実に生真面目な一書である。
頁を繰るたびに著者の井筒俊彦への真摯な姿勢が溢れんばかりに垣間見えてくる。そこには井筒その人の謦咳に接したことのある人々が井筒を語る際に漂わせる独特のえも言われぬ緊張感とは異なる何かを感じる。「井筒俊彦の一神教は、折口信夫の神道と鈴木大拙の仏教を一つに総合するものとして形になった。それが私の結論である」(i-ii頁)と早々に宣言して始められる本書の素直さは、井筒の数々のお弟子の方々にはとても示しえぬ所作であろう。井筒の直弟子のお一人である黒田壽郎からイスラームのあれこれを手ほどき頂いたこの書評子にとってはそうした驚きにも充ちた一書でもある。
とりわけ数々の関係者への取材やフィールドワークも重ねてものされている第一章「原点——家族、西脇順三郎、折口信夫」の記述は実に興味深い。西脇や折口との出会いは著者のこなれた筆致で鮮やかにまとめられているが、井筒の「父」と「母」そして「おば」については引き続き謎の残るものになっている。「果たして父の観照的生の修行がその極限に達したかに見えたとき、却ってそれは彼にとって生への完き絶望、すなわち死を意味した。観照的生の完成こそ生命そのものの完成を意味する筈であったのに」という、後に井筒自身により削られることになる『神秘哲学』初版序文を引きながら、著者は「ただ井筒の「父」が、清らかな求道者であることと汚れた罪人であることを両立してしまえるような奇怪なパーソナリティを持っていたことだけは分かる。そのような「父」が見初めた井筒の「母」は芸者であった。少なくとも、井筒俊彦は松本正夫にそう伝えていた」(六頁)という。そして井筒の一族は墓誌に刻み込まれた五人の名前を残して、あとはすべて「無」へと消滅してしまった(二頁)としている。
第一章でも言及される大川周明との関係については、第四章でより詳しく触れられている(古在由重との交流に一言の言及もないのは残念であるが)。「大乗仏教の理念を最新のヨーロッパ哲学によって止揚した西田幾多郎と「大東亜共栄圏」のイデオローグとなったアジア主義者である大川周明。その二人の交点にこそ、井筒俊彦の起源が存在する」(一三四頁)と断言する著者は、「井筒俊彦の哲学は、大東亜共栄圏とイラン革命を一つに結び合わせる、戦争の哲学にして革命の哲学であった。そのような事実を、なによりもいま、冷静かつ客観的に明らかにしていかなければならない。真の井筒評価は、そうした「おぞましさ」の直中でこそ果たされなければならない。それこそ井筒の哲学を未来にひらいていくことにつながるはずである」(一二七-一二八頁)という。
井筒の〈東洋哲学〉がまさにそれである。ただ〈東洋〉も〈哲学〉も欧文脈に応じて近代日本の受容し構築されたものの「翻訳」であり、そのように予め自覚しそれがさらに脱構築されて〈東洋哲学〉が立ち現れる。「すぐれてイスラーム的な存在感覚と思惟の所産であるこの形而上学(イブン・アラビーの存在一性論)を、たんにイスラーム哲学史の一章としてではなく、むしろ東洋哲学全体の新しい構造化、解釈学的再構成への準備となるような形で叙述してみようとした。こういうといかにも野心的なようだが、いくら野心ばかり大きくとも、実践が伴わなくてはなんにもならない。……とまれ、このような東洋思想の遺産の重層的総体を担いながら、しかも明治以来圧倒的な力で流入してきた西洋思想の影響で多分に西洋化された心をもって世界を意識し、「欧文脈」化された思惟方法でものを考えながら、われわれはこの時、この場所を生きている、そういう実存で、われわれはある」(『イスラーム哲学の原像』序)という明確な自覚を井筒が持ってきたことが、天才の天才たる所以なのではないか。
この井筒の〈東洋哲学〉は、後にデリダが「(非西洋世界に)フィロソフィーは存在しない」と言った当たり前の哲学の歴史を予め止揚していたが故に、デリダの「脱構築」に驚くことはなかった。さらなる問題は〈東洋哲学〉の「実践」を二一世紀においてどこが担うのかである。〈哲学〉を未だ欠いている「一帯一路構想」にどうそれが組み込まれうるのか、議論すべき時がすでに来ているように思える。(すずき・のりお=愛知大学教授・政治哲学)
★あんどう・れいじ=文芸評論家・多摩美術大学教授。著書に『神々の闘争』など。
どのように日仏のイスラームの比較が可能なのか、と疑問に思いながら本書を読み始めた。日本のムスリムの人口はフランスのそれの二十五分の一に留まり、歴史的背景やメディアによる扱いも異なるからだ。編者の伊達聖伸も「比較できないものの比較という無謀な企てと言うべきなのだろうか」(一二頁)と「序」で述べ、「比較しがたいものの比較」であることを認めている。日仏比較といっても、イスラームの何を比較するのかという問題設定の難しさもある。そうした意味でも、本書は小さからぬ課題に挑んでいる。
本書は、日仏の政教関係や、それぞれの社会におけるイスラームとムスリムの位置づけやそれらをめぐる社会的課題を取り上げている。具体的には、日仏の歴史的・社会的文脈を振り返る部、「過激」と「リベラル」なイスラームを検討する部、そして研究・教育・食を扱う部の三部に分かれている。数本の論文に絞って以下で検討していきたい。
第Ⅰ部に収録されている樋口直人の「『遠くて遠い国』と『近くて遠い国』の間」という論文は、日本におけるムスリムと在日コリアンに対する認識をポストコロニアリズムとオリエンタリズムの観点から分析している。日本の実情が中心的であるが、日仏の比較の視座を持ち、フランスにおけるムスリムがポストコロニアリズムの観点から排除されるのに対し、日本でムスリムはオリエンタリズムにより規定された、時に肯定的にもなるまなざしを向けられ、在日コリアンのようにポストコロニアリズムに規定された排除の対象とはなっていないことを示している。データにより裏付けられた明確な主張を展開し、本書の比較研究というコンセプトに巧みに挑戦した論文だ。ただし、ポストコロニアリズムをめぐる諸問題を日本政府や日本社会が克服すれば、在日コリアンへのヘイトがおさまるのかといえば、北朝鮮政府の行動も無関係ではないはずで、この点を論じていないことから、さらなる研究の発展に期待したくなる。もちろん南北の分断状態自体がポストコロニアルな問題であることは言うまでもない。
オリヴィエ・ロワの「1995年以降のイスラーム・テロリズムに見られる新たな側面」と藤原聖子の「日本に『過激主義』はないのか?」の対となる二本の論文は、第Ⅱ部において日仏比較を意識しつつ、それぞれの国における過激思想を検討している。宗教実践の過激化が暴力につながるのではない、とロワが主張するのに対し、藤原はイスラームの過激化あるいはロワの考える過激性のイスラーム化のどちらかがテロの原因になっているのではなく、宗教的過激思想は社会的公正の追求と宗教の本来の姿の追求の合成物だと応答する。この二本の論文から、ジハード主義が衰退しつつあるものの今でもフランスが直面するテロの問題と、日本における過激思想の周縁化と社会に対する諦念の定着という、それぞれの社会的脅威の様相が立ち現れる。
第Ⅲ部で取り上げられているイスラーム教育に関しては、J-J・ティボンとF・キアボッティの「フランスにおけるイスラーム教育とイスラーム学教育」、そして見原礼子の「オルタナティブ教育の場としてのイスラーム学校」を通じて、日本・フランス・オランダの現状が見えてくる。初等・中等教育に限れば、日仏でイスラーム学校はそれぞれの学校制度の中で公認を受けていないかごく部分的にしか受けておらず、公認を受けているイスラーム学校を多く抱えるオランダとは事情が異なることがわかる。フランスにおいてはライシテを遵守したイスラーム教育を実践できるイマームの育成が一つの課題となっている。だがいずれの国においても、ムスリム・コミュニティはイスラーム教育を求めており、主流社会からの分離を目指す閉塞的な学校空間ではなく、イスラームに関する多様で豊かな知識の獲得と社会統合の両立を希求している。
日仏の相違点が見えてくるのもさることながら、新たな問いに読者を導き、社会的課題を明らかにした本書は、「比較しがたいものの比較」という目的を充分に果たしたといえるだろう。(おおしま・えりこ=慶應義塾大学准教授・フランス政治)
★だて・きよのぶ=東京大学大学院総合文化研究科教授・宗教学・フランス語圏地域研究。著書に『ライシテから読む現代フランス』など。一九七五年生。
ここで紹介する二冊は、二〇二一年九月に膵臓がんのため五三歳の若さで亡くなった、法哲学者・那須耕介のために、彼の師や同門・親交のあった研究者たちによって編まれたものである。『法、政策、そして政治』は生前、那須が執筆した論文を集めて一冊としたものであり、『政治における法と政策』は那須への追悼論文集である。那須の関心は広く、法の支配や遵法責務といったオーソドックスな法哲学的議論から、政策や政治についての一般的および個別的な議論にまで届いていたが、その中でも特にコロナ禍において日本でも人口に膾炙した「ナッジ」論については、紛うことなきトップ・ランナーであった。この二冊は主に後者の関心にまつわるものである。
那須という法哲学者を知らない者がここまでに記したような紹介を受ければ、非常に手際良く問題をまとめて整理し、それぞれの問題に次々と解答を与えていった人物なのだろうと思いそうなものであるが、評者の知るところでは、那須は寧ろその逆であった。『法、政策、そして政治』では、複雑な問題や関係のかたちを出来るだけ残して論じようと格闘する那須の姿を見ることができる。那須自身も自覚していた。たとえば生前の著作『法の支配と遵法責務』のはしがきで、法の支配論や遵法責務論の奥に控える「法とは何か」という問いを、常に「(どんな)人にとって法とは何か」という一息では答えられないような二変数の問いのかたちで扱っていたと記している。そのような自らの問題設定について、相当無理があったと、過去の自分を悔いていたようでもある。
しかし、ここにこそ今回の二冊にも通底する、那須の姿勢、そして魅力が潜んでいるように思われる。那須は自分の摑み取った問題を知られた形に整理し、切り分けることで問いに答えていくのではなく、出来る限り摑み取った形のままに描き出し、それに応答することを目指していたように思われる。「人間性という歪んだ材木」と法との関係を正面から受け止めて、その歪みを自らの法哲学に組み込もうとしていたのだろう。そこにはいつも、私たちにとっての問いは常に知られたような、好都合で綺麗な形で存在しているわけではないはずだ、という問いについての疑いがあったに違いない。
この疑いの姿勢には那須を、この二冊を読む上で重要な点が二つある。一つは、浅野有紀が指摘するように、疑いゆえに那須が「立ち止まる」ことである。立ち止まる那須は「私たちはわかっているように話しているけれど、実はよくわかっていないのではないですか」と私たちをも立ち止まらせようとする。「どうすれば」以前に「そもそもなぜ」という問いが大事なのではないですか、と那須が問いかけてくるとき、もう一歩で結論に行きつけたであろう論者そして読者は、再び思考の森に引き戻されてしまうのだ。たとえば若松良樹は、ナッジについての対談の中で那須が飲み込んだ(ように見えた)「でも」の先に続いたであろう問いかけに応えようと論を進めて、次の那須との会話に備えている。
もう一つは、浅野や近藤圭介が指摘するように、問いが「私たち」について/とっての問いであることは、那須にとって重要だったに違いない。法の支配などの法哲学研究を進めていた那須が「晩年」、ナッジ論に重心を移したのは、この点に関係があると考えて良いのだろう。歪んだ材木をさも真っ直ぐかのように扱わず、歪んだ材木として扱う筋道をそこに見出そうとしていた、ということなのだろうか。そのような那須の構えは、講義録『社会と自分のあいだの難関』からも窺い知ることができる。
このような一貫したモチーフが軸にありながら、周囲の人それぞれにとっての那須がいたと言えるほど、那須は多様な面を持っていた。先日開催された日本法哲学会においても「那須会員ならこう言うだろう」という発言が複数あった。もちろん、既にそこに那須の姿はない。それでも、未だに私たちに問いかけ、思考を促す。那須が発した問いかけは『政治における法と政策』において、各論者によって応答が試みられ、問いかけはさらに先へ進められようとしている。那須が周囲の人を引き付けて離さない研究者であり、物書きであり、人物であったことを存分に感じられる二冊である。
ここで那須といくらか距離のあった評者からの「私にとっての那須」について記すことで、本評を終えることをお許し頂きたい。評者が那須を認識したのは、学部一年生ながらに無理を言って後の指導教官に連れていってもらった東京の研究会においてである。リバタリアニズム関連書籍についての合評会で評者を務めていた那須は、リバタリアニズムにとっての「小さな政府」の指標問題について問うた後、次のように続けたのだった。「福祉国家はリバタリアニズムにとって安価な迂回路たり得るのではないか」。文字通りのリバタリアニズム信者であった当時の評者が得た、頭から水を掛けられたような心地は、二〇年近くを経た今でも忘れられない。そこに「立ち止まる」余地を見出せること自体に心底驚いたのだった。十余年後、大学院を終えた評者はこの点について那須に尋ねたことがあったが、まだ消化(昇華)できていないと判断されたのであろうか、あるいはさほど大事なことではないと考えていたのだろうか、確たる話はできないまま今に至ってしまった。次に那須に対面するまでには、評者も十分な準備をしておきたい。(ふくはら・あきお=九州大学大学院法学研究院准教授・法哲学)
★なす・こうすけ(一九六七―二〇二一)=京都大学教授・法哲学。著書に『法の支配と遵法責務』『社会と自分のあいだの難関』など。
★たなか・しげあき=京都大学名誉教授・法哲学。著書に『カントにおける法と道徳と政治』など。
★あだち・ゆきお=京都大学名誉教授・政治学。著書に『公共政策学とは何か』など。
著者の吉原真里はハワイ大学教授、アメリカ研究、特にアメリカ文化史、アメリカ=アジア関係史の研究者であり、軽妙な文章を使いこなすエッセイストでもある。最新作の『不機嫌な英語たち』は自身の少女時代からを振り返る私小説。
十七の章の間には六編の英語のエッセイが差し込まれている。その中でも最初のThe Plastic Wrapperは菓子の袋の英文を読んだ十四歳のマリが、意味をなさない英語に驚いて菓子会社に手紙を書いたというエピソードだ。書くことを通じて社会と関わっていく彼女の人生のきっかけのようで、興味深かった。ただし、これらの英語エッセイはグレーの背景の上に、極めて小さな文字で書かれているためとても読みづらい。それこそお飾りのように差し込まれているだけでは大変もったいないので、興味のある方はぜひ拡大コピーで読んでみることをお勧めしたい。
現在の彼女を形作っているものは、さまざまな出会い方とそれぞれの濃淡で付き合った人間関係と、英語、そしてピアノだ。最初の章のタイトルは「ミリョンとキョンヒ」。渡米前、小学生のマリの思い出の中には同じピアノ教室に通う、日本語とは響きの違う名前を持つ少女たちが登場する。この本はマリの人生と同様に日本とアメリカを行ったり来たりして、多様な人種と文化のあるアメリカを切り取っていくが、対象となる日本も決して画一的ではないのだと、読者にくぎを刺すかのようだ。父の転勤によって、マリは突然英語の世界に放りこまれる。マリは「『英語ができない自分』から『英語ができる自分』への境界線を、ふっと超えた瞬間があったのだろうか」と振り返っている。母語でない言語を習得するには環境だけではだめで、継続できる努力と、目的というかある意味意地のようなものが必要なのだと思う。マリは、特に帰国してからはその環境の部分で「帰国子女」としてひとくくりにされただろうと想像するが、努力と意地が飛びぬけていた少女だったのだろう。
この私小説の面白いところは、マリが研究だけでなく恋愛も盛んに実践していて、何人もの男性との恋愛が赤裸々に描かれているところだ。マリはモテモテなのだが、その恋愛はほろ苦い。同じタイミングでアメリカでの留学生活を始めた恋人、通称「殿」は、就職が決まるとさっさと帰国してしまうし、情熱的に求め合ったベトナム出身の男性は、ボートピープルの経験を共有できない人とは結婚できないという。思いがけず自分とは異なる階層の異性から、例えば、ハワイのマンションでリフォームの資材を室内まで運び入れてくれたサモア出身の若者に、友達になってほしいと言われる。アジア人の女性である自分が大学の教授であることを想像すらできない人を前に、その人から無邪気な好意を向けられたときに、彼女は一体どのように自分自身を説明しなければならないのだろう。
「マジョリティとは『多数派』ではなく『気にしないで済む人々』を指す」と社会学者の故・ケイン樹里安氏は定義している。その意味ではいきなりアメリカの小学校に放り込まれたマリも、ハワイ大学教授という立派な肩書を持つマリも、常に自分のことをどう説明すればよいのか『気にせざるを得ない』マイノリティの一人だ。吉原真里という名前で検索すれば、白い歯を輝かせて満面の笑みを浮かべる彼女のプロフィール写真が現れる。私たちがいかにもアメリカ的だと感じるその笑顔の後ろで、マリがどれだけ説明させられてきたのかと考える。プロフィール写真は笑顔でも、「気にせざるを得ない」側の私たちはいつでもスマイルばかりではいられないのだ。
外国語で暮らしたことがある人、外国語を学ぶことで新しい視点ができた人、ただ日本にいるだけでも何かと「気にしなくてはならない人」は、この本のどこかの章に、あるいは全体を通じて深く共感するだろう。そして「気にしないで済む人々」にぜひ読んでほしい。(きら・かなえ=翻訳家・韓国語講師)
★よしはら・まり=ハワイ大学教授・アメリカ文化史・アメリカ=アジア関係史・ジェンダー研究。著書に『アメリカの大学院で成功する方法』『性愛英語の基礎知識』『親愛なるレニ』など。一九六八年生。
川端康成の言わずと知れた「雪国」は、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」という書き出しで始まる。読者は作中人物と時を同じくして「雪国」を「発見」するのである。小説「雪国」は、その後いくつもの展開をしてゆく構造をとるが、冒頭の「発見」がすべての基調としてあることに揺らぎはない。『ドードー鳥と孤独鳥』の場合は、「絶滅」の「発見」が一冊を通じてある。つまり、存在しなくなるもの、を「発見」するという認識を読者と共有することからはじまる。
第一章の「百々谷と百々屋敷」では、科学記者であるタマキと、ゲノム研究者であるケイナは幼馴染であり、幼少の時分よりともに絶滅動物に思いを馳せていたことが描かれている。長じて偶然の出逢いを果たす二人は、幼なき頃の「発見」を確かめるように「絶滅」の謎を追い求めてゆくのだが、この章では謂わば、のちの動機となる部分に紙幅が割かれている。
第二章のタイトルは「近代の絶滅」である。評者はここで、大いに狼狽えた。「ドードー鳥と孤独鳥の絶滅」ではなく、「近代の絶滅」というタイトルからして、本書が視座とし、捉えているものが「近代」を超克したものであり、「現代」というものが近代の先にあるものということであるからだ。或いはこの捉え方は生物学のそれと、近代文学のそれとは異なるものなのかもしれない。しかしながら、先述したように「絶滅」という、存在しなくなるもの、無を描くということは、「近代」の一つのテーマであることに相違ないのではないか。「近代」とは敢えて一言で暴力的に述べてしまえば「私」であると評者は考える。「絶滅」という、「近代」社会においては代替の余地のない、取り返しのつかない事態に対峙するタマキの思考は、「近代」の価値観や思考を生まれながらにして体得している/しまっている現代人たる私たちにも突き刺さる問題として示されることになる。
第三章「堂々めぐり」、第四章「ドードー鳥と孤独鳥」、そして終章と、前章までの緻密な下拵えをもとに、物語は加速してゆく。登場人物が専門家であるため、生物学のやや専門的な記述が怒濤のように描かれてゆくのも、評者が専門外であるからこそ、知らなかったことを知る、分からなかったことが分かる知識欲をこれでもかと刺激してくれる。何より、膨大な史料を渉猟し、精密に書かれているということが、謝辞や文献一覧からも明らかになっている。こうした蓄積や積み重ねによって丁寧に、そして冷静に書かれているものだからこそ、「絶滅」という、恐竜などに抱く、心昂り興奮を禁じ得ないものとの差異が際立ってゆく。文体も、感情を描く軽やかでスピードを伴う文と、学術用語を交えた緻密な文が交錯してゆく。「発見」への興奮が途絶えない構成となっていると考える。
物語は、「近代の絶滅」、つまり現代を生きるわたしたちにとって、避けられない倫理的な問題を示してゆく。一度「絶滅」した生物を復活させるという問題は、科学技術の進化、生物学的な問い、なにより「生」と「死」という分かち難い誰にも与えられていたものを問い直すことになる。「絶滅」という、もう会えない喪われたものに思いを馳せていた幼少期のタマキとケイナにとって、「絶滅」ではなくなるかもしれないということが伝えられたら、どのような反応を示すのだろうか。
序盤に描かれる「父」との対話は、図らずも作者が読者に伝えたいメッセージのように響く。「絶滅動物はもう生きていないわけですから、忘れてしまったら、もういなかったことと同じになってしまうんです。こうやって思い出して、身近に感じてあげることは、大切だと思いますよ」。文学は、いや、書くことは忘れてしまうことを忘れないように留めるものでもあった。もう会えないものを惜別し、悼むことによって言葉は開かれていった。
本書は、「発見」を描きながら、近代を問い直し、また捉え直す堂々とした一冊である。(やまざき・しゅうへい=詩人・作家)
★かわばた・ひろと=作家。著書にノンフィクションの『クジラを捕って、考えた』『我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち』『ドードーをめぐる堂々めぐり 正保四年に消えた絶滅鳥を追って』、小説に『銀河のワールドカップ』『空よりも遠く、のびやかに』『青い海の宇宙港』など。一九六四年生。
『ソバとシジミチョウ』といういかにも耳あたりのよい書名からは、本書が生態学の最新の研究成果を踏まえた現代社会への問題提起と将来への提言を訴える内容は想像できないかもしれない。多くの読者にとって、「地球環境問題」や「生物多様性保全」はすでに聞き飽きたことばだろう。しかし、それらの問題が、今を生きるわれわれ現代人のライフスタイルにどのような影響を及ぼしているのか、そしてその解決のためには近未来に向けてどのように舵取りすればいいのかについては今なお議論百出だ。
著者はとても戦略的に本書を組み立てているように評者は感じ取った。冒頭の第1章「人と自然の歴史 生物としての「ヒト」から社会を創る「人」へ」は、地域環境とそこに棲息する動植物との関わりのもとに人類がどのように社会を構築してきたかを概観する総論だ。人口増加や産業発達に起因する環境資源の過剰搾取すなわち「オーバーユース」についてはこれまで繰り返し問題視されてきた。これに対して、著者が着眼するのは、近代文明の進展とともに生じた「脱自然化」が人間を自然から遠ざけ、その結果として環境を放置する「アンダーユース」をもたらしたという点だ。
人口の減少と偏在が顕著になってきた日本では、この「アンダーユース/オーバーユース」がさまざまな問題を引き起こしていると著者は指摘する。続く第2章「里山の多様な生物 景観―生物―人間活動の相互作用について」では、いわゆる〝里山〟に特徴的な「モザイク性」——人為的な農作地と自然環境の混じり合い——を考慮した生物多様性の保全が必要になると著者はいう。近年、日本のいたるところで表面化してきたシカやイノシシなど野生動物による被害やアメリカザリガニなど外来侵入動植物の分布拡大の問題について、著者の研究グループによる知見を踏まえた考察が展開されている。
本書でとりわけ印象に残るのは、著者が生まれ育った長野県伊那地方の里山環境を論じた第3章「ソバとシジミチョウ共に生き活かされる「つながり」の不思議」だ。人為と自然が絶妙に絡み合う里山という場において、動植物がどのように生き延びることができるのか、あるいは逆に絶滅への道をたどるのか。著者はこの伊那という地域を研究フィールドとして、人間と生物が組み合わさって生態系・景観というより大きなシステムをいかに構成しているかを具体的な事例研究を通じて明らかにする。書名が意味するところは、信州のソバ畑の周縁に分布するコマツナギがミヤマシジミの生存を支え、そのミヤマシジミがソバの花粉媒介をするという生態的つながりだ。著者自身の原風景の記憶と現状とのギャップを認識できたのは地元出身者ならではの目利きだ。
最後の第4章「人と自然のリアルな関係 人工資本で充満した世界からの脱却」で総括されているように、このような絶妙な生態システムを将来にわたって存続させるには適切な人為の介入が必要となる。著者は伊那谷の現地に入り、地域住民や行政機関とも協力しながら、よりよい里山保全の方策を模索し続けている。それは、アカデミアから市民科学(シティズン・サイエンス)への道を拓くさらなる可能性を秘めている。
民俗学者・柳田國男が養子に入った柳田家のルーツは信濃飯田藩の家臣だった。伊那谷に縁をもつにいたった柳田は『信州隨筆』(1936年)の「自序」において、ローカルな地域での研究がゆくゆくはグローバルな知の構築につながることを期待しつつ、こう述べている「徒らに鄰家翁の歎賞を博して、能事了れりとするやうな郷土研究を揚棄してしまはなければ國は朗かにはならない。學問の本旨は要するに利他であり、郷土を研究の對象とすることも、今はまだ少しばかりふくれた利己主義に過ぎないからである」。〝ソバとシジミチョウ〟はたしかにローカルな生物相の一部だ。しかし、そこから導かれる生態学的な知見は他のもっとグローバルな場面にも敷衍できるだろう。著者はそのことを身をもって示している。一読に値する新刊である。(みなか・のぶひろ=東京農業大学客員教授・進化生物学・生物統計学)
★みやした・ただし=東京大学大学院教授・生態学。著書に『となりの生物多様性』など。
共同体や国民にとって「言語」は生ける肉体にして精神の血である。ヒトは歴史の根源で「ことば」を発話し、耕地や聖域や町に集まり始め、共に幸福になるための創造に着手した。しかし二一世紀まで歩み来ても、同じ言語/文化の隣人同士が攻撃し合い殺戮にエスカレートする。人命が瓦礫のように潰されていく。その幼児が覚え始めた、その古老が歌ってきた「言語」は、流される血とともに消えてしまう。遠望ではありえない。その私たちの過酷な「今ここ」に、言語/文化の死守と再生とは何かという問いを掲げる大部な一書が上梓された。
ヨーロッパの地の果てといわれた、フランスのケルト語文化圏、ブルターニュの人々のその受難と抵抗の歴史。危機を母胎に誕生する民族文学。さらに最新の教育現場の挑戦まで、多角的に探究してきた大場氏による、ライフワークと呼べる本書である。
従来ブルターニュ研究は「はじめに」にある通り歴史学・言語学・民俗学を中心に学際的におこなわれてきたが、この地に生まれ来た魂の歌の集成から再生する「文学」からのアプローチは乏しかった。フランスは中央集権か地方分権かの二つ「ナショナルなもの」のはざまに揺らぐ大国であり、近代国民国家創世の時代に伝統社会の言語文化を切り捨てる汚点を遺した。
著者はまず第一部で、ブルトン語への抑圧の背景は単に地域問題ではなく、一八世紀中葉に起こるヨーロッパ規模の変化、即ち「古典古代」から「野蛮な北方」への重心移動を見据え、諸国間の比較論的分析が重要であることを鋭く説く。国家統一で遅れをとっていたドイツに比してもフランスでは、「民俗」文化の理解にリンクすべき文学の状況は遅れていた。ゲーテが『詩と真実』で批判した通り、一八世紀半ば「古典」の理性と英知を衒学的に墨守するだけの「老国」となっていたのだ。ケルト語文化圏の一つスコットランドから発信された、ロマン的で自由な情感を詠った『オシアン』への反応も鈍かったほどの「生けることば」への無理解は、ブルターニュの言語文化に受難をもたらす。
しかし第二部 「民族主義と文学的営為」で大文字の国民文学ではない「民族文学」の誕生が訪れる。ラ・ヴィルマルケのブルターニュ古謡集『バルザス=ブレイス』(一八三九年:山内淳監訳・大場静枝他共訳・彩流社)の登場は、フランス中央のサロンを突き崩す「母/語」ブルトン語の精髄を初めて開扉する。著名なユゴーやラマルティーヌ等にも手渡されたそれはブルターニュ・ナショナリズムの「源」となり、「信仰と郷土愛に生きた詩人ブレイモール」(第五章)、「社会参加の詩人カミーユ・ル・メルシエ・デルム」(第六章)、「ブルトン語文学の創造を希求した作家ロパルス・エモン」(第七章)等の試行が本邦初の文脈で浮き彫りにされる。第三部では 戦後の言語放棄と言語復興運動などの現実が丹念に分析されて力強い。
その中で本書の要は、著者の真摯な客観において「二つの言語と二つの祖国」の境界にラ・ヴィルマルケこそが立っていたことを明記していることだ。「フランスがその心によってケルト的であるのと同様に、アルモリカ(ブルターニュ地方の古称)は同じ国旗のもとでフランスなのだからです」。この意識の均衡はしかし、むしろ版を重ねた立役者の闘志を思わせる。「ガリア人のワイン、そして剣の舞」「アーサー王の進軍」「共和派」はじめ『バルザス=ブレイス』第二版に追加された大半の「歌」は、ブルターニュを不当に支配した抑圧者に対する「戦いの歌」か、悲運な愛国者たちへの「哀歌」だったという。
これは同じケルト語文化圏、アイルランド出自のオスカー・ワイルドが、「アングロ=サクソンの英語」を話す大英帝国は、「ケルト/アイルランド語」の人々を抑圧、支配してきたが、「英語」に美を加えたのは、誰あろう我々アイルランド人であると発したことを想起させるのだ。
私たちは今、隣人の文化をも破壊し合う分断の世界に生きている。何を守り、何を受け容れ、いかに生きる道を探すのか、本書から学ぶことは計り知れない。これは過去形の歴史書や民俗史(誌)を越え、人間の普遍的なイシューとして未来を拓こうとする「言語/文学」に臨場する真の探究者の著であると思えるからである。(つるおか・まゆみ=多摩美術大学名誉教授・ケルト芸術文化研究者)
★おおば・しずえ=広島市立大学教授・フランス文学・地域文化研究(ブルターニュ地方)。
本書は著者が主に二〇一八年以降に発表した論考を収録する。全三部構成中第Ⅰ部は「文学史からの問い」、第Ⅲ部は「生政治/死政治」と題されているが、白眉はやはり、森崎和江と石牟礼道子(そしてアレクシエーヴィチ)を中心に、「聞き書き」という文学的方法の射程を論じた第Ⅱ部「「聞き書き」と文学史への抵抗」だろう。
恥ずかしながら私は、近年再注目される聞き書きについて誤解していた。昨今の研究倫理やPC的規範に目配せしつつ、他者(当事者)の声を傾聴するという受動的姿勢によって、自己の責任や決断を回避するための捩れた権力的手法ではないか。そう警戒していたのである。森崎の『まっくら』にせよ石牟礼の『苦海浄土』にせよ、現代人がそれらのテクストを無反省に特権視したりその手法を迂闊に模倣してしまえば、リベラル仕草による新手の他者収奪を免れないだろう、と。
そうした危険が皆無とは依然思わない。だがそれはやはり皮相な早飲み込みだった。本書を読んでそう痛感した。聞き書きの手法とは、本書によれば、安全圏から他者の声を簒奪し、受動性を装って自らの正しさを担保するものではない。能動と受動、支配と被支配、加害と被害が「重なり溶け合う」ような危うい無名=無明のゾーンに踏み込みつつ、しかしまさにその時にこそ、自分(たち)が加担してきた歴史的構造的な暴力・権力の非対称性をえぐり出すことでもある。
たんに「正しく」反省するだけではなく、被支配状況の中にある他者たちの様々な抵抗の実践や苦闘を受け止めながら、支配者側、加害者側である自分たちの「肉」の内部からそれを開き直すということ。日本支配下の朝鮮慶州に生まれ一七歳までそこで暮らした植民二世の森崎が朝鮮民衆に対して複雑な葛藤を抱えて向き合い続けたように。被害者と同一化するわけにはいかない。しかし支配側、加害側に生まれたことの罪悪感を自民族の内部だけでいくら深めてみても足りないのだ。だから聞き書きは不遜で不穏な試みであるしかない。しかし森崎/石牟礼らはその危うさを決して避けなかった。避けられなかったのである。
聞き書きは、つねに聞く+書くという相互作用の中にある、という一般的な話ではない。もっと強い意味で、あるいは根源的な意味で――森崎や谷川雁、上野英信らが参加した一九六〇年前後の「サークル村」の実践がそうであったように――それは「集団的な言語創造」なのである。著者が強調するのはそのことだ。
私的所有的な言語使用は、現実や対象を観念化しつつ所有しようとする。たとえば死の観念と死体という肉が分離される。こうした分離は、死や出産に携わる人々が不浄とされ差別視=禁制化される、という事態と深く関わる。この時、聞き書きとは、観念/肉体が分離される手前の、未だ言葉の形をとらない「まっくら」なゾーンに迫るための営みでもある。炭鉱で労働する女の肉体を語る言葉や、腹に子を宿した身体を語る言葉がそもそも存在しない。そこが森崎の出発点だった。著者は藤本和子の名著『塩を食う女たち 聞書・北米の黒人女性』に触れつつ、聞き書きとはすでにつねに翻訳行為であり、しかも「起点となる言語のない「翻訳」」である、と言う。翻訳としての聞き書きとは、正史や文学史によって抑圧された無明=無名の言葉、歴史の沈黙の底に埋もれた未生の言葉を、集団的な文化運動と共同労働によって産み直していくことなのだ――本書で繰り返し強調されるように、聞き書きが特に女性同士の間で実践されてきたのも偶然ではない。
しかしそれは繰り返すが不穏で不遜な試みでもある。水俣の漁民たちにとって「天のくれらすもん」としての魚を喰うことこそが天上の「栄耀栄華」(石牟礼)であるように、他者の言葉を聞き書きするとは、他者の中の語りえない沈黙=まっくらの領域に孕まれた未生の言葉を「命」としていただく、ということをも意味するからだ。漁民にとってすら魚を採って食べることは「罪の自覚」と無縁ではない。ただしそれは近代的な所有や負債の原則に基づく返済の対象にもなりえない。命とはもとより返済不能なもの、私的言語や等価交換には回収しえないものだからだ。「天」の分け前によって成り立つ経済――聞き書きとは、根源的に、そうした共同労働的な言語創造と非商品経済的な命の交換に根差すものなのである。瞠目すべき本書の聞き書き論は、現在進行形の、特定の他者たちを「すでに死体とみなす政治」に対する「抵抗」の空間をも開くだろう。(すぎた・しゅんすけ=批評家)
★さとう・いずみ=青山学院大学教授・近現代日本文学。著書に『戦後批評のメタヒストリー 近代を記憶する場』『国語教科書の戦後史』『一九五〇年代、批評の政治学』など。一九六三年生。
やや旧聞に属するが、シティポップと呼ばれる音楽が国内外を席巻したことは、よく知られている。そのブームの内実と本質を抉り出した良書に、音楽ディレクター/評論家の柴崎祐二が編集/執筆した『シティポップとは何か』があった。そして、その柴崎がこのたび上梓したのが『ポップミュージックはリバイバルをくりかえす 「再文脈化の音楽受容史」』だ。過去の音楽が再評価/再解釈され、新たな文脈とともにリバイバルされるという、ポップ音楽の定石と定型を掘り下げた渾身の一冊である。
著者の主張は、冒頭で挙げられた例を見ると分かりやすい。ビートルズはデビュー当時、アメリカ発のロックンロールを演奏しており、初のアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』は14曲中6曲がカヴァーで構成されている。また、ヒップホップは既存のレコードを素材にし、トラックとして再構築するという手法から生み出された。本書では、そうした膨大な類例が俎上に載せられ、今日的な視点から改めて検証と考察がなされている。
例えば、フリッパーズ・ギターやピチカート・ファイヴなど、「渋谷系」に括られるアーティストは、それまで黙殺されていたニッチな音楽を引用/編集し、あらたな意味を付与してみせた。その中には、評論家に等閑視されてきたソフトロックやマイナーな映画のサウンドトラックも含まれ、新たな文脈の中で輝くこととなった。著者の言う「再文脈化」は大まかにはそのような現象を指している。
そうした過程を経て、著者が指摘する〈一般的には忘れられた、かつ批評的な関心の外側に捨て置かれがちだった〉音楽が脚光を浴びるようになる。渋谷系に括られるミュージシャンたちは、中古レコードや輸入盤を買い漁ることを、音楽制作の一環として捉えていた。元批評家を名乗る佐々木敦の『ニッポンの音楽』でも、リスナー体質のミュージシャンが日本の音楽を牽引してきたことが指摘されている。
佐々木は〈創作と消費の距離が限りなく接近して混じりあう〉と、この状況を簡潔に整理した。洋楽をいち早く翻訳/移植してきたのは、他ならぬ重度の音楽リスナーであり、彼らの創作の源泉は、膨大なインプット=聴衆体験だった。佐々木はそう述べる。この指摘を踏まえると、実存的/内発的な衝動こそが新たな音楽を生むという旧来の視点が、ナイーヴにすぎることがよく分かるはずだ。
海外に目を向けると、イギリスで勃興した「レアグルーヴ」が重要なタームだ。これは80年代半ばに同国のクラブDJが、60年代末~70年代前半のファンキー・ジャズを〝グルーヴの心地よさ〟という観点から再評価/再解釈したムーヴメントで、その潮流は今も形を変えて持続している。国内でも、90年代にグループ・サウンズやムード・コーラスまでを「和モノ」として見直す動きがあった。和田アキ子や野坂昭如がヒップな〝歌手〟として若者に認識され、筒美京平が渋谷系の源流として浮上した。ヒップホップ・グループのスチャダラパーは、ドラマ『太陽にほえろ!』のテーマ曲をサンプリングしたトラックを使い、鮮烈なデビューを飾った。
また、比較的新しいリバイバルとして著者が挙げたのが、2020年初頭から台頭してきたポップパンク勢の再評価だ。その発火点は、TikTokを通じてZ世代を中心に人気を集めたことだったという。ショート動画や短い文章がSNSで繰り返し拡散されることで、次々にバイラルヒットが生まれていった。なお著者は、こうした消費形態が、批評家の東浩紀が提示した「データべース消費」に接続できるという重要な事実も、手堅く踏まえている。
しかし著者は、こうしたリバイバルは一方で、特定の音楽に付随する歴史性や空間性を剝ぎ取ることにもつながる、とも述べる。彼は、ブレイクの過程で音楽が含有していた意味や思想や歴史が捨象/剝奪されてしまう状況を想定している。筆者がそこで連想したのが、アクティビストとしても積極的に行動している小沢健二の姿だった。
小沢の「転向」については本著でも触れられているので多言を要さないが、環境問題などに関するフィールドワークを行い、映像や文章を通して思索を深め、母校の東京大学で講義を行った彼の姿は、思想や意味をその手に取り戻そうとしているように見える。それが、ポストモダン的状況で引用と編集に明け暮れたフリッパーズ・ギター時代の反動である、というのは穿ちすぎだろうか。
小沢は97年リリースのアルバムに収録された「ローラースケートパーク」で、〈意味なんてもう何も無いなんて 僕がとばしすぎたジョークさ〉と歌った。この一節の解釈には深入りせず、歌詞のみを提示しておこう。ともあれ、緻密な現状分析を含みつつ、思考がダイナミックに展開してゆく本書。音楽評論に片足を突っ込んできた身として、おおいに鼓舞される一冊であった。(とさ・ありあけ=ライター)
★しばさき・ゆうじ=音楽ディレクター・評論家。著書に『ミュージック・ゴーズ・オン〜最新音楽生活考』、編著に『シティポップとは何か』など。一九八三年生。
この小説は主人公がトイレで排便するところから始まるように、やたらトイレのシーンが多い。その理由は読み進めるうちにわかってくる。
私立大学の英文科でライティングと学科概論を教える非常勤講師のドロシーは、恋人のログと住んでおり、予定しなかった妊娠をしてしまう。しかし、卵子が育たず枯死卵となったことから流産を経験する。子宮内容物を体外に排出するために、ミソプロストールという薬による処置を行って六日目のところから物語は始まる。ちなみに、このミソプロストールは人工妊娠中絶にも使われる薬で、アメリカではこの薬の使用を巡って人工妊娠中絶が可能な州とそうではない州で意見が割れている。また、日本では二〇二三年に厚労省の承認を受けたばかりだ。日本では、流産したら子宮内容物は自然排出を待つか、手術によって取り出すしか方法がないが、アメリカでは自宅で薬によって排出する方法もとられている。
トイレに行くたび、ドロシーはティッシュに何かついてないかを気にする。血の色や量、ほかに体内から出てきたものをよく観察し、ときには舐めてみさえする。ドロシーにとっていまやトイレは、排泄の場だけでなく自分の体と向き合う場所なのだ。
処方箋や本では、薬を使えば体内のものが排出されるという一行の簡潔な記述にすぎないものが、実際には使えばたちまち内容物が出て妊娠が終わり、すぐに元の体に戻るというわけにはいかないことがわかる。生理が「二十八日周期というのはいつだって現実というよりも神話、平均値の問題かお月さまのつくり話で着飾った化学的に押しつけられた規範にすぎない」とあるように、生理は人によって違う。それと同じで流産にも個人差がある。しかし自分が当事者になるまではそんな当たり前のこともわからない。
ドロシーの流産は恋人のログ以外、親友も母親も誰も知らない。ドロシーは言うチャンスを逃したと言っているが果たしてそうなのだろうか。二人の収入は二人で暮らすには足りているが、余裕があるわけでもなさそうだ。貯蓄は難しくドロシーが働けなくなったり、あと一人増えたらたちまち困窮するかもしれない。はっきりと書かれてはいないが、もしかしたら最初から人工妊娠中絶をするつもりだったから言わなかったのかもしれない。しかし、だからといってドロシーが傷ついてないというわけではない。
では、ドロシーの傷とは一体何なのだろうか。ドロシーの年齢は書かれていないが恐らく三〇代半ば。かつて大学院で席を並べた同期たちは華々しく単著を出し、大学で専任の職を得ていく。一方のドロシーは非常勤に加え、本のサンプル章を書くことで収入を得ているが、年々応募できるポストは減っており、夢見ていたキャリアが叶うことはないと半ば諦めかけている。
ドロシーと対照的なのが二人目を妊娠したものの自らの意志で中絶をする親友のギャビーだ。ギャビーは中絶のため、ミソプロストールを服用する(正しい使い方は膣に挿入だが、ギャビーは間違って飲んでしまった)。薬が効くまでの間立ち会ったドロシーに「素晴らしくない?」「私たちに選択する力があるのって」と同意を求める。
選択は権利であり、力だ。しかし、選択できなかったことにはどう対処すればいいのか。
自分で終わりを選び自ら幕を引くのと、知らぬうちに幕が下ろされ、終わりがやってくるのとでは全然意味合いが違う。その状況をどうやって人は受け入れてゆくのだろうか。そんな誰しもが直面するかもしれない状況に、ドロシーは知性の力で立ち向かう。観察し、分析し、次々やってくる現状を理解し受け入れようと、ありのままに見つめようとする。
選択は権利であり、力だ。けれど、選択できなかったから駄目だというわけではない。これはそんな人生のままならなさに直面した一人の女性の、率直な記録なのだ。(佐藤直子訳)(おおた・あすか=作家・ライター)
★クリスティン・スモールウッド=作家・批評家。コロンビア大学で英文学の博士号を取得。これまで五本の短編小説をThe Paris Review、n+1、Vice などの文芸誌で発表するほか、数多くの書評やエッセイも寄稿する。
本書は、巽孝之氏の退職を機に、慶應義塾大学の同僚とその門下生二六名が歴代アメリカ大統領の政治史/個人史と文学史をつないでみせた、アメリカ文学思想史の論集である。アメリカ的想像力の源泉として大統領に着目してきた巽氏は、『リンカーンの世紀』(青土社)などで、大統領を文学者とみなし、またシェークスピア劇の演技者とみなして、その大統領の生き様と文学思想史のスリリングな共犯関係を追究する独自の研究領域を開拓してきた。今回はこの分析視角を共通項に、歴代のほぼすべての大統領(コラムを含めて)をカバーして描き、壮大なアメリカ文学史の論集へと仕上げた。本書は、文学史の新境地を拓く試みであると同時に、歴史家や政治学者には決して書くことのできない、新しいアメリカ政治史のテキストとしても読めるのが興味深い。
自身も語っていることだが、私は以前から亀井俊介氏と巽氏の学問の構えに共通点が多いと思ってきた。古典と通俗とを区別せず、文学研究と文化研究の交錯地点で仕事をしてきた亀井氏と、文学史と文化史を架橋する巽氏は、やはり同じ学統なのだろう。少しだけ思い出話をすると、私は駒場でアメリカ研究という地域研究をベースに学際的な教育を受けた。一九世紀史を専門とする歴史家となったが、私が当時一番好きだったのは亀井氏のアメリカ文学の授業だった。多くの古典とされる文学作品を読み、アメリカン・ヒーローの系譜を辿る授業は、その時からすでに文学研究に留まらない奥行きを持っていた。まだ当時は名前のなかった社会史や政治文化史を先取りするような研究であったと思う。だから、いまから思えば、私のアメリカ史像(とくに一九世紀史像)は、実証史学の研究書よりも、亀井氏の授業やあの頃読んだマーク・トウェインをはじめとする文学作品の世界から多くのことを学んで作られたことを白状しておきたい。私の研究室にマーク・トウェインのコレクション全二〇巻(彩流社)があるのをみて、不思議がるゼミ生がたまにいるが、歴史学にとって文学を読む重要性がわからないようではまだまだ半人前ということだ。
さて、本書の構成は、四部構成となっている。第一部「独立革命から膨脹主義の時代へ」で、初代ワシントンから第一四代ピアスまで、第二部「分裂の危機から革新主義の時代へ」で、第一六代リンカーンから第二九代ハーディングまで、第三部「コスモポリタニズムから冷戦の時代へ」で、第三〇代クーリッジから第三五代ケネディまで、最後の第四部「ポストモダンからポスト・トゥルースの時代へ」で、第三九代カーターから第四五代トランプまでが扱われる。
政治学の教科書をのぞけば、アメリカ大統領は「世界最強の権力者」だとか、いやいやその執行権は実は限られていて、それゆえに一九世紀末までの大統領は権限も弱く、知名度が低いとある。二〇世紀以降、とりわけF・ローズヴェルト以降に、ようやく政治の主導権を握る「現代型大統領制」へと移行し、のちの「帝王型大統領」の出現へとつながるなどと整理される。
だが、本書は政治学・政治史の書ではないので、このような整理は何の意味もない。一九世紀の大統領を扱った各章のほうがむしろ面白いのだ。本書の大統領語りが絶妙に面白いのは、ホワイトハウスという劇場空間で演じられる大統領の演劇的想像力の分析に力点があるからである。「大統領謁見」をめぐるドタバタや社交の様子(第一章)、歴史小説の中から浮かび上がる国民史や大西洋史に孕まれる緊張や越境性(第二章)、軍人上がりの大統領と反知性主義の系譜(第五章)など第一部だけでも論点満載である。また、日米関係史の観点からも、アフリカ系の興行師として活躍した「ジャパニーズ・トミー」と万延元年遣米使節団の交差(第三章)、希望/絶望の土地としての日本(第六章)、日本を開国したペリーの旗艦サラトガ号の『アフリカ巡航日誌』(第七章)、日系人の強制収容体験談(第一五章)など、歴史研究に新たな刺激を与える視点が多い。
第二部は私の専門に近い時代だが、第八章や第一二章は定番とはいえ、「南部人」としてのリンカーン論は意表を突いているし、ウィルソンと国民の創生を扱った章は必読だろう。また、グラントを金ぴか時代を象徴する「書き換えが作った英雄」として描き出す第九章も秀逸だ。第三部は、二〇世紀アメリカ、冷戦からケネディ暗殺までを扱い、巽氏の『パラノイドの帝国 アメリカ文学精神史講義』(大修館書店)の内容が深掘りされていく論考が並ぶ。第四部では、ベトナム戦争敗北後、フォードからトランプまでをカバーし、米現代史が読み解かれていく。ポスト・トゥルースの時代論として第二五章のMAGA分析は実に鋭い。第四部については、古矢旬『アメリカ合衆国史④グローバル時代のアメリカ』(岩波新書)と照合しながら読むと、響き合うものがあるだろう。(きどう・よしゆき=一橋大学教授・アメリカ政治社会史)
★たつみ・たかゆき=慶應義塾大学名誉教授・慶應義塾ニューヨーク学院第一〇代学院長・アメリカ文学・批評理論研究。著書に『ニュー・アメリカニズム』『サイバーパンク・アメリカ』『モダニズムの惑星』『盗まれた廃墟』『パラノイドの帝国』『慶應義塾とアメリカ』など。
★おおぐし・ひさよ=慶應義塾大学教授・アメリカ文学・ジェンダー研究。著書に『立ちどまらない少女たち』など。
★さとう・みつしげ=慶應義塾大学教授・アメリカ文学。著書に『「ウォールデン」入門講義』など。
★つねやま・なほこ=慶應義塾大学教授・アメリカ演劇・演劇史。著書に『アメリカン・シェイクスピア』など。
長年に渡り日本の経済政策論壇をリードし、日本銀行副総裁を務めた岩田規久男先生の新著である(書評で敬称はおかしいと思うかもしれないが、評者にとって直接の指導をうけた「先生」なのでしょうがない)。時論集でありながら、経済学入門であり、そしてメモワールでもあるという一冊で三つの「味変」を楽しめる著作だ。
若い読者のなかにはご存じないむきもあるようだが、岩田先生は日本で初めて「主流派経済学に基づくわかりやすい経済解説書」をものした人物といっても過言ではない。かつての経済書は主流派経済学とは無縁の時事解説か、一般読者の理解を求めない難解な著作に二分されていた。主流派経済学に基づき、かつ初学者にも理解できる教科書・解説書が豊富に存在する現代の状況はうらやましい限りである。私にとって岩田先生は研究上の師であるだけではなく、啓蒙書執筆者としての大先達でもある。本書においても、理論的なバックグラウンドとわかりやすさの両立が達成されていて、初学者でもストレスなく読み進めることが出来るだろう。
そして、わかりやすさにとどまらない岩田流経済論の特性が本書の通奏低音になっている点も見逃せない。その特長はおもにふたつ。
その第一が「中道」である。これは岩田先生の論争的なスタイルからみると意外に感じるかもしれない。しかし、中道なのに論争的なのではない。中道だから論争的なのだ。
例えば、あらゆる経済活動に政府の指導や規制を必要だと考える経済学者とあらゆる規制・指導が有害だと考える経済学者の間では――意外なことに論争が生じることは少ない。お互いが依拠する論理、価値観、さらにはテクニカルタームに隔たりが大きすぎて対話が成り立たないのだ。その結果、お互いがそれぞれの陣営の仲間の中で敵陣営の悪口をいって溜飲を下げるような言説ばかりとなる。一方で、マルクス経済学やラディカリズムといった左派の経済理論ではなく、サプライサイド経済学や構造改革論のような手放しの自由放任論とも異なる立場から発信を続けるのは容易なことではない。いつもその両陣営から論争を挑まれ続けるからだ。しかし、評者は(おそらくは岩田先生も)いずれの極論も正しい経済政策に至ることはないと考えている。
岩田流経済論の第二の特長は「知行合一」、または「知言合一」である。本書の中では具体的な氏名・書名を挙げての論評が多いが、そのなかでも日本の経済学界における巨人たちについての人物評は読みごたえがある。これは岩田先生クラス(?)のベテランでなければ書けない内容なだけに、貴重な記録でもある。
経済学者が政策提言や時評を語るときに「自身が論文で書いたこと」に忠実であるとは限らない。要は、論文で言っていることと提言する政策が関係ない、何なら論文と政策提言が正反対という人も少なくない。
その理由は理論と現実とのギャップにある。経済学者が政府委員や公職につくと、現実と経済理論の違いや法・制度の複雑さに驚かされる。理論は現実の実寸大コピーではあり得ないため、当然のことなのだが――このギャップにショックを受けて、突然官僚や活動家による「現場の知識」の追従者になってしまう専門家が多いのだ。
しかし、理論と現実が異なるからこそ、理論をいかに生かしていくかの工夫のしどころのはずだ。本書からは日本銀行副総裁という要職中の要職を経験した岩田先生が、実務家による現場の知識を生かしながら、いかにして経済政策を考え抜いたかを読み解くことも出来よう。
右でも左でもない。主流派経済学の中道にたち、その理論的背景に忠実に書き下ろされた本書は、知行合一、知言合一の人である岩田経済論への入門書としても有用な一冊である。(いいだ・やすゆき=明治大学政治経済学部教授・経済学)
★いわた・きくお=上智大学名誉教授・学習院大学名誉教授・金融論・都市経済学。二〇一三年から五年間日本銀行副総裁を務める。著書に『資本主義経済の未来』『日銀日記』など。
フェルナンド・ペソアはポルトガルのモダニズム期の詩人である。百を超えるとも言われる「異名者」を持ち、おのおのの「異名者」に人格を振り分け、作風の異なる詩や散文、短篇小説を発表したり(発表しないまま大量に)書きためたりした。ペンネームを使い分けたのではなく、別人格を設定したのだ。たとえばアルベルト・カエイロという生まれも育ちもペソアと異なる人物を作り上げて詩を書かせ、その人物をペソア自身が師と仰いだのだ。そんなペソアは生前は国内の少数の詩人たちにのみ知られる存在だったが、書きためた原稿が世に出、死後はポルトガル以外の国々の多くの詩人や作家をも魅了することとなった。オクタビオ・パス、アントニオ・タブッキ、ジョゼ・サラマーゴ等々、私にも馴染みの者たちがペソアを愛し、論じた。特に後者ふたりはペソアあるいはその「異名者」のひとりリカルド・レイスを自身の小説の題材にしてもいる。彼らはペソアを愛したというよりも、ペソアに取り憑かれたと言った方がよさそうだ。
そんなペソアに取り憑かれたひとりが澤田直だった。フランスに学び、サルトルの思想やフィリップ・フォレストの小説などを翻訳紹介し論じる澤田は、まさにそのフランス留学中にペソアに出会い、取り憑かれ、彼の詩集を、そして散文集『不穏の書』を訳した。そしてついには評伝まで書いたのだ。
単なる伝記ではなく評伝である。ポルトガル文学の見取り図や同時代のヨーロッパの詩人・作家との比較の中にペソアを位置づけて論じる本書は、ペソア論としても読むことができる。さすがは着実な学者の仕事である。英仏などヨーロッパのいわば中心で文学がペルソナの曖昧さを追求し始めたのと同調するように、周縁の国々、つまりイタリアやスペインではピランデッロ、マチャード、ウナムーノといった作家が、そしてまたデンマークではゼーレン・キルケゴールが著者性に揺らぎをかけていたのであり、それらの周縁部の作家たちに比すべき存在がペソアであるという位置づけは、教えられるところが多い。一方で、たとえば『不穏の書』の一節におけるリルケの『マルテの手記』やボードレールからの影響を確認しつつも、そこにサルトル『嘔吐』の主人公ロカンタンとの共通点を見るところは、さすがにサルトリアン澤田ならではの視点だろう。
伝記としての読み応えはどうか? ペソアは少年時代を南アフリカのダーバンで過ごした以外はほとんどリスボンから出ることなく一生を過ごした。ときおり起業するなど山師的なところも発揮したけれども、基本的には商業翻訳で最低限の収入を得、空いた時間をひたすら書いて過ごした。結婚もせず、恋に落ちたのもただの一度(しかも相手の名はオフェリア!ハムレットの恋人の名だ)だけ。波瀾万丈の人生などというものの対極にある、ただ生きて読んで書いただけの、いわば文学に捧げた人生だ。
外から見る限り起伏に乏しいその人生においてペソアは、そのぶん「異名者」たちとの複数の生を楽しんだとも言えそうだ。「異名者」たちとの複数の生はまた、生の彼方にある世界にも通じる。オカルトや神秘主義の世界だ。そうした世界とポルトガル史上最悪の王セバスティアンに国の将来を託す「第五帝国」構想などという妄想まがいの思想も解説しつつ、生前出版された唯一の詩集『メンサージェン』を解説する章は、澤田自身の述懐によれば書き切れない恨みの残る箇所だというのだが、私はかなり楽しく読んだ。
しかし、何よりも納得したのは、ペソアが質素に暮らし、ただ文学にのみ人生を捧げたという事実だ。ペソアは読むことと書くことに、文学に取り憑かれた人間だった。ペルソナや著者性の揺らいだ時代の作家の例として、澤田はヴァレリー・ラルボーの名も挙げている。ラルボーには「罰せられざる悪徳・読書」というエッセイがある。国内では無名かもしれないけれども、世界中でその愛好家たちと話し合うことのできるような文学作品を読むという「悪徳」に取り憑かれた者たちからなる「世界文芸共和国」を措定し、現在の「世界文学」理論でも引き合いに出されることのある文章だ。取り憑く人ペソアはまた、まぎれもなく文学という「悪徳」に取り憑かれた「世界文芸共和国」の住人なのだ。ラルボーと対比されるとき、そのことに気づかざるをえない。だからこそ同じ「悪徳」に取り憑かれた「世界文芸共和国」の同胞たる私たちからこれだけ愛されるのだ。自らの専攻するフランス語に固執することなくただペソアを読むために新たにポルトガル語を学び、訳し、評伝まで書いた、同様に「悪徳」に取り憑かれた人物であることは間違いのない澤田直の仕事がそのことを教えてくれる。(やなぎはら・たかあつ=東京大学教授・スペイン語圏文学)
★さわだ・なお=立教大学文学部教授・フランス文学。著書に『〈呼びかけ〉の経験 サルトルのモラル論』『ジャン=リュック・ナンシー 分有のためのエチュード』、訳書にフェルナンド・ペソア『新編 不穏の書、断章』など。一九五九年生。
本書は、戦後を代表する国民的作家、井上靖と司馬遼太郎が、共に美術記者だったことに着目し、新聞記者時代に書いた展評や、上村松園、上村松篁、河井寛次郎、須田国太郎、須田剋太、鴨井玲、三岸節子、八木一夫といった同時代の芸術家との交友録を通して、二人の美術・芸術観を明らかにする意欲作だ。一種のメタ批評といえるが、偉大な二人の作家を育むために不可欠な経験であったことを、綿密な調査によって解き明かしていく。
司馬が後に妻となった福田みどりと産経新聞に勤めていたことは有名だが、美術記者であったことはほとんど知られていないのではないか。それもそのはず、司馬は美術批評を忌み嫌っていたという。いっぽう井上は、記者時代に京都大学大学院に籍を置き、美学美術史を専攻したほどの美術通で、一時期、美術評論家になろうとさえ思ったという。一見、美術に対して相反する思いを抱いている二人であるが、世代の差も大きい。井上は司馬よりも一六歳上だからだ。
一九〇七年に生まれた井上は、学生時代から詩や小説を書き、一九三六年、大阪毎日新聞社に入社したが直ぐに日中戦争に応招、復職後、宗教欄と美術欄を担当している。いわゆる官展の記事に加えて、太平洋戦争へと突入する時代であり、「戦争画」などの展評も書いている。戦後、画家に対する戦争責任の追及の余波もあったのか、記者を辞めて創作の道に進むが、終生、芸術家を題材とした小説やエッセイを書いた。
入れ替わるように、産経新聞社の記者となった司馬も、宗教欄と美術欄を担当する。しかし官展の力は衰え、具象画から抽象画、純化していく絵画理論が中心となり、「文学性」が消えていく時代であった。司馬は、記者を辞めて作家となったことで、自由に美術を見る目を取り戻し、須田剋太らとの紀行がライフワークとなった。
もともと美術評論が生まれたのは、教会や王侯貴族の依頼から、サロン(官展)での発表に移っていき、大衆へ作品の評価を伝える必要があったからだ。そのため近代美術批評の祖と言われるドゥニ・ディドロは「サロン評」を書いた。スタンダール、シャルル・ボードレールと言った作家たちも、「サロン評」を書く美術評論家として先に文壇に登場している。その意味では、井上や司馬の経歴は正当ともいえる。その後、アカデミーの審査によるサロンに落選した画家たちが、自分たちで展覧会を企画し始める。それが印象派などの反アカデミズムであり、第一次世界大戦後はさらに過激になり前衛と呼ばれるようになる。
日本は遅れてアカデミーとサロンを導入したが、第二次世界大戦前後で大きく状況が変わる。井上が美術記者をしていたのは、文展(文部省美術展覧会)から始まる官展の最後の時期にあたるが戦時下の別の盛り上りがあった。司馬は戦後になって、文展の継承である日展が官展から民営化する過程で、美術団体が乱立し、抽象絵画やさまざまな前衛芸術が勃興する時期にあたる。司馬が「美術オンチ」と自称したのも、絵画を理論で解釈する時代への違和感といった方がよい。
二人はより観念的になっていく現代美術とは距離を置き、司馬は与謝蕪村、八大山人、井上は富岡鉄斎、そして小説の題材にもした石濤など、文人画を好んだ。たとえ洋画であったとしても、井上はゴヤやレンブラント、ダ・ヴィンチに、詩や物語を読み取り、司馬もゴッホや鴨井玲に文学性や人間性を見た。
井上は対象に没入し、司馬は俯瞰する。資質や関心は異なる点もあるが、近いところも多い。特に二人は宗教記者でもあり、記者時代から関西を拠点に美術だけではなく、神社仏閣や仏像、仏事にも深く触れている。美よりもさらに奥にある普遍性や、その元になっている人間性への関心は共通している。そして取材のため重ねた旅である。特に、二人が共に敦煌に旅をして、莫高窟の壁画に残る仏や天人に当時生きた人々の「生の美」を発見しているところが面白い。二人の作家は、着眼点は違えども、いつの間にかかけ離れていった美術と宗教、東洋と西洋、理論と肉体を文学によってつないだのではないか。それは地理的に言えばまさに「シルクロード」である。文明の衝突が激しくなる今日、二人の歩みに見習うことは多い。自身も井上と同じキャリアをたどり、退社後、司馬のように美術を見る喜びを取り戻した著者だからこそ発掘できた可能性だろう。(みき・まなぶ=文筆家・編集者・色彩研究・美術評論・ソフト開発他)
★ホンダ・アキノ=奈良女子大学卒業後、京都大学大学院で美学美術史を学ぶ。修士課程を修了し新聞社に入社。支局記者を経て出版社へ。雑誌やムック、書籍の編集に長年携わったのちフリーとなる。
「謹啓 吹く風に冬将軍の訪れ間近なるを感じる今日このごろですが、ますますご清栄のことと存じます」
出版社で最も目立たない部署にいる馬締光也は、初恋の相手に恋文を書いている。
この恋文の一行目だけでもわかるように、馬締光也はとても礼儀正しく几帳面な人である。元々営業部に配属されていたが、定年間近になった辞書編集部の担当者に引き抜かれ、やがて辞書編纂を手掛けるようになる。
多くの人が一度は使ったことのある辞書。本書は、辞書が出来上がるまでの過程を辿り、出版社の目立たない片隅にある、辞書作りに関わる人々の姿を、細部まで掘り下げて描き出す。そこには辞書に人生を捧げた人、言葉そのものにこだわりを持つ人、辞書作りに不向きな人……様々なタイプの人が集まっている。そのような部署に、まじめな馬締は異動した。普段からトンチンカンな性格のせいか、最初は人間関係の築き方に苦労していたようで、辞書編集部にも溶け込めなかったが、やがて辞書に載る一つ一つの言葉について考えていく中で、周りの人との絆も深まり、運命の人にも出会えた。
この物語の主軸は辞書作りではあるが、現代に生きる人々に、言葉そのものを改めて考えさせるきっかけを与えている。
たとえば物語の中で、「愛」という言葉についての対話がある。ある辞書では「特定の異性に特別の愛情をいだき、(中略)まれにかなえられて歓喜したりする状態に身を置くこと」と書かれている。ただ、「特定の異性」という言い方では、同性愛が含まれなくなってしまうのでは、という議論だ。
言葉は常に、社会の変化に影響を受けている。知らない言葉を辞書で調べても、その解釈をどのように受け入れるのかは、利用者次第である。しかし辞書の言葉を疑って、自ら言葉を解釈しようとはめったに考えないだろう。私たちが普段、無意識のうちに使っている言葉の意味を、誤解を招かない形で、分かりやすく伝えること、それが辞書編集者が常に考えていることである。だからこそ、同じ言葉についても辞書が異なれば、解釈はまったく同じにはならない。それは一つ一つの言葉の解釈に、それぞれの辞書編集者の思いが込められているからだ。本書を読みそのようなことを考えた。
ある時代の言葉の意味を記録し、その意味を正しく伝えること、それが辞書の役目である。この物語における最も重要な目標は、「大渡海」と名づけられた辞書の出版である。数多くの既存の辞書を踏まえ、「言葉の海を渡るにふさわしい舟を編む」という思いが込められた「大渡海」は、これまでの言葉の解釈を考え直しつつ、新しい若者言葉や流行語も収録することを目標としている。途中で言葉が一つでも間違っていたら、利用者の信頼を失ってしまう。大渡海には「安心して乗れる舟」の意味が込められているのだろう。
ところで、冒頭の恋文を書いた彼のことを、どう思っただろうか。そう尋ねられると、辞書編集部にふさわしい人だと答えるかもしれない。でも、そもそも辞書編集部にふさわしいのは、どのような人だろう。本書曰く、「気長で、細かい作業を厭わず、言葉に耽溺し、しかし溺れきらず広い視野をも併せ持つ」人である。何でも簡単に調べられる時代だからこそ、与えられたものを鵜呑みにせず、ゆっくりと一つ一つの言葉と向き合って、その意味をじっくり考える時間も大事である。『舟を編む』を通して、パズルのような、言葉の奥深さをどうか感じてほしい。
★シュ・ガラン=名古屋大学人文学研究科修士課程2年。一人旅と文芸創作が大好きな大学院生。最近、研究の大変さとおもしろさを味わいつつ、修論執筆を頑張っている。好きな作品は芥川龍之介の『蜜柑』と三浦しをんの『舟を編む』。
桜庭怜の叔母、室見響子は稀代のミステリ作家だった。室見の死後、著作権を相続した桜庭のもとに、編集者の勅使河原篤が訪れる。勅使河原は室見の遺稿、『鏡の国』の担当編集だ。『鏡の国』は、室見が自身の体験をもとに小説家デビュー前に習作として書いたもので、前書きには「内容についてはほぼノンフィクションである」とまで記されている。出版に向けて編集は順調に進んでいた『鏡の国』だったが、勅使河原はゲラを読み直しているうちにある違和感を覚えたという。
「『鏡の国』には削除されたエピソードがあると思います。」勅使河原は違和感の正体をこのように結論づけ、これこそが室見響子が読者に向けた最後の謎なのではないかと言う。
しかも、『鏡の国』を読んで叔母である室見に対する印象が悪くなった桜庭に対して、「もし削除されたエピソードを知れば、叔母への印象も変わるのではないか」とも勅使河原は示唆する。勅使河原の推論が正しいのか確かめるために、桜庭は再び『鏡の国』のゲラを読みはじめる――。
作中作『鏡の国』では醜形恐怖症の主人公・香住響と、幼馴染だった新飼郷音と再会し、ふたたび仲良く過ごしていく中で、二人が疎遠になるきっかけとなったある出来事について疑惑が浮上してくる。響は郷音や仲間たちとともに過去の出来事について調べ出すが……。
本作『鏡の国』は、同名のタイトルの小説が作中で登場し、桜庭と勅使河原のやりとりが描かれる現在のパートと、作中作『鏡の国』の各章が、ほぼ交互に配置された構成となっている。
「過去に起きたある出来事の真相とは」という作中作の謎と、「『鏡の国』の削除されたエピソードとはどのようなものだったのか」という本作の謎、そして階層が異なる二つの謎がどのように結びつくのかという謎。一番上位のメタレベルの位置にいる我々読者にはこれら三段階の謎が提示されることになる。これこそメタ構造を利用した作中作ミステリの醍醐味と言ってよいだろう。だが、そのようなメタ構造が余計な複雑化を招き、リーダビリティを損ねてはいない。むしろ瑞々しくも予想だにしない展開が続く青春ミステリの趣もある作中作の合間に、桜庭と勅使河原のやりとりが挟まって新たな外部情報が追加されることで、さらに読者を作中作へ引き込ませるような構成となっている。メタ構造がミステリの仕掛けとしてだけでなく、物語の没入感を自然に高めていることは、この手の技巧を用いたミステリがどこか人工的になってしまいがちなことを思うと特筆すべきことだろう。
そしてこの三段階の謎を結びつけるキーワードこそ、タイトルにも含まれている「鏡」、そしてそれに付随する「顔」といったモチーフである。
作中作の主要人物の多くは、醜形恐怖症や火傷痕など顔にまつわる問題を抱えている。こうした悩みや葛藤が作中作の物語を駆動するだけでなく、室見響子がこの物語に『鏡の国』と名付けた理由、そしてエピソードを削除した理由とも結びついているのだ。
顔をめぐる視線を認識させる道具こそが鏡だ。本作はあらゆるレベル・意味で視線に満ちた物語であることに気づかされる。なぜなら物語を読むということは、読者が登場人物たちに視線を向けるということだからだ。作中作の登場人物が互いをまなざすだけにとどまらない。桜庭が響を見つめるように、我々読者も彼女らを見つめる。それはときに謎として、ときに暴力として、ときにコミュニケーションとして現れる。その無数の視線の中に、作者は巧みに謎と仕掛けを織り交ぜている。その意味で本作は「鏡」というモチーフを最大限に活用して、作中作を用いたメタミステリを構築している。
作中作のテーマと作品全体のミステリとしての仕掛けが上手くかみ合うように計算されており、作中作が単なる大ネタのための単なる飾りになっていない。むしろメタ的な仕掛けが物語を引き立て、一つのミステリとして完成している。本作はその相互作用が生まれるように、作中作ミステリというメタ構造が持つ意義が考え抜かれた一作であることは間違いない。(あれきし・らいほ=書評家・ミステリ批評)
★おかざき・たくま=作家。著書に『珈琲店タレーランの事件簿』シリーズ『道然寺さんの双子探偵』シリーズ『季節はうつる、メリーゴーランドのように』『貴方のために綴る18の物語』『Butterfly World 最後の六日間』など。一九八六年生。
2022年に大人気ミュージカル作品「エリザベート」ウィーン初演30周年を迎え、2023年8月からは映画「エリザベート 1878」が日本で公開されている。オーストリアの観光マーケティングでも一際大きくクローズアップされているのが、ハプスブルク君主国の皇妃エリザベート(ドイツ語で正しくはエリーザベトだが、日本の慣例にならう)である。日本でも非常に高い人気を誇っている。
本書は、皇妃エリザベートの伝記的読み物で、誕生から暗殺までの人生を10章にわたって綴っている。19世紀後半、中欧の大国ハプスブルク君主国が政治的に不安定な時代に、エリザベートは皇妃となる。1837年にバイエルン王家の傍系の家庭に生まれ、若きハプスブルク君主国の皇帝に見初められ、予期せぬまま皇妃となった。姑ゾフィーとの対立や夫との不安定な関係、長女の病死などを体験し、自身の病気を盾に宮廷から逃避した。この選択は彼女の新しい人生の幕開けだった。ハンガリーに好意を寄せ、オーストリア=ハンガリー二重君主国の成立に関係し、息子を心中事件で失い、またエリザベート自身、スイスで暗殺されることになる。これだけでも激動の人生であることがわかるだろう。
エリザベートは、史料から把握できる事実に、色々な人々が語ってきた様々な解釈が上塗りされ、何が本当で何が噓なのか、捉えどころがなくなっている。オーストリアでは未だに多数の本が出版され、現代の価値観を投影した歴史的根拠に乏しい解釈も少なくない。その点では、本書が描くエリザベート像は、歴史背景の説明に違和感を覚えるときもあるが、史実からの甚だしい逸脱はなく、安心して読めるものになっている。
著者の主題は、「私」という概念だろう。冒頭で紹介される二面性を持つデスマスクは、エリザベートの複雑なイメージに読者を引き込む。裏の顔が「私」であれば、表の顔は外向きのメディアイメージと言える。この対比を用いて、著者は19世紀後半の社会文化を反映した「時代の顔」を描こうとしている。ただし、「私」という概念は本書で一貫しておらず、エリザベートの「私」とはなんだったのか、はっきりしない。これは読者に残された宿題なのかもしれない。
個人的には、永遠に若々しいメディア上のエリザベートが公的イメージで、その「公」と「私」の乖離が彼女を苦しめていたと思っている。皇族は特に公私の区別が難しいが、彼女は「公」を特定のイメージで塗り固め、「私」を秘匿した。この姿勢が後世に史料を残さず、多くの創作に解釈の余地を許したのではないか。この捉えどころのなさが創作者そして一般読者を引きつける魅力になっている。
エリザベートについて何か書くには、アクセスできる史料が少ないため非常に困難が伴う。著者も「おわりに」で言っているように彼女について「新たな切り口から語る」ことは不可能に近い。ブリギッテ・ハーマンの『エリザベート:美しき皇妃の伝説』上下(朝日新聞社、2005年)で史料上わかることはだいたい語り尽くされているからだ。無理に新しく書こうとすれば史実から乖離したトンデモ本になってしまう。そうした意味では、新しい伝記を世に出した著者の勇気を素直にたたえたい。本書にハーマンの伝記に書かれていない要素があるかというとはっきりしないが、本書ならではの魅力は存在する。
ハーマンの伝記の日本語訳では、ドイツ語原著に引用されていた詩が、省略されているケースが多々みられる。本書は著者訳し下ろしでかなりの数の詩を引用している。その中には日本の読者であれば、初めて目にするものもあるだろう。また、カラーで視覚資料をふんだんに掲載しており、ビジュアル的にも楽しく読むことができる。基本的に誠実にわかりやすくエリザベートの生涯を描いているので、ミュージカルや映画で興味をもった人がまず手に取るのにはちょうどいい本だろう。さらに詳しくエリザベートについて知りたい場合は、ハーマンの伝記に進むといい。(うえむら・としろう=獨協大学教授・西洋史〔ハプスブルク近世史〕)
★こみや・まさやす=横浜国立大学教授・ヨーロッパ文化史・ドイツ文学。東京大学大学院博士課程単位取得満期退学。著書に『音楽史 影の仕掛人』『オーケストラの文明史』『コンスタンツェ・モーツァルト』『モーツァルトを「造った」男』など。一九六九年生。
「文学」のもつ静かな変動、そして衝撃。私たちは言葉とともにあるのだから、その言葉がこれまでと異質な働きをひそかに始めているのだとしたら、私たちもまた静かにその変容を被らざるを得ないだろう。従って「文学」は、知らぬ間に私たちを撹乱してきたのである。
ランシエールはいくつかの文学論を著しているが、本書『文学の政治』は、ランシエール文学論の手頃な要約としての役割を果たしてくれている。とくに「文学の政治」と「文学的誤解」の二論文は、ランシエール自身によって書かれた自分の文学論の見取り図のようである、『不和』がランシエールの政治哲学を要約し、『感覚的なもののパルタージュ』がその美学のエッセンスを教えてくれるように。この二論文を精読すれば、ランシエール文学論の大体のところは把握できるといえるかもしれない。
ランシエールの文学論は、独特な文学史的理解に依拠している。アリストテレス詩学などによって定義される「古典主義詩学」は十八世紀から十九世紀初頭にかけて転覆され、「文芸」は「文学」へと変貌を遂げた。「文学革命」がそこで勃発し、いわゆる「近代文学」が成立するのである。それによって私たちは「政治的に」どのように変貌を遂げるのか。文学的言語における地殻変動からその「政治性」の賭金を考察していくのがランシエールの基本的なスタンスである。
「文学理論」と呼ばれるものは世に数多ある。テーマ批評、精神分析批評、マルクス主義批評、脱構築批評、フェミニズム批評など、数えはじめればキリがない。いかにも科学的で難解な文学理論たちがすでに私たちの前にはひしめきあっている。切れ味が鋭く、時にはそれですべてが説明できるかのように感じる人もあるかもしれない。しかし、ある程度その理論に馴染んでくると、その教条主義や権威主義にうんざりさせられる人もいるだろう。本書『文学の政治』はそのような中にある人に爽やかな外気を与えてくれるに違いない。様々な「文学理論」を結びつけあるいは切り離し、その分割線の抗争にこそランシエールは文学の政治性の一つを見出しているからだ。本書には実のところ、全てを評価する「軸」のようなものが欠けている。その意味でこれほどアナーキーな文学論もなかなか見当たらない。実際、訳者は本書を訳しながら次の問いが何度も頭をよぎったということだ。「ランシエール自身はいかなる位置に立って思考しているのか。彼は哲学者なのか、美学者なのか、歴史家なのか、あるいは、何か別の者なのか。世界を構成する種々の分割=分配の境界線の存在と、その撹乱可能性、そして新たな分割=分配の可能性をめぐる彼の思索は、いったいいかなる位置に立てば可能なのか」(三九七頁)。ランシエールは文学史の迷宮に入り込み、あちこちに亀裂を見出していく狼藉者である。私たちはそれをとっ捕まえてやろうと、軽快に走り去っていく彼の姿を追う。角を曲がるとそこにあるのは鏡だ。そこに写っている自身の姿を見て驚愕するに違いない。いつの間にか自分自身もまた狼藉者の姿になっているのだから。
最後に本書の最も魅力的な点を挙げておきたい。それはランシエールの「文体」である。文体に肝心なのは「素早さ」だとランシエールはあるところで述べている。「共通言語、その対象、普通の関心事項、質問の仕方、答える仕方等々から、目のくらむ深淵へと移っていくときの素早さ。(…)強烈なエクリチュールとは、広大な空間をそうとは告げずに踏破することのできるエクリチュールです」(『平等の方法』、一六〇頁)。実際、サルトルからアリストテレス、またプラトンへ向かうかと思えば、フローベールやバルザックへと論述は進み、ドゥルーズやベンヤミンに展開していくその手つきは、「博識」の披露とは無縁のものである。本書に収められたマラルメ論では、マラルメの「神秘」がすぐさま労働者の「酩酊」に横滑りしていく。こうした破天荒な思想の運動は、まさしく「エッセー」の醍醐味であり、ランシエールの文章はその魅力に溢れているのである。アドルノが述べているように、エッセーにとって本質的なのは幸福と遊びである。
訳者森本淳生氏の手による訳文は明快で、充実した訳注も嬉しい。訳者解題も教育的配慮が行き届いたものであり、念を押すようにランシエール文学論を俯瞰的に教えてくれている。この翻訳書は、近年の「フランス文学・思想」の翻訳のうちでも模範となるべき書物であろう。(森本淳生訳)(こばやし・なりあき=横浜創英大学非常勤講師・フランス文学・フランス現代思想)
★ジャック・ランシエール=哲学者・パリ第八大学名誉教授。著書に『哲学とその貧者たち』『アルチュセールの教え』『言葉の肉』など。一九四〇年生。
ハンガリー生まれのユダヤ系作家アーサー・ケストラーの名は、現在では、「ホロン」、「要素還元主義批判」、「機械の中の幽霊」などの語句と結びつく。ポストモダニズムからマンガやアニメのタイトルまで、直接間接の影響を与えた。また、コペルニクスをめぐる科学史から、東方ユダヤ人の起源への独自の歴史像まで幅広い著作をもつ。妻との安楽死による最期も含めて毀誉褒貶のある人物だ。
国際的な評価を得たのは、『日蝕』の英訳版で、一九四〇年に発表されたスターリン批判小説『真昼の暗黒』だった。すでに邦訳が三種類ある。戦後に出た『神は躓く』では、黒人作家のリチャード・ライトとともに共産党から離党した経緯を語っていた。反共小説家というレッテルもあった。
英訳版をオーウェルが評価し、『一九八四年』執筆の際に参照したことでも有名だが、二〇一五年にドイツ語原稿が発見出版され、今回岩崎克己により翻訳された。
小説のモデルは、スターリンの指示により、一九三六年から行われ、右腕だったブハーリンらがトロツキー派として粛清された「モスクワ裁判」である。「目的は手段を正当化する」という結論ありきの政治茶番劇だった。みせしめの宣伝効果のある裁判にかける人間を選別し、それ以外は秘密裏に「行政処分」される話が小説内に出てくる。スターリニズムやソ連の記憶は遠くなったはずなのに、世界中で独裁体制とその理不尽な処断が目につくことで関心が再燃するのだ。
ブハーリンやトロツキーを合成した主人公の名もルバショフからルバショウとなり、訳文は平明で、登場する人名や語句への注も充実している。もとがドイツ語だと考えると、「最初の審問」でレクラム文庫の『若きヴェルテルの悩み』が言及されるのも単なる風俗描写を越えたものに思えてくる。また、冒頭の『罪と罰』からの引用箇所が、ドストエフスキーに存在しないという指摘は、過去の記憶とその捏造をめぐるこの物語にとり示唆的であろう。
今さら発表当時インパクトをもったスターリン批判やソ連共産党批判小説として読むのは論外だろうが、オーウェル以来の「反ユートピア小説」という理解もある意味定番である。英訳版のタイトル「真昼の暗黒」はミルトンの詩に由来するが、『すばらしい新世界』のオルダス・ハクスリーが同じ詩から「ガザに盲いて」の語句を採ってすでに小説に仕立てていた。イギリスの読者を念頭に、視覚の不在を強調するタイトルを踏襲したのだろう。仏訳は『零と無限』だった。
「蒸気機関の発明以来世界は永続的な戒厳令下にある」といった刺激的な言葉に満ちた小説全体を結びつけるのは、ルバショウが苦しむ歯の痛みと、独房の壁越しにおこなわれる囚人どうしの暗号通信である。暴力で折れた犬歯の疼痛は、内部から生じる脅威でもあるが、しだいに生活環境が改善し、待遇が良くなると、痛みも消えて告白へと気分が向かうのである。また、囚人番号だけで互いを知らない者が、壁を叩く数字による暗号通信を行う。相手の正体や情報が正しく伝達されているのかを疑わせながらも、伝言ゲームにルバショウが加わっていくのも興味深い。
審問者主任イヴァーノフは生ぬるさから行政処分され、部下だったグレトキンが後を継ぐ。革命運動が論理だけを模倣するグレトキンの世代を生み出したことに、ルバショウは慄くのだ。また、革命運動で「一人称単数」を避ける傾向を「文法的虚構」とルバショウはみなすが、政治小説を捨てた戦後のケストラーが、組織論を越えて、「ホロン」という、上には部分として従属し、下には全体としてふるまう階層レヴェルの探求へと向かったのも当然に思える。同郷の知人マイケル・ポランニーが、経営学や組織論に影響を与えた『暗黙知の次元』を書いたのも、ソ連訪問でブハーリンに批判を受けてのことだった(科学史家中島秀人の指摘による)。
メルロ=ポンティは、『ヒューマニズムとテロル』のなかで仏訳を批判した。彼は、ケストラーもルバショウもグレトキンもマルクス主義とは関係ない、と言い放つ。検討の余地はあるが、それゆえにこそ、ドストエフスキー以来の「観念小説」として読むこともできる。そして、メルロ=ポンティ本の訳者合田正人による解題は、政治小説としての再考に多大なヒントを与えてくれる。
英訳版の舌足らずな部分が補われ、B国つまりドイツのフォン・Zとのくだりなどでの、ナチス・ドイツへの言及が鮮明となった。ケストラーはナチス台頭への反感ゆえにドイツ共産党へと加わったのだが、小説から二つの全体主義の共犯関係さえ浮かび上がる。こうしたルバショウも含めた当事者の行動や対話をめぐり、アーレントが指摘した「悪の凡庸さ」の議論を、通俗的な「組織の歯車」理論へと陥らずに扱えそうである。
冒頭のルバショウが独房に入るところから、読者はこの小説内に監禁され、息を潜めながら最後の瞬間まで見届けることになる。そして『日蝕』というタイトルに思いを馳せるはずだ。ルバショウの眼から遮られたのは、「真理のメタファーとしての光」(ブルーメンベルク)なのか、それとも審問官グレトキンが、ルバショウの体を直接傷めない代わりに眼を苛むのに利用した人工の灯なのだろうか。(岩崎克己訳)(おの・しゅんたろう=文芸評論家)
★アーサー・ケストラー(一九〇五―一九八三)=ドイツ系ユダヤ人作家。共産党を離党後、「モスクワ裁判」の被告たちをモデルとした本作をパリで書きあげ、ドイツ軍のパリ侵攻から逃れてロンドンに亡命。逃避行中の混乱のなかで原作は失われ、英語への翻訳版だけが残る。二〇一五年にドイツ語原作原稿が発見された。
スヌーピーが登場する『ピーナッツ』は、一九五〇年十月、朝鮮戦争の最中に初めて新聞に四コマ漫画として掲載され、二〇〇〇年一月、作者の死と共に半世紀にわたる連載を終えた。文化作品を論じる際にしばしば引用される常套句に、「芸術は社会を映す鏡である」というものがあるが、本書『スヌーピーがいたアメリカ』は、いかに『ピーナッツ』が二十世紀後半アメリカ社会を映し出す優れた鏡であったのかを明らかとする。文芸批評家の江藤淳は、「文学作品は、ある文化の単なる反映ではなくて、少なくともその表現になっていなければならない」と語ったが、本書はまた、『ピーナッツ』が二十世紀後半アメリカ社会の鏡であるだけでなく、その文化の見事な表現でもあったことを教えてくれる。
社会を映し出す鏡にして文化の表現。それを可能にした表現者こそ、作者チャールズ・M・シュルツである。キャラクターが自立し広く大衆に愛されるがゆえに作者が逝去して以降も連載やフランチャイズが続く漫画は多いが、『ピーナッツ』はそうでなかった。『ピーナッツ』はシュルツ個人の思想と深く結びついており、作品と作者は分けて考えることができない。そんな作者シュルツの人となりを表すキーワードは、本書で繰り返し現れる「優柔不断 "wishy-washy"」であり、優柔不断こそがシュルツのイデオロギーであったと著者ブレイク・スコット・ボールは序章で断言する。著者ボールはこの語を「曖昧」と「多義的」という意味で使用し、曖昧で多義的であるがゆえに『ピーナッツ』は人種統合やベトナム戦争といった過激なトピックも扱うことができたのだと分析する。
たとえばベトナム戦争中、『ピーナッツ』は第一次世界大戦をモデルにした空中戦を描くことによって愛国者からの支持を得つつ、その敵機との終わらない戦争に疲弊する様をも描き込むことによって反戦運動の陣営からも好意的に読まれた。また、信心深いプロテスタント福音派のクリスチャンであったシュルツはイエス降誕を描くクリスマス劇を描いて宗教右派に熱狂的に感謝されながらも、彼らが眉をひそめるウーマンリブ運動をエンカレッジする漫画を描いた。人種問題が大きな火種となっている最中、『ピーナッツ』世界にはじめて黒人少年が登場するが、最後までシュルツが黒人女性を描くことはなかった。
そのようなシュルツであったが、一九八〇年代に入ってロナルド・レーガンと蜜月関係を結ぶと、彼は保守だと見做されて『ピーナッツ』は大衆の支持を失い始める。しかし興味深いことに、後年のインタビューでシュルツは自身を「リベラル」であると主張した──。本書の邦訳副題は「『ピーナッツ』で読みとく現代史」となっているが、原書副題は直訳すると「『ピーナッツ』の大衆政治(ポピュラー・ポリティクス)」である。一九八〇年代後半に文化戦争がアメリカを二分し、各々の陣営がラディカルな政治主張をし始めると同時に『ピーナッツ』は社会に影響を与えなくなったと著者は総括するが、それはすなわち『ピーナッツ』は冷戦期アメリカ政治と深く結びついた文化作品であったことを意味する。社会主義を標榜するソヴィエト連邦と自由主義の盟主アメリカが地球を二分し核を手にして睨み合っていた冷戦期、「政治にコミットしない」曖昧で多義的なリベラリズムが大衆文化に求められた。この観点から考えれば、『ピーナッツ』ほど見事に冷戦リベラリズムを体現した文化作品はない。
本書は著者ボールの博士論文が基になっている。五十年にわたる『ピーナッツ』の歴史であり、冷戦期アメリカ文化史であり、シュルツの伝記的側面も併せ持ち、膨大な二次資料や読者からのファンレターまでもが史料として引用される。これは大変な労作だ。つい先日、この若き歴史学者の次なる著作が『バットマン アメリカ神話の作成』となるとアナウンスされた。本書で見事な訳業を見せてくれた今井亮一氏の翻訳でそれが読める日を今から楽しみに待つ。(今井亮一訳)(あおき・こうへい=愛知県立大学外国語学部 講師・英現代アメリカ文学・文化)
★ブレイク・スコット・ボール=ハンティンドン大学歴史学科助教・歴史学。
高木兼寛を知っている人はどれくらいいるだろうか。高木は嘉永2年9月15日、宮崎県出身。日本近代史や文学が好きな方だったら、当時の帝国陸軍軍医の森鷗外に対して、海軍の軍医には高木兼寛という人物がいて、鷗外と脚気について争ったということくらいは記憶しているかもしれない。
一方、医学の世界では高木兼寛を知らない人はまずいない。脚気闘争で結果として高木の主張は正しかっただけでなく、明治時代において原因不明の難病であった脚気の本体を疫学的手法によって攻略し、その功績から日本疫学の父と評価されている。筆者は薬学部出身であるが、高木の名は医療人の常識として、薬剤師国家試験の過去問にも登場している。
本著はいわば高木兼寛の伝記であり、吉村昭によって史実をもとに描写されている。よく「臨床医学」のイギリス医学と「基礎医学」のドイツ医学は対比されるが、当時わが国で絶対的存在だったのはドイツ医学だった。しかし、高木の根底にあったのはイギリス医学であった。
なぜ高木はドイツ医学に染まらなかったのだろうか。そこが歴史の面白いところで、その始まりは戊辰戦争に遡る。上巻では戊辰戦争への従軍からイギリス人医師のウイリアム・ウイリスとの出会い、そして鹿児島医学校の恩師ウイリアム・アンダーソンの推薦とイギリス留学までが丁寧に記されていて、読んでいて臨場感がありわくわくする。下巻では実際に脚気の撲滅に向けて奮闘するが、鷗外らドイツ医学派の抵抗によって高木の主張は認められない。高木が評価されたのは日露戦争で陸軍が脚気による大量の死者を出した後であり、当時の学閥社会の理不尽さや困難も残酷に描写されている。
本著では高木の動向だけでなく、先ほどのウイリアム・ウイリス、長崎の海軍伝習所の医学教官ポンペ、ボードイン、新政府顧問のアメリカ人フルベッキ、戊辰戦争の主役である西郷隆盛といった著名人や、明治政府による医学教育の変遷の様子も適宜記載されている。日本近代医学史の入門書という視点で手に取ってみても良いだろう。特に上巻の戊辰戦争では、西洋医学を学んだ医師が銃弾を受けた兵士に対して躊躇なく四肢の切断を行うことで救命するシーンがある。これを目撃した高木ら従来の医師の、驚愕と感動を、ぜひとも味わっていただきたい。
医学史の入門書として他にも多くの図書が出版されているが、そのほとんどは辞書的で、物語として読んで楽しめるものではない。逆に物語として纏められているものは、断片的でコンパクトな内容になりがちである。筆者は理系から「文転」した身であるから日々実感しているが、入門書といえど、専門用語や前提知識を知らない者が読むには、ハードルが高いものが多い。だが本著のような伝記物であれば、そのハードルは下がる。『三国志』から中国史に興味を持ったり、戦国武将や刀剣から日本史を好きになるなど、周りを見渡してみれば思い当たる節はいくつもある。
昨今のコロナ禍で医療とは何なのか考え直した人も多いだろう。感染症や衛生の歴史を中心に、これまでマイナーであった医学史もにわかに脚光を浴びている。日本の現代医学は先人先哲の功績と苦労が積み重なって進化してきた。そんな先人先哲達に、たまには目を向けてみても良いのではないか。
★やまがた・ゆう=二松学舎大学大学院文学研究科博士前期課程2年生。旅行とお酒が好き。夏休みは広島県尾道市に出かけ、尾道ビールの美味しさに感動しました。一押しは「きゅうりビール」です。
本書は、「なぜ入管収容所では、収容者にたいする暴力や死亡に至るまでの放置といった扱いが繰り返し起こるのだろうか。」について、社会学、政治学などのアプローチから学術的な考察をしている。そして、入管行政によってだけでなく、日本で社会的にも排除されている「無登録移民」が社会的、政治的に存在する日本社会を目指している。
本書で特徴的なのは、あまり使われてこなかった用語の使い方である。「有効な在留資格がない人を受け入れ国に滞在/就労の資格がある者としては登録されていない」として捉え「無登録移民undocumented migrant」を用いている。ここからわかるように「無登録」とは滞在や就労の資格がある者としては登録されていないという「事実」を示す表現であり「規範的な判断」は含まれていない点が重要である。
日本では、未だに「不法滞在者」が頻繁に使われているが、「不法」が恐ろしい犯罪者を連想させることから、ミスリーディングになるとして、他の先進諸国では、「非正規滞在者irregular migrant」「無登録移民undocumented migrant」が一般的になっている。本書では「非正規」が労働者などに使われていることを考慮し、「無登録移民」を使用している。
日本社会は、一旦ルールから外れた者に厳しい社会である。入管法というルールを破った「不法滞在者」だから、どのような目にあっても良いことにはならないが、正当化の理由になっている恐ろしい社会に気付いている日本人はそれほど多くない。その根本的な「入管への問い」にメスを入れたのが本書である。各章読み進むにつれ、読者が、何かがおかしいから、確かにおかしいと気付くのである。その一例が、ウィシュマ・サンダマリさんの死である。確かに彼女は入管法のルールを破ったため入管に収容された。しかし、だからといって、「動物のように」扱われて良いと考える人はいないだろう。1章では、その矛盾をつき、日本が国際人権条約をいかに無視してきたかについて触れている。2章では、無登録移民のほぼ全員がそうである「仮放免」がどのようなものか詳細に述べる。そして、無登録移民を「存在しない」として不可視化するナショナルな水準での法制度が現実には「法的フィクション」であることを指摘する。3章では、入管行政の特殊性を一般的な国民主権との対比で浮き彫りにする。4章では、ウィシュマさんがそうであったように、入管に収容されている人の訴えが信用されない理由として「認識的不正義」をあげ、入管職員だけでなく、医療従事者にも起こり得ることを指摘する。5章では、抵抗手段としてのハンガーストライキは、「弱者の武器」であり、非暴力的手段であるため「免罪」や国際人権団体の支援を期待できると説明する。6章では、無登録移民は当然「人間」であり、彼らの人権と人道について考察する。7章では、国家が入国管理をすることは正しいかという問いについて、カレンズの国境開放論証を分析する。「わたしたちは、大通りで駐車違反することを、正しいことだとは決して考えていないが、拘禁施設に身体を拘束されるほど厳しく罰せられるべきものとも考えていない。」に納得させられる。おわりにでは、行政の自由裁量の幅があまりに広く、認識的不正義が作用する結果、公共空間で、無登録移民が発言する機会は、平等に配分されない点を指摘する。そして、当事者である仮放免者が公の場で入管行政に対して否定的な発言をすれば、入管の「復讐」としての再収容がありえることを支援者の経験則としている。それを裏付けるように、誰が、いつ、仮放免されるのか、再収容されるのか、すべてが行政の裁量に委ねられている。
本書では、入管行政の広範な裁量権が、現代における移民の収容と抵抗を生み出しており、構造的な不正義を変えるために「入管を問う」ているのである。(あんどう・ゆかり=富山大学教授・国際人権法・難民法・入管法)
★きしみ・たいち=福島大学准教授・政治学・現代政治理論。
★たかや・さち=東京大学大学院准教授・社会学・移民研究。
★いなば・ななこ=上智大学教授・社会学・移民・社会運動研究。
敗戦と被占領という国家や共同体の危機に際して、まずもって作られたのが「性の防波堤」であった。本書の第一章では占領直後からこの「防波堤」作りに邁進する敗戦国日本の有り様が実証的に描き出される。著者の前著である『占領とジェンダー』(有志舎、二〇一四)と重なる内容ながら、より充実した資料によって端的に描出されるのは、自らの生存、保身のために女性を差し出す男たちの姿である。しかも、この男たちによって女は「守るべき女性」と「差し出すべき女性」に二分化されるのだ。
第二章では、第一章で確認した日本本土(内地)の対応と類似の対応が外地の「満洲引揚げ」時にも同時進行的に起こっていたことが実証されていく。つまり、共同体の生存と引き換えに強者に女性を差し出すといった対応である。強者とは、内地では占領軍であり外地ではロシア人であったが、国家にせよ共同体にせよ、空間的距離を超えてほぼ同時に男たちがとったこの発想の同根にあるものを「家父長制の暴力構造」だと著者は看破する。しかもこの暴力構造は、差し出す時には「尊い犠牲」として女をまつり上げながら、生存が脅かされなくなった途端に、「差し出された女」を蔑視し、顧みることすらしなくなるところまで共通していた。
こうした家父長制の構造的暴力を序章から終章まで入れた八章立ての構成で鋭く描き出しつつ、他方で、序章においてなかったことにされてきた「彼女らの存在を歴史の明るみに掬いだす」と謳われるように、これまで顧みられてこなかった女性たちの「声」が本書全体に溢れている。拾い集めた「声」をただ並べているだけではない。著者の一貫したジェンダー分析によってその「声」が発せられた背景と文脈が補われ、そうして提示された「声」からは、受動的に犠牲者にされたと考えられがちな女たちの「エイジェンシー(主体的営為)」をたしかに感じとることができるだろう。
女たちの「声」はそれまでの定型的な物語(ナラティブ)に当てはまらないものが多い。それは、ともすれば集団自決を図ろうとする男性リーダーたちに抗う女たちの「声」であったり、自ら進んで「性接待」へと犠牲になったとする美談への回収に抗う「声」であったり、あるいは、「差し出された女」には性売買経験者や未婚の女が多く選ばれたが、その女たちへの葛藤を吐露する「声」など様々である。
もう一つの特徴としては、子どもの「声」も対象としている点である。「女・子ども」は抵抗する力もなく受難に巻き込まれたと一括りに考えられがちだが、危機的な状況に際しても柔軟に対処していく子どもたちの様子が描かれる。たとえば満蒙開拓団の一つであった太古洞開拓団で一一歳のときに敗戦を迎えた北村(旧姓:澤)栄美によると、度重なるソ連兵の襲撃や性暴力にさらされる女性たちに、ソ連兵が近づいたことを知らせる合図を送るのは子どもたちの役割だったという。そうした命がけの状況下でも子どもたちはソ連兵を揶揄する替え歌を口ずさんでいたという。この替え歌「ロモーズの歌」は第三章末尾にURLが記されており岩波書店ホームページで聴くことができる。
第四章では「パンパン」とよばれた女性たちと、その女性たちと関わりをもった地域や人々が描かれる。前著では「構造的性暴力」が強調されたが、本書ではその中でも発揮される女性たちの主体的営為を浮かび上がらせるとともに、彼女たちと関係を築いた周囲の人々を記録している。「パンパン」に厳しい目を向ける人たちも当然いたが、著者はむしろ社会的弱者であった「未亡人」を含む労働する単身女性と「パンパン」たちの連帯の可能性に光を当てる。ジェンダーと階層の共通性をもってそこに分断を持ち込まない実践は現代においても示唆に富む。
第五章は、著者が出会った紙芝居の「金ちゃん」こと田中利夫の語りを通して、彼が「ハニーさん」と呼ぶ女性たちが描かれる。金ちゃんは米軍のキャンプ・ドレイクがあった朝霞で朝鮮戦争時代に「貸席」屋の子どもとして過ごした人物だ。彼は「パンパン」とは呼ばずに「ハニーさん」と親しみを込めて呼ぶ。子どもの目を通して語られる「ハニーさん」の記憶は、暴力と隣り合わせでありながらも、女性たちの「日常」や、互助会的な役割を果たす白百合会や、仲介者やヒモ男などが紹介されつつ、善悪や男女の二項対立のみでは割り切れない複雑な関係性をも浮かび上がらせる。語りの中には女装して占領軍相手に働いていた「とくちゃん」も登場する。ジェンダー・セクシュアリティのみならずクィアな事例としても貴重な記録である。
第六章では、男たち、とりわけ復員兵の「声」が紹介される。かつて敵兵だった米兵と腕を組んで街を闊歩する女たちの姿を通して敗戦を実感する声は生々しくもある。それは彼らが幻想を抱いていた「大和撫子」像が裏切られたゆえでもあった。他方で、自身が占領地で現地女性に行った性暴力を想起した者もいたという。著者はこれを「「戦争責任」の自覚の最も早い「芽生え」」の可能性として指摘するが、であるならば、その芽を育てることができなかった家父長的社会構造の根深さに暗然とする。
本書には多くの「声」が集められていることはすでに述べたが、それはこれまで語られながらも広く一般的に受け止められてこなかった「声」ばかりである。読者は、女や子どもたちから見た占領期が、これまでのGHQ改革によって敗戦から復興していく日本といった語りと異なることに驚くのではないだろうか。著者は顧みられてこなかった「声」のひとつひとつを取り上げ、丁寧に位置づけていく。そうした作業が可能になったのは、なかったことにされてきたか細い「声」をこれまでにも誰かが聞き、書き残してきたからでもある。逆にいえば、聞き手がいたから「声」は発せられたのだ。つまるところ、女たちから見た占領史がこれまで等閑視されてきたのは社会の「聞く側」の問題だったのである。(たけもと・にいな=お茶の水女子大学ジェンダー研究所特任講師・ジェンダー史)
★ひらい・かずこ=一橋大学ジェンダー社会科学研究センター客員研究員・近現代日本女性史・ジェンダー史。著書に『日本占領とジェンダー』、共編著に『戦争と性暴力の比較史へ向けて』など。一九五五年生。
一九九八年にポルトガル語圏で初めてノーベル文学賞を受賞した作家ジョゼ・サラマーゴが二〇〇四年に発表した『見ること』は、その原題En―saio sobre a Luci―dez(直訳すれば「明晰についてのエッセイ」)に明示されている通り、一九九五年に発表され著者自身ひとつの転換点として位置づける『白の闇Ensaio sobre a Ce―gueira(盲目についてのエッセイ)』の続編である。
ある日なんの前触れもなく目の前がミルク色に覆われ失明するという謎の感染症が発生し、瞬く間に国中に蔓延するという筋書きの『白の闇』は、奇しくも新型コロナウイルスによる混乱の端緒にあった二〇二〇年三月に文庫化され、話題となった。
そして、これもまた偶然に過ぎないのかもしれないが、感染症の実態や対処が当時と比べ劇的に変わったわけでないにも係わらず、少なくない人々がその終息を感じてマスクを放り出し、ある政治家は百年前の大震災のさいに引き起こされた虐殺について記録がないなどと宣い、徴税する国家以外の誰にとっても何のメリットもありえないインボイス制度が、多くの反対にも係わらず開始されんとする、なんとも悲喜劇的な状況にある二〇二三年の夏に本作の邦訳が出たということ自体がおのずと帯びる批評性に思いを馳せないでいるもまた難しいだろう。
すでに二〇年近く前の作品である原著からして、直球の風刺小説である。『白の闇』に描かれた失明事件から四年後、視力の回復した国民たちは当時の凄惨な記憶に蓋をし、何もなかったかのように日々を過ごしていた。この表面的に回復した「正常」は、首都における総選挙で八十三パーセントもの市民が白票を投じるという前代未聞の事件によって破られる。この物語の舞台では白票は有効票として機能しており、大量の白票は明白に政権への不信任の表明であった。立法府は機能不全に陥る。政権を握る右派政党は非常事態宣言を発出し、示された民意を「民主主義の破壊」を目論む反政府運動とみなし、首都を封鎖の上、軍隊や警察を引きあげ、首都機能の移転までやってのける。『白の闇』の読者であれば、このように国家権力によってその保護の及ばない周縁へと隔離された盲目の人々がどのような状況に見舞われたかを思い出すだろう。しかし、政府の思惑とは反対に、統治機能から切り離された元首都の市民たちは、政府も軍隊も警察も必要とせず、粛々と日々を送り続けるのだ。
サラマーゴは人間は失明してなお隣人への気遣いを忘れないというような甘い夢想には溺れなかった代わりに、明晰さを悪用して腐敗していく政治の様相がはっきりと見えている限り、人々はそれに従うほど愚かでもあり得ないという態度を表明してみせている。
このような市井の人々に対する信頼が底にある本作は、前半のスラップスティックな喜劇から一転、後半は三人の警官による疑似探偵小説のような読み口に変じ、どちらも娯楽小説としてもよくできている。けれども、全体のトーンとしてはむしろ前作にも増して陰鬱である。終盤に至り、物語は古典的なフィルム・ノワールよろしく暗い袋小路へと読者を誘うことになる。さんざん無能を暴かれ続けた政府は、その手に独占する暴力を行使して既存の構造の維持を図るのだ。
物語のもつ寓意は、現在この国に住む人々にとって、あまりにも素朴な現状のスケッチのように見えるかもしれない。そういう意味で、目新しさはないともいえる。けれども本作の魅力は、優れた風刺や批評眼に留まるものではなく、なによりもその独特の文体を見事に日本語に置換した翻訳の面白さにこそあると言えるだろう。読点で限界まで引き延ばされる段落、改行せずに同じ段落内で列挙される会話文、どちらも句点の巧みな配置によって不思議と文意を見失わないよう配慮されており、技巧が光る。息継ぎのほとんどないまま、流れるように繰り出される文章は、物語内容を伝達するだけに止まらず、織り込まれるアフォリズムの鋭さや、共話的に溶け合い作用し合うようで決して交わらない人々の孤独を際立たせもする。
もう一つ文体上の特徴として、『見ること』は『白の闇』と同様に登場人物の名前が明示されないまま進行していくのだが、本作ではただひとつの固有名詞が例外的に明かされる。悪しき明晰に不服従の白を突き付けるその名に、評者は強く打たれた。(雨沢泰訳)(かきない・しょうご=会社員・文筆)
★ジョゼ・サラマーゴ(一九二二―二〇一〇)=ポルトガル生まれの作家。著書『修道院回想録』『リカルド・レイスの死の年』で数々の文学賞を受賞。『白の闇』は世界各国で翻訳、映画化された。一九九八年ノーベル文学賞受賞。
日本人のどれだけの人が、イラクという国を知っているだろうか。大方の人は、中東の「怖い国」と感じているかもしれない。評者自身もそうした一人であった。
全国紙記者時代、9・11米同時多発テロ事件に端を発した対イラク戦争(2003年)において、「有志国連合」の一つとして駆り出されてゆく日本政府と国会の迷走ぶりを取材。イラク特措法に基づく「人道復興支援」「安全確保支援」のために現地宿営地サマーワへ派遣された自衛隊の奮闘と困惑を、紙面で繰り返し報じたものだった。
やがてイラク国内では外国人拉致が相次ぐようになり、2004年4月には、「自衛隊撤退」を求める武装勢力によって、日本人3人が拘束される事件が発生。救出交渉へ向かう外務副大臣に同行し、評者も特派された。隣国ヨルダンに踏み止まったのは、日本外務省が「退避勧告」を発出するイラクへの入国が事実上禁じられていたためである。この頃から日本国内では「自己責任論」が噴出し始め、報道目的であっても紛争危険地域へ足を運ぶことは〝悪事〟と見做される論調が増えた。この20年間で大手マスコミの特派員の危険地取材は本社幹部の指示によって格段に制限されるようになり、フリー・ジャーナリストの命懸けのリポートがなければ、知ることができなかった事実も少なくない。
かつての苦々しい記憶を長々記したのも、手にした本書が出色の出来栄えであり、〈結局、自分の目で見てみないとわからない〉(『謎の独立国家ソマリランド』)という、事の本質とは何かを思い出させてくれたからである。著者の高野秀行氏はもちろんどこの組織にも属していない。あえて記せば、早稲田大学探検部OB。現役部員時代からアフリカ・コンゴ奥地の湖に生息するといわれた謎の怪獣「ムベンベ」発見に挑んだり、世界最大の麻薬地帯「ゴールデントライアングル」でアヘンを作って世界初の『潜入記』を書いたりしてきた人である。語学の才と強靱な精神力などを併せ持った「辺境地スペシャリスト」でもあるノンフィクション作家が、新たな作品の舞台に選んだのが、知られざるイラク奥地の湿地帯であった。
歴史の教科書に載るイラクは古代メソポタミア文明の中心地であるにもかかわらず、湾岸戦争以降の治安悪化をはじめ、主要部族(氏族)・主要宗派間の諍いなど、国情は混沌としていると伝えられてきた。こうしたメディアの「ステレオタイプ」的記事によって偏見が植え付けられ、地域への関心を失わせてきた面は否めない。しかし、〈誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く〉ことを信条とする著者に、そのきっかけを与えてくれたのもやはりメディアであった。
偶然、「砂漠の国 文明育んだ湿地」という魅力的な見出しが目に飛び込んできたという。フセイン政権が進めた「乾燥化」政策によって壊滅状態となりながらも、復元しつつあるイラク南部の世界遺産「アフワール」の状況を伝える約2300字のルポ(『朝日新聞』2017年1月24日付朝刊)は、著者をその気にさせるのに充分だった。1950年代に英国人探検家がまとめた『湿原のアラブ人』以降、アラビア半島の湿地帯に関する著作は世界中に見当たらないとなれば、著者の血が騒ぐのもむべなるかな、である。
そのための準備と勉強は、「プロ」として怠らない。在京イラク人にアラビア語を習い、アラブの政治・軍事状況からメソポタミア史、古代オリエントの宗教などについて有識者に話を聴く。コロナ禍を挟み、都合3回にわたったイラク滞在の筆致は、古代メソポタミアの生活につながる「文明(国家)」と「非文明(反国家)」の差異と相互依存関係を民俗学的手法で解き明かす重厚な趣と、かつての海外旅行者が必ずと言っていいほど持参したガイドブック『地球の歩き方』の軽妙な体験記のようだ。まさに著者が本書で多用した〈ブリコラージュ〉と言えよう。
水牛と生きる水上の民「マアダン(シュメール)」の自由な暮らしぶりに接し、古くから伝わる木造舟「タラーデ」を建造し、自ら櫓を漕ぐ。現地方言の詩を暗唱し、住民に溶け込む。アフワールが産んだ独特の刺繍布アザールの謎を解明する……そうした旅の途中、不安にさいなまれたこともあったろう。しかし、その筆は常に明るく、好奇心に満ちていて、「怖い国」イラクの魅力をこれでもかと伝えてくれるのである。同道した環境活動家、山田高司氏が描く精緻なイラストは、本文を理解するのに大いに役立った。中国四大奇書の一つ、『水滸伝』に登場する宋代の豪傑達に負けず劣らず、著者が描く登場人物達も実に好漢であった。
イラクの知られざる国情と人々の暮らしぶりを伝える紀行文学の傑作である。(なかざわ・ゆうだい=ノンフィクション作家)
★たかの・ひでゆき=ノンフィクション作家。著書に『アヘン王国潜入記』『巨流アマゾンを遡れ』『ミャンマーの柳生一族』『異国トーキョー漂流記』『アジア新聞屋台村』『怪獣記』『未来国家ブータン』『謎の独立国家ソマリランド』など。一九六六年生。
『家庭用安心坑夫』という異質なタイトルに惹かれて手に取ってみたはいいが、初めから終わりまで「安心」できるような箇所は一つもなかった。「家庭」という言葉の暖かさもこの本には似合わないように感じた。そしてこの本に何度も登場する「坑夫」という存在、概念のようなものが、筆者を含めこの本を手に取った読者たちを惑わせ、混乱させる。こうして謎の「坑夫」に狂わされた一番の被害者が、この本の主人公であり、娘であった。
主人公は藤田小波といい、専業主婦をしながら夫とアパートで暮らしている。ある日彼女は日本橋三越で、秋田の実家にしか存在しないはずのけろけろけろっぴのシールが貼られていることに気づく。その奇妙な体験の後、小波はテレビの画面越しにある男を見つける。
〈立っていたのはツトムだった。ツトムそのひとだった。〉
小波はこの世にいるはずのない自分の父、ツトムと思わぬ再会を遂げる。実家のシールを貼った犯人がツトムであると考える小波の前に、ツトムは何度も姿を現わす。
ツトムは人形だった。幼いころ、母と小波は、炭鉱のテーマパークへ通った。炭鉱の作業員を模した沢山の人形の一体に会うためである。それを母は「墓参り」と称していた。
思わぬ再会で小波の、ツトムに会いたいという気持ちは加速した。盆にツトムのいる秋田に帰りたい。そう考えたが、夫は強く反対する。
〈配偶者がまったく理解できないことを言い出したというときに、このようなまるきり紋切り型の拒絶反応を見せた夫のつまらなさに、小波は噴き出したのだった。〉
しかし小波の思いが変わることはなかった。夫の目をかいくぐり家から出た小波は、実家へ向かう。その後、鉱山のテーマパーク「マインランド尾去沢」で、小波はツトムと再会する。そこでのある出来事をきっかけにツトムへの思いが爆発し、小波を暴走させていく。
〈小波には、夫の顔が思い出せないのだった。〉
長いこと眠って見ていた夢から覚め、現実に戻った瞬間はいつだって憂鬱である。しかし小波はやがて、長い間自分を閉じ込めていた幻想を自らの手で振り払っていくことになる。小波は「家庭」を知らない。一連の出来事は彼女の中の「孤独」が招いた結果だったのか。
この小説には救いがない。父も母も夫も、その中心に立つ小波も、全員救われることはない。小波と並行して描かれるツトムの話は断片的であり、その人物像は容易に想像できるものではない。また小波の視点から見るツトムも、得体の知れない幻覚だったり、ただのテーマパークの人形だったりする。小波の生い立ち、家族関係が詳しく明かされず、しかも小波の主観で語られているため、その行動の理由がはっきりしていないことが多い。もしくは小波の中でははっきりしていても、読み手からすれば謎のまま、という状況かもしれない。特殊な家庭環境で育ち、労働を避けていることに負い目を感じながらも、なんとか生きてきた小波の前に現れた父。ツトムは小波にとって何だったのか。ツトムは、そもそも本当に、小波の「父」として存在していたのだろうか。
★わたなべ・かえで=二松学舎大学文学部国文科2年。作曲に没頭している。音楽にハマったのは、くるりの「ブレーメン」を聴いたのがきっかけ。曲の素晴らしさに衝撃を受け、自分の音楽に対するハードルがぐんと上がった。
人はなぜ戦争をするのか。本書は、ゲーム理論に基づく最新の知見に基づき、この謎に取り組んだ優れた試みである。人間は戦争を好む暴力的存在だといった悲観論に対して、著者は理論と証拠に基づいて明快に反論する。意外にも、戦争は紛争の解決手段としては例外であり、通常は選択されないのである。コロンビアのギャングですら殺し合いよりも話し合いを好む。ギャングの抗争で武力衝突に至るのは1000件に1件に過ぎない。「万人の万人に対する闘争」は決して自然な状態ではない。殆どの場合、人類は戦争ではなく、交渉で分け前を手に入れることを選ぶのである。その理由は単純である。戦争は当事者双方に甚大な損害を与え、争いから得られる利益自体が小さくなってしまう。憎みあう敵同士でも、非暴力的に交渉で自分の分け前を確保する方が得なのである。
通説によれば、「貧困や経済危機が戦争を起こす」、「戦争は発展をもたらし有益な場合がある」などとされるが、こうした説明も正しくない。実証研究からは貧困や経済危機が戦争を引き起こすとは言えない。経済が縮小したからといって、戦争を始めても、ただでさえ小さなパイはさらに小さくなるだけである。貧困や経済危機はそれ自体重要な問題だが、戦争を引き起こすわけではない。また、戦争が経済発展をもたらすとも言えない。国同士の競争が進歩につながる場合はあるが、実際の軍事衝突は単に無益な破壊を生むだけで、むしろ経済は衰退する。人類の進歩の殆どは暴力なしに実現しており、わざわざ戦う必要などない。
では、それでも実際に戦争が起きるのは何故か。著者によれば、集団の間での長期にわたる暴力的な争いが発生するのは、5つの要因が関係している。まず、殆どの戦争に関係するのは、指導者のインセンティブの歪みである。例えば、ロシアのプーチン大統領のような独裁者は戦争の利益の大半を手にするが、損失は国民に押し付けられる。指導者の「抑制されない利益」は戦争バイアスを生み出す。また、相手の民族への憎悪等の「非物質的利益」が関係する場合も交渉が成立しにくい。情報の非対称性があり相手の実力や意図がわからない「不確実性」があったり、相手の約束を信頼できない「コミットメント問題」があったりする場合は、戦争が有利な場合がある。さらに、プーチン大統領のNATOの〝侵略〟に対する被害妄想が良い例だが、相手の意図に関する「誤認識」も戦争につながりがちである。
戦争を終わらせ平和をもたらすには、5つの要因に対処し、戦争を思いとどまらせるような変化が重要になる。例えば、対立するグループ同士の経済的相互依存や人的交流の拡大は、戦争の損失を大きくし、平和につながりやすいという。実際、歴史的に見れば、グローバル化による相互依存の拡大と戦争の頻度の低下は密接に関連している。権力の抑制と均衡の制度の発展も、戦争から利益を得る指導者の暴走を防ぐ上で不可欠である。敵対する当事者同士の誤解を解いたり、憎悪を煽るイデオロギーに反対したりする取組、和平の約束の履行を保障する国際介入の役割も重要になる。平和に向けた望ましい変化をもたらすのは困難だが、決して不可能ではない。例えば、認知行動療法(CBT)のプログラムのような小さな取組でも大きな成果を上げたものはある。平和をもたらすには、ユートピア的な壮大な計画ではなく、紛争地域の問題を地道に一つ一つ解決していく「漸進的平和工学」の手法が有効だという著者の主張は説得的である。本書のゲーム理論による分析はエレガントだが、平易に書かれている。紛争地域での著者の体験等の魅力的なエピソードは読み物としても面白い。訳文は読みやすく、専門用語の注釈も行き届いている。本書でウクライナ戦争は扱われていないが、本書の分析は今回の戦争にも見事に当てはまる。戦争と平和を考えるための現代の古典として強く勧めたい一冊である。(神月謙一訳)(かきの・しんご=高崎経済大学非常勤講師・経済学)
★クリストファー・ブラットマン=シカゴ大学ハリス公共政策大学院教授・同校開発経済センター副センター長・経済学者・政治学者。暴力、犯罪、貧困に関する世界的な研究は、ニューヨークタイムズ、ワシントンポスト、ウォールストリートジャーナル、フィナンシャルタイムズ、フォーブスなどで広く取り上げられている。
さらっと本文中で述べられている「キャンベルの仕事全体が彼のアーサー王伝説の研究によって生み出されてきた」という一言が、本書の要諦と言ってよいだろう。ジョーゼフ・キャンベルは、洋の東西を問わず聖と俗、双方の神話の共通項を見事に括り出し、時空にまたがる大きな絵を描き出して見せた博覧強記の比較神話学者で、日本でも主要著作の多くが邦訳されている。この大学者の名前を冠したジョーゼフ・キャンベル財団は、キャンベルの研究を保護・発展させることを目的の一つとした非営利団体で、キャンベルが残した膨大な未発表原稿や講義録などを保管している。それらの資料を活用したジョーゼフ・キャンベル選集は、一九八七年のキャンベルの死後三十年以上を経た今も刊行され続けており、本書はその一冊として二〇一五年に刊行されている。
本書で特筆すべきは、補論としてキャンベルの未刊行修士論文『「災いの一撃」の研究』が収められていることである。後に惑星的な視座を獲得する学問の巨人であっても、中世ヨーロッパ文学のアーサー王伝説における一モチーフの研究から学問の道に本格的に歩み入った事実を目にするのは、感慨深い。(この修士論文の第一部序盤の引用からエヴァンゲリオンのロンギヌスの槍の姿を想起する読者は多かろう。)一九〇四年ニューヨーク生まれのキャンベルは一九二七年に修士論文を提出した後、古フランス語とプロヴァンス語を学ぶため、つまり中世のアーサー王伝説の研究をさらに進めるべくパリを訪れたものの、パリ滞在は一年ほどで、その後はミュンヘンに移って研究の範囲を広く大きく拡張していった。キャンベルのその後長きにわたっての研究の発展をアーサー王伝説の研究で培った知見が支え続けた、と本書の編者、アメリカの神話研究者エヴァンズ・ランシング・スミスは示そうとしている。
短いパリでの滞在は、キャンベルに劇的な出会いを準備していた。そのころパリを席巻していた話題はジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』で、ジョイスに興味を持ったキャンベルは、後に専門外のジョイス研究で瞠目すべき研究成果を残す。ヘンリー・モートン・ロビンソンとの共著『『フィネガンズ・ウェイク』の合い鍵』である。ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』は現在でも難読難解の書として知られるが、その奇書が刊行されてからわずか五年後の一九四四年に、古今東西の文物に関する博識と神話研究で培った洞察力でもって、キャンベルはジョイスの大著の概略を示して見せたのである。
キャンベルは長い学問キャリアにおいて、お気に入りのジョイスとアーサー王について何度も講演を行っていたようだ。ジョイスに関しての論考や講演録をまとめたキャンベル選集の一巻は、早くも一九九三年に初版が出版されている。ジョイスに比べてアーサー王に関する講演などの数は少なかったようで、本書からはそれらの資料を繫ぎ合わせて一冊の書籍を編んだ苦労が伝わってくる。おそらくはほとんどが後年の講演からで、なかには複数の講演の内容を繫ぎ合わせたものもあり、キャンベルのアーサー王研究の発展の様子を経年的にうかがうのは残念ながら難しい。
斎藤伸治による訳は口頭による語り口を念頭におき、活き活きとして読みやすい。惜しまれるのは訳者が収録を意図していた解説がキャンベル財団の意向で掲載できず、簡潔なあとがきとなっていることである。キャンベルの研究の不朽化を意図する財団として、翻訳であってもできるだけ刊行されたままに近い形で出版したいというスタンスは理解できる。ただしそれゆえ、キャンベルの時代から上積みされてきた学問的知見を補う作業は読者自身に委ねられている。評者としては「ケルト」の概念の扱いが気になったが、おそらく他にもそのような点はあるだろう。
アーサー王ものの読み物として本書を見た場合、ハイライトは一番長い第4章「ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの『パルチヴァール』」だろう。訳文の読みやすさもあって小説一冊分を読んだ気分が味わえる。アーサー王のキャラ紹介の第6章、モチーフ紹介の第7章を先に読んでから、トリスタンとイゾルデの物語を扱った第5章や第4章に行ってもよいかもしれない。アーサー王伝説に関しても、たちまち蒙を啓いてくれるような記述(宮廷風恋愛は不倫になるしかない、など)がいくつも見られるが、切れ味鋭いそれらの諸点に関しては、アーサーリアンの先生方からの評価を俟ちたい。(斎藤伸治訳)(しもくす・まさや=同志社大学教授・英文学)
★ジョーゼフ・キャンベル(一九〇四―一九八七)=アメリカ生まれの神話学者。比較神話学や比較宗教学で知られる。著書に『千の顔をもつ英雄上・下』『宇宙意識 神話的アプローチ』『神話の力』(共著)『ジョーゼフ・キャンベルの神話と女神』など。
戦いたい。この世界を覆うニヒリズム、資本主義と家父長制、抑圧や規範、「生きづらさ」に抗いたい。でも、誰かや何かを殺したり、踏みつけたり、壊したりはしたくない。戦いの背後にある仕事とそれをする人を無視するのもいやだ。どうしたらいいのだろう。
英文学者の小川公代による『世界文学をケアで読み解く』は、私たちののぞむ、持続可能な抵抗のヒントに溢れた本だ。
本書で著者は、既刊である『ケアの倫理とエンパワメント』『ケアする惑星』で取り扱われた「正義の倫理」/「自律的な自己」に対する「ケアの倫理」/「多孔的な自己」などの論点を引き継ぎつつ、小説、映画、漫画などの作品における登場人物の振る舞いや作者の言葉からケアのありかたを引き出し、あきらかにしようと試みる。「世界文学で」と銘打たれている通り、前二冊と比べても、取り扱う作品数は格段に増えている。
『ジェイン・エア』『嵐が丘』で強い意志のもと自分で行動する主人公を描き、お金を稼ぎながらもケアラーとして家庭の状況に常に目を配っていたという、ブロンテ姉妹のエピソードで本書は幕を開ける。第一章でこれまで著者が述べてきた論点を整理しつつケアをめぐる思想史をていねいに紹介したのち、それぞれの章に掲げられる「暴力と共生」「SFと想像力」「有害な男らしさ」「死者のケア」といったテーマのもと、数々の作品が分析され、よりあわされてゆく。『こんな夜更けにバナナかよ』と『マッドマックス 怒りのデス・ロード』のように、著者の慧眼によって思いがけない作品の比較が示される章もあれば、『侍女の物語』の三十年後に続篇『誓願』が書かれたことではじめてあきらかになる登場人物の真意や語り直される連帯を、「ケア」の思想をとおして見つめるパートもある。
『ケアの倫理とエンパワメント』から一貫して、著者の視点は〈ケアの倫理〉のもと行動する者、あるいは他者に向かってひらかれた「多孔的な自己」、病人やマイノリティのような「横臥者」の側に立っている。『世界文学をケアで読み解く』においても、「エッセンシャルワーカー」「女性」「子ども」「妹」「霊魂」「動植物」「サイボーグ」「死者」、ほかにもさまざまな「横臥者」側の登場人物の存在が持ち出される。そして、資本主義的な観点からすると弱い立場におかれているこういった者たちがなんらかのケア実践をしたり、ケアの萌芽といえる経験をする様子が紹介される。
なかでも私は、著者の「魔女」への興味に注目したい。本書では、あらゆる境界を撹乱するカウンターとして「サイボーグ」の存在を打ち立てるダナ・ハラウェイの「サイボーグ宣言」や、家父長制と資本主義を「魔女狩り」というキーワードから批判するシルヴィア・フェデリーチの『キャリバンと魔女』が紹介される。これらは、アクティヴィズムとしての側面も持つ現代ウィッチクラフトの実践者によって頻繁に参照され、解釈されるテクストである。また著者は、現在『群像』にて連載中の「翔ぶ女たち」の第三回「魔女たちのエンパワメント――『テンペスト』から『水星の魔女』まで」(二〇二三年九月号掲載)において、〈ガンダム〉シリーズの新作アニメ『水星の魔女』を「魔女」というキーワードから読み解き、「女性たちが精霊の力を借りる物語」、「武力によってではなく、互いにケアしあうことで男性中心的な支配に抗するというテーマがある」と評価している。権力や、抑圧的で排他的な構造に対して従順にならず、しかし征服ではなくケアを志向する者としての「魔女」は、同じ土俵に立つことを拒否したまま抗うための新たな方法論を象徴する存在であるのかもしれない。
これまで、男性に要請された「家庭の天使」としてケアを担ってきた者たち。あるいは、「弱者」「異端」「神秘」「霊的なもの」として例外視され、疎外され、「他者」とされてきた者たち。本書は、この者たちによる叛逆を示唆している。この叛逆はもちろん、〈正義の倫理〉に基づいて行動する「直立者」のやり方のような、自己と他者を分断し力でねじ伏せて相手を叩きのめす、という叛逆ではない。自己を分厚い鎧で覆い、他者を蹴落とし、ケアする者の存在を透明化し、全てを生産性で評価する者たちに対する、彼らが周縁化してきたもの同士で、あるいは彼ら自身、「直立者」的な存在をも巻き込んで、弱いまま、共事的にケアしあう、という「魔女」の手による叛逆である。(ほりかわ・ゆめ=編集者・ライター)
★おがわ・きみよ=上智大学外国語学部教授・英文学・一八世紀医学史。著書に『ケアの倫理とエンパワメント』『ケアする惑星』、共編著に『文学とアダプテーション2 ヨーロッパの古典を読む』など。一九七二年生。
〈中絶がしてみたい〉
〈普通の人間の女のように子どもを宿して中絶するのが私の夢です〉
本書の主人公である井沢釈華は、著者・市川沙央と同じく、難病であるミオチュブラー・ミオパチーを患っている。右肺を押し潰すかたちで極度に湾曲した背骨。仰臥時には欠かせない人工呼吸器、痰を吸い出すために手放せない吸引器。重度障害を抱えながら親の遺したグループホームで生活する釈華は、密かに「中絶がしたい」という欲望を抱えていた。釈華はそのような過激な思想を心の内で持ちながら、その欲望はTwitterに放出するだけで、決して実生活では表さない。むしろ彼女はグループホームの中で真面目な女性として生活していた。しかしある時、ヘルパーである田中さんにTwitterアカウントを特定されたことにより、「胎児殺しの欲望」を知られてしまう。
「中絶がしてみたい」という釈華の願望は、摩擦への欲求の表れであろう。通信制大学の授業で扱った障害女性に関する諸問題に、彼女は自分を重ねることができなかった。それは彼女が重度障害者であることを除けば非常に恵まれた環境に置かれているからだった。両親とその経済力によって手厚く庇護されてきた彼女は、他者との摩擦を経験しなかった。体力がなく出産も育児もできず、入浴介助の場でヘルパーに生殺与奪の権を簡単に預けてしまうような彼女にとって、中絶は彼女に許された数少ない摩擦の手段なのであった。
弱者男性を自称する田中さんは、経済力のある釈華に対してルサンチマンを募らせる。釈華はそんな田中さんに、大金と引き換えに自身の中絶願望の協力者になってもらうよう持ちかける。しかし、その中途のオーラルセックスの最中に誤嚥性肺炎を起こし、計画は潰えてしまう。結局、田中さんはその後すぐに仕事を辞め、釈華は求めていた摩擦を経験することなく幕を閉じる。
小説の最後に、「紗花」という別の視点が登場する。この視点では釈華が望む理想の結末が描かれている。風俗店で働く紗花の、田中さんを思わせる「お兄ちゃん」は釈華を思わせる「利用者さん」を殺害していた。障害女性に憐れみを向ける田中さんではなく、弱者男性のルサンチマンを受けきれない釈華ではなく、思うままに他者と摩擦できる釈華の理想が示されている。そうして釈華の中絶の欲望を叶えるために、紗花は孕むのである。
本書は、出生前診断と人工中絶を巡る社会問題や、健常性を要求する紙の本を信仰している読書文化の「健常者優位主義(マチズモ)」など、多くの事柄に対する問題提起がなされている点も重要な魅力である。市川は芥川賞の受賞会見において「私は強く訴えたいことがあって(中略)書きました」と発言しているが、それを訴えるにあたって「小説」という媒体を用いたのは非常に効果的であり、市川はその手段を見事に扱い遂げているといえよう。多くの読者にとって異邦であるはずの重度障害当事者の世界に、我々はいつの間にか没頭し、共感している。一人の障害女性の思いを、一人称視点のユーモラスかつ読みやすい文体で描ききった本書『ハンチバック』。必読である。
★かわべ・こうた=二松学舎大学文学部国文学科1年。義手ユーザで、障害と文学に関心がある。自身でも小説を書き、最近は現代短歌や自由律俳句にも挑戦している。