――芸術作品としての写真表現と、大衆文化現象としての写真実践――増田玲 / 東京国立近代美術館主任研究員・写真史週刊読書人2021年10月1日号ありのままのイメージ スナップ美学と日本写真史著 者:甲斐義明出版社:東京大学出版会ISBN13:978-4-13-080223-9 本書は「スナップ」という写真の撮影技法を通して、日本写真史を再考する試みである。英語の「snapshot」に由来するスナップあるいはスナップ写真といった言葉は、一般的には「即興的に写した写真」、より平たくいえば、手軽に撮られた素人写真といった意味で使われている。しかし日本の写真界においては、写真家が意識的にスナップという方法を選ぶ場合には特有の意味を帯びる。そこには英語で「キャンディッド・フォト」と呼ばれる「カメラに気づいていない被写体を自然に、率直にとらえる写真」の試みであることが含意され、そのことによってスナップは、世界の真正な姿をとらえる技法として、固有のジャンルを形成してきたのだ。時代によって変遷を重ねつつ、スナップは単なる撮影技法である以上に、一つの美学として日本の写真表現の歴史の中心的な位置を占めてきた。その様相を、本書は緻密な議論によって解き明かしていく。 著者はニューヨーク市立大学でジェフリー・バッチェンに師事した研究者である。バッチェンは「ヴァナキュラー写真」(商業写真や個人の記念写真など、芸術や表現への志向を持たない、その国や地域ごとの固有のあり方でなされる一般的な写真実践)に注目することで、従来欧米の優れた写真家の作品を中心に論じられてきた写真史研究に新たなトレンドをもたらした写真史家だ。本書は著者がバッチェンのもとで二〇一二年に提出した博士論文を発展させたものだ。 バッチェン流の視点を、著者はユニークなかたちで摂り入れている。上述のように、特有の含意をもってジャンルを形成した日本のスナップを、本書は写真家の営為だけでなく、批評などの言説、さらにはそれらに影響を受けたアマチュア写真家たちの実践も視野に入れて分析する。ジャンルとは受け手も含めて成立する制度であり、そうした視点を取ることで、芸術作品としての写真表現と、大衆的文化現象としての写真実践を横断的に論じることが可能となるからだ。自身が少年期より一眼レフカメラでスナップを試みるアマチュア写真家であったという背景も、そこには反映されている。 従来の写真史研究がスナップという技法に注目してこなかったわけではない。日本においてスナップの名手といえば木村伊兵衛だが、彼は戦前、小型カメラライカを用いていち早くスナップの可能性を示し、戦後にはもっぱらスナップの技法で写真史に残る名作の数々をものした。また木村のライバル的な位置付けで語られる土門拳には、一九五〇年代のリアリズム写真運動の中で記した「絶対非演出の絶対スナップ」という有名なフレーズがある。彼らはアマチュアへの影響力も大きく、このことだけを見ても、必然的にスナップという技法は重要なトピックであるはずなのだ。一方で彼らはともに戦中、国策宣伝に従事し、そのことは戦後の再出発において、彼らだけでなく、写真家はいかに社会の現実と向き合うべきかという課題を前景化させた。従来の写真史はこの社会的、政治的な側面により注目する傾向にあった。だからスナップを補助線に写真史をたどる本書の試みは、これまでにない新鮮な視点を開示していく。 スナップ成立の前史である一九世紀末から始まり、二〇一〇年代の作品までをたどる議論は、スナップ美学があるパラドックスを内包することを浮き彫りにする。ありのままの現実をとらえることを志向するスナップの美学において、撮り手の作為は極力排されるべきものとなる。したがって構図や画角の選択など、より「ありのままの現実」に近づくための新たなアプローチが成立するたびに、それらは速やかに一つの技巧=作為として否定されることになるのだ。絶えず更新され続ける運動体としてスナップの系譜という視点は、各時代の作品にこれまでにない解釈を開く。詳述する紙幅はないが、荒木経惟の初期の代表作『センチメンタルな旅』や九〇年代に注目されたいわゆる「女の子写真」についての分析などはとりわけ鮮やかである。 スナップ写真に注目する本書は、もちろん包括的に写真界の動向をあとづけるものではないが、そこで呈示された視点は、今後の日本写真史研究において必ず参照されるべきものとなるだろう。(ますだ・れい=東京国立近代美術館主任研究員・写真史)★かい・よしあき=新潟大学人文学部准教授・美術史学。東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究科修士課程修了。ニューヨーク市立大学グラデュエートセンター博士課程修了。共著に『〈時の宙づり:生・写真・死』『写真の理論』など。