改革も進展しましたし、リベラルが目指している社会にだいぶ近づいたんですけどね。安倍さんは、著書や演説でも女性が活躍できる社会の大切さを説いていましたし、有言実行の人でした。 岩田 ところが、反安倍の人たちは女性の就業者数増加のデータを見て、大半が非正規労働や短時間のパート労働ではないか、と批判します。かたや民主党政権時代には、そのパートの働き口すら、満足に作れなかったんですけどね。 パートの働き口がたくさんできたということは、短時間で働くことを希望している女性たちのニーズに応えられるようになったということです。 特に主婦の人などは、子育てや家事の合間、介護の空き時間を使って、とまず家のことありきで仕事を探すので、女性全員がフルタイム労働を望んでいるわけではありません。それぞれの事情に見合った働き方があるので、選択肢が広がるのはいいことです。 ただ、労働環境をめぐる問題はまだ山積しているのも事実です。たとえば、「130万円の壁」があるから、現在扶養に入っている人は、年収が130万円を超えないように、短時間労働を選びがちになる(年収130万円を超えて扶養から外れると、税金以外に健康保険料・国民年金保険料の支払いが必要になる)。女性の社会進出をさらに促進させるには、現行の制度を見直す必要があります。 また、安倍さんが正社員の長時間労働是正に取り組んだとはいえ、まだ長いですね。それは労働時間で評価する慣行が根強いことがネックになっているのですが、この部分をさらに改善するために、ワークシェアリングと同一労働同一賃金を導入して成功している、オランダモデルや北欧のモデルを積極的に取り入れていくべきでしょう。 柿埜 北欧やオランダは福祉が充実した大きな政府のイメージでとらえられがちですが、実は経済自由度の極めて高い国です。これらの国の福祉は貧しい個人を対象とした再分配ですし、日本のような産業政策とはもっとも縁遠い国です。 岩田 産業政策をやっているのは何も日本に限った話ではありませんが、日本の場合は、やれ農業支援だ、中小企業支援だといって、産業ごとにまとめて補助金をドンと出す。 補助金のおりた産業の連合や組合に所属していれば、その恩恵を受けられるのですが、そうでない人はいくら困窮しても守ってもらえない。これが日本の実情です。 ところが、北欧やオランダは特定の産業に対してではなく、個人個人を対象に補助金を分配することを重視しているので、長時間労働をせずとも、それなりの生活がおくれるのです。 柿埜 日本同様、産業政策をやっているアメリカは、GMが潰れたときに政府が補助金を出して救済しました。一方、スウェーデンはオペルが潰れても一切手を差し伸べなかった。その意味では、アメリカよりもスウェーデンのほうがはるかに“新自由主義”的です(笑)。弱者保護は個人を対象とした政策でやるべきで、特定企業を救済する既得権保護は社会全体を停滞させるだけです。 豊かな社会を作るには、財政金融政策も規制改革もどちらも大切で、再分配政策も忘れてはいけません。安倍さんは、これがわかっている大変珍しい人でした。実際にやったことをきちんと見れば、世間的に言われているような、偏狭なナショナリストでは決してありません。安倍憎しで目がくらんでいる方も少し頭を冷やして、冷静になっていただきたいと思います。 安倍さんは、たしかに保守的な思想を持っていましたし、伝統は大切されていたでしょう。その一方で、新しいものをどんどん取り入れながら、変えるべきものは何かきちんと理解して、変革も実践されていた。 これは、日本が明治維新で成功したときのやり方に倣ったものといえるでしょう。安倍さんの場合、イデオロギーではなく、経済合理性に裏打ちされていたからこそ、日本がどう進んでいけばいいかというビジョンを、アベノミクスという形で明確に打ち出すことができたのだと思います。 残念ながら、未だに安倍さんを罵り理解しようともしない自称リベラルはもとより、保守派も必ずしも安倍さんの経済観を理解しているとは言えません。安倍さんを尊敬する人であっても、経済政策は国家主義を良しとする人が少なくありませんし、デフレ脱却の重要性を理解する人は一握りです。日本は、大切なこの時期に、他に代わる人のいない政治家を失ってしまいました。 岸田総理には日本経済の行方を最後まで案じていた安倍さんの遺志を引き継ぎ、是非ともデフレ脱却と規制改革を完遂し、日本経済再生を成し遂げていただきたいと思います。(了) 【付録】なぜ規制改革が必要なのか 岩田 加計学園の問題で、日本の学校行政の規制の話をしましたが、ほかにも多くの業界に規制で行われています。日本の場合、その最たるものが農業でしょう。 まず、いまの農業従事者、農家の実態をお話すると、現在、専業農家はほとんどいなくて、大多数は平日別の仕事に就いている兼業農家です。米農家の場合、一番忙しいのは田植え時期ですから、その期間を除けば、土日に農作業をするだけでも、さほど支障をきたさないのです。 そういった人たちは、普段は公務員として働いているケースも多いので、割合安定した収入を毎月得ていますし、さらに、農業で生まれた利益も上乗せされるので、平均的なサラリーマンよりも所得水準が高くなりやすいのです。 ところが、国はこういった農家の実態をいまだに理解しておらず、恒常的に生産性が低い、困窮産業だと思いこんでいます。だから、農業支援、農業政策を積極的に行う。それこそ、休耕田を推奨するような規制を作り、意図的に生産力を抑えて、競争しにくくしているのです。生産性を下げて生じた減収分は、各種補助金を撒いて補うなど、非常に手厚い。 それは裏を返せば、日本国内には耕作可能な土地がまだまだあるということです。ですから、大農法を取り入れるなど、規制を緩和すれば、米の生産量は飛躍的に伸びるので、日本の米はもっと安くなるはずなのです。 これは酪農家にも同じことが言えるんですね。牛乳や乳製品などの値段が下がりすぎないように、価格をコントロールする規制を行っているから、本来の適正価格よりも割高で販売されています。 最初から割高な値付けになっているのだから、酪農家からしたらちょっと規模を大きくして、生産力を増やせば余計に儲かる。こういう仕組みです。この恩恵を受けて、いま北海道では酪農御殿という立派な家がたくさん建っています。 実は、都心の近郊県に土地を持っている農家も、大変立派な家に住んでいて。それこそ、埼玉や千葉の郊外をちょっと歩いただけで、一戸建ての御殿がすぐに目に入ってきますよ。 こういった農家が所有している土地は、周辺が都市化して猛烈に地価が上昇したことに連動して、かなり高い価格になっているのです。農家からすれば、大して農業をせずとも、その土地を切り売りして売るだけで、莫大な利益を手にできます。 それに、こういった土地はその農家が先祖伝来受け継いできた由緒あるもの、とかではなく、戦後の農地改革で小作地を分配されたときに二束三文で手に入れたものですから、売却したときの利益率がおそろしく高い。 なおかつ、農家だというだけで譲渡益や固定資産税が減免されるから、売れば売るほどますます裕福になっていくのです。だから、自分用に豪邸を建てるだけでなく、自分の子どもに立派な家を建ててあげても、十分にお釣りが返ってくる。 むしろ悲惨なのは、その切り売りされた手狭な土地を、長期ローンを組んで購入している、普通のサラリーマンの方ですよ。彼らは毎日、満員電車に揺られながら、一時間以上かけて都心に通って、何十年もかけて借金を返していかなければならないのですから。 それをしり目に、農家は悠々自適の左うちわの暮らしをしているわけです。いま本当に貧しいのはどちらなんだ、ということ声を大にして言いたいですね。その事実に気づかず、いつまでも農民は貧しいと思って優遇を続けるのは、実に愚かしいかぎりです。 柿埜 日本の農業を守る大義名分として、自給率の問題を挙げる方もいます。日本の低い自給率を改善するためには、農家を保護しなければならないのだ、と。 しかし、自給率を押し下げている要因は、岩田先生がおっしゃったような、減反政策的なやり方をして、意図的に生産量を抑えているためです。米の場合は飼料米に補助金を出して、わざわざおいしく高価な米を家畜の餌に回し、人びとの食卓に上げる分を絞っています。こんな無駄遣いをしているのは日本くらいです。 そもそも、自給率が低いのは悪いことではありません。鎖国して全世界と全面戦争でもするつもりならともかく、貿易立国として成功を収めた日本が自給自足を羨む理由などないのです。 自給率が高ければ安心なんて幻想です。北朝鮮など貧しい独裁国家の自給率はほぼ100%です。太平洋戦争末期、食料が輸入できず、飢餓に苦しんだ日本の自給率もとても高かった。貧乏で食料輸入もできなくなれば、自給率なんてすぐ100%になります。自給率にこだわるのがいかにナンセンスかは明白でしょう。 岩田 いま現在、規制で保護されている産業の大半は弱いから守られているのではなく、実態はその逆。むしろ、力がないと守ってもらえないのです。 それこそ、農業従事者の組合である、農協なんて絶大な力を持っていますから。所属している人たちの数が桁外れに多い。その数の力を使って政治家に圧力をかけて、自分たちの既得権益を営々と守り続けてきているんです。 農協クラスの規模になると、政治家への陳情専門の組織も作れてしまいます。その陳情団が、各政党の会館を日参して、さも自分らが困っているかのように訴えるのです。以前、私も自民党会館で各業界の陳情団が行列を作っている光景を見ましたよ。 陳情を聞き入れた政治家は、その内容を関係省庁につなげて、官僚がそれに沿った規制を作る。これが基本的な構造です。規制さえ作ってしまえば、あとは加計学園のときのように、通達や告示を使うなどして、新規参入の妨害を行えばいい。 政治家にとっては、数の多い組合組織を使った選挙協力の約束を取りつけられますし、官僚は組合並びに組合傘下の組織に天下りポストを用意してもらえるので、政治家にしても官僚にしても、大変美味しい見返りが待っている。この三者がガッチリ手を結んだ構造が、俗にいう「鉄のトライアングル」というやつです。 これとは逆に、組合に力がない業界や産業だと、当然、政官は守ってくれないから、自然淘汰されてしまうのです。昔の馬車屋や人力車屋なんかがそうですね。鉄道や自動車といった交通インフラの発達に伴って姿を消していきました。 ただ、このような古い産業構造から新しい産業構造への転換は、社会にとって本来の望ましい姿でもあります。 柿埜 岩田先生は日本の馬車業者を引き合いに出しましたが、イギリスでは日本と違い、馬車業者の力が強かったんです。自動車の登場に脅威を感じたイギリスの馬車業者は議会に圧力をかけ、赤旗法という法律を作って、自分たちの産業を守ろうとしました。 その法律というのは、自動車の走行中は、自動車の前を赤い旗を持った人が走って、「今から自動車が通るから危ないですよ」と警告しなければならないというのです。安全性を建前に斜陽産業を保護するというありがちな悪法です。この法律のせいで、自動車の前を常に人が走ることになり、それ以上のスピードでは走行できなくなりました。余計な人件費もかかるようになりました。 こういった、普通に考えればおかしな規制を無理やり作ったがために、産業革命の先頭を走っていた国だったにもかかわらず、自動車の普及が遅れて……。 岩田 自動車産業の主導権をアメリカに奪われた、と。 柿埜 そのとおりです。イギリスより先に、アメリカの自動車産業が発展したきっかけのひとつに、こんな冗談みたいな話もある、ということです。 岩田 まさに、規制によって引き起こされる弊害のいい例だといえます。規制があるせいで、これから成長するかもしれない産業の芽を摘んでしまう。農協が規制を作れば、その分だけ農業分野の成長が著しく抑制されてしまうわけです。 柿埜 農業保護をはじめとする既得権保護を“日本の伝統”だと信じている方がいますが、政府の力が強まったのは比較的最近です。“日本の伝統”がその程度なら、日本はとっくに滅んでいます(笑)。江戸時代の大阪堂島コメ市場は世界に先駆けて先物取引を導入しましたし、明治日本は自由貿易の下で外国の文化や技術を大胆に取り入れました。こうした伝統こそ大事にしたいものです。 まあ、自称保守が古き良き“伝統”と信じて既得権保護に加担するのはまだわかるのですが、最近では、自称リベラルが熱心に既得権を擁護し、“伝統”を守れと叫ぶ、実に奇妙な現象が起きています。因習に反対して自由な社会を目指すのが本来のリベラルのはずなんですが。 岩田 頭の固い保守が「新自由主義反対」を訴えるのは、もともと規制を守りたい人たちの集まりだから、意味としてはわかるんだけど、なぜか自称リベラルもそれに同調して「新自由主義反対」を言っちゃうものだから、本当にわけがわからない。 新自由主義に反対するということは、結局のところ、自分たちが嫌っている、経済合理性に欠けた古い価値観や伝統を守り続ける意味なんだけれども、それでいいと思っているのかね。 というより、今のように規制でガチガチだと、成長産業なんて現れっこないんですよ。それでいいなんて、誰も思っていないでしょ。だから日本は、いらない規制を撤廃して、余計な産業政策もなくしていきながら、北欧型の正しい「新自由主義」の形を目指すべきなんですよ。 関連記事 ●アベノミクスの前と後 ●真の“リベラル”経済学のススメ ●資本主義vs.脱成長コミュニズム 人びとにとっての希望の社会とは