杉田佳凜 / 広島大学大学院総合科学研究科博士課程前期二年生週刊読書人2020年5月22日号(3340号)しんくわ著 者:しんくわ出版社:書肆侃侃房ISBN13:978-4-86385-243-3『しんくわ』という本がある。面白くて、楽しくて、大好きな一冊で、あらゆる人に読んでほしいと心から思うのだけど、どんな本か聞かれると少し困ってしまう。 『しんくわ』は新鋭短歌シリーズの一冊だ。ただ俳句や散文も混ざっていて、歌集とは紹介しづらい。目次に並ぶタイトルのいくつが短歌とも言えない。短歌と俳句が、短歌と散文が混ざっているものも少なくないからだ。内容もいろいろで、卓球部のへなちょこな青春が描かれたと思えばペンギンがぽてぽて並び、お正月にバイクですっ転んで十字靭帯を切った話があって、プロレスラーとカードゲームが顔を出す。登山もエクストリーム出社もある。 『しんくわ』が説明しづらいのは、定義できないからだ。歌集とか小説とか、相聞歌とか職業詠とか、ギャグとかシリアスとか、使い勝手のよい枠組みからするりと抜けだしていく。そしてまた〝短歌ならこうだろう〟という思い込みからも。五分後に君は来て大袈裟な陣を作ってきて始めよう天体観測って、ここは戦場ですよ。孔明殿 この歌はBUMP OF CHICKEN《天体観測》の本歌取りというか替え歌になっている。定型にはぜんぜん収まっていないけれど、《天体観測》を知っていると、不思議と〝短歌っぽく〟読める。五分後に/君は来て/大袈裟な陣を作ってきて/始めよう天体観測って、/ここは戦場ですよ。孔明殿 短歌っぽいと思うのは、リズムに乗って読むことができて、それが五七五七七ではなくても五つの区切りでできているからだ。《天体観測》と短歌定型を意識するからこその早口は、〈孔明殿〉の行動に慌てる様子と重なって楽しい。 『しんくわ』に出会う前から短歌が好きで、短歌が堅苦しいばかりでないことは知っていた。けれどJ―POPで中国史でこんなに破調なのにリズミカルなんて歌は初めてで、嬉しくなった。やるじゃん短歌、と思った。『しんくわ』は定義や思い込みや予想をマイペースに超えていく。それが楽しくて仕方ないのだ。やがて雪 原田宗典に降り積もる雪 あなたがどーなっても溶けない雪はない 〈どーなっても〉という言い方に面食らう。どうなっても、じゃないのか。でも〈どーなっても〉のほうが、本当に何があっても溶けそうだと思う。就活に失敗しても、イエティと仲良くなっても、どーなっても。雪解けが喜ばしいとは限らないのかもしれないけれど、〈どーなっても〉の絶対さは底抜けに明るくて、どこか安心してしまう。好きなひとの瞳の中に僕がいてなんて素敵な二人の焼き肉食べ放題 観覧車にでも乗っているのかと思えば焼き肉食べ放題なんて。でも卓袱台返しのような意地の悪いオチだとは感じない。僕と、僕を瞳に映すあなたと、二人を取り巻く焼肉の熱と匂いと飛び散る油と、ぜんぶひっくるめて〈なんて素敵な二人の焼き肉食べ放題〉で、それは観覧車では見えなかった素敵さだ。 『しんくわ』の赤い帯には「笑ったらいいと思う。」とあって、目に入るたび(だよね)と思う。『しんくわ』のマイペースさにつられて、みんな笑ったらいい。そうして毎日が楽しくなって、ついでに短歌や俳句を好きになったらいい。 『しんくわ』で笑った一人として、心からそう思うのです。(加藤治郎監修) ★すぎた・かりん=広島大学大学院総合科学研究科博士課程前期二年生。大学生協発行の読書情報誌『読書のいずみ』の編集委員を務めています。短歌が好きです。※プロフィールは応募時のもの。