四百年にわたる一三一人、一三一〇句 宇佐美孝二 / 詩人週刊読書人2022年1月21日号 百代の俳句 誰もが知る名句から誰も知らない名句まで著 者:田 原(編)出版社:ポエムピースISBN13:978-4-908827-72-3 「誰もが知る名句から/誰も知らない名句まで」と惹句にある、これまでにないユニークな俳句の案内書が出来上がった。編者の田原は、中国籍で日本在住の詩人。中国の大手出版社から依頼を受け、『松尾芭蕉俳句選』の中国語訳に続き、「日本全体の俳句の流れがわかるようなアンソロジーを編み訳してほしい」旨の依頼を受けた。その中国語訳に先駆けて日本で出版に至ったのが本書である。 江戸時代から現代まで、四百年にわたる一三一人を選りすぐり、合計一三一〇句が収められている。全体を六期に分け、「一」が江戸時代前期、「二」が江戸時代後期、「三」が明治・大正時代、「四」が昭和時代前期、「五」が昭和時代後期、「六」が平成時代となっている。見開き二ページ、俳人一人につき十句ずつが割り当てられ、パラパラと捲っていくと自然と目に入ってとても見易い。さらに、八八字・二行の解説がコンパクトにまとめられている。まさに四百年の俳句の流れを俯瞰できる編集には、編集者の技ありと言ってよいだろう。 確かに、江戸時代前期の俳人の句などは、芭蕉や去来、也有ならいざ知らず、なかなか目にする機会などない。例えば池西言水(一六五〇―一七二二)の「木枯しの果はありけり海の音」などは芭蕉の句と比較したいところ。また広瀬惟然(不詳―一七一一)という人の「きりぎりすさあとらまへたはあとんだ」など、現代の(児童)詩人まどみちおに通じると思わせる句も注目したい。蕪村と親交のあった、僧の炭太祇(一七〇九―七一)は、島原遊郭で遊女に俳諧や手習いを教えていたという。彼の句のひとつ「船よせてさくらぬすむや月夜影」の色香は、わたしなど素人にもうっとりと感じさせるものがある。 時代的には、昭和前期の俳人が多く掲載されており、「おっ」と思ったのは永井荷風(一八七九―一九五九)の句。「色町や真昼しづかに猫の恋」、色町通いの荷風が立ち止まっている姿が見えるようだ。他方で時代状況もあり編者の好みもあるけれど、新興俳句運動に関係する俳人の句が多い気がする。その流れでも渡辺白泉(一九一三―六九)は名高いが、彼のこんな句はどうだろう。「蓋のない冬空底のないバケツ」。モダニズム的な句であり、詩人ならではの視線、選定である。「平成時代」は三名の紹介と少ないが、中でも西村麒麟(一九八三―)がおもしろい。「涅槃図を巻くや最後に月を見て」を採っている。 注目すべきことの最後は、巻末に書かれた田原の〝俳句論〟である。これほどの緻密・シャープな俳句論を詩人である彼はいつの間に身につけたのだろう。「俳句は時間的芸術でありながら、美を極めた沈黙の代弁者でもある。」として芭蕉の句を引き、「意味より、句の美的感覚における神秘性と言葉に尽くせぬ余韻が、俳句の不確定さと深遠さを最大化している。」と考察する。漢詩と俳句との関連性と「日本の定型詩の源流」、さらに米国生まれの詩人エズラ・パウンドの、俳句に強く影響されていた事実も見逃せない重要な指摘である。言葉のリズム、韻律の問題にも切り込んでいるが、本書の性質上これ以上の論究は要求するのが無理というものか。「俳句は時間の真理なのだ。」と喝破する田原の指摘は、中国の漢詩文化で育った者のもつ洞察に充ちている。「俳句を読むと心が笑う」、本の栞に書かれた田原の直筆にこころが和む。手元に置きたいハンドブックがひとつ増えた。(うさみ・こうじ=詩人)★ティエン・ユアン=詩人・翻訳家。河南省生れ。「谷川俊太郎論」で文学博士号取得。上海文学賞、台湾と中国で翻訳賞など受賞。著書に日本語詩集『石の記憶』(H氏賞受賞)、『田原詩集』『夢の蛇』など。一九六五年生。