――アメリカにおける時代の転換点を明確に描き出す――阿部大樹 / 精神科医週刊読書人2021年10月29日号愛と差別と友情とLGBTQ+ 言葉で闘うアメリカの記録と内在する私たちの正体著 者:北丸雄二出版社:人々舎ISBN13:978-4-910553-00-9 なぜ本を読むのかと訊かれれば、もちろん愉しいからですが、では本を読んで何が愉しいかとさらに訊かれると、すこし難しいところがあります。一つには新しい知識を容れることができるから、二つ目には、知っていたつもりの出来事を新しい角度から捉えられるからでしょう。 本を読む理由を、ここにもう一つ加えたいと思います。本が出版されたということは、著者にとって数年をかけた労力があり、さらに、それを世に出すべきで、それが支持を受けるだろうと考えた出版社の判断があったというわけです。良い本に出会ったとき、それがただ一人の一時の気持ちでなくて、複数人が長年をかけた、堅い意志表明の結果であるということは、きわめて具体的な意味で、読む人の背中を押すものです。そういうことを期待して、私は本を読みます。 こんなことをわざわざ書き留めておこうと思うくらいに素晴らしい一冊でした。 ◆ さて、〈何を好むか〉によって私たちが批判されたり、一方的に優劣をつけられたりすることが現にあります。「種の保存に反する」とか「生産性がない」などと一方的に論難されるような事態もそこに含まれます。そのような不見識に対するカウンターとして、「そういう時代じゃないんだから」という声も、たとえばメディア報道や日常会話のなかに聞くことができます。 そういう反論のあることは、無言よりはずっと良いことです。無言は一般に、無理解に加担するだけですから。ただ、ここでもう一歩、踏み込んで考えることをしてみたい。「そういう時代」を私たちはいつ卒業したのでしょうか。「そういう時代」に法はどう運用されていて、そこで何が起きていたのでしょうか。その状態はどうやって乗り越えられたのでしょうか。そして「今」は「そういう時代」とどこが違っているのでしょうか。 ここのところを脇に置いたままであるなら、古いとか時代じゃないとかの発言は、どこか浮ついた、目の泳いだようなものであると思うのです。 ◆ エイズ症例がはじめて報道されたのは八一年のことです。けれども大統領ロナルド・レーガンが初めてエイズという言葉を口にしたのは八五年になってからでした。その間に約二万人が感染して、亡くなっています。衛生当局はすでに大統領府に報告を挙げていましたが「黙殺」されていたわけです。事実も市民も共々に。このころの同性愛者の運動スローガンであった〈SILENCE=DEATH〉とは、このような状態を指しての言葉でした。 行政府にエイズ対策を求めるためには、なにか強烈な活動をする必要があったわけです。ただ陳情するだけでは、「I haven’t got anything on it(きいたことがない)」といって無視されるのですから。――この「きいたことがない」というのは、ときの大統領副報道官が公式の場で、八二年一〇月一五日に発した言葉です。 活動家のやったアピールは、幹線道路への集団での座り込みや、エイズ対策に反対する枢機卿のいた教会ミサに乱入したり、といったことです。法に触れるものも当然あり、もちろん逮捕者も出たわけですが、それによってエイズ禍がやっと知られるようになり、行政府も無視を決め込むことができなくなったわけです。結果として何十万人の命が救われました。 運動をすることは、自分の性指向をオープンにすることにほとんど等しかった。しかし黙っているままでは、つまり「クローゼットのなかにいる」ままでは、見殺しにされていたわけです。ハーヴェイ・ミルクの発した「カム・アウト!」という声には、おとなしく居るだけでは生きることさえ危うい、そういう緊張関係がありました。そのミルクさえ、八〇年代のエイズ禍の直前に暗殺されているわけですけれども。 ◆ 九三年に新聞記者としてニューヨークに赴任した著者は、本書を通じて、アメリカを、特にブロードウェイの演劇界を襲ったエイズ禍、その後の九〇年代から現在までの映画界に取材しながら、この時代の転換点をはっきり描きます。「そういう時代」を、誰が、いつ、どのような方法をとって終わらせたのか、ということです。それは〈終わった〉というような、ボンヤリした主語抜きの出来事ではありませんでした。(あべ・だいじゅ=精神科医)★きたまる・ゆうじ=フリージャーナリスト。長年にわたってニューヨークからアメリカの文化・政治・「LGBTQ+」の問題を発信。二〇一八年から、拠点を日本に移して活動している。本書が初の単著